2-3

「なになに、T区N町では夜中になると青年の幽霊が出て、その後に付いて行った者は二度と戻ってこない――って、これは何処の三流都市伝説?」


 車の後部座席に座り、灰色のファイルを読んでいたU・Dが、そのあんまりな内容に胡散臭げに顔をしかめる


「きちんと目を通しておけ、それがお前にとって初めての狩りになるんだからな」


 助手席を取り外し、中央に運転席を設けた特殊な車を運転しながら柘榴は叱るが、新米狩人は詰まらなそうにファイルを閉じた。


「百聞は一見に如かずって言うでしょ、現場に行けば全部分かるわよ。今度はどんな怪物が――うん? 化け物? モンスター?」


 どの単語が適切かと頭を捻るU・Dに、柘榴は嘆息しながらも教授する。


「怪物でも化け物でもモンスターでも、好きなように呼べ。一応、報告書に書く時の呼称は『人外じんがい』に統一しているが、それ以外ではどう呼ぼうと構わん」

「結構いい加減なのね。軍隊みたいにもっとガチガチなのかと思ったわ。上官に敬礼を忘れただけで鞭打ちって感じで」

「戦って飯を食っている稼業だからな、軍の影響は強く受けているが、正規軍のような真面目さはないな。どちらかといえば傭兵部隊のようなものだ。寄せ集めという意味でも似ている所がある」

「さっき見て回ったけど、ケイトみたいな外国人が結構多いのね。人種の坩堝って意味でも、傭兵部隊に似てるっていうのは分かるわ」

「ケイトは日本生まれのハーフらしいけどな。しかし、まるで傭兵部隊に居た事があるような口ぶりだな」

「ふっ、女には秘密の過去が一京あるものよ」

「一億の一億倍か。多すぎだろ、何歳だよお前」

「一万跳んで三百歳って事にしておくわ」

「宇宙に帰れ、この未確認生物アン・ノウン

「惜しいわね、U・DのUはUNアンで正解よ。ではDは何でしょう?」

DUSTダストだろ、U・Dゴミじゃありませんちゃん」

「……悔しいけど、座布団を半分上げるわ」

「そんな綿が飛び出てそうな物はいらん」


 唇を噛むU・Dを冷たくあしらいながら、柘榴はいつの間にか雑談になっていた会話を楽しんでいた。

 まだ出会って二日しか経っていないのに、旧知の友人のように力を抜いて接する事が出来る、U・Dという不思議な少女。


(こんなに小気味よく話せる相手と出会ったのは、いったい何年ぶりだろうか?)


 柘榴はそう思うと頬が綻ぶのを抑えられず、同時に、この先の事を思って胸が痛んだ。

 理不尽な命令でU・Dが現場に出て、怪物と対峙させられる事になった以上、彼は全力でその身を守るつもりだ。

 だが、どんなに柘榴が注意しても、少女が死ぬ可能性をゼロにする事は不可能だ。

 戦場では時に思いがけない事が起きる。それも、怪物などという非常識なモノを相手にする狩りの場では、より予想の付かない形で。

 そんな中で「絶対に守る」と言えるほど、柘榴は自惚れてもいなければ、傲慢でもなかった。


(ただでさえ、俺は一番大切な人を守れなかったのに……)


 そう沈み込む柘榴の顔を、U・Dが後ろから覗き込んでくる。


「柘榴、お腹の調子が悪いなら、丁度そこに空き地があるわよ」

「せめてコンビニのトイレに行かせろよ」

「そう、見た目と違って繊細なのね」


 悪態を吐いて誤魔化す柘榴に、U・Dは柔らかな笑みを浮かべる。

 そのどこか大人びた表情に、今のはワザとふざけて自分を励ましたのかと知り、赤銅の狩人はその赤い顔をさらに染めた。

 何だか照れ臭くなった柘榴は、誤魔化す為にも気になっていた事を口にする。


「なぁU・D、お前は竜崎局長と何を話したんだ?」


 鶴の一声で彼女を狩人に命じた局長が、いったい何を思ってそう決めたのか。それを少しでも探ろうと尋ねてみたのだが、返ってきたのはまた不可解な話だった。


「別に、『狩人になりたいのなら勝負をしよう』って言われて、ちょっとサイコロで賭けをしただけよ」

「賭け?」

「サイコロを六個同時に振って、出目の合計の大きい方が勝ちって単純な賭けよ。それでアタシは見事局長さんに勝って、こうして狩人の一員となったの。言わなかったかしら、運だけは良いのよアタシ」


