08/15/00:20――決戦

 六尾の若藻わかもまでは打倒したかと、蓮華れんかは瞳を細めて笑いながら髪飾りを揺らす。随分と魔力を消費して可能性を引き寄せているため、気を抜けば座り込んでしまう程の消耗があるのにも関わらず、態度には一切見せない。

 ――不安がらせても仕方ねェのよな。

 同時に、瀬菜せなの前で不甲斐ない態度を見せることへの躊躇もあった。

 見栄を張っている。その理由に蓮華は気付いているけれど、さすがに口にしようとは思わなかった。

「蒼凰蓮華、九尾を討伐するのでも封じるのでもなく、戦術を構築しているな?」

「おゥ、最悪そうなるけどよ、今ンところは別の意図よな。ちなみに涼、俺のは戦術じゃなく戦略なのよな、これが」

「どう違う」

「違いがわからねェンなら、そこまでよ。いいか涼、戦術ッてのは一撃を与えるために練るモンだよな」

「……ああ、そうだろう。そして一撃が中れば終わるのが常だ」

 将棋で王が詰んだら終わりのように。

「勝敗が決すれば終わりッてェのが浅いのよ。勝とうが負けようが続くのが世よ、ならばこそ戦略は開始から終了までを見通すものだ。歩が取られるのは想定済みだろ? 角換わりだってするじゃねェか」

 将棋で歩が取られたことを不覚に思う場面は少ない。それが序盤であれば当然のように受け止めるし、ならばと逆に相手の歩を取れば良い。それよりも後に飛車を奪った方が効果的だし、飛車を奪うためには歩を奪われなくてはならないし奪わなければならない――と、こうなる。

 蓮華の見ているのは眼前ではなく、常に先だ。そして、それはずっと先でもある。

「ここで勝ちたきゃ、ここにくるまでに負けときゃいいンだよ。負ける因子が残らねェようにしとけば後は勝つだけじゃねェか。それが世の中ってもんだぜ」

 断末魔に似た叫びが空を奮わせる。音の衝撃波を受け止めた蓮華は髪飾りだけを揺らし、次第に消えてゆく叫びを見送った。かつて蒼狐そうこ市を包んでいた霧のように九尾の狐の姿は霞み、落ち着かなくなるほどの静寂が周囲に落ちる――。

「さてと、悉く先手を打てるのはここまでだよ。瀬菜、腰の小太刀を貸してくれ。こっからは必要なのよな、これが」

「あら、扱えるの?」

「お守りッてやつよ」

 暁と咲真が合流したため、一八○秒くらいは休めるぜと蓮華は伝える。それから小太刀を受け取り大きく息を吐き出しながら頭を掻き、ようやく深い瞬きを二度ほどした。常時未来を予想し続け、的確な方向へと導けるだけの手を打ち続けていた蓮華もいくらか疲労しているようだった――と、誰もが思っただろう。

 あかつきだけは、何かを言おうとして黙る。

 空から、完全に狐の姿が消えた――。

「次は藻女みずくめよな」

 蓮華が呟くと、だろうなと暁は頷く。その姿に疲労は見られないが、疲れていないわけではないだろう。この瘴気の中を動き回り、更には攻撃に際して呪術による強化も施していたようだが、それでもまだ暁は良い方だと判断する。

