第43話 シーア派とスンニ派ってなに?
シーア派とスンニ(スンナ)派ってイスラム関係のニュースでよく耳にする言葉です。大航海時代にもあった代表的なイスラム国家としては、オスマン・ハフス・マムルーク朝・サファビー朝などがあげられます。このうちシーア派に属する国家は、サファビー朝。残りはスンニ派です。
イスラム教自体はなじみ深くない私たちにとってはなにがなんやらわかりません・・・。
今回は、シーア派とスンニ派について軽く触れてみたいと思います。このあとに、サラディンのところで出てきた国家についても見たいと思ってます。
●シーア派とは?
イスラム教の宗派の一つ。イスラム教の開祖ムハンマドの従兄弟で、娘婿のアリーと、その子孫のみがイマームとして預言者のもつイスラム共同体(ウンマ)の指導者としての職務を後継する権利を持つと主張する。(wikiより)
●スンニ派とは?
預言者ムハンマドの時代から積み重ねられた「慣行」(スンナ)を守る宗派という意味で、アラビア語で「スンナに従う人」を意味する「スンニー(Sunnī)」の語からスンニー派とも呼ばれる。(wikiより)
さて、これを読んでもまったく意味わかりません。もうすこし掘り下げてWIKIでは記載がありますので、そこを抜粋してみます。
イスラームという宗教が生まれて間もない初期のころ(正統カリフ時代)に、預言者の後継者(ハリーファ(カリフ))を誰にするかという問題において、ムハンマドの従兄弟かつ娘婿であるアリーとその子孫のみがイマームとして後継者の権利を持つと主張したシーア・アリー(「アリーの党派」の意。後に略されて「シーア」、すなわちシーア派となる)に対し、アブー=バクル・ウマル・ウスマーンのアリーに先立つ三人のカリフをも正統カリフとして認めた大多数のムスリム(イスラム教徒)がスンナ派の起源である。
んーー。ますます意味がわかりません。大雑把にまとめると後継者について解釈が違うみたいですね。
◆スンナ派の後継者
アブー=バクル、ウマル・ウスマーンという名前を見る限り、ヘラクレイオスの時代のウマイヤ朝とかぶってくるみたいです(ヘラクレイオスについては、いずれ)
さてこのウマイヤ朝というイスラム王朝は、アラブ人が支配者になって成立した王朝でした。簡単にいうと、このアブー=バクルという人物はイスラム教の開祖であったムハンマドと血縁ではなかったということです。
もちろん、イスラム国家として強大になったのはウマイヤ朝からでしたので、大多数のイスラム教徒はアブー=バクルを後継者と認めていたわけです。これが簡単にいうところのスンナ派です。
◆シーア派
アリーという人の子孫のみを後継者として認める派らしい。アリーと言う人は、開祖ムハンマドの娘ファーティマと結婚した人物で、その子孫はムハンマドと直接の血縁関係にある。
◆捕捉:アリーについて
アリーは先ほど出てきたウマイヤ朝の第4代カリフ(王であり宗教的指導者)になったことがあるので、スンニ派・シーア派両方から神聖視されている人物らしい。
◆結論
元々シーア派とスンニ派は政治的な派閥問題から分裂し、独自の戒律を持つようになっていったみたいです。大多数のイスラム教はスンニ派らしいです。
シーア派の代表格はペルシア人(イラン人)とのこと。ちょうどサファビー朝がシーア派ですね。(サファビー朝がシーア派になったのも政治的な流れからですが・・・)
なんか新教徒とカトリックに似てますね!
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