 U・Dは自慢気に胸を張るが、柘榴は訳が分からない気分だった。

 そんな運試しが狩人としての素質を見抜くのに、何かの役に立つとも思えない。

 だが、冷酷で現実主義者の竜崎局長が、無意味な事をするとも思えなかった。

 柘榴がそう思い悩んでいると、U・Dが窓の外を指して声を出す。


「ほら、目的のN町ってこの辺じゃないの?」


 言われて気付き、柘榴はブレーキを踏んで道の端に車を止めた。

 場所は駅前から少し離れた閑静な住宅街で、太陽が真上に上ったこの時間、外を出歩く人の姿はほとんど見えない。


「この辺に人さらいの幽霊が出る訳ね。眉唾な話だけど」

「だが、ここ数ヶ月の間で何人かの行方不明者が出ているのは事実だ。身元の知れないホームレスや不法滞在の外国人ばかりだから、大きな騒ぎにはなっていないようだがな」


 柘榴はファイルに挟まった資料を見せ、やる気のないU・Dを叱る。


「へ~、根も葉も無い噂ではないのね。けど、それが幽霊の仕業だって保証はあるの? 臓器の密売を目論む犯罪組織にさらわれた、って話の方が信憑性あるんじゃない」

「その可能性は否定しない。仮にそうだった場合、警察に通報して後の処遇を任せるだけだ」

「なんだ、『この手で悪の組織を壊滅させてやるぜっ!』とか言わないのね。拍子抜けだわ」

「悪いが、俺はそんな熱血漢でも正義の味方でもない」


 あくまでふざけた物言いの少女に、赤銅の狩人は声を硬化させて告げる。


「俺達はあくまで怪物を狩り滅ぼす狩人だ。人間の世界には関与しない、それが掟だ」

「ふ~ん、まるで自分達は人間じゃないって口調ね」


 U・Dがそう言ったのは、狩人という人種に『怪物と戦ってお前達を守ってやっている俺達は偉いんだ』という傲慢さを感じたからだった。

 しかし、言われた柘榴は激昂するでもなく受け流すでもなく、僅かに目を逸らし、暫らく逡巡した後に口を開いた。


「いつかは分かる事だ、なら早い方が良いだろう」

「何の事か知らないけど、自己完結しないでくれない?」


 自分に言い聞かせるように呟いた柘榴は、振り返って後部座席のU・Dに向かって己の腕を突き出す。


「持ってみろ、そうすれば分かる」

「女の子に腕を触られるのが好きって事? 変わったご趣味ですこと」


 U・Dは訝しげな顔で毒を吐きつつも、言われた通りに柘榴の腕を両手で掴む。

 それを見て、赤銅の狩人は腕の力を抜き、重力に任せて落下させた。

 瞬間、ビルの屋上から落とされた鉄球でも掴んだかのように、少女の体が前のめりに倒れ込んだ。


「重っ? 何これ、腕の中に鉄の棒でも仕込んでるの?」


 掌から伝わる感触も、柔らかい人肌のそれではなく、金属製のロボットでも触っているかのように硬かった。

 しかし、体温も脈もある。断じて機械などではあり得ない。

 混乱するU・Dに、柘榴はぶっきらぼうに告げる。


「三一六㎏だ」

「はぁ?」

「俺の体重だ。三百と十六キログラム、防弾用に鋼板の入ったこのコートも含めれば、四百㎏を超える」

「…………」


 有り得ないその数値に、U・Dは絶句して柘榴の体を穴が開くほど見た。

