08/15/00:45――納刀、そして終い
引き抜く――手ごたえはあった、ただし人体を貫いたものとは違う。
だが血払いの動作をし、背を向けようと一歩を踏み出した途端に倒れそうになる
そう、刀は納めなくてはならない。どのような状況でも、どんな場面でも、自らが死ぬ以外のことで刀を納めないなど――ありえはしない。逆説、納めないなら自分が死ぬことと同義だ。
――礼儀だな。こういう場合は、そうだ。
やや朦朧とした頭の中、それでも意識を手繰り寄せるために放つ。
「雨天陰陽、水神ノ行第四幕〈
そして、それは終局の鐘だ。
それから――でも、けれど、まだ倒れるわけにはいかず、力の入らぬ躰に鞭を打って。無様にも刀を杖代わりにして、
蓮華もまた、暁に貫かれて粒子となった
「……ああ、動ける。いつものことだ、……ああ泣くな涙眼。支えておいてくれ」
「終幕、よなァ。おい、結界もう解いてもいい頃合だよ」
どのみち限界だろう、駆け寄ることができないのは連中も同じだ。蓮華にはわかる。
「おい蓮華、てめェもっと躰を労わる戦闘を構築しろ」
「るせェ……話せる余裕があるだけマシだろうがよ。妖魔第一位を舐めてンのかお前ェはよ」
お互いに顔を合わせ、しかし手を差し伸べることすらせず、互いにただ立ち――歩く。
行く先は彼らの元ではない。粒子が再び集った場所へ――先ほどと変わりない姿の、しかし明らかに棘の抜けた表情をした柔らかな物腰の天魔の傍へ。
まず、蓮華は蹴り飛ばした。故にバランスが崩れるのは当然のことで、大地に倒れて痛みに悶絶するのも自然な流れだ。
「……! ……!」
馬鹿がここにいた。蹴られた九本の尾を持つ狐は、何が起きたのかわかっていない。
「いッてェ……! おい間抜けなクソ狐、てめェ、ぼうッとしてンじゃねェよ」
「……え? え?」
「思い出せクソッタレ。てめェが、共に在りたいと――そう願ったンじゃねェのかよ」
「あ――」
やはり、自力で起き上がろうとする蓮華を一瞥して、暁は軽く頭を搔いた。
「いいから往けッて。役目を果たせ」
「――、はい」
立ち上がった狐が走って行く。周囲の陰気を振り払うようにして。
「立てるンだろ、馬鹿」
「あー……髪飾りの回収はできそうにねェよな」
狐は。
五木の者に、その男の前に膝をつき、そっと刀に手を触れる。
「私は、ただ――」
ただ。
一人で在りたくなかったのだと、そんな弱音を口にして。それこそが全ての原因であると、そんな自覚を持って尚、それでも。
「――その
彼女は。
「私の名は――
その名を忍に伝えて、解けるようにして消えた。
ゆっくりと、躰を引き摺るようにして合流を果たした蓮華は笑う。まず瀬菜に、そして意識ある者に。
「ご苦労さん。これで一先ずは終いよ。かくして五木が天魔ここのおは元に戻りましたとさ」
「おゥ、ンでもどーすンだ蓮華。帰る方が難儀だろ」
痛くはないのだろうか――愚問だ、痛いに決まっている。彼らは止血すらしていないのだし、この場では手当てもできまい。
――それに、手を貸してくれとも言わないのね。
きっとそれは必要がないからであり、手を貸そうかと問うのも失礼だろう。いつだとて手を貸せるのは余裕がある方であり、上位の者なのだから。
「さすがにこの人数だ、どうする」
医療箱に手を伸ばした瀬菜に微笑みで蓮華は否定した。
「そうだなァ、なんか良い案はあるかよ」
「私たちに訊くとは、傷が頭にまで届いていたかね? 来いと言われて来ただけであるため、方策など何一つとして用意していないのは見てわかると思うが」
「じゃァ、こうするのよな」
