第32話 動き出す魔人
「ぐっ!」
「リクちゃん!?」
ゴッ、っと鈍い音とリクルースの小さな呻きが辺りに響く。音の出所は、リクルースへと振り下ろされた宝石に木が絡みついたような作りの杖。その杖がジェノによって受け止められた時に生じた音だった。
「あっぶねー!いつのまに入れ替わってやがったんだこいつめ」
奇襲を天性の勘で察知したジェノは、リクルースを体当たりで吹き飛ばして位置を入れ替えるようにして攻撃を受け止めた。そのまま剣を振ってギャレゲルの姿をした隠密狼の身体ごと弾き飛ばした。
「リクルース、怪我がねぇならぼさっとしてないで立て!」
「い、言われなくとも立ち上がりますよ」
ジェノは間に合うかどうかのギリギリのタイミングだったことへの焦り、そして庇えたことに対する安堵をなるべく表に出さないようにリクルースへ声をかける。その視線は目の前で人狼の姿になった隠密狼を捉えて油断なく見つめている。彼らの周りには3体の隠密狼が隙を窺っており、ジェノにしても余裕はほとんどない。それほどまでの緊急事態だった。
「さーて、こりゃあ結構まずいんだけど、合図出す余裕あるか?」
「少し難しいですね・・・魔法を唱えた瞬間飛び掛ってくると思います。なんとか隙を作ってください」
「おーけいおーけい、なんならそのままぶっ倒してやらぁ!」
ジェノ、リクルースは隠密狼と対峙する。後ろで倒れる受験者達と、それを介抱しているリアクースとレルカを守る為に。
「コーキンさん、どうしますか?」
「ちっ、俺はこいつをやるからレイドは隠密狼を頼む」
「はい。お気をつけて」
コーキンも目の前の魔人ガイサから目を離すことなく素早くレイドに指示を出す。レイドは短く答えると隠密狼の方へと駆け出していく。そこで長年のパーティーメンバーであるギャレゲルが成り代わられていたことを知り激しく怒るのだが、コーキンにもそこまで気にしている余裕は無い。
コーキンからすれば、目の前の魔人はとてつもない力を持ち森の隠密狼を従えて受験者達を襲撃し、蹂躙される様子を見て愉しんでいた。そんな魔人から一瞬でも目を離せば、どう動くか分かったものではない。
実際には魔人ガイサは隠密狼とは全く関係なく、隠密狼の方も自分達に手を出してこないのならわざわざ格上の存在に牙を向けるほど愚かでなかっただけなのだが、余りにも状況が整いすぎていた。コーキンでなくとも、魔人ガイサが全ての元凶だと判断したとて仕方が無いことだろう。
「他の人達は忙しいみたいだから、お前の相手は俺がしてやるよ。かかってこい!」
コーキンは長さ150cm程の両刃の斧を一度大きく振ってから構え、ガイサを挑発する。ヒュゴゥ!!と暴風のような音と、風圧がガイサの身体を撫でていく。コーキンがまるで枯れ枝でも扱うように振るうその武器は、魔黒鋼と呼ばれる非常に硬いが非常に重い特殊な金属で出来た斧である。武器として特殊な能力は持たないが、重量にして300kgを超える。魔黒鋼の特性と、コーキンの持つ強靭な膂力を活かした一撃はあらゆる障害を粉砕する。
「ほう、お前が俺の相手をしてくれるのか。眺めているだけで退屈してたところだ、楽しませてもらおうか」
コーキンの挑発に普段のコーキンは知的で何事も深く見通す風を装っているが、一度熱くなると短絡的で融通の利かない考え方をしてしまう。それがコーキンの悪い癖であった。この時も、ガイサが気まぐれで他の者へ攻撃をしかけないように先に自分へ意識を向けようと思っての行動だったのだが、その行動は静観の構えをとっていたガイサを動かしてしまった。状況から判断すればコーキンの行動は決して間違いではないのだが、運が悪かったと言うしかない。魔人ガイサの一番望む言葉を口にしてしまったのだから。
そしてどちらからともなく両者は走り出す。全身を鎧で包まれているにも関わらず、瞬発力も、加速力も、ガイサの方が上だった。10m程あった距離はコーキンが二歩歩く間に縮まり、懐へと潜り込んだガイサの拳がコーキンへと迫る。対するコーキンは、分かっていたかのように斧の柄を短く持ち、刃で拳を受け止める。
十分な加速と重量を乗せた拳は斧の刃にぶつかり、甲高い音を鳴らす。鋭い金属の刃に叩きつけられた拳、深い紫色の手甲は食い込むことなく止まっており、刃の方も全く欠けていない。コーキンはそのまま力任せに斧を振るい、短く持っているにも関わらずガイサの身体を吹き飛ばそうとする。
ガイサは無理に耐えるのは危険と判断して、振るわれる斧に合わせて後ろに跳んで自ら距離を取る。
Aランク冒険者であるコーキンは、それすら読んでいた。ガイサが後ろに跳ぶのに合わせて、自らも前に向かって地面を蹴る。その加速は、最初の衝突の比ではない。ガイサの離脱する速度を見誤らせる為の布石だったのだ。
距離を詰めながら、右に振るった斧を少し上に上げながら手首を素早く返し、柄を持つ位置を下げる。そこに左手を添えて、ガイサがまだ着地しない絶妙なタイミングで、斧の重量に己の膂力を全て乗せて、袈裟切りに振り下ろす。
