08/14/13:50――迂闊だった一言

 五木いつきしのぶという男と、自分との関係を説明しろと言われたら真っ先に朧月おぼろづき咲真さくまが口にすべきは、時間に余裕があるかどうかと問うことだ。一概に説明せよと言われても難しく、順序立てて説明したところでざっと二時間は必要だろう。もっとも友人であると簡略化することも可能だが、しかし、友人という定義が話す相手と同一でなければ伝わるまい。

『では、一般人なのですね?』

「うむ」

 頷きを一つする彼女の声は男性にしては高く女性にしては低い。外見もさることながら、中性的な印象を自ら強くしているように見受けられる。

『……わかりました。手を煩わせましたね咲真、ありがとうございます』

「私とお前の間柄だろう? 気にするな。それに、私ができるのはここまでだ」

『いいえ、感謝しています』

「すまん。祈ることしかできぬ身がもどかしいが、成功することを願っている」

『はい。それではいずれ、また』

 そうして相手の応答を聞いたのを最後に、咲真は耳から携帯端末を外して小さく息を吐き、本皮の椅子に体重を預ける。


「祈る? 願い? ――馬鹿なことを言ったな」


 それしか言えなかったとはいえ、口にすべきではなかった。何故ならばそれは無力であると公言したも同義であり、何の意味も持たない言葉だからだ。

 忍と咲真との関係を話すならば、まず己のことを明かさなければならない。そして彼との出逢いも。

 実際にはまだ三年くらいの付き合いであり、顔合わせの回数だけを挙げていけば両手の数ほどには至っていない。だが、それでも共感はあった。


 ――境遇が似ている、などとは忍に失礼だが。


 朧月は槍術を学び、咲真はそれを習得しつつも継承者を謳う段階になってそれを回避し、いつでも継承できる状態を維持することを代わりに、一人家を出て情報屋を設立した。いや、今も駆け出しであり、自らを情報屋だと誇示することはできないが、他の者と比べれば早い一人立ちになるのだろう。

 対して五木は一刀流。元元もともとは武術家同士の繋がりもあって話には聞いていたが、実際に顔を合わせたのは――野雨市内にある中高大を含めたVV-iP学園における空白の理事長席が五木家のものだと判明した際、是非とも一度当代と顔を合わせ話をしたいと思った時のことだ。

 場所はシェ・トオノと呼ばれる店のプライベイトルーム。忍を招く形であったため、ヴィクセンの偽名で咲真が予約を入れておいた。遠野店主とは旧知の間柄であるため、先に待っていたのだが。

 姿を見て、咲真は思わず席を立ち改めて背筋を伸ばした。

「――初めまして。五木家が当代、忍でございます」

 名だけは知っている同級生が姿を現し、自ら名乗ることすら忘れるほどに動揺した事実を今も認めている。

 同い年などとは思えない、貫禄のある佇まい。場所と目的に合わせてか、紺色のスーツを着た彼に初初しさなどなく、そこに居るのは責任を負った男だった。

「半年前、両親に先立たれたため、若輩者ではありますが名義上の理事長となっております。どうかよろしくお願いします」

「――あ、ああ」

 ゆっくりと近づいてきて握手を求められ、ようやく我に返った咲真は失礼と短く言い、求めに応じた。

「朧月咲真だ。この度は不躾な話に応じていただき、感謝している」

 当時、小学六年生の二人はあまりにも似合わない邂逅をした。

 ――あの時からずっと、忍は縛られている。

 立場に、責任に、場所に。本人は然して気にした様子もなく、また気付いていないのかもしれないが――己で考え決めた道筋であっても、その九割が既に定められていたものだった。

 咲真は学園設立の理念などを問い、聞いた話ですがと前置きして忍は話す。あくまでも事務的なやり取りを続けて調子を掴んだ咲真が、

「では、お前が理事長になったらどうするのかね?」

 いつしか口調が砕けていたことには気付いていたが、改めて訂正する気にもなれず問うと、忍は言ったのだ。

「そうですね……もしも、もしも私が理事長になる時期に席へと座れたのならば、もっと開放的な場所にしてしまう、でしょうね」

 今が閉鎖的なのだと、暗に言う。けれど咲真に言わせれば、当時の学園だとて他の学校と比べれば随分と解放されている――が、それでも。

 忍は、解放的にしたいと言う。

 ――それほどまでに拘束されていると知ったのは、もっと後になってのことだ。

 知ってからはより一層、話をするようになった。仕事の関係、武術の関係……顔を合わせた回数こそ少ないが、多くの時間でお互いを知り、今では友人と誇れる相手になっている。

