4-5

 喫茶店の地下に建てられたそのライブハウスは、営業時間には早い昼時ながら、異様な喧騒に包まれていた。

 だが、その物音を立てていたのは演奏者でも観客でもなく、死体を囲む警察官達である。

 狭い階段を下りた所でまた警官に止められ、富士野一警視の手帳を見せた柘榴は、事件現場に見知った顔を見つけて足を止めた。


「おや富士野警視、お早い到着ですな」


 そう嫌味を言ったのは小太りの中年刑事、平警部補だった。

 横には松尾巡査の顔もあり、警察もこれが同一犯の手によるものだと気付いているらしい。


「被害者の死亡時刻は?」


 柘榴は平警部補の嫌味は無視し、松尾巡査に尋ねる。


「血液の凝固から見て二時間ほど前だと思われます。今が十一時半ですから、九時以降に殺害された事は間違いないと」


 その報告を聞きながら、柘榴は腕時計を確かめた。


(九時頃というとU・Dに聞き込みをさせていた頃だが、その時には既に、残りのバンドメンバーは一人になっていたわけか)


 そう思って僅かに顔を伏せた柘榴に、平警部補のドラ声がかけられる。


「今度の被害者もイカレた死に方してやがる。見ろよ、まるで出来の悪い粘土細工だ」


 指差された遺体を見ると、それは確かに奇妙なオブジェのようにも見えた。

 ライブハウスのステージに寝そべったそれは、顔が、腕が、足が、胴が、全身の骨という骨が押し砕かれ、軟体動物のように四肢をくねらせて死んでいた。

 所持品に免許証が無ければ、身元の確認に時間が掛かったであろう損傷の激しい遺体を前に、柘榴は冷静に質問を重ねる。


「凶器は?」


 短い問いに、松尾巡査が血に濡れたテーブルを指差す。


「ライブハウスに設置されていたこの机だと思われます。ですが、人の力でこんな事を出来るとはとても……」


 人ではとても振るう事の出来ない、重く大きいテーブルを指し、言葉を濁す松尾巡査に、柘榴は説明する言葉を持たなかった。

 例え警察官とはいえ、世の常識を逸脱した怪物の存在を知られる訳にはいかない。

 知ってしまえば、彼も薬物と暗示で記憶を消されるか、狩人の仲間となるか、処分されるかのどれかの運命を辿る事になる。

 若き巡査の将来を思い、柘榴が口を噤んでいると、一人の警官が慌ただしく地下への階段を下りて来た。


「どうした!」


 大声で尋ねる平警部補に促され、その警官は息を切らせながら重大な報告を告げる。


「佐々木和義が発見されました! 被害者の田畑浩正が借りているアパートにいます。血に濡れた服を着て歩いているのを同じアパートの住民が発見し、通報してきたものです」


 王手と言える情報に、警官全員からざわめきが起こる。


「よし、今すぐ近くを警邏してるパトカーを回せ。理由は何でもいいから署に連行しろ、イカレた殺人鬼なんざ直ぐ死刑台に座らせてやる!」


 完全に佐々木和義を犯人と決め付け、息巻いて命令を下す平警部補。

 それを、柘榴の冷たい声が遮った。


「現時刻を以て、この事件は警視庁捜査第九課の管轄とします。よって、九課以外の署員がこれ以上捜査に加わる事も、只今を以て禁止します」


 お前達は手を出すな、と突然告げられた本庁警視の言葉に、その場の警官は皆愕然として動きを止めた。

 だがただ一人、現場の責任者である平警部補だけは引き下がらなかった。


「おいおい富士野警視さんよ、それはちゃんと令状があって言ってるのか?」

「令状は今出されます、だから貴方達はこの事件から退いて下さい」


 慇懃無礼にそう言い、協会の許可を取るため携帯電話を取り出した柘榴の腕を、憤怒の形相を浮かべた平警部補の手が掴んだ。


「小僧が舐めた事を言ってんじゃねえっ! 上から命令が出されるまで――いや出されようと、事件は現場の刑事が解決するもんだ。尻の青いガキが出しゃばって、我が物顔で独占出来るなんて思うなっ!」


 我慢ならぬと啖呵を切る叩き上げの古参刑事に、周囲からも同意の声が上がる。

 ヤジさえ飛び出し抗議の声に包まれるライブハウスで、柘榴は黙って腕を持ち上げると、横にあったテーブルにその赤銅の拳を振り下ろした。

 木製の板が打ち破られ、金属製の支柱がへし曲がり、床でバウンドして高く宙を舞い、二秒ほど滞空してから落ちて騒音を撒き散らす。

 異常な光景に目を奪われ、誰もが言葉を失くす中、柘榴は怒りを押し殺した鬼の表情で平警部補の襟首を掴み上げた。


「死にたくなかったら、この事件には関わるな」


 睨み下ろして短く告げると、柘榴は掴んでいた襟を放し、入って来た警官から佐々木和義の居るアパートの住所だけ聞いて、地響きを立ててライブハウスから姿を消した。

 誰もが呆気に取られて動けずにいる中、喉元を解放されて蒸せる平警部補に、松尾巡査が怯えた声で尋ねる。


「平さん、あの人はいったい何者なんですか?」

「知るか、俺の方が聞きてえよ。ただ――」


 古参刑事はそこで言葉を句切ると、二十年以上に及ぶ警察官人生においても、慣れる事のない感情に身を震わせて言った。


「あれは刑事デカの目じゃねえ、人殺しの目だ」

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