4-6

 古い六階建てアパートの四階奥、そこが三番目の被害者となった田畑浩正の部屋であり、最後に残った佐々木和義が潜伏する場所だった。

 柘榴とU・Dがそこに到着した時には、既に見張りの警官はおらず、協会から日本政府、警視庁を通って、所轄の警察署に連絡が回った事は疑いなかった。

 苦い気分のままそれを確認すると、柘榴は黒いスーツを脱ぎ、普段着ているコート――防弾用にPBO繊維とチタン製の鋼板を組み込んだ、総重量八十㎏を越えるそれを羽織り、断首刀を片手に佐々木和義のいる部屋へと向かった。

 チャイムを押すなんて間抜けな真似はせず、柘榴は一気に扉を蹴破ろうとするが、それを横にいたU・Dが押し止める。


「待って、アタシが開けるわ。騒ぎは少ない方がいいんでしょ」


 そう言い、少女はポケットからヘアピンを二本取り出すと、その先を鍵穴に入れる。

 弄くる事十秒、不用心な旧式のタンブラー錠は乾いた音を立てて開けられた。


「どうぞ」


 扉を指差し身を引くU・Dと替わり、柘榴は無言でノブに手を掛ける。

 低く軋む音と共に開けられた扉の先は、昼間にも関わらず暗闇が降りていた。

 電気も点けず、窓もカーテンで閉め切られたそこへ、柘榴は躊躇なく足を入れる。

 すると、奥の部屋から小さい悲鳴と共に、人の動く物音が鳴った。

 柘榴は油断なくそこに踏み込むと、部屋の隅で布団を被って縮こまる少年を見つけた。


「佐々木和義だな」


 自分の名が呼ばれた事に驚き、少年――和義はまた悲鳴を漏らしながらも、柘榴の顔を見上げた。

 顔を合わせた瞬間、少年のあまりの変貌ぶりに柘榴は息を呑む。

 本来は二枚目であったろう顔は痩せ細り、隈で黒くなった目元は狐のように細く尖り、頬からは血の気が失せ、まるで重度の病人にしか見えない。

 その姿に、柘榴が哀れみにも似た視線を向けると、和義少年は金切り声を上げた。


「警察なのか……違う、俺がやったんじゃないんだっ!」


 自分が殺人犯として逮捕されるのだと誤解し、少年が叫ぶのと同時に、部屋の物がひとりでに浮き上がった。

 見えない糸で吊り下げられたようなそれは、和義の感情が爆発するのに合わせて、部屋の中を飛び回る。


「違う、違う、違うっ! 俺はやってない、光男も一樹も浩正君も、みんな俺に囁く変な奴がやったんだっ! 『殺せ、殺せ、殺せ』って、ずっとずっと耳元で囁くんだ。ほら、今だって言ってる、『死ね、死ね、お前で最後だ』って……何だよ、俺が、俺達が何をしたって言うんだよっ!?」


 錯乱する少年の悲鳴に合わせ、時計や本が凄まじい勢いで壁に叩き付けられていく。

 それが、彼に取り憑いたモノの『神通力じんつうりき』と呼ばれる不可視の力であると知り、柘榴は自分の予想が当たった事を、悲痛な面持ちで確認していた。


「光男と一樹は石で撃ち殺されちまったっ! 浩正君は俺と一緒に逃げたのに、ライブハウスの机で潰されて死んじまった! 俺はどんな方法で殺されるんだ?……嫌だ、死にたくないよっ!」


