4-3

 細い裏道の前に黒い乗用車が停まっても、現場に居た十数名の警察官達はそれほど気に留めなかった。

 だが、その中から現れた巨漢を見て、全員が一斉に息を呑む。

 高く逞しい赤銅の体を黒いスーツで包み、目元も黒いサングラスで隠したその男は、映画に出てくるボディーガードのように見えたが、少なくとも事件現場に入って来て良い人物には到底思えなかったからだ。

 立ち入り禁止のテープを悠然と跨ぐその男に、慌てて一人の警官が駆け寄るが、それは黒塗りの手帳で阻まれた。


「警視庁九課、富士野ふじの警視だ」


 平然と突き出されたそれには、確かに『警視庁刑事部 捜査第九課・ 富士野一ふじのはじめ』と書かれ、桜田門を示す証が輝いていた。

 一警察署の巡査に過ぎないその警官は、突然現れた警視庁の警視に、天上人が現れたかのようにおののいてしまう。

 だが、捜査第九課という聞いた事のない部署を不審に思い、通して良いのか判断出来ず、オロオロと手帳と男の顔を見比べるのであった

 とそこへ、現場の指揮をしていた警部補のどら声が響く。


「通してやれ松尾まつお、そいつは本当に・・・本店の刑事だ」

「りょ、了解しました、たいら警部補」


 棘が含まれたその命令に、松尾と呼ばれた巡査は納得のいかない様子ながら頷き、富士野警視という仮の身分を装った柘榴を、殺人事件の現場へと招き入れる。

 駅から続く商店街を抜け、少し裏道に入ったそこは、爆弾でも破裂したのかというほどに荒れ果て、原形を留めぬ死体の血で染められていた。

 飲み屋や住宅の間にひっそりと建てられたその小さな神社が、二名の死者を出した猟奇殺人事件の現場だった。

 今日の早朝、まだ日も上っていない時間帯に、もの凄い騒音と悲鳴が鳴り響き、不審に思った住人が駆け付け、荒れ果てた神社とそこに倒れる血まみれの被害者を発見し、警察に通報したのである。

 事件発生からまだ四時間も経っておらず、血の臭いも乾かぬその現場を、柘榴は冷静な表情で見回す。

 まず目に付くのは二人の被害者。まるで散弾銃ショットガンで撃たれたかのように全身に無数の穴が空き、顔も判別が付かない程に潰されている。

 次に目に付いたのは、壊れた狐の石像とお社。こちらは散弾銃のような穴は無く、多分被害者達が蹴り壊したのだと思われた。

 血溜まりの他にも吐瀉物が撒き散らされており、辺りは鼻を突く異臭が漂っていた。


「被害者の身元は?」


 柘榴がそう尋ねると、小太りの警部補は嫌悪の視線を向けながらもメモを手渡した。


「被害者は近藤光男こんどうみつお山崎一樹やまざきかずき。共に近くの高校に通う、ちんけな不良さ」


 多分に私情の入った平警部補の解釈は聞き流し、柘榴は被害者の遺体に近づく。


「死因は全身の傷による出血か?」


 柘榴の質問に、今度は松尾巡査が答える。


「検死に回してみないと正確な事は言えませんが、まず間違いないと思います。ただ……」

「ただ、何だ?」


 口ごもる松尾巡査を柘榴が促すが、信じられないという顔をするばかりだった。

 それに業を煮やしたように、平警部補がどら声で告げる。


「こいつらの傷、全部銃弾なんかじゃなく石で空けられてんだよ!」


 吐き捨てるようにそう言われ、柘榴は改めて被害者の傷を覗き込んだ。

 蜂の巣のように空けられた傷は、赤い血で溢れてよく見えないものの、確かに傷痕から覗くのは銃弾ではなく、境内に敷かれているのと同じ小石だった。


「石を積めた爆弾でも破裂させたってのか? だがな、硝煙反応も何も出ちゃいねえ。まさか人の手で投げたとでも言うのかっ?」


 理解不能な事態に叫び、食って掛かる平警部補に、柘榴は冷めた目を向けながら、視線を壊れた狐の石像に移した。

 台座から落とされ、首や尻尾の部分が折れた狐像は、凄惨な殺害現場の中にあって、何故か一滴たりとも血に濡れていなかった。

 よくよく見れば神を祀るお社も、壊れてはいても血で汚れてはいない。

 そうやって現場を観察していた柘榴に、平警部補が嫌味ったらしい声をぶつける。


「へっ、本店の警視様はお稲荷さんを見るのも初めてだってか?」


 そう言って壊れた狐の像を蹴る平警部補に、柘榴は冷めた声で間違いを指摘した。


「狐は稲荷神の使いであって、お稲荷様自身じゃない。別物だ」

「なっ、そんなのどっちだろうと一緒だろうがっ!」


 若い警視に揚げ足を取られ、中年の警部補は顔を赤くし、それに松尾巡査が含み笑いを漏らすのを見て、また怒鳴り声を上げる。

 柘榴はそんなやり取りを気にする事もなく立ち上がると、もう一度全体を見渡しつつ肝心な事を尋ねた。


「犯人の見当は?」


 低い呟きに、平警部補に絡まれていた松尾巡査が答える。


「それはまだですが、騒ぎを聞いていた住人の話によると、現場からは四、五人の声が聞こえていたそうです。ですので、被害者以外にもその場に居たと思われる人物達を、今全力で探している所です」


