第4話 春日沙也花→炎の魔法

「それより美鳴、何で俺のこと何度も呼んでたんだよ」


「あ、せやった! アヤト、いい加減に進路調査を提出してーな。先生怒っとるで」


「ああ、これか」


 俺は机の中から、1枚のプリントを取りだした。

 プリントはくしゃくしゃになっている。


「これか、やないやろ! もうとっくに締め切り過ぎとるんよ!」


 そう、俺たちは中学三年生。

 そして今は年が明けたばかりの冬。

 つまりは、受験シーズン直前ってやつだ。


 だからこの用紙に進学希望の高校を書いて、先生に提出しなければならない。

 それなのに、俺はまだ何も書けずにいた。

 今までにも何回か同じようなのがあったが、そのたびに提出せずにやりすごしてきた。しかし、今回は絶対に提出しろと先生に念を押されていたのだ。これを逃すと願書の準備に間に合わなくなってしまうらしい。


「アヤト。何も決まってないなら、それなりの高校を適当に書けばええやんか。みんなそうしとるよ。やりたいことなんて、高校に入ってから見つければええんよ」


「……そうだな」


 そう答えたものの、ペンを持つ俺の手は動かない。


「ったく、早くした方がええよ。せめてビリにはならんようにね。まだ提出してへんのはアヤトとあの子だけなんやから」


 そう言って、美鳴が一番前の席にいる女子に目を向ける。


 ストレートの長い髪と、下を向きがちな顔。

 かもし出す雰囲気からでも、内気な感じの性格なのがわかる子だ。

 笑うとかわいいのになあと思いながら、俺はしばらくその子をながめていた。


「はーん、どうせアヤトのことやから、あの子誰やっけとか思っとるんやろ」


「え……? いや……」


 名前くらいは知ってるんだけど。

 けれど俺がそう言う前に、美鳴が説明を始めてしまった。


「彼女は春日沙也花さん。成績はトップクラスやけど、運動は苦手。人見知りらしくて誰かと話してるのはほとんど見たことないなあ。そういや極度の上がり症で、まだクラス替えしたばっかの頃、自己紹介で真っ赤になって何も話せなかったこともあったなあ」


 美鳴が解説をしてくれる。こいつのかわいい女子への観察力は確かだ。何でも趣味でマル秘女子ファイルなんてのを作ってて、スマフォのフォルダには膨大なデータが詰めこまれているらしい。女のくせに何やってんだか。


「でもな、ウチでもあの子のことはそれぐらいしかわからないんよ。あれだけ頭がいいなら、どんな進学校だって行けるはずやのに、何で進路調査出してないんかなあ。何が好きとかもわからんし。えらいかわいいから、いろいろ知りたいんやけどなあ」


 うーん……と唸る美鳴に、俺は言った。


「春日、戦女神ヴァルキリーのことが好きなんだとよ」


「そうなんか!? そんな貴重な情報、何でアヤトが知ってるん!?」


「あとあいつの進路調査については心配するな。きっと今から提出しに行くから」


「え……? アヤト、そんなことまで何で……?」


 俺があまりにも自信を持って言ったからだろう。美鳴が目を丸くする。

 それと同時に、春日が用紙を持って立ち上がった。

 遠目にはわからないが、おそらく進路調査のものだろう。


 春日は俺のところまで来ると、何かを決意した表情で話しかけてきた。


「和銅くん。これからわたし、進路調査を提出してきます!」


「そっか。受験、がんばれよ」


 春日は俺にぺこりと一礼。そして駆け足で教室を出ていった。

 そうか春日……やっと決心がついたんだな。


「アヤト、今の何や!? 何普通に春日さんと話しとんの!?」


「……別にいいだろ?」


「い、いつの間に……。女の子に興味ないふりしといて!」


「そんなんじゃねえよ。ただ昨日、ちょっと話す機会があって……」





 それは昨日の学校帰りのことだった。

 関東にしては珍しく雪が積もっていて、面倒な帰り道。

 その途中で俺は、道ばたにしゃがんでいる女子を見つけた。


 その女子が――春日沙也花だった。


 春日は両手に子犬を抱えていた。

 隣には空の段ボール箱。捨て犬なのだろうか。

 子犬はこの寒さで弱っているのか、ぐったりとしていた。

 春日はわざわざ手袋を外して、子犬の頭を何度もなでている。


 だが俺には関係ないことだと思った。

 気づかれないように、後ろを通り過ぎようとする。


「ちょっと待っててね。今乾かしてあげるからね」


 そのときに聞こえてきたのは、春日の優しい声。

 何をする気だろうか。俺は気になって目を向けてしまう。

 そのときのことだ。


 子犬を置いた春日が、両手の間にポッと小さな炎を出現させた。


 俺は驚いた。魔法というものを、このとき初めて目の当たりにしたからだ。

 しかし炎なんて見せたら、子犬は怖がって逃げだしてしまうのではないか。


 ところが子犬は、気持ちよさそうに目を細めていた。

 春日の足下にすり寄って、かわいらしく「くぅ~ん」と鳴いている。

 さっきまでぐったりしてた子犬が、もう元気になっていた。


 そして変化があったのは、子犬だけではない。

 離れたところで見ていた――俺もだ。


 春日が出した炎が、あたたかくて心地いい。

 自分のすべてを空手につぎこんできたこと。

 不良に絡まれたケガで大会に出られなくなったこと。

 ぐちゃぐちゃになっていたドス黒い感情が、すうっと消えていくのがわかる。


 次の瞬間――俺の視界に入ってきた景色は、美しく色づいていた。


 舞い落ちる雪が綺麗だ。

 子犬の笑顔が愛くるしい。

 嬉しそうに笑う春日が、かわいい。


 ――ドクン。

 俺の心臓が大きく弾んだ。




 何だろう。今の、この不思議な感覚は……?

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