終わりの先の日常へ

08/19/06:00――久しぶりの我が家

 明るいなァと、久しぶりの下界――いや、世界の陽光に眩しさを感じながら、自宅の門をくぐる。足を動かすたびに、ぱりぱりと血で凍った袴装束が音を立てるのも気にならない。

「ただいまッと……あーなんか騒がしいなァ、おい」

 そのまま母屋の玄関を開いて中に入れば、すぐに発見された。

「あんれ、雨の。帰ったんけ」

「……?」

「おい雨の、なんじゃち」

「あ、いや、随分と久しぶりだが山の。一ついいか?」

「うちがここにいるんは、まんだ五木のがいるし、一応世話係として咲真さくまが押し付けてん」

「ンなこたァどうでもいい。じゃなく、――侍女服、いいな」

「おおう、わかるんけー。みやのより目があるのん。可愛いじゃろ?」

「ああいいな。侍女服、いいな。中身はともかく」

「こんクソ野郎――」

「糸を展開すんな山の、めんどくせェ。風呂空いてるか? つーか、なんで自宅に来てンなこと確認しなくちゃならねェンだ……」

「空いとるけんども」

「風呂。んで、たぶんすぐ寝る。あー、ほかの連中には気を付けろと言っておいてくれ。――溺死されてもかなわない」

「さよか」

 自室の戸を開き、タンスから寝間着を取り出した暁は、欠伸を一つ。

「あー、さすがに眠たいなァ……」

「あほやろ。森、逆手順やってんな」

「四日くれェな」

「あほだー、あほがいるー。ばーか、ばーか。――今度はうちも誘ってなあ」

「お前のが馬鹿だろ」

 あんな状況、望んでやるなんてのはこいつくらいなものだ。ああいや、武術家としては正しいのかもしれないが。

 風呂場に向かって、さて入ろうかと思えば、そこに。

「あれ?」

「おー、忍の妹か。今から俺が入る」

「どぞどぞ」

「ん。――調子は?」

「絶・好・調!」

 飛び跳ね、左を向き、最後にはこちらを指すようにしてポーズを決めた。

「元気だな」

「うん。あと舞枝為まえなね」

「おう……忍もいるだろ」

二ノ葉にのはもね」

「あー、一ノ瀬ンとこの妹か。姉ちゃんはどした」

蒼凰そうおうさんとこで厄介になっている」

「――ああ、そういうな。ところで、なんで巫女服なんだ?」

「今これしかないの。神社じゃずっとこれだったし」

「巫女服、いいな」

「そお? 普段着に近いんだけど」

「いいぞ巫女服」

 服を全部脱いでも、舞枝為はそこにいたが、無視して中に入ってすぐに、シャワーを浴びる。固まった血を洗い流せば、すぐに新しい血が出てくるが、和装の女性は傷口を一つ一つ、撫でるようにしていく。顔を見れば、いつものように涙目で、ぐずぐずと泣いている。

 わめかないだけ、いつも通りだ。

「悪ィな、涙眼るいがん。一日眠るから、よろしくな」

 だが、それでも。

 ――まだ。

「……足りねェと、そう思っちまうのが、いけねェなァ?」

 風呂場の鏡に手を当てて、曇った表面を拭えば、笑っている自分が映っている。

 ――足りない。

 まだ、戦い足りない。

 何故なら暁は、五体満足だ。腕が千切れてもいない、疲労ばかりが積み重なっているだけ。

 相手が、相手だ。

 未だ暁は刀を持ち、――それを捨ててまで挑むことすらなかった。

 何が足りない?