 問題は、ここからだ。

「残る封はいさかいを除いて石杖いしづえ五木いつきか? どっちが先でも同じだな。……あれ、そうだろ蓮華」

「まァな」

「しかし、九尾は金気の妖魔だというに、割に水に関する名が多いのだな」

 一ノ瀬いちのせもそうだと、咲真は一瞥を投げたようだが、そのアイウェアのせいでわからない。

「――木を育てるためにゃ、どっちも必要なのよ」

 蓮華は言う。

「伐採は時に選別だが、それでも他を育てることができる。陽光は日中にあるものだ、あとは水だろ。――昔は、どこにでも土地ッてのはあったンだしよ」

 だがそれは、その役目は妖魔ではなく――神仏に近い天魔の役割だ。

「ならば――九尾は天魔から妖魔に堕ちたとでも言うのかね」

 蓮華はそれに返答しなかった。

「んー……どうでもいいけど、遅いぜ。躰が冷えちまう」

「クールダウンしちゃ元も子もねェよな。まァ気温自体はそれほど低くはねェけどよ」

「それに加えて、ほら見ろ、雨が降ってきやがった」

 口調とは裏腹に、暁は嬉しそうに笑っている。

「こっちからいけねェのか?」

「距離が離れると余波の計算が厄介なのよな。――おい暁、ちょっと呼んでみろよ」

「やれやれ……。おーい藻女ー、早くこいよー」

「……何かねそのやる気の削がれる呼びかけは」

「しかし距離が随分とあるだろう。移動には時間を要するはずだ」

「あ! そうか! 藻女ッて幼いンだろ?」

「おいまずいッ――暁の幼女センサーに触れたよ!」

「まずいな……」

「いや、先も言った通り冗談で気を削ぐなと…………本気かね!?」

 死闘を繰り広げる戦場での会話ではないだろうにと、瀬菜は苦笑する。後になってほとんど初対面同然だと知らされて驚くが、現状では付き合いの長い友人にしか見えなかった。

「本気で悪かったな――じゃねェだろ! いくら俺だって妖魔や天魔はべつだ! だいたい幼女じゃねェし! 小柄な子が好みなだけだ! 更に言えばちいせェから移動に時間がかかるッて話をだな――うおっ! 雷落ちてきた俺の真横だ真横! 馬鹿にしてねェから足が短ェとか!」

 真横を狙った落雷も落雷だが、どうして天災を回避できるのだろうかどうかが激しく疑問だった。雷は金気に近く、また水を伝いやすい。かつては九尾も雷を纏っていて火を放ったとも言われるし、どこまでが事実なのかはさておき、そういうことだろう。

「――ッと、いけねェ。おい咲真、涼、お前ェらも結界の中に入っておけよ」

 蓮華の言葉に、しかし二人は答えられない。額に浮かぶ脂汗を隠すこともできず、奥歯を噛み締めて姿見えぬ威圧に耐えるので精一杯だ。

 忍はそれを知っていた。

 知らぬはずがない――だからこそ、封じようと思っていたのだから。

「心配すんなよ忍」

 気軽に、その想いを感じ取った蓮華が笑いながら言う。

「何がどうなろうと、こりゃァ俺の責任よ」

「――けれど、そうであったところで私は看過できません」

「だよな。――同様に、お前ェのやろうとした行動も、ここにいる連中は看過できなかったのよ。だからここにいる。……咲真、涼、苦労をかけた。こっから先は自分の身と忍や瀬菜を守るためだけに費やしてくれよ。いいか? 拒絶系の結界を重複ちょうふくで張って、中から決して出るな。まァ俺が手を打った囲いもあッから大丈夫だとは思うけどよ」

 いや、おそらく出られまい。明確な殺意と敵意を直截されているのだ、恐怖で死んでもおかしくはない状況である。

 だが、何故蓮華は? 暁は?

