雨上がりの夕暮れで

クファンジャル_CF

【雨上がりの夕暮れで】

「ひとつだけ願いのものが手に入るとしたら、何がいい?」

「そうだな。不滅の魂が欲しい。―――そうすれば、お前とずっと一緒にいられるだろう?」

 

 

―――ああ、何故あの時、あなたは不老不死の肉体を願わなかったのだ。

 思い出すのは遠い昔。

 そういえば、あの時も雨が降っていた。あの時と違うのは、雨をしのぐ仮宿がないこと。そして、寄り添う人の不在。

 天にかかるのは暗雲。ぽつりぽつり、と降り注ぐ雨滴は、ただでさえ沈み込んだ気持ちをさらに最悪のものとする。

 仰向けになった体は満足に動かす事も出来ない。気力を使い果たした五体はピクリとも動かず、ぬるま湯のような大気の蒸し暑さと、体温を容赦なく奪う雨の蹂躙にされるがまま。濡れて泥濘と化しつつある大地は最悪の寝床だ。

 だが選択の余地はない。せめて、不愉快な暗雲を視界から取り除こうと眼を閉じ―――

ぱしゃり


 足音が、聞こえた。


「だ、大丈夫ですか……?」


 目を見開いた。

 己をのぞき込んでいたのは、黒髪を短く刈った少年。年の頃は十二、三といったところか。まだ幼さを残したその顔は、しかしどこか険しさも見え隠れする。

 だが、驚愕したのはそんなところではない。

 生き写しだった。遠い昔、遠くへ―――手の届かぬほど遠くへと旅立ってしまったあの人と。

 手を差し出し、その頬を撫でたかった。声が絞り出せれば、愛おしいその名を呼ぶことも出来たであろう。

 だが、動かない。傷つき、疲れ果てたこの身にはそのような力が残されていない。

 それでも、手を伸ばそうとして、そして力尽き―――

 意識が闇に閉ざされた。

 

  ◇

 

 ぱちぱち

 炎が燃え上がる。

 囲炉裏に薪を放り込むと、少年はようやく一息ついた。

 道すがら倒れていた女性を連れてくるのは大変だった。何しろ少年自身より大柄なのだ。この廃屋が見つからなければもっと大変だっただろう。

 梁にひっかけて干しているコートは漆黒。対して彼が今身に着けているのは、コート同様漆黒のズボンと、そして白いシャツ。傍らには革製の鞘に収まった直刀。

 少年は、冷え切った体を温めようと、火にかじりつく。

 その向かい側には、先に拾った女性。

 美しいひとだった。

 腰まで届く黒髪。顔立ちは流麗であり、抜けるような白い肌。そしてその唇は深紅。身にまとっているのは汚れてはいるものの上等な法衣である。武装を帯びていないのが奇妙だが。