とった!とコーキンは内心でほくそ笑んだ。自分の経験の中でも完璧なタイミングであり、十分に斧の重量や自分の腕力を活かした一撃だ。ガイサの身に纏う鎧が強靭であることは拳を刃に叩きつけてもへこんですらいないことから伺えたが、この一撃なら防いだところで空中で衝撃は逃がせないし多少はダメージがあるはず。そうコーキンは思っていたのだ。
しかし、コーキンは忘れていた。相手は“装甲”という二つ名が付くほどの存在だということを。
この世界での“二つ名”とは、特別な意味を持つ。能力が高かったり、伝説や実績があったり、ともかく世間にその実力を広く知られた者に、自然とその者を表した“二つ名”が付けられる。その名前は誰が言い出したものか定かではないにも関わらず、全世界へと広がっていく。そうなると“二つ名”は、ただの名前ではなくなり、特別な力をその者に与えるようになる。
それこそが世界からの祝福であり、二つ名のついた理由が尊敬であろうと、畏怖の念であろうと関係はなく、英雄や、人類の敵だとしても、分け隔てなく与えられるものであった。そして今コーキンが斧を振り下ろした、魔人ガイサも祝福を受けた者の証である“二つ名”を持っている。
“装甲”という名は、ガイナース帝国が遭遇して交戦した際、矢や魔法を一身に浴び、激しい剣戟を何度も受けながらも帝国軍との激しい戦闘の後その鎧に損傷が見られなかったという逸話からつけられた。ガイナース帝国からは恐怖の対象として。セイルニア王国からは帝国の脅威を退けた存在である為に一部では英雄視する者達もいたが、帝国が被害を受けたのは偶然であり次は自分達かもしれないという思いから、やはり畏怖の念を向けた。それがガイサの持つ“装甲”の二つ名の起源であり、それの意味するところは。
ガギィン!!と一際大きな音が辺りに木霊する。他の仲間達が隠密狼達と戦っている声や音をものともしない様な大きな音が。しかしコーキンの耳にはそれすらもはっきりとは聞こえない。目の前の光景が余りにも信じられなかったのだ。
コーキンが渾身の力を込めて振り下ろした斧を、避けられないと瞬時に判断したガイサは左腕で受け止めた。そう、ただ左腕で受け止めたのである。
コーキンの一撃は鋼の全身鎧ですら中身ごと両断する。例えどんなに硬くとも鎧である以上はひしゃげさせる自信があった。にも関わらず、ガイサは衝撃で足元が数cm地面にめり込んだだけで受け止めて見せた。衝撃を殺すことなく、ただ無造作に差し込んだだけの左腕一本で。
今度は自分が素早く後ろに跳び退りながら、コーキンはなんとか平静を装う。全力ではないとはいえかなりの威力を持った一撃だったのは間違いない。それを平然と受け止めた相手に対して警戒しない訳にはいかなかった。
コーキンの持つ斧の素材、魔黒鉄は硬く重いこと意外にもう一つ、魔力を散らすという特性を持っていた。故に、加工する時に魔法の類は一切使えない為に全てを鍛冶師の技術で行わなければならない。そして魔法具としての能力を持てない代わりに魔法を弾くという特性を持った装備を作ることになる。全て無効化出来るわけではないが、弱い魔法は当たっても霧散したり、武器ならば相手の防御魔法の効果を一部無視することが出来る。産出量の少なさや、加工の難しさ、取り回しの難しさ等から非常に上級者向けの素材であった。
その防御魔法をある程度無視出来る特性と自分の膂力が合わされば、完全防御魔法ですら貫いてダメージを負わせることが出来るとコーキンは思っている。しかしガイサは平然と受け止めていたし、かといって何もせず受け止められるほどコーキンの一撃は軽くはない。これらの状況から、ガイサは魔法意外の、つまりはスキルか何かで攻撃を防いだのだろうとコーキンは判断した。そしてその何かしらの手段に回数制限があるかどうかの時点で、コーキンの勝敗が決まると言っても過言ではない。
それも分かっているコーキンは、楽しそうに小さく笑っているガイサを見て本気を出す覚悟をするのであった。
「はー結構飛んでるのに全然森が終わらないな。広大すぎるだろ」
俺はアルクスに肩をつかまれて、優雅な空中散歩の真っ最中であった。下は森しか見えない。コーキン達の話だと、連絡を受けた時間やここに来るまでの時間を考えると、捜索する範囲は広い。ガイサに追われて森に逃げ込んだなら浅い位置にはいないだろうということである程度まで進んできた。しかし、合図は一行に上がらず、広大な景色もずっと森しか続かないと飽きてくる。ていうかもう飽きた。
「アルクス、一旦大きく周って来た方向に戻ってみるか。横の方に逸れてるかもしれないし」
「ケェー!」
アルクスが一声鳴いて、旋回を始める。合図が上がらないのはまだ遭遇出来ていないのか・・・、まさか合図上げる余裕すら無いくらい切羽詰ってるなんてないよね。
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