5-2
結局、犯人も現れず朝を迎えた柘榴達は、報告の為に狩人協会日本支局ビルを訪れていた。
「ご苦労様だったな。他の班も空振りに終わったそうだし、警察の方も進展は無いそうだ。この件は長引くかもしれんな」
部隊長室で報告を受けた高坂は、柘榴達の苦労を労いながら疲れた様子で肩を落とす。
U・Dも揃って肩を落としながら、憂鬱な顔で尋ねた。
「高坂さん、この見張りっていつまで続けるんですか?」
「犯人が見付かるか、構っていられないほど大きな事件が起きるまでだな。幸い、今は怪物の存在が濃厚な事件は起きていない。休暇のつもりで今の任務を続行してくれ」
「真夜中に寂しく見張り続けるのも、結構な重労働なんですけど。ねぇ、柘榴?」
U・Dは寝不足で隈の浮かんだ目元を吊り上げながら、隣の柘榴に同意を求める。
しかし、赤銅の狩人は心ここに有らずといった様子で、曖昧に頷くだけだった。
「……あぁ、そうだな」
その姿に、U・Dだけでなく高坂も溜息を漏らす。
怪物と生死を賭けて戦う危険な狩人という仕事に就きながら、こんなにも集中力に欠けた部下を、初老の部隊長は本来なら怒鳴り付ける所だが、あえて何も言わなかった。
入局当時から自分の下で戦い続けてきたこの赤銅の青年が、強靱なその肉体に反し、内面が酷く繊細で脆い事を高坂は知っていたのだ。
一人の普通の少女を、自分達と同じ血と硝煙の世界に引きずり込んでしまった事。
そして、一人の罪も無い少年を、自らの手で殺めなければならなかった事。
狩人として七年、訓練期間を除いても五年もの間、怪物という闇と接し続けてきたのに、
だが、狩人としては致命的だ。いつか必ず、その甘さが赤銅の体を抉り抜く事になる。
そう分かっていても、高坂は何も言えない。人の心を簡単に変えてしまえるような言葉を、魔法使いでもない彼は持っていないのだから。
初老の部隊長は自分の無力さにもう一度溜息を吐きながら、ある事を思い出して告げた。
「そうだ柘榴、今日は珍しくオウルがここに戻っているぞ。会っていったらどうだ?」
「オウルが?」
その名前に、俯いていた柘榴も驚いて顔を上げる。
「北海道での狩りを終えて、装備の点検をする為に一度戻って来ている。明日にはまた青森の方に出向く事になっているから、会うなら今の内だぞ」
「そうですか、オウルが……」
高坂の言葉を聞くと、柘榴は一つ頷いて直ぐに部隊長室を飛び出た。
U・Dは黙ってそれを見送り、改めて高坂に尋ねる。
「で、オウルって誰ですか?」
「柘榴と同じ異能者さ。最も、
狩人協会日本支局の地下三階、数々の火器や刀剣が収められ、日夜丹念に整備されているそこが、装備課と呼ばれる狩人達の武器庫だった。
柘榴が鋼鉄の扉を開いてそこへ入ると、中には二人の男がいた。
「
荒っぽい口調に似合わず、繊細な手付きで武器の調子を見ていた老人は
「了解した。重弩の方は後日輸送して欲しい」
その向かいで重々しく頷いたのは、ロシア系の血を窺わせる彫りの深い顔をした三十代前半らしき男。オウル・ストライクと呼ばれる男で、その体は鬼である柘榴よりも一回り以上大きく太い。
「柘榴か、久しぶりだな」
入ってきた柘榴にいち早く気付き、オウルは無骨な顔に僅かな笑みを浮かべた。
それに同じく笑みを返しながら、柘榴は石森の手にした壊れた弓に目を落とす。
「お久しぶりです。貴方が武器を壊されるなんて、相当の怪物だったんですね」
近代火器に頼らず、古めかしい弓だけを武器としながら、なお日本支局最高の狩人と謳われるオウルの珍しい失態に、柘榴は驚いて目を剥いた。
しかし、それを石森が直ぐに否定する。
「違う違う、こいつはただの寿命だ寿命。こんなカビ臭え代物じゃあ、どんだけ大事に使おうが直ぐにガタがくんのよ」
石森はそう辛辣な言葉を吐きながら、顔は嬉しそうに笑みを浮かべていた。
武器を自分の孫のように可愛がっているこの老人にとって、使い手が大切にしてくれる事ほど嬉しいものはないのだ。
そう笑った後で、石森は直ぐに不機嫌そうに顔を歪めて柘榴を睨む。
「神経質なオウルでもこれだ。どっかのいい加減な坊主じゃあ一生、鉄板より複雑な武器は扱えねえよ」
