08/17/01:20――未だ帰還に至らず
喉の奥に溜まった血を吐き捨てた
「青色ポスト、何笑ってやがる」
大きな木の幹にお互いに背を預け、両足を投げ出した格好でいる。止血は済んでいるものの、ただそれだけで、暁の袴装束もまた血色に染まっており、身動き一つで再び血は流れ出すだろう。刀は左腰に佩くことで、負傷した利き腕ではなく右手での扱いを主としているのがわかる。
もう、二日目になるだろうか。
「べつに。つーかあれよな、明けない夜はねェなんて言うけどよ」
「ここは異界だぜ。夜しかねェ妖魔の棲家だ」
「今、どの辺りよ」
「この辺りは
「二日歩き通しでようやくかよ……」
始森から屍森へと繋ぎ嗣森。そして至森に到達すればそこに死森が在る。これを即ち
四森ではなく、此処が森だと謳うからこその、此森と。
「しかし、周囲に妖魔がいるのに気付かないな。これなんだ?」
ああと頷いて地面を見れば、暗闇に赤色の陣が描かれている。いやむしろ、大木を中心にして一つの文字を囲うよう円を描いているだけの実に簡素なものだ。術式紋様や魔術の術陣とは比較するだけ失礼だろう。
「
「簡単な囲いを作ったッてわけか」
「つッても向こうは見えてるのよな。見えてるけど這入れねェ、それを理解してッから見てるだけよ」
そりゃ危ねェなァとぼやきながらも、闇に浮かぶ赤色の瞳たちに暁は
「おい蓮華、お前この状況を見越してなかったのか?」
「馬鹿言え。家に帰るまでが仕事だッてのよな」
「にしてはようやくだとか、弱音を漏らすじゃねェか。見越してたンなら打つ手があるンだろ?」
「打つ手なァ……まァでもよ、最悪の状況じゃねェのよな。だいたい俺は単独で居残ッて帰るつもりだったからよ」
「そりゃァ、光栄に思っておくぜ」
「なんだおい随分と殊勝な反応じゃねェかよ。正しく、お前ェがいるお陰で最悪じゃねェッて言ってンだぜ?」
「実感がねェからな」
「……ま、少し休憩だ。寝るなよ暁」
「ンなこたァわかってる。睡眠は体力の回復にゃ最適だが怪我を悪化させかねないからなァ」
「免疫力の低下ッてな。ま、この状況で寝れるなら大したタマだよ」
体力の回復を図ろうにも微微たるもので、呪力や魔力の回復にまで至らない。しかしだ、妖魔の赤い瞳よりも強く、鋭く、二人の瞳には生気が宿っている。
――もっとも、ここから先に気力だけで生き残れるとは限らないのだが。
「はは、笑い話だよ。この俺が可能性を見通せねェなんてザマだぜ」
「魔力の枯渇か?」
「俺のは
「……ふうん。おゥ蓮華、いくつかいいか?」
「おー、意識が落ちない程度には返答するよ」
「どうして俺に接触した?」
「そこからかよ」
小さく笑いの気配がある。顔を向けるのも面倒だったため表情までは見なかったが、きっと苦笑でもしたのだろう。
「お前ェらのグループとの縁を俺ァ持ってなかったからよ、忍と出逢うためにゃ必要なのよな」
「縁ッて……そりゃお前、また曖昧だな」
「馬鹿言え、これほど明確なモンはねェよ。もっとも何事も偶然で片付ける浅慮な野郎にゃ、その仕組みに気付くこともねェだろうがな。忍が持ってる縁で一番強いのは一ノ瀬よな。次いでお前ェらよ」
「あー、人付き合いなさそうだもんな」
「お前ェに接触したことで、必然的に俺もお前ェらの分類に含まれる。そうすりゃ
「迷わず到着できるンだろ」
「それじゃ嘘を吐くことになるのよ。あくまでも一般人として何も知らない状態で到着するにゃ、迷うッてのが一番じゃねェか。四辻を使って
「……まあ、辻に迷うくれェなら一般人もあるか」
「俺はよ、お前ェらの師範連中と茶飲み友達なのよな。直接聞いたわけじゃねェけど、ま、雨天が雨天たらしめる理由について知ってるわけよ」
「へえ――ああ、そういや、言ってたな」
最初に言われた。口下手だけれど頭の回転は速いのだから、と。
「雨天が武術家の筆頭でいるために、あらゆる得物を扱わなくちゃならねェ――源流ッてやつよな。けどお前ェの技術は、得物に拘泥しねェ。最後のアレだって、都鳥から五木、ンで朧月に至ったよな」