 そう言って敬礼をする若き巡査に頷いて見せると、柘榴はもう用は無いとばかりに背を向けた。


「後でまた連絡を入れます、それまでに調書をまとめておいて下さい」


 言葉遣いだけは丁寧に告げられたそれに、平警部補が唾を吐き捨てる。


「富士野警視さんよ、この事件もまた第九課・・・が独占するつもりかい?」


 憎々しく告げられたその言葉には、不可解な事件が起きるとそれを独占捜査する、警視庁の捜査第九課などというものが、本当は存在しない事を知っている色が聞き取れた。

 だが、柘榴はそれを気にする事も無く、背を向けたまま告げる。


「まだ分かりません。ですが、そうなる可能性は高いでしょう」


 そう言って立ち去る柘榴に、平警部補は悪態を吐き、現場の保存も忘れて砂利を蹴飛ばした。

 そうして警察官との刺々しい会話を終え、柘榴はU・Dの待つ車に乗り込むと、直ぐにエンジンをかけて事件現場から遠ざかった。

 自分の不器用さに溜息を吐く柘榴を見て、後部座席に座ったU・Dは可笑しそうに笑う。


「本当に人付き合いが下手ね。アタシが行った方が良かったんじゃない?」

「警察手帳も持ってない奴が、殺人事件の現場に入れてもらえると思うのか。第一、お前の姿じゃ婦警だと偽称する訳にもいかんだろ」


 柘榴はそう言いながら、『富士野一警視』の手帳を少女に投げて寄こす。


「良く出来てるわねこの偽物、本物と見分けつかないわ」

「見分けって、お前は本物を見た事があるのか?」

「そりゃあね、身元不明の浮浪児なんてやってたら、お巡りさんに追い掛けられる事なんて日常茶飯事よ」


 自慢にもならない事を誇らしげに言うU・Dに、柘榴は嘆息しながら手帳を取り返し、スーツのポケットに仕舞う。


「言っておくが、これは警視庁で発行してもらった本物だ。ただし、富士野一の戸籍と経歴が偽造で、捜査第九課が名前だけで実在しないってだけの事だ」

「つまり、本物に作ってもらった偽物って事?」


 その問いに頷いて、柘榴は説明を続ける。


「狩人はその職務上、警察や公安、軍隊――日本では自衛隊だが、それらと活動範囲が被ってしまうからな。政府に協力を依頼し、それぞれの機関にある程度の干渉が出来るよう、偽物の身分証を作成して貰っているんだ」


 柘榴はそう言って、さらに二枚の手帳を投げて寄こす。

 その手帳を並べ見て、U・Dは疑問の声を上げる。


「何々、富士野二郎ふじのじろう・三等陸尉に富士野三和ふじのみと・公安第九課所属……どうしてみんな同じ名字なのかしら?」

「名字が同じなら、呼ばれ方も同じで手間が省けるからな。ケイトなんかと違って、偽名を何個も使い分けられるほど俺は器用じゃない」


 柘榴はサングラスをかけ直しながら、顔を背けてそう言った。

 U・Dはその仕草に微笑を浮かべながら、身分証を開いてまた感心する。


「でも狩人協会って凄いのね。お国に命令してそんな事までやらせるなんて、流石は秘密結社って所かしら」

「秘密結社と言うと、妙に安っぽくなるな。否定はせんが」


 そう言って、柘榴も微笑を浮かべる。


「だが、命令というのは間違いだ。協会は国と上下関係の無い、対等なパートナーとして取引をしてるんだ。協会は国を乱す怪物を駆除し、国は協会にその活動資金を払う。ビジネスライクな関係だからな、命令ではなく、それ相応の対価で買い取っただけさ」


 柘榴の口から知られざる協会と国の関係を聞き、U・Dは感嘆の声を漏らす。


「ふ~ん、協会の活動資金って税金なのね。あら、じゃあアタシ達も公務員って事になるのかしら。浮浪児から大した出世をしたものだわ」

「そう言えない事もないがな。ほら、市民の血税で養われている公僕として、きちんとお役目を果たして来い」


 話している間に着いた駅前のロータリーに車を停めると、柘榴はU・Dに降りるよう促した。


「情報収集をして来いって事ね、了解よ」

「これが被害者の名前と通っていた学校の名前だ。俺は駐車場に車を停めた後、協会に連絡を取ってみる。何か新しい情報が入っているかもしれないからな」


 メモを渡してU・Dを降ろすと、柘榴は車を走らせながら携帯電話を掛けた。

 彼の想像が正しければ、犯人は――犯行を起こさせたモノは、断首刀で切り伏せられる類の相手ではない。

 そう判断し、適切な加勢を呼ぼうとした柘榴の願いは、しかし、叶えられる事は無かった。

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