 二人の肩を押すように結界に入れた蓮華は苦笑して肩を竦める。

「俺は、まァいろいろとあるのよな」

 その疑問視に蓮華は苦笑して答え、暁は何のことかと思ってすぐに。

「ああ、慣れだぜ。俺ァあれ以来だ。なァ、こいつ、俺の天魔の涙眼るいがん、こいつと直接対決してッから」

 雨天家が天魔第一位〈百眼ひゃくがん〉が一眼ひとつのめ、水に類する涙眼のことだろうとわかり、忍は痛みを堪えながら熱い吐息を落とす。

「忍、耐えて見届けろよ。それがお前ェに残った責任だ」

「ええ」

「よし。おゥ暁」

「馬鹿か蓮華、俺もそこで観戦しろッてか? 縛り付けたって聞きやしねェぜ」

「――そういうお前ェが馬鹿だよな」

 一歩、いや三歩――そこにいる誰よりも前に出た二人は、小さな足音を立て、その数倍は強い威圧感を纏いながら近づく相手を目視した。

 これから七五三でもあるのだろうか、と疑いたくなるようなおかっぱの少女は花柄の振袖を着て、どこか落ち着いた瞳でこちらを見る――否だ、それは睥睨に近かったと思う。

 その視線に射すくめられ、呼吸を停止させられるような錯覚――しかし、瀬菜がいる場所にまでその威圧感は届かない。涼の張った結界があるからだ。

「何故来ぬ」

 藻女はひどくご立腹のご様子だった。

わたしが久方ぶりに戦だとわくわくしておったのに……何故こちらへこなんだ無礼者」

 放たれた声が強い――それは蓮華の髪飾りを、不自然に揺らすほどであった。

「……なァ蓮華」

「ンだよ暁」

「いやあれ……藻女すっ飛ばして玉藻じゃね?」

「でも幼女だぞ幼女。つーか藻女と玉藻は、後になって名前を変えただけで同じなんだからよ」

「何を話しておる! ……む?」

 完全に顔が見える位置、およそ六歩の距離まで近づいた彼女は首を捻る――近すぎる、その威圧は結界の中にいる四人が呼吸を忘れるほどのものだった。

 届いていないはずなのに。

 ただ見ているだけで、脂汗が出てくるほどで。

 ぽたぽたととめどない汗が流れ落ちるのにすら、彼らは気付いていない。

 心臓を握りつぶされる一歩手前のような感覚。あるいは首を噛み千切られる瞬間が永遠に続く――そんな印象を夢想してしまう。陰気に中てられたと表現すべきなのだろうが、しかし彼らの元には届いていない。届いていたら気絶している二人はもっと危険だ。

 だとしたら――どうなのだろうか。

 それを受け止めている二人は、なんなのだろう。

 ただ忍は思う。この九尾を封じていられたのは、それこそ奇跡的であったのだろうと。

「ほう、主ら――真逆まさか葬謳そうおうの者と雨天の者ではあるまいな?」

「あッれ、なんでわかるんだ? この野郎は青いからともかくも」

「逆さに吊るされてェのかよてるてる坊主。あ、逆さで合ってンのか雨だから。いいか暁、あいつは言外に、お前ェッて家系の血筋によく出る顔だよなッて言ってンのよ」

「てめッ――おい藻女誰があのクソ爺とそっくりだこの野郎!」

「おお、懐かしいのうそのやり取り。千年も前と同じぞ。子孫よな、その面構えは忘れんぞ。葬謳の者に飲まされた苦汁の味は余計に新しいのう」

 言葉はともかくも、彼女の顔には笑み――いや、声を立ててすら笑っている。人と違って度量のある妖魔だ。

「ほう、雨天の者は知らぬか。なあに――この土地で五木の者に封じられた時分に、采配を執ったのが葬謳の者というだけのことよ。今代の主らはどうか知らぬが……妾まで引き出した手際、見事だった。もっとも、妾が見るに、やや〝違う〟ようではあるがの」

「そうかよ。――俺ァてめェじゃなく九尾あいつに用があるンだよ。相変わらずまだくすぶってンのか?」

「ほうほう、ほう、まるで見てきたかのように言うの」

「過去は領分じゃねェ――こんなもん、予想すりゃわかるッてンだよ」

「く――かかか! 妾から見れば同じよの、かつてと同じ台詞を聞いたわ」

「へへッ、馬鹿にされてやんの」

「そこでお前が胸を張る理由は一体なんだよ? 死にたいのかよ?」

「あれなんで死亡に直結!? おい藻女、この青色ポストすげー冷血漢なんだけど!」

「知らぬわ」

 物凄く冷たい視線を送りながら、彼女は扇子を取り出してぱたぱたと顔の付近を仰ぐ。

「さて後ろの連中はなんぞ、随分疲れているようだのう。最近の若者は皆こうなのか?」

「てめェの相手は俺と暁で充分だってンだよ。あいつらは高みの見物だ。やるこたァ一つ、てめェを退けてあいつを出す。――それだけよ」

「ふむ。――面白いのう」

「一応は第一位妖魔なんだよなァ、こいつ……」

 やることは決まったのだと、彼らは戦へと赴く。それが取り決めのように、――それが望みであるように。

「さァ、白黒つけるのよな」

「だな」

 二人はお互いの拳を一度だけ重ね合わせた。

「暁、構わねェよ――討伐するつもりでやれ」

「おゥ」

 その様子を、藻女はどこか嬉しそうに――それでこそ葬謳と雨天の者なのだと認めるように、腕を組んで見届けた。

「こういう時は名告るのが礼儀なんだぜ。蓮華はともかく俺は武術家だからな」

 どうせ背後の連中には聞こえまい。ならばこそ、名告りは相手へ向かう。

雨尭うぎょう一心いっしん他門たもん非派ひは天宴てんえん枯律流こりつりゅう全統術ぜんとうじゅつ七代目、雨天降うてんこう紅月あかつき

 さて、始めよう。


「――参る」


 合図と云えば、それはきっと一つの合図だったのだろうと思う。

「涙眼!」

 嬉しさに口が歪むのを抑え切れずに叫びを上げたかのような暁の声は上空に向けて、そこにいるだろう自身の天魔に向けて放たれた。空から降り注ぐ雨に乗るように、雨脚を強めながらもうっすらと見えるのは暁の背中に被さるよう出現し、やがて薄れ消えていく和服の女性は、周囲にたっぷりと水分を振りまいて。