「連中もいたし、丁度繋がったからなァ」
「だが得物は刀、だったろ。――雨天流武術は、無手の武術だ。違うかよ」
「……」
「あらゆる武芸を無手で行うからこその、雨天流だ。槍の一突きも、抜刀の居合いも、何もかもを――そのために必要な要素が一つあらァな。だからこそお前ェは七代目なのよ」
「やっぱ、知ってたか」
「選択、よな。連中はいいさ、朧月の技の中から選び、都鳥の技を行い、五木としての戦術を組み立てる――が、お前ェはその選択肢を全部持ってやがる。羨ましいなんてのは、まァ連中なら言うだろうぜ。俺は御免だよ。選択肢が多ければ多いほど、決定までに時間はかかる。更に迷うこともあらァな。他を捨てることもあるよ。だが、どんなに多くてもお前ェは行動の決定が連中よりも早ェよな」
「刀、持ってるだろ」
「それも、連中は好みで持つがお前ェの場合は厳密に言えば――縛り、だろ。刀を持つことで刀でできる技だけに絞ってる。――はッ、そういうところが俺と似たような部分なのよな、これが」
多くの可能性を見通し、現在という確定を得るのが蓮華だからだ。
「あの時、俺が何をどうするつもりなのか理解してたよな」
「いや……予想はしたけど、な」
「これが涼や咲真じゃこうは行かねェのよな。涼は慎重だ、その上に五木の事情を知らねェ。咲真は忍と懇意にはしてるが、手出しができないッて事情をよく知っていやがる――その先にある結果としちゃァ、俺が満足できるものじゃねェよ」
「結果的に、妥当だったわけか」
「――暁、そっちに木が落ちてねェかよ。添え木が二つじゃ足りねェわ」
「傷、どうだ? 俺は
「なんだ聞きたいのかよ」
最悪ではない。過去にもっと酷い傷を負ったこともある――が、過去とは違って今はまだこれからがある。
「左腕は動かねェよ。肘が曲がらねェ、神経は繋がってるぜ。痛みは憤りで蓋をしてるよ。裂傷の上に腕も折れてる。参る話よな、馴染みの外科医が喜びそうだよ」
「そっちじゃねェ、隠してる足の方だ」
「動かしてるよ」
「……まァ、何かをしてやれるわけじゃねェからな」
動くでもなく、動かないでもなく、――ただ動かしていると、そう言える蓮華はやはり強いのだろう。
「代償の話よ。俺は治癒の速度が随分と遅いのよな、これが」
既に肩口で強く縛り止血してはいたが、蓮華は添え木を四つにして腕自体を固定するよう包帯を巻く。これは所持品ではなく、医療箱の中から持ってきたものだ。治療薬は効果を望めないため使ってはいない。鎮痛剤など以ての外だ、意識を保つことを第一にしなければこの森は抜けられない。
「出血多量で倒れるンじゃねェぞ」
「血はだいぶ止まってるから問題ねェよ。脇のは、まァ緩めたり縛ったりを繰り返して一応は血を巡らしてッけどな」
「ふうん。……なァ蓮華、俺の技使っただろ? あれどうなってたんだ?」
「なんだ気付いたのかよ」
藻女との戦闘が開始されて一手目、蓮華が姿を消して足跡として波紋を残したのは、雨天流の歩法に分類される術式の〝
「あの状況下でよくわかったよな。違和感があったか?」
「違和感は……たぶん、なかったな」
間違いなくあれは暁が意志を持ち、必要だと感じて行ったものだ。ただし、実行に際して暁は指示を受けていたわけでもなし、蓮華に一言添えたわけでもない。
――今まで一度も共闘してねェのに、蓮華の出方なんてわからねェ。
だからこそ、蓮華が何かをしたのだと思ったのだ。
「違和感じゃねェにせよ、奇妙な感覚があっただろ? 覚えておけよ、それが人に使われるッて感覚だからな」
「つまり、俺を使ったわけか――」
待て、と思った。おかしいぞとも。
怪我を負った蓮華に対し、この状況を見越していなかったと問うたのは己だ。怪我をする前提がわかっていたのならば、何かしらの手を打っていてもおかしくはないと、一連の物語を終えた上で暁は考えた――が、しかし。
――試してる、そう感じたのも俺だ。
では、どこからどこまでだろうか。
繰り返すが、打ち合わせなどしていなかった。
蓮華がただ合わせていただけだ。
ならば――いつだ?
