4-2
白く狭い、窓さえ無い部屋に、一人の少年が座り込んでいる光景が見えた。
それが過去の自分だと理解するのと同時に、これが夢である事に彼は気付く。
夢の中の自分は生気が失せ、死んだ魚の様な目をしてただ座り込んでいる。
鉄格子の扉が開き、見知らぬ男が部屋に入って来ても、少年は反応する事もない。
だから、その姿を見た来訪者が口元を歪ませたのも、過去の彼は知らない。
ただ、唐突に告げられた選択だけは、虚ろな頭に響いてきた。
「君には三つの道がある。一つは、このままここで腐り死ぬ道。二つ目は、その特殊な体質を解明するために、モルモットとなって刻み殺される道。そして三つ目は、我々の仲間となって共に生きる道だ」
その勿体付けた物言いに、彼は過去も今も吐き気を覚えた。
協力しなければ殺すと脅しておいて、仲間だの共にだのと振りかざす男に彼は怒りを覚え、いっそこの赤銅の腕で握り潰してやろうかとすら思う。
しかし、男はそんな少年の思慮はお見通しとばかりに、切り札を振りかざす。
「復讐を、したいと思わんか?」
その単語に、過去の彼は小さく震え、伏せ続けていた顔を上げる。
目に映った男の顔は、酷くいやらしい大人の笑みを浮かべると、勝利を確信するように朗々と告げた。
「君から全てを奪ったモノに、君の全てを破壊したモノ達に、世の理から逸脱した化け物どもに、その怒りと憎悪をぶちまけ、狩り滅ぼしたいとは思わないか?」
興奮して語る男の言葉を、彼はもう聞いていなかった。
空っぽになっていた自分の中に、どす黒い波と吐き気のするような熱が生まれていた。
だが同時に、それとは違う輝く意志が、生きる目的を彼に与える。
大切な者を失った時に、もう自分に生きる意味などないと、そう思っていた。
けれど違う、まだ一つだけ残っていた。
それは男の言う個人的な『復讐』だけではなく、もっと大切な『信念』。
怪物を狩り尽くす。そして二度と彼女のように、ただ平穏に暮らしていた人々を犠牲にさせたりしない。
それだけが、叶わなかった約束に対する、唯一の罪滅ぼしに思えたのだ。
立ち上がり、その異質な瞳に力を取り戻した彼に、男は満足して告げた。
「よろしい、では今から君は人ではなく『狩人』となる。そのために、相応しい名前を与えよう」
男は一度言葉を句切り、少年の赤銅の体を見回すと深く頷いた。
「赤銅の鬼、
男の告げた新たな名を胸に刻みながら、少年は自らの足で部屋の外へと踏み出した。
そうして彼は古き名前を捨て、
「柘榴、何時までも寝ているとイタズラするわよ。性的な」
耳元で脅迫紛いの声がし、赤銅柘榴は微睡みから目を覚ました。
ぼやけた瞳に映るのは、ベッドに横たわった自分の体と、それを見下ろすお玉を手にした少女、U・Dだった。
「まだ七時か。今日は休みなんだ、昼まで寝させてくれ」
「怠惰にも程があるわね。いいから朝飯を片付けてしまいなさい」
まるで母親の様に叱るU・Dに揺さぶられ、柘榴は仕方なくその巨体を起こす。
U・Dを彼のマンションに泊める事になってから早一週間、元浮浪児童は今や完全に同居人として住み着いていた。
トレーニングルームとして使っていた一室は占領され、布団や机や化粧棚や衣装棚やテレビやゲーム機やらが続々と持ち込まれ、今更どこか他の場所に行く気はない事を全力でアピールしている。
「お前、何時までここに居るつもりだ?」
「貴方が死ぬまでよ」
迷い無く断言され、赤銅の狩人は若干の嬉しさと多大な頭痛を覚える。
そんな彼の心情に気付いているのかどうか、U・Dは背を向けて柘榴の部屋から出て行く。
「早くなさい、冷めたご飯は二度と戻らないのよ」
「世の中には電子レンジという文明の利器が有るのだが?」
そう言い返しつつ、柘榴もベッドから降り立つ。
居間の机の上には、もはやお馴染みとなりつつある無国籍料理が所狭しと並んでいた。
メインは台湾料理の牛肉麺、スープはインドの豆と
朝食の割に手間がかかり、なおかつ胃に重いその料理に、柘榴は呆れと感心を浮かべる。
「お前の作る食事は、朝も昼も晩も関係ないのか。レパートリーの多さは見事だが」
「どうせ全部食べるんだから関係無いでしょ。それより、全世界の郷土料理を作れる鉄腕シェフなこのアタシを、献身的なメイドのように好き勝手に使える事を光栄に思いなさい」
いつも通り偉そうなU・Dを、柘榴は表面上は無視して箸を取る。
実際、食事と読書くらいしか趣味の無い彼にとって、毎日違う手の込んだ料理を提供してくれる彼女の存在は、この上なくありがたかったのだ。この料理を味わえるなら、一生同居する事になっても構わないかとすら思う。
しかし、言うと間違いなく調子に乗るので、柘榴は黙って箸を動かし続けた。
凄い勢いで三人前の朝食を掻き込む柘榴に、U・Dは見慣れたとはいえ、胸焼けしたように顔を歪める。
「本当に燃費悪いわよね、少しダイエットしたら?」
「俺の力は体重と直結してるからな、狩人である限り痩せる訳にもいかないさ。そう言うお前こそ、少し太ったんじゃないか?」
「つい先日まで不健康浮浪児だったんだもの、健康的な生活をしていればふくよかにもなるわよ。むしろ、バストがアップして貴方的には嬉しい話じゃない」
「誰もそんな事は聞いてない」
「ごめんなさい、柘榴は貧乳無乳が大好きな真性ロリペド野郎だったわね」
「そう勘違いしてるなら、身の危険を感じて今直ぐに出て行け」
こちらもいつも通りになってきた軽口を交わしながら、柘榴はここ数日の事を思い返す。
青年の使っていた蠱を退治した後も、二件ほど二人で狩りに出たのだが、どちらも白ファイルの任務で、噂の確認に留まり怪物と遭遇する事はなかった。
それ自体におかしい所はない。絶対数の少ない怪物と、立て続けに遭遇する事の方が珍しいのだから。
しかし、U・Dを死なせようとする処置を執った協会上層部が、手を緩める様子を見せた事が、逆に柘榴を不安にさせていた。
(悪意が有るのか無いのか、気味が悪いな……)
狙いが分からず対処も出来ない現状に、柘榴は胃痛を感じて顔を歪める。
そんな物思いに耽っていた彼の耳に、U・Dの大声が響く。
「柘榴、聞いてるの柘榴っ! 電話が鳴ってるわよ」
自分の携帯電話がけたたましい音を出している事を示唆され、柘榴は慌ててそれを取る。
隠密行動の時に邪魔にならぬよう、振動設定すら解除されている携帯電話が音を鳴らす。
それは、非常事態を知らせる
「はい、こちら赤銅……はい……はい、分かりました。直ぐに向かいます」
「女からデートのお誘い、って訳ではないようね」
真剣な顔で電話を切った柘榴を見て、U・Dも察して立ち上がる。
「出来れば食器を片付けてからにしたいんだけど」
「悪いがその時間は無い。事件だ、狩りに出るぞ」
赤銅の狩人はそう言い、休日が潰れた事を恨めしく思い小さく舌打ちした。
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