「ほう、ほうほう」

 その水気が、藻女みずくめが放っていた威圧感の悉くを弾き返した。

「そやつ〈百眼〉の系列に在る天魔よのう――久方ぶりに逢おうても、妾の姿を覚えてはおるまい。――む」

 そうして、藻女は蓮華れんかがいつの間にかいなくなっていることに気付く――だが背後にいた者は、水にぬかるんだ大地を蹴る足跡だけを視線で追えている。それは高速移動なのか、あるいは何かの術式なのか、見当はつかなかったけれど。

「どこ見てンだァ?」

 側面からの声に振り向き――いない、背後へと振り払った扇子が暁の居合いを受け止めて弾く。その流れで扇子を縦に軽く振ると、そこに生じた〝切断〟という事象が呪力によって強化され――それを暁は真横に飛び跳ねることで回避した。

 その背後、石を切り裂き木を切断し――草去すらをも切断するかと思われた力はしかし、道程半ばにて停止する。少し加減をし過ぎたか、それとも強くし過ぎたか、どちらに迷ったのかはともかくも藻女は小首を傾げてみせる。

「遅いのう」

「そうかよ」

 低い体勢で滑り込んできた蓮華が振るう小太刀を、上半身を僅かに逸らしつつ、その小さな指が軽く抓んで勢いを完全に殺し――気付いた時には遅く、左手で小太刀を振り上げながらも更に踏み込みを見せた蓮華は二手目で確実に藻女の胴体を蹴り飛ばしていた。

 蹴り飛ばした方向は真上、迎え撃つは上空での居合い――抜刀、〝崩落ラッカ〟だ。

「――ッ!」

 最大効果範囲で命中した居合い。鞘を握っていた右手が鍔を弾くのと同時に空を泳ぎ、命中後に藻女の手から離れた小太刀を回収――背後、暁の襟首を引っ張るようにして空中で移動の助けをする蓮華と間合いを取ってから着地。

 背後に放り投げられた小太刀の落下地点まで暁の肩を足場にバックステップを踏み、頭上でそれを受け取った蓮華は――笑った顔のまま、往けと声をかけるのでもなく、藻女が落ちて埋もれた瓦礫へと向けてその切っ先を示した。

 足元に一円、更には未だ鞘中にある刀の鍔と柄にそれぞれ二円――合計の三円の青色、水の術式紋様を展開した暁もまた、口元に苦笑とは違う笑みを浮かべながら藻女が出てくるだろう地点に向けて居合いを放つ――雨が、水が、その斬戟の巨大さと強さを彩って軌跡を描く。まるで大きな湖の表面だけを切り取って展開したような錯覚が。


 しかし。

 刃物に水を当てたように――ぱしゃんと、水は一点で弾け飛んだ。


 ――冗談じゃねェな。

 それは藻女に対してではなく、横に並んだ蓮華に対しての感想だった。

 対峙した時から、それは悪魔の誘惑のように暁の胸の内に浮かんでは消えていたのだ。それ自体を否定はしない。

 この青色と、対するのではなく共闘したのならば――とても面白いのではないかと。

 確かに観客に徹している武術家の涼、忍、咲真の三名には連携が取れていると思っているだろうが、実際に横に並んだ暁の見解は違う。

 これは連携を取っているのではない。

 取ってもらっているだけだ。

 蓮華の一手は暁の一手を誘導するものであり、続く行動を決定させるためのもの。短い攻防であったものの、まるで暁の思考を全て読み取っているような感覚があった。だが現実には、ただ、動かされているだけだ。