「肝に銘じておきます」
力の有り余っている柘榴は、そのせいか器用さに乏しく、どうしても物の扱いが雑になってしまう。
それを自覚しているからこそ、素直に頭を下げる柘榴を見て、石森は「けっ」と舌打ちしながら顔を逸らした。
「テメエの得物の面倒をテメエで見るのなんて常識だろうが! まぁ、この前はテメエで手入れしたみたいだがな」
「……っ」
その言葉に、柘榴は背を震わせて顔を強張らせる。
前の狩りで――一人の少年の命を奪った後で、柘榴はその凶器を自分の手で拭いた。
赤黒い血と茶色い脳がこびり付いた断首刀を、誰かに押し付ける事なんて出来ず、自らの手で黙って拭き取った。
布越しに伝わった感触を思い出し、言葉を無くした柘榴に、石森は不審気に顔をしかめる。
その横で、オウルはその巨体を静かに立ち上がらせた。
「柘榴、少し付き合え」
それだけ言って装備課から出て行ったオウルを、柘榴も黙って追いかける。
「なんでぇ、訳の分かんねえ奴らだな」
一人残された石森は呆気に取られてその背中を見送りながら、直ぐに自分の手当を待つ
狩人協会日本支局の地下五階、そこには畳敷きの広い鍛練場があった。
柔道や空手の道場のようなそこで、柘榴とオウルは無言で拳を交わし合う。
素早く突き出される赤銅の拳を、オウルは巨体に似合わぬ素早さで避け、時に手を使って逸らし、その腕を掴もうとする。
しかし、柘榴もそれは承知しており、素早いステップで距離を取ると、ボクサーのように華麗なジャブで牽制を続ける。
オウルは柘榴より頭一つ分背が高く、はち切れそうな筋肉も相まって、一見柘榴よりも力が強そうに見える。
しかし、実際には柘榴の方が遙かに強い。
鬼特有の超密度の肉体により、三百㎏を超える柘榴と、ある異能を持つものの、普通の肉体に過ぎない(といっても、百四十㎏近くある)オウルでは、まともな戦いになどならない。
こと格闘戦において、重要とされるのは身長ではなく体重の方だ。
質量という単純で安定した力こそが、生物の純粋な戦闘力を決定する。
だからこそ、あらゆる格闘技において、身長制限は無くとも体重制限が有るのであり、その点から見た場合、柘榴とオウルの戦いは大人と子供の戦いだった。
圧倒的な力の差。しかし、それを覆すのが人間の生み出した英知、『技』である。
「しっ!」
オウルが体勢を崩したのを見て、柘榴は呼気と共に渾身の右ストレートを放つ。
しかし、それが誘いであった事を一秒と経たず理解する。
オウルの姿が一瞬で消えたかと思うと、柘榴の懐に背を向けて潜り込んでいた。
そして、伸びきった右腕を両手で掴み、全身のバネを爆発させ、ストレートを放った勢いまで利用し、巻き込むように投げ落とす。
一本背負い。数ある柔道の技で、最も豪快で最も美しいその技で、柘榴の体は畳に打ち付けられていた。
「がはっ!」
ビルを揺らす轟音が鳴り響き、背中を強打した柘榴は肺の空気を全て吐き出して苦痛に悶えた。
柘榴の超重量は最大の武器であるが、同時に最大の弱点でもある。
投げ技のように相手の体重を利用する攻撃を受けた場合、そのダメージも体重に比例して倍増してしまうのだから。
それを知りながら勝負を焦り、安易に隙を見せた柘榴に、オウルは冷たく言い放つ。
「どうした、今のお前はまるで
鋭い黄金の瞳で見下ろされ、柘榴は喘ぐように息を吸いながら一言告げる。
「……すみません」
だらしない己を、そんな自分を心配させてしまった事を、ただただ詫びる。
そんな友の姿にオウルは目を細めると、静かに背を向けた。
「死ぬな、お前にはまだ守るべき者が残っているはずだ」
言葉少なくそれだけを言い残し、オウルは新たな戦場へと去って行った。
その背中を見送る事も出来ず、柘榴は呆然と鍛練場の天井を見上げる。
「分かっている、はずなのにな」
柘榴は己の不甲斐なさに歯噛みしながら、億劫そうに体を起こす。
今日はまだもう一つ、憂鬱だが逃げる訳にはいかない用事が残っていたのだ。
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