 身長は一九〇㎝に届くほど高く、格闘家のように筋肉が付き引き締まったその体型ならば、百㎏ぐらいはあってもおかしくはない。

 しかし、三百㎏というのは明らかに異常だ。嘘としか思えない。

 そう理性が叫ぶものの、柘榴の真剣な表情と、腕から伝わる重量が静かに事実だと告げていた。


「ミオスタチン関連筋肉肥大というのを知っているか。筋肉が常人の二倍ほどもある特殊な体質の事なんだが、俺はそれがより異常に現れた体質なんだ」


 そう言い、コートの内側から財布を取り出す。


「筋肉や骨の密度が通常の三倍あり、硬さも重さも三倍ある。それで筋力も三倍なら丁度良かったんだろうがな、筋力測定では常人の十倍近い数値が出た」


 財布から十円玉を出し、指で簡単に四つ折りにして見せた。


「医者が言うには『生物学上有り得ない』らしいんだがな、この通り俺は実在している。こんな、人間を外れた特殊体質の奴を、協会では『オーガ』と呼んでる」


 折った十円玉をU・Dに投げて寄こしながら、柘榴はサングラスを外した。

 そこから現れたのは、白に囲まれた青い瞳。

 本来黒色しか有り得ない瞳孔が青く、目の色を決定する虹彩が眼球と同じ白色。

 作り物めいた奇怪で不気味な瞳。

 それこそが、柘榴が異常な存在だと明言していた。


「人を超えた怪力、強固な赤銅の肌、闇を見透かす青の瞳孔、どれもが化け物の証だ。もっとも、その異常な力のお陰で、俺は狩人になれたんだがな」


 柘榴は自嘲気味にそう呟き、サングラスで異形の瞳を隠した。

 人の何倍もの体重と怪力を持った彼は、怪物と同等――いや、それ以上の化け物だった。

 獣人ライカンスロープ動く死体ゾンビ)のような怪物がどんなに強力でも、所詮は人間や動物の範囲内であるのに対して、赤銅の鬼は人間を超えた生物なのだ。

 始まりからまるで違う、人から産まれた人為らざる者。

 故に彼は鬼と呼ばれ、恐れられてきた。

 幼い頃はそのせいで半監禁状態で過ごし、狩人となってからは、その能力のお陰で生き抜いてこれたものの、同僚も恐れて遠ざかってしまった。

 協会で柘榴に話し掛けるのは、ケイトや高坂という例外を除けば、同じような特殊体質を持つ数人だけで、ほとんどの者は近寄ろうとさえしない。

 拒絶されるのが当然。そんな人生を歩んできた彼は、慣れない痛みを覚えながらも、これで目の前の少女が恐怖し、狩人の世界から逃げ出してくれる事に安堵を覚えていた。

 しかし、U・Dは恐怖に震える事も車の外に逃げる事もせず、そっと手を伸ばし柘榴の顔からサングラスを外してこう言った。


「やっぱりイケメンだったわね、アタシの目に狂いは無かった。今まで出会った十万人の男の中でも五位って所かしら、光栄に思いなさい」


 赤銅色の頬に指を這わせ、歳に似合わぬ妖艶な笑みを浮かべる。

 言葉の意味が暫く理解出来ず、呆然とした後、柘榴は蚊の鳴くような声で呟いた。


「お前、俺が怖くないのか?」


 その問いに、U・Dはあっさりと頷いて見せた。


「怖くないわね、むしろ納得したって方が大きいかしら。狼男を吹き飛ばしたり、コンクリートの階段を踏み潰したり、いったいどんな手品かと思ったら、文字通り体が赤銅で出来てたって訳ね」


