第36話 ローマの一週間

●古代ギリシア・ローマの一週間

 古代ギリシア・ローマの一週間は、8日であった。農民は7日働き、8日目に農作物を台車に積んで街へ出かけた。「市の日」である。この日市民は仕事を休み、友達と付き合ったり、遊んだりした。

 農民もまた、作物を売った後居酒屋で一杯やったりしながら休息していたという。しかし、帝政に入ると、一週間は7日になる。


●ローマの一日のはじまり

 わたしたちは、一日は朝からはじまることに何の疑念もいだかないが、古代ローマでは一日の始まりは真夜中であった。


●帝政ローマ時代の一週間

 ローマにユダヤ・キリスト教が入ってくると、彼らは、6日働きそして、7日目には休んでいる。

 ローマもキリスト教国家となったため、帝政に入ると、一週間7日になる。また、キリスト教徒に、一週間が7日の理由を尋ねれば、彼らは旧約聖書を示しながら、「天地創造された神が7日目にお休みになったからだ」と説明するだろう・・。


 以下旧約聖書より、

 こうして天と地と、その万象よが完成した。神は第7日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第7日目に休まれた。神はその第7日目を祝福して、これを聖別された。

 安息日を覚えて、これを聖としよ。6日のあいだ働いたあなたのすべてのわざをせよ。7日目はあなたの神、主の安息であるから、何のわざもなしてはならない。


 ようは、神が7日目に休んだので、われわれも休もうというものであるが、これはどうも疑わしい・・・。本当はその逆ではなかろうか?人間が疲れたから7日目には休むことにしたのだろう。万能の神は疲れない。神が7日目に休んだなどとどうしてわかるのだろうか?

 この7日目に休むという習慣は、必ずどこからかきている風習と考えると、7日目の謎は見えてくる。それについては次回で・・・。


●余談

 イスラエルを滅ぼした、ローマの将軍ポンペイウスは、ユダヤ人は7日目を安息日とし、武器もとらないことを聞き、安息日に総攻撃をかけイスラエルを滅ぼしている。以後イスラエルはローマの属州となった・・。

 攻められても安息する徹底振りは、安息日の拘束はすごいのでしょうか?


 ローマの一週間は、キリスト教(ユダヤ人)の風習から7日になりました。このユダヤの風習はどこから来たのでしょう。やはり、元をたどるなら文明発祥の地オリエントから探ってみるのがよさそうです。


●バビロニア暦

 オリエント古代における強国バビロニアでは、週7日制度を用いていた。

 適切な過去の記事はないのだが、バビロニアの記載が少しあるので参考に・・・海の民(後述)

 古代バビロニアは、ハンムラビ王の「目には目を歯には歯を」というハンムラビ法典が有名であるが、彼らの文明は大変優れたものであったので、周辺地域に多大な影響を与える。

 その後、ネブカトネザル二世によってユダヤ人の王国であったユダ王国が滅ぼされると、王族や神官など主だった民がバビロンに強制連行された(バビロン捕囚 前592年)。

 その後、アケメネス朝ペルシアのキュロス二世によってユダヤ人は解放される(前539年)が、この半世紀あまりの間バビロニアに暮すことによってユダヤ人はさまざまなバビロニアの風習を取り入れる。


 例えば、

 モーゼの十戒

 エデン物語

 ノアの箱舟

 バベルの塔

 などの神話が生まれた。また、バビロニアの暦は太陰太陽暦で、ひと月の長さは月を基準にし、一年の長さは太陽を基本にして決める方式であった。月の満ち欠けは平均29.5日である。これを四分割したものを一週とした。(余った日数は閏月)

 一週の第7日目の安息日(SABBATH)の語源はバビロニア語の仕事を中断するを意味するSABATTUから来ている。


●海の民

 時代は古代メソポタミア。メソポタミアとは川の間の地域を意味し、チグリス川とユーフラテス川に挟まれた地域を指す。現在のイラクのあたり。

 このあたりでは、紀元前3500年ごろから文明が栄え、前2700年ごろにはシュメール人がウル、ウルクなどの都市国家を建設し、この民族によって楔形文字が発明された。

 しかし、シュメール人はたびたびの内紛で衰退し、シュメールの都市はアッカド人によって征服された。


 アッカドはサルゴン1世(前2350)の時代には、メソポタミア最初の統一王国を作るが、衰退していった。次にアムル人がバビロンを首都としてバビロニア王国を建国し、ハンムラビ王の時代(前1729)にはメソポタミアを統一した。

 バビロニア王国の繁栄によって、ヒッタイトをはじめとするメソポタミアの周辺民族はバビロニアの富を狙って侵入をくりかえしたいた。


 そして、ハンムラビ王の死後、バビロニアは衰退し、ヒッタイトによって滅ぼされる(前1650)。(ヒッタイトは冒険者クエストで有名?)ヒッタイトは初めて鉄器を使った民族であった(前1400)。ヒッタイトはこの地域の覇権をミタンニやエジプトと争ったが、統一にはいたらなかった。しかし、門外不出とされた鉄器は強力で他民族を圧倒する。


 このころ、海の民の侵略行為、海賊行為が盛んになってくる。

 海の民とは、東地中海を中心に周辺都市に海賊・侵略行為をした民族の総称。古代におけるノルマンのような存在か・・?

 そうして、海の民の攻撃によってヒッタイトは滅ぶ(前1190)。

 ヒッタイトの滅亡によって、鉄器の技術が世界中に広まり、鉄器時代が花開くことになる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る