 暁が駒なら蓮華が指し手で。

 ――その境界線は決して越えられないほど深く、共に闘うことなどできるはずがない。

 暁の領域まで蓮華は階段を下りてきているに過ぎないのだ。

 だがそれでも。


「侮り過ぎたか――」


 暁は。

 ぞくりと背筋に悪寒が走るのを感じた暁は、嫌悪よりもむしろ楽しさに滾りを覚えた。

 そう――これだ。圧倒的な危機、絶対的な恐怖、こういう感覚をたまには味わいたかったのだ。そして何故、使われるのがこうまでして喜ばしいのか。

「――かつてと違うとはいえ、葬謳そうおうに雨天だったのう」

「おゥよ」蓮華は肩を竦める。「その場から動かず、しかも藻女の状態でやろうッてンだ。少しは尻に火がついたかよ」

 瓦礫を押しのけて現れたのは幼女ではなく、成人女性。先ほどよりも声色が落ち着きかつ、着物も白色に朱といった模様で瞳が鋭く絞られている。

 そして。

 その尾は――八本、揃っていた。

「はッ、お色直したァ余裕じゃねェかよ」

「風狭を二分した御大のお出ましだ――いいね、こりゃいいぜ。八尾、玉藻たまもか。一つ間違えりゃ幻想種ファンタズマにも匹敵する妖魔だ。元服前の花火としちゃァ最高級だ、なァ!」

 二人は、決して無傷ではなかった。

 蓮華の右足は藻女を蹴った時に負傷したのか、膝から下の衣服は裂け崩れており、また靴もなく素足。左の靴もどこかに脱ぎ捨てたようだ。暁にしたところで平然とはしているが左の手首付近が赤く腫れ、柄を持つ手は僅かに痺れて振動している。

 妖魔とはつまり、呪力の塊のようなものだ。彼女の属性は金気――文字通り木に限らず、あらゆるものを切断する金属に当たる。いくら術式で強化しようとも、それで無事に行ける相手ではない。

「暁、時間が迫ってンのよ」

「おゥ、説明はできねェけどわかるぜ」

 そろそろ、草去そうこの妖魔があふれ出してもおかしくはない頃合だ。

「それによ、長引かせると瘴気を土地が喰う。元よりここは五つ目の森よ、瘴気との相性は良いのよな」

「よし。――おい玉藻、とっとと終わらせようッて話が纏まったンだが良いか?」

「暢気よのう。妾としてはしばし楽しみたいものだが――ほう、そうじゃの、こういう時はこう放つべきか」

 扇子で隠していた口元を顕にし、その紅を楽しみに歪めて彼女は言う。


「――では終わらせて見せよ」


 並んだ暁が一歩前へ出たのか、蓮華が後ろに下がったのかはわからなかった。きっとそのどちらでも正解だろう――ただし、蓮華の右手が暁の袖を僅かに引くような動作をしたので、あるいは止めようと思ったのかもしれない。

 今までで最も速く――踏み込みによって速度を軽減させない竹割りの一刀はしかし、居抜かれることもなく扇子によってあっさりと切っ先を動かされ、地面に当たる寸前、玉藻が手首を返し扇子の先端をぽんと暁の胸に当てた。

「――」

 躰が自然に動くような感覚はもう何度目だろうか――躰が覚えていることに意識は追随するものであるが、この戦闘に限って云うのならば意識が反応するよりも躰が、躰が反応するよりも早く行動に移っている。しかも違和感なく、そうすべきが当然で――否、そういう行動に至ることが既に決定されているように。

 攻撃はただの攻撃でしかない――上半身を動かし完全に玉藻の腕が伸びきるまで支点をずらしてやり、その勢いを殺さず右足を振り上げた。

 ――俺ァ駒として誇りでも持ってンのかね。

 単一の攻撃は、ただの攻撃だ。捉えられない速度、破壊を確約した力、その二つが揃っていたところであたらなければ意味がない。故に攻撃と防御、あるいは回避や偽装を混ぜ合わせて戦術を組み立てる。最終的にしろなんにしろ、有効的な一撃を与えるために。