 何者なのだろうか。

 分からない。風体は明らかに貴人であるが。

 まあよかろう。起きたら聞けばよい。今はそれよりも飯だ。

 少年は、軒先にぶら下げておいた鉄鍋を回収すると、雨水で満たされた中に雑穀、そして野草と干し肉を放り込んだ。

 火にかけるとそのまま煮立つまで待つ。

 時おり木の匙で中身をかき回していると―――

「う―――」

 女性のうめき声。

 目を開いた彼女は、しばしこちらを見て―――

 跳ね起きた。

 少年は声をかける。

「おはようございます。大丈夫です?」

 彼女は答えず、呆然とした顔。

「あー……僕の顔なんかついてます?」

 居心地が悪くなった少年の言葉に、彼女は。

「……すまん。知っている人とよく似ていたから」

 そう言って身を起こすと、女性は座り込んだ。

 水にぬれた体を検分している。

「ああ、勝手に脱がすのも悪いし、でも風邪ひくと困るだろうしどうしようか、と思ったんです。結局火をつけてあったまろうって」

「悪くない選択だ。感謝する」

 告げると、女性はそのまま立ち上がり、そして。

 おもむろに、服を脱ぎ始めた。

 慌てたのは少年。

「え、あ、僕後ろ向いてます!」

「構わないぞ、見ていても」

 そう返されて、振り返った少年の視線の先。そこに在ったのは、とても―――とても美しい、白い裸身。

 ごく均整の取れた、傷一つない肉体であった。

 彼女は、濡れた己の衣を広げ、梁に吊るす。

「……あ、あの、よかったら、これ」

 少年が差し出したのは毛布。薄汚れた、旅のためのもの。

「ありがとう」

 礼の言葉を告げ、彼女は毛布に身を包んだ。そのまま腰を下ろす。

「もうすぐ食事ができるんで……少ないですけど」

「いいのか?君の分だろう」

「大丈夫です」

「なら、いただこう」

 二人は、火に目をやった。

 少年は目のやり場に困って。女性は何やら物思いにふけって。

 やがて鍋がぐつぐつと自己主張をはじめ、少年は木の椀に中身を半分と、ほんの少しだけ多めによそおうと、相手へ差し出した。

 受け取った女性は「いただきます」と口にすると、受け取った食事を頬張り始めた。

 少年も、降ろした鍋を傍らに置くと、直接食べる。

 雨音が次第に激しくなるが、二人の間に広がるのは静寂であった。

 やがて。

「ごちそうさま」

 己の分の粥を食べ終わると、女性は礼とばかりに微笑んだ。

 それがあまりにも素敵で、少年の心はどぎまぎしっぱなしである。

 だから彼は、内心をごまかすように質問を口にした。

「あなたは、どうしてあんなところで倒れていたんですか?」

 投げかけられた質問。それに女性は少し悩み。

「ふむ。

私は、元々当てのない旅をしていた。だが、少々面倒にあってね。逃げて来たんだ」

「それは……大変でしたね」

「まあ、こうして君に助けて貰わなかったら風邪の一つもひいていたかもしれないな。君は、どこへ行くんだい?」

「僕は、山向こうへ。そこに住んでいるという、魔物を討ちに」

「―――ほう」

 女性の目が細められた。少年はそれを知ってか知らずか、話を続ける。

「この近隣に、あいつの手下どもが現れるようになったのはこの半年のことです。奴らは水という水に病をまき散らし、人々は体力のない者から倒れて行きました。僕の許嫁も……」

「そうか。だが、そういう事は領主が行うべきじゃないのかな」

「討伐の軍勢は何度も差し向けられたんです。でも、帰って来たものはいなくて」

「ふむ。それで、剣一本で挑もうという事か。その娘さんのために」

「ええ。無謀……ですよねやっぱり」

「ああ、無謀だな。だが嫌いではない。―――だから、ちょっとだけ手を貸してやろう」

「え?」

「剣を貸してみなさい」

「あ、はい」

 女性は、少年から受け取った剣を抜くと、その刃を眺め。

「ふむ、悪くはないな」

 そう告げると、彼女は己の手のひらを、刃で切った。

「え……な、何を」

「まじないだ。これで、この剣は魔神をも切り裂く力を得た。私より弱い奴に限るがね」

 奇怪な事が起こった。

 言葉を交わす間にも、彼女の手のひらの傷は小さくなり、そしてついには塞がったのである。

 まるで夢だったかのような光景。

「あなたは魔法使いなんですか?」

「まあ似たようなものだな」

 ニヤリ、と笑う女性。

「さあ、もうそろそろ寝なさい。明日は戦いだろう?」

「そうですけど……」

 少年はまるで狐に化かされたかのような表情。釈然としないながらも彼は、横になった。

 

 翌朝。

 目覚めた少年の前には、あの黒髪の女性の痕跡は残っていなかった。

 何も。

 まるで、昨夜あったことの全てが夢であったかのように。

 外は、晴れ渡っていた。

 

  ◇

 

