5-4

 夕刻、多くの家族が団欒で食卓を囲む時間、その食卓は暗澹とした空気が支配していた。


「今日はお子様も大好きなカレーにしてみたわ。日本風のマイルドカレーと本格インド風のスパイシーカレーの二種をご用意したわよ」

「…………」

「勿論、ライスだけじゃなくナンも完備よ。本当は焼きたてをご用意したい所だけど、ナンを焼く専用の道具って売ってないのよね」

「…………」


 テーブルに並べられた料理を嬉々として説明するU・Dに、しかし柘榴は何も答えない。

 苦悶に満ちた顔でスプーンを握り、ノロノロと口元に運ぶだけだった。

 普段なら文句や皮肉を言いながらも、見ている方が嬉しくなるくらいガツガツと食べてくれるのに、これでは作ったU・Dも報われない。

 少女は溜息を吐いて諦めると、どこか味気ないカレーを頬張り始めた。

 そうしてただ黙々と食事をしていると、プルルルッと居間にある据置型の電話が鳴り出す。


「柘榴、電話よ」

「…………」


 普段、携帯電話を使っている為に存在を忘れていた据置電話が鳴り出した事に、U・Dは驚きながらも示唆するが、柘榴はやはり暗い顔のまま動こうともしない。

 その姿に、U・Dはまた溜息を吐きながらも、立ち上がって電話の受話器を取った。


「はい、え~、赤銅ですが」


 家の電話だからどう名乗るべきか数秒迷いながら、U・Dは受話器に話し掛ける。

 すると、一瞬の沈黙の後、刺さるような質問が返ってきた。


『……貴方、どちら様ですの?』

「それはむしろこちらの台詞よね」

『貴方、兄様の何なんですかっ!』

「それもこちらの質問よね」


 お嬢様のような言葉遣いながら、はしたなく怒鳴り散らす電話の相手に、U・Dは耳を押さえながら推測する。


(声からして若い女の子か。『兄様』とか言ってたし、もしかして柘榴の妹?)


 あまり語らない相棒のプライベートを垣間見て、U・Dはニヤリとほくそ笑む。

 そうした後で、茶目っ気を刺激されてこう言った。


「アタシ、柘榴さんとお付き合いさせて頂いている者です。彼ならベッドで寝ていますけど、起こしてきますか?」


 落ち着いた大人の声真似をし、事が済んだ後の恋人を匂わせる嘘を吐く。

 すると、電話の相手はまた沈黙した後――


『……殺す(グシャッ!)』


 物騒な台詞を残し、まるで受話器を握り潰したような音と共に電話を切った。

 唐突かつ一方的に終わったその電話に、U・Dは首を傾げながらもテーブルに戻る。


「柘榴、今妹さんみたいな人から電話があったわよ」

「あぁ……」

「私の事を聞かれたから『恋人です』みたいに言ったら怒って切られたわ」

「あぁ……」


 普段の彼なら真っ赤になって激怒するか、真っ青になって戦慄するだろうその情報を聞いても、柘榴は曖昧に頷くだけだった。

 あまりに気の無いその態度に、U・Dも流石に眉を顰める。


「あのね、落ち込む気持ちも分かるけど、いい加減立ち直ってくれないかしら」

「…………」

「笑う門には福来たるって言葉を知らないの? そんな顔してたら幸せが逃げるわよ」

「…………」


 叱りつけようと励まそうと、柘榴は俯いたまま顔を上げようともしない。

 その情けない姿に、U・Dの中で何かが切れる。

 彼女はすっと目を細めると、柘榴に背を向けて居間の壁に掛けてあった日本刀を掴む。

 普通よりも厚く重いその刀を、U・Dはふらつきながらも抜き放つと、その切っ先を沈んだ柘榴の顔に突き付ける。

 思わず顔を上げた柘榴に、U・Dは愉快な笑みを投げかける。


「は~い注目、U・Dお姉さんのマジックショーが始まるわよ」

「お前、何を――」

「種も仕掛けもありません、ちょっとしたドキワク運試しよ」


 柘榴の声を遮り、U・Dは華麗に一回転しながら一歩下がると、能面のような無表情になって、手にした刀を頭上に放り投げた。


「っ?」


 驚愕する柘榴の前で、肉厚の日本刀は綺麗な円を描いて舞い上がる。

 そして、天井を僅かに掠め、重力に引かれてU・Dの頭上に落ちてくる。


「――っ!」


 柘榴は咄嗟に止めようと立ち上がるが、その判断は遅すぎた。

 妙にゆっくりと流れる時間の中、赤銅の腕を伸ばした先で、U・Dは目を瞑る事なく彼の瞳を見つめ返し、その上に回転した凶器が落ちてきて――そして、刃の無い峰が肩をかすっただけで、刀は静かに床へ突き刺さった。