四神の鏡遷し。雨天流では水神〝
同様に、準備には時間を要する。本来ならば陣地を持った状態で誰かから攻め込まれることを前提として行う防衛手段の一つだ。それを攻めで使ったのはやはり、蓮華が目隠しの最中に髪飾りを投げ、袖から飛針を盗み取ったのを見た上で、暁がその技を無数とも呼べる行動の中から選択したに過ぎない。
――いつから蓮華は俺の行動を読んでたンだ?
否だ、違う。蓮華は読んでいたわけではない。確かに可能性は見ていたのかもしれないが、しかし、暁にはわかる。既に答えを得ているから。
――俺を、試したのか……!
妖魔に対する最大効力を発揮する武術家、あの場では暁が妥当だろう。故にとどめを刺したのが暁だったところで、状況としては何の問題もない――むしろ自然だ。
けれど、それは蓮華に対抗手段がないことを証明するものではない。
――そもそも七尾を打倒したように、
暁にそれができるかどうか、試すためだ。
「おい暁、寝るなよ」
「あ、おゥ、寝てねェぞ」
だからこそ蓮華は戦闘補助に回った。一撃を喰らった暁が玉藻の意識から外れ、更にそれを持続させるために時間稼ぎを挑む。そしてまた、蓮華も一撃喰らって吹き飛び――適所にて飛針という柱を立てる。
つまり。
――くそッたれが。
ここにある蓮華の負傷は、暁を試すために必要であり、逆に言えば暁が原因でもある。
それを責めたりはしないだろう。試すことを選択したのは蓮華自身であり、その時点で既に負傷は前提としていたはずで――だが、共闘しようと前に出たのは暁だ。
どっちもどっち、それが暁は気に喰わない。
気付いたところで、すぐにお互い様という落しどころが用意されている周到さが、どうしようもなく悔しく思った。
蓮華には届かないのだと。
お前とは立ってる場所が違うのだと、改めて証明されているようだったから。
「なァ蓮華」
「おー? そろそろ往くか?」
「いや、――俺は合格か?」
顔を向けると視線が合った。
直後、蓮華は破顔してから声を立てて大笑いし、最後は三度ほど
「お前ェ、いや、ははッ! 怪我に響くンだから笑わすなよ」
「どこが笑いどころだ、おい」
「そりゃ駒だッて認めたようなモンじゃねェかよ。気付いたンだろ?」
「まァ、な。癪だが……評価が気になるじゃねェか」
「策士は駒の評価なんぞ気にはしねェよ。ただ適所に適材を送り込むだけだ、合格も不合格もねェッてのよな、これが。それでもッてンなら――やっぱ経験が足りねェよ。対妖魔戦闘だって突き詰めりゃ今回みてェに対人と同じよな」
「……同世代に言われると、落ち込むなァ」
「馬鹿、お前ェが落ち込んだら他の連中はどうだッてのよ」
「だからいねェ時に落ち込むンだろうが」
立ち上がろうとすると腹部の傷が疼き、開きそうになる。それでも普段通りの動きで躰を起こした暁は、ふうと吐息して文字式の外に身を置いた。
息を吸う。
「――失せろッ!」
舌打ちを一つ。開いた傷口から赤色になった装束を更に血で染めようとしているのにも関わらず、頭を掻いた暁は振り返った。
「距離を稼ぐぜ。ま、この程度の芸当しかできねェけどな」
「よォ」
木を支えにして蓮華も立ち上がり、右足の様子を確認しながらも一歩を踏み出す。
「術式を使うなよ」
「俺の状況もわかってるッてか」