 ――ンでも蓮華の采配がこうなら、俺ァ乗るまでだ。

 右足が狙うのは腹部でも顎でもなく更に上の瞳――ゆえにそれをと云う。

 そして戦略とは、その戦術を組み立てたものであると暁は知った。多くの手段は戦術となり、多くの戦術を戦略とする。

 だとすれば暁は戦術しか考えられない。だから戦略と呼ばれる流れに身を委ねる。

 右足が玉藻の視界を奪ったのはおよそ二秒――直後、暁は扇子の一点に集中した呪力による砲撃を腹部に受け、およそ二百メートルほどを一気に吹き飛ばされた。

「暁!」

 途中でバウンドしなかったのは幸運だが――しかし。

 ――はッ、わざとらしいぜ大根役者。

 喉の奥で笑うよりも早く、暁は背中に強い衝撃を受けて瞬間的に視界が真っ白になった。


 舌打ちを一つ、抜き身の小太刀を右手にまるで今から武演を見せるかの如き体勢を取った蓮華は未だ玉藻の間合いの外に位置していた。

 切っ先を地面に落とすよう逆手で、しかし右腕は真っ直ぐ伸ばす。左足を前へと踏み込み腰を落とし、左手は刀身を撫でるかのような位置に添える。視線は玉藻へ。

「……」

 しばし暁の飛んでいった方向へ意識を飛ばしていたが、身動きがないことを確認したのか玉藻がこちらを注視してしばし思考の間を置いた。記憶にあるかどうかはさておき――両足で地面をべた踏みの構えは、先の先を取る狙いがない。おそらく防御に回るためのもので。

 時間稼ぎ、という結論に至るまでに時間を要しなかったが、しかし。

 ――本当か? と疑問が浮かんだ。

 短期決戦とうたいながらも愚直なまでの最速の居合い。搦め手でもない、まるで通じないとわかった上での攻撃にしか思えなかった。えて一撃を受ける意味を玉藻は見出せない。手ごたえは十分だ、死んでいなくても無事では済むまい。

「ふむ」

 とはいえ疑惑に囚われるのはいけない。どのみち打倒し尽くせば結果は変わらないのだから、そこに迷いを生じる必要性は皆無――だから。

 だから、此度こたびは玉藻から接近戦闘を挑んだ。

 遠くで、瀬菜が驚きの声を上げる。

「あれは一ノ瀬流、桜花の舞――」

 左右にそれぞれ扇子を広げ接敵した玉藻と蓮華は攻撃と防御の応酬をする。お互いに舞うよう、足元で円を描くようにしての接近戦闘は、容赦もなく金属同士によって火花を散らす――本来や刃を合わせることを避ける武術家らしからぬ攻防だが、蓮華はそもそも武術家ではないし、直接的にぶつかるのではなく受け流す際に力がかかっているため、刃毀れをするわけではない。

 冬場の風鈴を夢想させられた。

 時折吹く風に思い出したよう涼しげな音色を奏でる夏場とは違い、冬場の強い風に揺すられて忙しなく音を発する風鈴のように、火花に合わせるようにして澄んだ音色が響き渡る。

 ただその音が美しくて、眩しくて、一撃毎に発生する衝撃波が大地を抉り、倒木を壊し、未だ境界線でなんとか保たれている結界を激しく揺らすことに意識が向かない。

 いつまで続くのか――魅入っていた彼らの中でそんな台詞を漏らしたのは瀬菜だと思う。彼女自身も自覚なく、独り言のようにぽつりと漏れてしまっただけで、その声が耳に届いてからはてと首を傾げるほどだった。

 五分。

 厳密にはわからないけれど、それくらいだと思う。高速とはいえ桜花の舞は演舞として身につけるものであって実際戦闘で舞そのものを使うのは珍しい。それでもとうに三度目の繰り返しに入っているし、体感時間でもそれくらいだった。


 それくらいで、蓮華は思い切り弾き飛ばされた。


「――ッ」

 防御を強引に破る攻撃は捌く暇を与えられず、手から離れて行った小太刀の行く先を見定めることもできない。右腕を跳ね上げられた無防備な体勢へ扇子が真横に動いてくるのがわかる――右から左へ、こちらの首と胴を切断する動き。

 ――おいおい、さすがにそりゃァまずいのよな。

 だから自由に動く左手を右方向へ向けつつ躰の位置を変え、

「ぐッ……!」

 力が左腕と激突し吹き飛ばされる。切断の力を逸らしたために腕が千切れることはなかったが――飛距離の予想、まずい、遠い、くそッ!