 清々とした顔をし、玩具でも扱うように柘榴の体やコートをまさぐりだす。

 その平然とした態度に、柘榴は何故か焦燥を感じ、声を荒げた。


「本当に分かっているのか? 俺は――」

「化け物だ、とでも言いたいのかしら」


 機先を制し、少女は狩人の口に指を当てて黙らせる。


「下らないわね、私はその化け物が見たくて狩人協会に入ったのよ、パートナーが化け物なんてむしろ大歓迎よ」

「…………」

「それに、貴方はアタシに危害を加える気はないんでしょ? なら何の問題も無いわ」


 それだけ言い、柘榴の顔にサングラスを戻すと、もう話は終わりだとばかりに寝ころんだ。

 柘榴もそれ以上は何も言えず、前に向き直る。

 ただ、バックミラーに映るその口は、僅かに笑みの形を作っていた。

 中途半端な慰めなど告げず、彼を化け物だと言い切り、その上で平然と受け入れる。

 そんな人物は、今まで家族以外ではたった一人しか居なかったのだ。


「U・D、お前は馬鹿だな」

「そんな貴方には古来より伝わる伝説の台詞をお返ししましょう。馬鹿って言う奴の方が馬鹿なのよ」


 平然と罵倒を返し、コートの中から小説を取り出し読み始めるU・D。

 その姿に、柘榴は今度こそ声を出して笑い、車のドアを開けた。


「さあ、漫談はこれで終わりだ。狩りに行くぞ」





 真上にあった日も沈んだ頃、夕日で赤く染まった車の中に、住宅街を歩き回った二人は疲れた足で帰って来た。


「狩りと言っても、やる事は刑事と同じ聞き込みなのね」


 雑談している主婦や、学校帰りの学生、駅前でたむろするホームレス等に、失踪事件と関係ありそうな事をひたすら尋ねて回ったのだ。


「怪物と戦って倒す事より、まず怪物を発見する事の方が困難なものさ」

「派手な仕事の裏では、地道な努力が必要なのはどこでも同じ訳ね」


 コンビニで買ったおにぎりを頬張りながら、U・Dはつまらなそうにぼやいた。


「それで、何か収穫はあったか?」

「行方不明者が出ているっていうのは本当みたいね。知り合いが突然居なくなったって嘆いていたホームレスに会ったわ。柘榴の方は?」

「件の幽霊らしき男を見たって学生には会ったな。信憑性の方は分からんが」

「そういえば、駅前でチャラチャラした女子高生に囲まれてたわね。そんなパンクロッカーみたいな格好してるからよ」

「好きでしてる訳じゃない」


 若い子の相手をするのがそんなに嫌だったのか、柘榴は苦虫を噛み潰したような顔をする。

 それに声を立てて笑いながら、U・Dは結論を尋ねる。


「で、この後はどうするの。まだ聞き込みを続ける気?」

「いや、止めよう。これ以上続けても、情報部が調べた以上の事実は出てきそうにない」


 灰色のファイルを改めて見直し、柘榴は即答する。

 主に警察の捜査記録から怪物の影を探し、時にネットの掲示板や街の噂話から怪異の匂いを嗅ぎ取り、狩りの指定をする協会の情報部は、多忙でビルの外に出る暇がほとんど無い。

 その為、現場で調査すれば何か新しい発見があるかと思ったのだが、それは空振りに終わってしまった。


「目撃証言のあった場所を中心に、一週間ほど張り込みをする。それで現れないようなら切り上げよう」

「犯人は絶対に捕まえてやる、とは言わないのね」

「出来ればそうしたいがな、狩りはこれだけじゃない。怪物が関わっているという動かしようのない証拠が出ない限り、上から撤収しろと命令が下るのは免れん」

「そういう世知辛い事情も、刑事と似てるのね」


 溜息を吐き、U・Dは飲み終わった牛乳パックを握り潰す。

 そうした後で、ふと閃いた顔で身を乗り出した。


「ねぇ、行方不明になったのって、身元不明のホームレスや不法滞在の外国人なのよね」

「失踪しても足のつかない相手を選んでいるんだろう。無差別じゃない、それなりに知恵のある相手って事になる」

「でさ、不法滞在の外国人でホームレス、ここに居るんだけど?」


 自分を指差し告げる少女に、赤銅の狩人は驚いて目を見開く。


「お前、まさか……」

「囮捜査も、刑事の基本よね」


 ニヤリ、と擬音が聞こえてきそうなほど、少女は愉快そうに笑った。

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