蓮華は笑ったまま、小太刀を拾って瀬菜に返しつつ、一度背を向けて空へ声を上げた。
「凱旋だ! 手を貸せよ!」
内部にも傷を負っているだろうに、変わらない張りのある声が夜空へ消え、しばらく間を置いて三人の影がこちらへきた。誰もが驚きに目を丸くし、ただ暁だけがそんなところだろうと思いながら肩を竦める。
「親父殿、それに雨天の御大と都鳥の……」
それぞれの師範は、特に答えずにただ怪我人を背負う。やや小柄な都鳥の老人は意識を失っている
「おゥ暁、手がいるか?」
「はッ、馬鹿言ってンじゃねェぞクソ爺。俺以外の連中をやれッての。つーか
「役目を終えちまった約は昔話だろうがよゥ」
「咲真と涼もとっとと戻れよ」
「しかし――」
「月のおっさん、気絶させてでも運んでくれ。こいつらにゃァ早いッてことくれェわかるだろうがよ」
まだ初老の域にいる、おそらく雨天の老人から見れば若造になる朧月の師範は、小さく苦笑してから当身で気絶させてから背負った。
「おゥ――采配、見事だったぞ蓮華。ただちょいと遊び過ぎだなァ」
「うるせェよ雨の。次からはもっと準備させろよな」
未だに雨の降る夜の
「はは、なァ暁、誤魔化せると思うかよ」
「そいつァ、難しいな。次の顔合わせは何時になる」
「そうよな……たぶん高校入学、半年先くれェよ」
「感謝も文句も疑問も、連中にとっちゃ山ほどあるぜ。そいつを誤魔化すも何も、まァどうにでもなるンだろうけど」
どうしようもない感じもあるだろうがよと呟いた蓮華は、落ちていた医療箱を空けてから苦笑した。あまり役立つものは残っていない。
「よォ、傷の具合はどうよ」
破れた服を裂き、左の脇の付近を強く締め上げながら蓮華が問うた。
「腹部は随分と裂かれてるし、まァ他もいろいろな。今は
天魔が何かを言ったようだが、蓮華はそれを聞かぬ振りをした。あるいは聞こえなかったのかもしれない。
「蓮華はどうなんだ」
「傷か? まあ左腕が骨までイッてる感じよな。足はまァ、擦過傷が酷いよ。あと魔力が枯渇しそうで危ういな……さすがにあれだけデカイ可能性を引き寄せると消費も半端ねェよ」
「そうじゃねェ。いやそうだが、お前は」
「どこまで知ってたのかッてか? そういうお前ェはどうなんだよ」
「雨天は筆頭だぜ、五木の事情くらい一通り知ってたさ。ンでも、雨天は他の武術家の方針や指針に対して助言はできるが、決断したモンに介入できねェ。それが不文律ッてやつだろ」
「ここが五つ目の森ッてのも知ってたのかよ」
「ああ。仕組みも、全部な。――今の俺じゃ四つ目に
それは、蓮華の云っていた高校入学から先のことだったが、当人は苦笑するだけで留めた。
「……まァいい。けどこれも問うぜ? 答えなくてもいいが――お前、代償に何を支払ってやがる」
「……」
「武術家だろうが、魔術師だろうがなんだろうが――まァ詳しくは知らねェが、誰だって人である以上は強すぎる能力の代償を支払ッてる。俺も、咲真もだ……あいつはまァ隠してるみてェだけどな」
「はッ、可能性を予測し続けることッてのは代償にならねェのかよ」
「それだけで済むもんじゃねェだろ」
「それも一つだよ。まァ実際、その辺りは誤魔化しが利くンだが――多くある。細かく、いろいろだよ。それよりもだ――暁、俺ァお前ェの感情を利用した」
「お前と違って、俺は感情が平坦でな。妖魔に対するにゃ強い感情はどうあっても悪く転ぶ。常に平常心ッてなァ……ま、見かけはべつだが」
「ンでも感情がねェわけじゃないよな。今回のこと、全体を俯瞰してみりゃァ結局のところ忍を助けるための策だ。そのためにお前ェらを巻き込んだ」
「そう思っちゃいねェぜ」