 左腕の激痛を無視して右手の袖から、先に暁の袖から引き抜いていた五本の飛針を取り出し、まとめて掴む。それを大地に突き立てて柱に見立て勢いを殺す――殺す――勢いを殺しきった辺りで握力の限界がきて手放す――距離は。

 玉藻と蓮華の距離は、およそ十五メートル。なんとか――。

「なったか」

 右腕の肘辺りを使って躰を起し、蓮華は笑う。――いつしか髪飾りのなくなった髪を揺らしながら。

「往けよ」

 言う。

 震える躰を起しながら、倒れそうになる躰を留めながら。

「往け!」


 彼らの眼前に落ちた瀬菜の小太刀は、どういうわけか大地に突き刺さった。思わず手を伸ばそうとする瀬菜を忍が片手で押し留め首を横に振る――今、少しでも結界の外に出たのならば死を意味するのだと言外に伝えられ、どうすべきか迷ったが顔を上げた。

 蓮華はどうにか間合いの中にいるが、見える限りでも満身創痍で立ち上がることすらできないように思う。

 何かを口にした。短い単語だ、唇が震えながら言葉を紡いでいる。

 もう一度何かを言った。やはり短い――。


「往け!」


 それが、明確な言葉となって放たれた時、彼らは気付く。

 突き刺さった小太刀の前に、無傷の男が立っていることに――。

「な」

 言葉が出なかった――出るはずがない。絶句の単語は咲真が、そして弾かれたように涼が叫ぶ。

「馬鹿な! 四神ししん鏡遷かがみがえしだと!?」

 そう――暁は今、四人いた。

 玉藻を中心にして瀬菜の小太刀、暁が目隠しをした時に投げた蓮華の髪飾り、飛針の柱、そして暁が飛ばされた最中に落としておいた刀の鞘――その位置に、立っていた。都鳥が得意とする結界の応用、風の鏡によって実体を分裂させて写す――まるで鏡の向こう側から引っ張り出したかのような現象を、都鳥は曰く、奥義と前置し四神の鏡遷しと云う。

 瞳を閉じて集中する暁の足元には二重になった術式紋様。ただし色は青というよりも淡く、白に限りなく近い色になっている。

 瞳を、開いた。

 ゆらりと流れるような動きで正眼から上半身を僅かに引き、右足を前へ出して半身になり肩の上で切っ先を玉藻へと向ける、その構えは。

 忍が、応えた。

「五木一透いっとう……七節の〝山茶花さざんか〟……?」

 遠距離で一振り――上段からの振り下ろしで衝撃波を飛ばし、それに追いついた暁が同じ構えからもう一振りを玉藻に打ち付ける。単純かつ明解な攻撃とされるこの山茶花には、攻撃を中てる確固たる意志と行動が伴っていて。

 一撃目を弾かれ、隙間を縫うように二人目が水平薙ぎ、三人目が逆袈裟と違う動きで攻撃を繰り返す。何よりもその速度、どういう〝技〟になっているか、皆目見当もつかないが、攻撃を〝終えた〟姿勢の暁が出現しているようにしか見えない。

 だが、それすらも。

「煩わしい――、――!」

 四人の暁を両手を広げ旋回するように打ち払うと、その衝撃で四人が四人とも――鏡が割れた時と同一の音を発して消えた。

鏡遷し、つまり鏡に映ったもう一人。

 その四人の中に本体がいないことを、都鳥涼ですら見抜いてはいなかった――そう、術式の触媒なら、本体ならばもう一つあるだろう?

 五月雨さみだれと銘が打たれた、その刀を持つ本人が。

「四神……いや、五神か!」

 四方を司る朱雀、玄武、白虎、青龍を四神と謳うが、中央に黄龍がいるからこそ五行の理となる。だからこそ暁の行ったものがある意味で正しく、そして難しいだろうと涼は思う。原点だ、とも。

 背後ではなく正面――元来よりも大きく足を広げ、右足の踏み込みが玉藻の裾に軽く当たる。体勢は低く、顔は彼女の腰付近に位置していた。

 弓のように引き絞られた躰は赤く――赤黒く、袴は血に塗れている。

 今にも背中から倒れそうな絶妙のバランスで、強く柄を握った左手は切っ先を玉藻前に狙いをつけ外さず、右手は刀の柄尻つかじりに添えられていた。

 それを、咲真は知っている。

「朧月槍術、一ノ極意――〝槍〟、だと……!」

 槍術の極意に曰く、貫かぬ槍はなし――ただの突きこそが最高にして最大の極意であると謳う、それを暁は行った。

 故にたがわず、下腹部から背中までをも水に濡れた刀が貫いた。


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