天魔は、根源は妖魔と同じだ。使役しているとはいえ、一定以上の呪力を保たなければ均衡を保てない。程度にもよるが、おそらく二度の術式を暁が扱えば、陽気から陰気に落ちることもあろう。ただでさえ、文字通り陽気――暢気でもいいか――ではいられない状況なのだから。
それでもなお、二人は肩を貸そうなどとは思わない。
合わせることもなく、ただ背中を預けるだけだ。
「ンで蓮華、どうしてお前は忍を助けたかったんだ?」
「気に入らねェから――……いや、そうじゃねェよな。そいつァ過去の話で、俺が見るこれからの理由にゃならねェよな」
「あー?」
「――瀬菜がさ、あいつ咲こうとしねェンだよ」
「一ノ瀬の姉ちゃんか」
「つぼみまで出てンのに、咲こうとしてなかった。そこまできてあいつァよ、てめェが咲けねェことを知ったのでもなく、ただ、咲いても意味がねェと諦めていやがった。俺ァよ暁、諦めるッて言葉を見るとどうしようもなく抗いたくなるンだよ」
「俺は嫌いな部類だぜ」
「だから見せ付けてやりたかった。諦めなんて必要ねェと、諦めずに済む道をあいつに見せてやりたかった」
「この結果を見れば、咲くンじゃねェか?」
「知らねェよ。俺ァ選択を提示しただけだ、それでも――咲かない選択をすることだってあらァな」
「いや咲くだろきっと。逢いに行ってみりゃいい」
「そうもいかねェのよな。傷が治るのに二ヶ月くれェかかる上に、仕事もあるんだよな、これが。布石は打っておいたけど」
「布石?」
「携帯端末、捨てただろ。一ノ瀬が拾ったのは確認済み。後はそうさな、咲真辺りに打診して番号から調べれば自ずと俺に到達するッてェ寸法よ。つってもそう簡単じゃァねェけどな」
「まァた回りくどいことをするなァ」
「こればッかは性分よな。満足に己の望みを叶えることすら手がかかる。やれやれだよ」
「そうやって聞くと、お前ッて代償だらけじゃねェか」
「自由に見えるかよ」
「青色なァ――」
暁に言わせれば、蓮華のそれは現実味のない作られた青色だ。自然の中にあるものでは断じてない。
霧のような青。
海のような蒼。
花のような藍。
「――はッ、まるで不明を総合した色みてェだな」
「持て余すッてかよ」
「届かねェッての――蓮華、お前も魔力を消費すンな」
「できりゃァそうするよ。迎えは期待できねェし、とッとと帰らねェと墓石に名を刻まれちまう」
「なんだそりゃ、どういう環境で過ごしてンだお前は」
「姉貴がなあ。ま、ともかくだ――日常に戻ろうぜ暁。ここを突破して戻るのよ。大した仕事じゃねェのよな」
「妖魔討伐の専門家だしな俺」
「こちとら策士だぜ?」
お互いに小さく笑い、暁は震える手で刀を右手で抜く。こんな状況下におかれても、無手で戦おうなどとは思わなかった。
蓮華もまた右足の痛みを度外視するかのよう、強い踏み込みで疾走を開始した。
終わりなどない、と暁は思う。
始まりのことだよなと蓮華は思う。
これも日常だと暁は認識し、ここから日常が続くのだと蓮華は考える。
さあ――始めよう。
満身創痍であろうとも、余力が既になかろうとも、それが死地だとわかりきっていても、その先に往くべきであると思えたのならば足を前に出す。
何故なら蓮華の戦場は常に続いているものであり、暁はその戦場を求めに往くのだから。
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