「思わなくてもだ、現実としてそうだろうよ。……策ッてな、一定の人数がいなきゃ成立しねェのよ」
「嫌ってンのか?」
「癪だとは思ってるよ。――暁」
「べつに、元から説明はできねェッて」
「できるだろ」
「……お前相手に、上手く誘導されりゃァな」
簡単な手当てを済ませた二人は境内の階段をどうにか上り、山頂である稲森から――
手を借りなくとも、師範たちについて行けば安全なうちに帰れただろう。ここがまだ草去更として成立していれば、どこかに必ず現実の蒼狐市へ至る道が作られている――が。
それでも、蓮華は選択を得なかった。
「なんでお前ェまで付き合ってンだよ」
「迷惑か? 一因を負ったンだぜ、そりゃァ俺だって見納めくれェしねェと割りに合わねェ」
「……やれやれだ。まァべつにいいけどよ」
ずしんと、腹の奥底を貫く地響きがあった。だが地面は揺れておらず、空気だけが震える。
「九尾は五木と共にあり、か」
「おゥ。本当はそのために、五木と九尾が共に居るためにこの場所は作られたのよな、これが。その二つがなくなった今、ようやくこの場所は終わるンだよ」
「終わるンなら、見送ってやらなくちゃァな。誰も知らねェところで終わるなんてのは、存外に寂しいモンだぜ」
「ま、そうよな――」
けれどその終わりは、本当にあっさりしたもので、何がどう変わってしまったのか目に見えるものではなかった。
けれど、その日。
二○三九年八月十五日になった今、草去更と呼ばれていた場所は、終わりを告げたのである。
「さァて、最後の始末をつけるかよ」
「あー、始末になんのかね、あれ」
最低限の処置を終えて、向かう先は稲森の本殿だ。先ほどの余波でずいぶんと崩れてはいるが、しばらく歩いてそちらへ向かえば、そこに。
「よォ」
五木
「へェ、人型のまま安定はしてるンだな。うちのクソ爺も妖怪みてェに長生きだが、妖魔を降ろすンじゃなく、同化しちまうと、こうなっちまうンだよなァ」
「――
いやと、首を振って、彼は言う。
「忍は、無事なのか」
「最初の一声、内容によっちゃァ一発殴ろうかと思ってたンだけどよ」
「また痛みに悶絶だろ、それ。あいつらは無事だ。ンで、無事に終わってる」
「そうか……」
ほっと、安堵と共にふらりと倒れるようにして、彼は、壊れた縁側の傍に腰を下ろし、頭を搔いた。
「そうかあ……生き残ったか、あー良かったなあ」
「お前ェよ、そのザマで何言ってンだ?」
「そうは言うが――いや、まあ俺も忍に殺されたと、そう思っていたが」
「だろうよ」
確実に命を絶ったのは現実だ。
けれど、一つだけ小さな可能性が残っていた――それを、あるいはミスと呼ぶのかもしれない。
忍は、一透流ではなく、一刀流で首を落としたのだ。妖魔と、九尾とほぼ同化し、二尾の
であるからこそ、こうして、九尾が元通りになっても、この男だけが異物として吐き出され、ここに在る。
やや違うカタチとはいえ、一人の妖魔として。
「わかってンのかよ」
「ああ――俺は適当にここで暮らす。あいつらには黙っておいてくれ」
「話せるかッての。なァ蓮華」
「俺に同意を求めンじゃねェよ、クソッタレ。――いずれにせよ、この場はしばらく荒れる。てめェが鎮めろ」
「ふん、やれるだけやるさ。これでも〝大人〟だからな」
言ってろと、蓮華は背を向ける。ただ、暁は首だけで振り返った。
「おい」
「なんだ?」
「クソ爺の出迎えは丁重にな?」
その言葉に、男は盛大に笑った。
さあ――帰ろう。
日常が待つ、表側の世界へ。
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