「しかし、私以上の情報屋など世に多くいるのだがね」

 それでも咲真に訊ねてくれることは感謝しなくては。

「蒼凰蓮華、か」

 ちらりと据置端末の画面を見れば、桜川さくらがわ中学校の在校者リストが映されており、そこにその男性の顔写真と共に名が載っている。

 ――わからんな。

 忍の話では蒼狐そうこ市に紛れ込んだ一市民でしかないようで、確かに時期を考えれば不穏分子として警戒するのはわかるが――わからないのは、あの忍が姿形は明確でありながらも、他の部分において蒼凰蓮華を表現する言葉が曖昧になっていたことだ。

 曖昧には大きく二通りがある。一つは多くの情報がそこに組み込まれるが故に、多角的視点を持つとまるで別の情報が見えてしまうため、どれも正解であり不正解という矛盾する状況などに陥り、それを表現する場合。そしてもう一つは、存在それ自体が〝曖昧〟という形で既に決着がついている場合である。

 ――ああ、だからこそ警戒の意味を込めているわけか。

 どちらの場合であっても、関わらせたくないし関わって欲しくないと忍は願っているのだろう。

 珈琲のカップに手を伸ばすと、軽い手ごたえ。中を見たら液体がなかったので、小さく吐息を落として立ち上がった。自室のハンガーにかけてあるスーツに着替えた咲真は、いつものように顔につけている偏光入りのアイウェアの位置を正すようにして、部屋を出た。

「んー?」

「紫月」

 同居人である久我山くがやま紫月しづき。見ての通り――だと、侍女服を完全に己のものにしている小柄な少女なので説明にならないし、服装は咲真の趣味でやっていることは侍女と似ているから、何とも言えないけれど、武術家の、糸の久我山で相違ない。

「実家に顔を見せるが、どうするかね」

「お、ほんならうちも行くべ。くるまころがすんけ?」

「うむ」

 相変わらず、標準語ベースではあるものの、方言が絡む。今までは、日本中あちこちを渡り歩いていたのだから仕方ないし、咲真はもう慣れた。

 鍵をかけて揃って家を出て、ガレージに鎮座する小型のスポーツカーのエンジンをかける。あとは搭載AIに目的地を入れれば、自動運転で到着だ。

「そろそろマニュアル運転の車を買うべきだね?」

「うちは構へんけど、――どうかしたんけ?」

「ふむ?」

「予定なかったべや。しかも実家じゃろ、躰動かしたいと思うたんと、ちゃうんか」

「……忍にな」

「うん? 五木の?」

「ああ、――失言をした。たった一言だけ、詮無いことを言ってしまったのだよ」

「あー、偉そうな態度のわりに、咲真はそういう小さいこと引きずるがー」

「む……良いかね紫月、私は偉そうなのではない。偉いのだ」

「しっちょるよ」

「お前もそういう対応に慣れてきたな……?」

「ええことじゃろ」

 朧月の実家は、隣接した杜松ねずにある。もっとも、野雨との境界に限りなく近い。咲真の家からも、車ならばそう時間はかからないが、単に物件が良かっただけで、ほかに意図があるわけでもない。今の咲真は、槍を置いているからだ。

 ――だから?

 槍を置いたところで、武術家は、武術家だ。幼少期から染みついたそれを、除去することなど不可能に近い。まだ咲真は若いということもあって、落ちた体力を誤魔化す技術がまだないため、最低限はしているが、それでも。

 置いた槍を手にした瞬間に、咲真は槍を担える。

 本人もまた、そこは自覚していた。単なる優先順位の問題だ――武術よりも、探したいものが、捜したい人が、在ったから。

 朧月の正面口は、朧夜堂ろうよどうと看板が出ている。父親が骨董品店を開いているからで、意志を持つ物品などがよく流れ込んでいる魔窟のような場にもなっているが、そこはそれ、咲真自身がやっている商売ではない。