 石畳の城内に散らばるのは無数の屍。

 人間のものではない。奇怪な闇の獣どものそれである。

 奴らにつけられた傷。そのことごとくが刀傷であった。

 狼のようなもの。豚に似たヒト型のもの。錆びた刀で武装した小鬼。

 無数の怪物どもを切り裂いた剣の主は、漆黒のコートを纏った少年であった。

 あの魔法使いの女性。彼女が施した術は、少年の直刀に恐るべき切れ味と、そして凄まじい技前を振るう力を与えていた。

 剣がささやく通りに振るえば、それで事足りるのだ。

 そして今彼がいるのは、この城の中心。玉座の前に、彼は立っていた。

 玉座に座っているのは、一見すれば屈強な大男であった。

 だが少年の予感は違うと訴え続けている。あれが見た目通りのものであるはずがないと。

 奴は立ち上がると、その身を何倍にも膨れ上がらせた。

 その頭部からは角が隆々と伸び、牙を生やし、肌は青銅のよう。異形の巨人―――否、魔神であった。

 奴は、その拳を、少年へ向けて振るった。

 ぶつかり合った剣が、ただの一撃でひび割れる。

 魔神は大きく息を吸い込む。その口から覗くのは燃え盛る炎。

 それは一拍の間をあけて、解放された。

 

―――火炎の吐息

 

 玉座の間が炎に包まれる。

 少年の命があったのは、直刀に与えられた加護のおかげであったろう。

 だが。

 

 ぴしっ

 

 まじないにも限界があったのか。それとも剣がもたなかったのか。

 ひび割れは凄まじい勢いで広がり、そして。

 粉々に、砕け散った。

 少年は死を覚悟した。

 魔神の口に、再度炎が燃え上がる。

 あれが解放された時、少年は焼け死ぬだろう。

 彼はその時が来るのを待った。

 

―――その時は、いつまで待っても来なかった。

 

「やれやれ。術が甘かったか。"私より弱い奴は切れる"と約束したのにな。私は契約は守る事にしているんだ」

 降り注いだ炎を片手で防いだ者を見て、少年は呆然とした。

 あの女性。名前を聞く事もできなかった黒髪の女が、法衣をまとってそこにいた。

 ああ。だがなんだろう。

 どうして彼女は、翼を生やしているのだろう。

 それはまるでフクロウのような、灰色の羽が密集した、とてつもなく巨大な翼。

 左右非対称。合計で、十三枚のそれを広げた彼女はこちらに背を向けていた。

「見ろ。奴め、本性を現すぞ」

 少年は見た。

 魔神の肉体がさらに何倍も膨れ上がるのを。

 いや、何十倍、何百倍―――

 閃光が走った。

 

 少年が目を覆った手をどけた時、周囲の光景は一変していた。

 背を向けている彼女は変わらない。だが、あたり一面が消し飛び、大地はえぐれている。西の空には沈みゆく太陽。

 そして奴。魔神は―――巨大に膨れ上がったそれは、まるで城砦のような大きさ。

 勝てるはずがない。

 少年の心にのしかかってくるのは絶望。

 だが、女性は少年へと振り返ると、微笑んだ。

「大丈夫だ。君は愛するひとの元へ帰れる。私が帰してやる」

 敵へ向き直った彼女が虚空から取り出したのは投げ矢であった。

 それを振りかぶり、無造作に投じる。

 投じられた矢の速さは、音を越え、稲妻を越え、光すらも超えた。

 魔神の胸へと突き刺さったそれは、不可思議な死の呪いを解放。

 真に力ある魔導の器。その一撃に耐えられる者は存在しない。

 死病を振りまいた魔神は、ただの一撃で粉々に砕け散り、そして灰と化して消えた。

 少年は、翼持つ女が振り返るのもただ、呆然と見ていた。

「あなたは……一体」

 そんな彼に、彼女は答えた。

「昔、人間の男と―――定命の者と愛し合った愚かな星霊がいた。同じ時を過ごせるはずなどないのに。

星霊は、男に不滅の魂を与えた。彼がそう望んだから。彼が生まれ変われるように。ずっと一緒にいられると信じて。

だが―――ようやく再会した男は何も覚えていないときている」

 その言葉が意味する事を理解できないほど、少年は愚かではなかった。

「だからまあ、今回のこれは、助けてくれた礼という事にしておこう。

もう会う事はなかろう。達者でな」

 少年の額に、柔らかな感触。

 それが口づけだと気付いた時には既に。

 彼女の姿は、消えていた。

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