「峰打ちで情けをかけるとは、なかなか武士道を心得た刀じゃない」

「ば、馬鹿野郎っ! 何やってんだ?」


 ふざけて肩をさするU・Dに、柘榴は硬直から溶けて怒鳴り付ける。


「その刀は玩具じゃない、真剣なんだぞっ!」

「分かってるけど、とある漫画の真似をしたくてついやってしまったわ。今は反省している」

「ふざけるのもいい加減にしろっ! 運が悪ければ今頃――」


 不良学生の書いた反省文みたいな誠意の感じられない台詞に、柘榴は平手を上げそうになり、そのまま硬直した。


運が悪ければ・・・・・・死んでた、わね?」


 見たこともない、暗く澱んだ目で笑うU・Dに、赤銅の鬼は言葉を失った。

 怪物を殺す狩人でさえ怖気を覚えるような、まるで深淵が覗き込むような瞳のまま、少女は続ける。


「今アタシが無事なのは運が良かったから、ただそれだけ。私がどんな人間かは全く関係ない。例えアタシがどんなに善良で敬虔な神の使徒でも、運が悪ければ死んでいた。違わないわね、うふふふっ」

「……誰だ、お前?」


 普段とは全く違う雰囲気をまとい、自分が死ぬ寸前だった事を笑って語る少女に、柘榴は後ずさりながら尋ねてしまう。

 だが、U・Dはその質問には答えず、核心を突いた。


「柘榴が言ったのよ? 『お前達は運が悪かった、ただそれだけの事だ』って」

「……っ!」


 自らの手で殺めた少年、佐々木和義に残した最後の言葉を反復され、柘榴は言葉を詰まらせる。


「勘違いしないでね、アタシは貴方を責めてる訳じゃない。だって、それは真実だもの。死んでしまう人はね、体が弱いとか選択を間違えたとか色々と原因はあるけれど、それらを全部引っくるめて、結局運が悪いから死ぬの。運が命をめぐらせると書いて『運命』とは、よく言ったものよね?」


 まるで母親のような優しい声で、少女は赤銅の鬼に言い聞かせる。


「柘榴も分かってるんでしょ。この世界に神様は居ない。少なくとも、善良で愛に満ち懸命に生きてきた人々を無条件で救ってくれるような、優しくて気前の良い神様なんて居ない。だから、運が悪いだけで死ぬ」

「それは――」


 言い返そうとした柘榴の唇を、U・Dの小さな指が塞ぐ。

 そうして、哀れみにも慈しみにも見える笑顔を浮かべる。


「でもね、柘榴はそれを理解しているのに、認めたくないの。理不尽な惨劇を、サイコロで決定される死を。そして、それを覆せない自分の無力を」

「…………」


 U・Dの言葉に、柘榴は何も言い返せない。全て、的を射ていたから。

 押し黙る青年の腕を、少女は愛おしく抱き寄せる。


「貴方は傲慢ね。この赤銅の腕で全ての人を救えると思っている」

「思って、ないさ」

「いいえ、思ってるわ。思っているから、救えなかった自分を責める。自分に浄霊する力があれば、上層部を説得するだけの権力があれば、そもそも、発端である神社の破壊を止める事が出来れば――そんな思い上がった夢を見て、自分自身を傷付ける」

「……買い被り過ぎだ」


 まるで自分の代わりとでもいうように、目尻を濡らすU・Dに、柘榴は苦笑を作ってその体を遠ざけた。

 U・Dは大人しく従いながら、それでも最後に告げる。


「ねぇ柘榴、アタシが死ぬのも、生きるのも、どれだけ生き続けるのかも、貴方にはどうする事も出来ない。けどね、アタシは柘榴に会えて良かった、嬉しかったわ。だから、貴方が救えた人もいるんだって事を、決して忘れないで」


 言って、少女は向日葵のように眩しく微笑んだ。

 その笑顔が、記憶の中の少女と重なる。

 救えなかった少女と、救われたと言う少女。

 その二人を思い浮かべ、柘榴が何を思ったのかは分からない。

 ただ、せめて目の前の笑みが消えぬように、彼は笑い返すのだった。


「感謝してるんなら、明日は満漢全席でも用意して欲しいな」

「その言葉、アタシへの挑戦と受け取ったわ。この天才美少女料理戦士U・D様が、満漢全席如きを作れないと思ったのかしら?」

「腕はともかく材料が無理だろ。そんな金、お前持ってないだろ?」

「ふっふっふっ、ではここでもう一度マジックショー。取り出したるは赤銅柘榴さんの貯金通帳。驚きのその金額は、って二億ぅぅぅ―――っ?」

「食事と本以外に使い道がないからな。というか、人の貯金通帳を返せ」

「……柘榴、株とか外貨に興味ないかしら?」

「あったとしても、お前にだけは任せん」


 一瞬前の真面目な表情が幻かと思えるほど、U・Dは楽しそうに声を上げ、幸せそうに笑う。

 それに柘榴も笑い返す。闇を秘めた儚いその笑顔が、少しでも続くように。

 だからその時、彼はある事を忘れていた。

 闇は密かに、そして唐突に訪れるのだという事を。

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