 和義は涙と鼻水を垂らし、自分に憑いた何かに必死で命乞いをする。

 そんな哀れな少年に、柘榴は荒れ狂う本が当たるのも気にせず、最後の確認をする。


「お前達が、あの神社を荒らしたんだな?」


 その言葉に、和義の慟哭がピタリと止んだ。

 飛んでいた物達が落ちる中、少年は信じられないと言うように目を見開く。


「……何だよ、そのせいで俺達がこんな目に遭ったって言うのか? 冗談は止せよ、あんなぼろい神社を壊したくらいで、何で殺されなきゃいけないんだよっ!?」


 自分でも半分理解しているのだろうに、認めたくなくて叫ぶ和義に、柘榴はただ冷酷に告げる。


「お前達がどう思うかは関係ない。あそこにいたモノが、お前達の所業を許さず、祟りを与えた。それだけの事だ」

「祟り……あはははっ、止めてくれよ! そんな訳の分からない物が、みんなを、俺の仲間を殺したって言うのかよっ!?」


 当事者でありながら――いや、当事者であるからこそ、霊や祟りなどという『有る訳のないモノ』を信じられず、和義は怒声を上げる。

 だが柘榴は、仲間の死に憤る少年に、やはり冷めた言葉を告げるのだった。


「お前が信じる信じないは関係ない。祟るモノはいる・・、それが事実だ」


 赤銅の狩人は断言し、それを聞いた少年は力無く床に横たわった。

 どこかで、これは夢なんだ、自分は幻覚を見ているだけなんだと、必死に逃避しようとしていた事が、男の言葉で全て現実なのだと思い知らされ、和義はただ泣くしかなかった。


「嫌だ、死にたくない、助けてよ……そうだ、助けてよ! 何でもする、謝るから! あんた霊能力者とかなんだろ? 俺に囁く幽霊を退治してくれよっ!?」


 目の前の男が警官ではなく、漫画や何かに出てくる妖怪退治屋だと直感した和義は、足に縋り付いて切に願う。

 だが柘榴は、その瞳を直視出来ずに顔を背けた。


「俺にそんな力はない。また、力の有る者を呼ぶ事も出来ない」

「何でだよ……あんた、俺を見殺しにするって言うのかっ?」


 その言葉に、空気が凍り付く。

 薄暗闇の部屋は北極のように冷え、外の喧騒さえ見えない壁に挟まれて掻き消えた。

 柘榴は黙って少年を見返し、断首刀を握った右手に力を入れる。

 人形の様に不気味な無表情を浮かべた赤銅の男に、和義は怖気を感じて飛び退いた。

 壁際まで這って逃げた少年に、柘榴は起伏の無い声で語る。


「協会は俺が事件を解決するようにと言った。除霊など出来ない俺に、他へ被害が拡大する前に、速やかに事件を終わらせろと言った――そこに、被害者を助けろの言葉は無い」


 空に浮かぶ文章を読むように、柘榴はただ静かに口を動かす。


「神や霊という不可視の存在と戦える者は希少な存在だ。皇族や政府高官、大企業の長など、国の行く末を左右する人物の警護に忙殺され、お前を救う暇はない」

「何だよ、俺が何処にでもいる学生だから、死んでもいいって言うのかよっ?」


 涙で枯れた声を上げる和義に、柘榴は頷き肯定する。


「そうだ。この国とそれを動かす者にとって、お前は切り捨てても構わない、取るに足りない、一億分の一に過ぎないと判断された」


 人権などという仮初めの安全を否定し、柘榴は言葉を重ねる。


「知っているか? 人の命は安いんだ。貧しい国に行ってみろ、お前の小遣いででも、人間一人を自由に出来る」


 平和な日本から遠く、餓えて死ぬ者が当たり前の世界では、人間の命に特別な価値などない。それは、テレビや歴史の教科書が伝える物だけでなく、今この瞬間も存在する現実だった。

 柘榴はその事実を告げるが、平和と安全が無料で与えられると信じている少年は、そんな遠い世界の事など認められずに叫ぶ。


「嫌だ、嫌だよっ! 何で殺されなきゃいけないんだよっ!? そんなに悪い事をしたか? ちょっと神社を壊しただけだろ、直せば良いじゃねえか? 俺達は殺されなきゃいけないほど悪い事をしたのかよっ!?」


 死に価するほどの罪を犯したのか。そう問う少年に、赤銅の狩人は首を横に振る。


「悪くなどない。殺されて当然の罪なんて犯してない。ただ――」


 言葉を句切った彼の脳裏には、一人の少女の姿が浮かんでいた。

 普通に暮らしていた、虫も殺せないような善い子だった。

 それでもあの子は死んだ、無慈悲に殺された。

 罪も犯していないのに殺された少女。その不条理を言葉にするならば、それは――



「ただ、お前達は運が悪かった・・・・・。それだけの事だ」



 冷酷に告げ、赤銅の鬼は鉄塊を振り上げる。


「嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ嫌だぁぁぁ―――っ!」


 少年の絶叫と共に、止んでいた不可視の力が暴走する。

 テレビや本棚までもが持ち上がり、赤銅の鬼に襲いかかる。

 だが、柘榴は受けも避けもしなかった。

 ハサミが頬を切り裂き、テレビが足を打っても、一つも表情を変えず、泣きじゃくる少年に歩み寄る。

 鬼が目の前に立ち、死の剣を構えるのを見上げて、少年は最後の言葉を残した。


「嫌だよ、俺まだ死にたくな――」


 哀願する口を、その頭ごと鉄塊が吹き飛ばす。

 刹那の痛みを感じる事もなく、佐々木和義だった生命は、その活動を停止した。

 頭部を失い、ゆっくりと崩れ落ちる死体から、白い靄のようなモノが抜け出て行く。

 靄は一瞬、動物の嘲笑めいた形を作ると、直ぐに無へと消えた。

 それを見届け、狩りが終わった事を確認すると、柘榴は入り口で佇んでいたU・Dの方を振り向く。

 彼女の顔は、彼と同じ無表情だった。

 責める事もなく、だが許す事もなく、ただ赤銅の鬼を見守っていた。

 柘榴は何も言わずサングラスで目元を隠すと、携帯電話を彼女の方に投げて寄こす。


「協会に、遺体の処理を頼むと連絡してくれ」

「分かったわ」


 U・Dはやはり無表情で頷くと、柘榴を残して部屋の外に出た。

 数分の間ただ立ちつくしてから、彼も玄関へと歩を進めた。

 その足元から、ガラスを踏み砕く音が鳴り、柘榴は思わず下を向く。

 そこには、壊れた写真立てが有った。

 中には、四人の少年が仲良く肩を組み、楽器やマイクを掲げて笑い合う写真。


「……畜生がっ!」


 赤銅の鬼が叫び、拳で部屋の壁を殴り付けても、それを咎める者は誰もいなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る