 楽しみだ。

 愉悦と言っても良い。

 命を賭けているあの感覚が――。

「……と、まァ、お前との一騎打ちを思い出すくれェには、やれたッてことか」

 ぐしぐしと涙眼の頭を撫でてから、風呂を出て着替える。あとは寝るだけだ。

「――暁」

「おゥ、忍。帰ったけど俺ァ寝るぜ」

「聞いています。私も、VV-iP学園の理事長の椅子があるので、そちらの仕事にも手をつけようかと」

「ああ、そういやそうだったなァ。俺も蓮華も、そこに進学だから、よろしくな。ンでも、今すぐじゃねェンだろ?」

「そうですが……」

「じゃ、りょうに連絡して、明日にはうちに来るよう言っておいてくれ」

「――は? 何故です?」

「相手がいなきゃァ鍛錬も詰まらんだろ――ああ、うるさい涙眼、説教始めるな。俺にとっちゃァこれくれェじゃねェとな。どうせクソ爺もいねェし」

「はあ……まあ、連絡くらいはしておきますが」

 んじゃ頼むと、暁は自室に戻り、布団を敷いて横になってしまった。

 ――瞬間。

 意識が落ちたのかどうかわからなかったが、一瞬にして膨れ上がった水気に、忍は呼吸を止めて一歩、二歩と暁の部屋から遠ざかった。

「――く、は……はあ」

 なんという水気だ、人が持つものとは思えない。滝つぼでも、もう少しはマシだと思えるほどの水が、暁の部屋を中心にして溢れている。

「……忍さん?」

「え、ああ、二ノ葉。暁が眠っているので、できれば近づかないように」

「うん……私、白色の人って初めて見たかも」

「――白、ですか?」

「そう、暁さん。ちなみに、何色にでもなれる白って感じ」

「なるほど。そういえば、二ノ葉が逢うのは初めてでしたね」

 視線で誘導して縁側へ向かい、二人は揃って腰を下ろす。

「戻ってきましたね――」

「気を失ってたし、よく覚えてないけど、うん、良かったと思っていいのかな」

「蓮華の方が心配ですが」

「あーうん、一通り聞いたけど、まさかなあ……。でも、あんまりここで厄介になるわけにも、いかないよね?」

「ええ。学園に問い合わせたところ、寝泊まり可能な教員用の宿舎が空いていましたので、手配だけはしておきました。しばらくはそこで生活しましょう。舞枝為も連れて」

 そこでタイミング良く、紫月しづきがお茶を持ってきた。

「はいよ」

「ありがとうございます」

「気が利くんだもんなあ、紫月さん」

「そやろ? それなのにあんクソ野郎、うちの服が似合ってるとも言わへん。涼と一緒で目が悪いがー」

「えー、紫月さん、すごく似合ってるのに」

「あとな? 言うてへんかもだけど、うちと二ノ葉、同い年じゃけん」

 あんぐりと口を開いて硬直した。中身を知ると余計に不思議になるのだが、云わぬが花かと忍は苦笑するにとどめた。

 そのタイミングで外で車が停止し、こちらに顔を見せたのは咲真さくまだ。いつも通り、黒色のスーツでありながら、槍は手にしていない。

「なんだ、縁側に揃って、どこの老人だ?」

 この時点で既に、急須から空いた湯呑にお茶を注いでいるのが紫月である。というか、空いた湯呑を六つも用意している時点でどうなのかと。

「暁が帰宅しました」

「そのようだな、随分と強い水気がある。我ながらタイミングが良いことだ」

「咲真さんはどうしたの?」

「紫月がいなければ、下着の位置もわからず困っているところだとも」

「えー……?」

「冗談だ。さすがに私もそれくらいはわかる。困っているのは、せいぜい、珈琲しか淹れられず飲み物が固定されることと、外食ばかりになることと、埃が溜まることくらいだとも」

 駄目人間を宣言したようにも聞こえるが、紫月は気にした様子もなくお茶を手渡した。

「言っておくが紫月を回収しに来たのは事実だ」

「うん? なんかあったんけ?」

「雨のがな、お前がいると帰れんと文句を言ってきたのだよ」

「なんじゃー、雨の戻らんがー……」

「こいつは、九尾とやるなら、どうして誘わないんだと私に文句を言っていたくらいには、腕に覚えがある。仕方がないと相手をしてくれるのは、せいぜい暁くらいなものだろうな」

「あー、雨のせがれなー、あんクソ野郎」

「どうかしたかね」

「女の扱いが涼と一緒で下手だべ」

「そうかね? あれはあれで、侍女服は好きそうだが」

「服だけ好きやねん」

「――あ! 咲真じゃん!」

「おお、なんだ舞枝為、元気そうだな。……うむ、やはり巫女服は良い」

「元気だよー。いろいろ考えるのが面倒になって、すげー前向きになった。目指せ一人暮らし!」

 面倒になった。

 それだけで、忍の一撃すらも、しょうがないでしょ、の一言で済ませるのが、この五木舞枝為という女である。負い目を抱くのが馬鹿らしいとは思うものの、忍としてはそう簡単に割り切れるものではない。

「ところで忍、狐はどうしている」

「少しお話をしましたが、落ち着いているようです。今はここのお様よりも、玉藻たまも様の方が表に出てきており、百眼ひゃくがん様と飲んでいますね」

「かつて世界を二分したとされる天魔の御大が二人、か……」

「うちの天魔の愚痴、なんでうちに言うんかようわからへん」

「紫月、それはお前の天魔が悪い。この私ですら逢いたくはない手合いだ――いや、忍が落ち着いているようならば問題ないとも。これで私も日常に戻れるわけだが、しばらくは私にも手伝わせろ。今から理事長の仕事とは、やることが多すぎるだろう?」

「――ええ。できる範囲だけで構いません、よろしくお願いします」

「うむ。……こう言ってはなんだが、安心したよ。さあて、――これが問題なのだが、ここに青色がいないのは、どういうことかね?」

「そういえば、雨の倅も言うちょらんかったのん」

「あれが簡単にくたばるとは思えんが、しかし、大丈夫かね」

「なにか問題がありましたか?」

「いやな、瀬菜の様子を見に――巫女服の発注先を教えてもらうために顔を見せたのだが、蓮華の姉というのがいてだな……といっても、兄の嫁らしいのだが、妙に嬉しそうに墓石のカタログを見ていてな?」

 うむと、頷く咲真の額に僅かな汗。

「青色ポストここに眠る――と墓標に刻み、墓石の色を青にしたら笑えるんじゃないかと、こう、注文をだな?」

 沈黙が落ちたので、しばらくしてから、咲真は咳ばらいを一つ。

「ともかく、帰宅の準備をしたまえ、紫月」

「わかったがー」

「お前たちは、雨の御大が顔を出してからにするといい」

「ええ、家主に挨拶はしなくては」

「家主は別にいるだろう?」

「そちらには改めて、お酒の差し入れを」

 そう言って笑う忍には、かつてとは違い、終わりを自覚した諦めの雰囲気がない。だからこそ、咲真は良かったと思う。

 結果として、良かったのだろう。

 この結果を出した本人は、今、ここにはいない。


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