 やや離れた位置の駐車場に停めてから、正面に回ると、休業中の札が出ていた。

「ふむ」

「休みにしちょるのん」

「いや、昔から思っていたのだが、自営業とはずいぶんと気楽なものだな?」

「自己責任じゃけんども」

 ならばと、入り口から脇にそれて庭に出て、道場を視界に入れれば、僅かな話声と人の気配が感じられた。

 ――と。

 咲真が来たのとほぼ同じタイミングで、どこか疲れたような吐息と共に、少年が姿を見せた。

「――、咲真か?」

りょう、これほどまでに特徴的がある女を忘れるとは、一度脳外科の世話になった方が良いのではないかね?」

「変わらんな。いや待て、それより山の、お前は何故そんな恰好をしている……?」

「え? 可愛いじゃろ」

「俺の趣味ではない」

「こんクソ野郎、女の扱いがド下手だべ」

「この服は私の趣味でもあるが、確かに女の扱いは下手だ。しかし、何故ここにいるのかね?」

「うちの爺が来ているからだ。雨の御大もいる」

「お、ミヤのいるんけ。ちょう遊んでくれんか聞いてくるべ。ええじゃろ咲真」

「お前はまったく……いやいい、好きにしろ」

 年齢は一つ下とはいえ、糸の久我山としては既に完成の領域にある。それを悔しいとは思わないけれど、強い人とやり合うのを遊びにするのはどうかと思っている。

「――咲真、質問がある」

「ほう、逢って早早にかね。確か五年ぶりほどだったはずだが――仕事として情報を扱っている身としては、無料でと前置するわけにはいかんがね」

「言っていろ。――蒼凰そうおう蓮華れんか、という名に心当たりはあるか」

 咲真は一度、口を噤んだ。

 ――なんだ? 忍に続き、涼から何故その名が出る?

 わからないが、事情を探る必要は感じた。だからまず頷き肯定を示し、

「ああ。名前は知っているが、どうかしたのかね」

「人物像まではわからない――と?」

「なんでも知っているとは思われたくはないものだが……どういう事情だ」

「暁が遭遇した。そして、――五木いつきの何かを潰すと、豪語したそうだ。あいつは負けたと、そう言ってはいたが、半信半疑ではある」

「……なるほどな」

 何故、どうして。

 疑問が浮かぶのはいつものこと――であれば、まずは、わかることを確認する作業から入ればいい。

「私は槍を置こう、そう考えて今を生きている。だが私が朧月である限り、やはり、切っては切れん。鍛錬も日課になっているからな……それでも涼、お前よりは武術から離れているだろう」

「遠ざかった、あるいは一歩引いた場所から俯瞰できる、か?」

「そうとも、それはおそらく同様だ。いいかね? 私たちは姿から、仕事から、自らを武術家とうたってはばからぬ。そうした相手と対峙した場合に、さて優位に立とうと思ったら何をどうすればいいのか――そんな疑問も、抱くようになった。奇しくもその正解は、蒼凰蓮華が示してくれたな」

「……聞こう」

「暁がそうであったように、武術という領域の中で無力化させてしまえばいい。何しろお前たちには武術しかないのだから、それが通じないと思わせれば――どうとでもなる。それに存外、特に私たちのような年代では閉鎖的な部分もある。いいかね? 私も含めての話だが――お前たちには、絶対的に、実戦経験が足りていない」

 咲真はそれを断言した。

「妖魔との実戦ならば、なるほど確かに百戦錬磨だろう。人との戦いにおいて武術を行使して負けることも、まずありえまい。では相手が魔術師だったらどうかね? その実体を掴み、経験から正解を導き出し、勝利を得られるかね?」

「それは……否だ」

 ないだろう。そもそも魔術の如何も知らないのだから。

「蒼凰蓮華がどういった人種かを私はここで明確に断言はできん。想像に過ぎないのならば、それは話になるだろう」

「――そうか」

 頷きが、一つ。だが、どこか迷いが晴れたような感じがあった。

「十四日未明、蒼狐と野雨の境界に来い――その言葉に、暁は承諾した」

「なに……?」

「観客席は空いていないが、控えのベンチは空いているそうだ」

「……」

「――咲真。どうやら俺よりも、お前の方が五木の事情には詳しいようだ」

「忍のことは、友人だと思っている」

 そして、迂闊な失言をしてしまった。

「五木は――九尾きゅうびだ」

「知っている」

「それを〝九つ〟にして封じていることもかね?」

「……」

 強い衝撃が道場の内部で発生して揺れる。だが、そんなものは日常的に感じているので、二人は驚きもしない。どうせ紫月が楽しんでいるだけだ。

「私だとてすべてを知っているわけではない。ないが、九尾を封じるなどといったことを、なんの代償もなしに持続しているなど、そんな幻想を抱けるほど腑抜けてはおらん」

「封印しているのか――」

「そして」

 吐息が一つ、咲真の口から洩れる。

「今、蒼凰蓮華は忍のところで厄介になっている」

「――」

「一般人である、そういう認識だ。今までは忍も、そして、私も。どうして私に確認の連絡などいれたのか? この時期、あちら側では数年おきに結界を強化する儀式が行われ、それが今回だからだろう。――だが、私たち武術家は四森しもりに立ち入ってしまうため、そもそも、五木の領域には入れない」

「つまり……」

「そうとも。私たちが這入はいれるのならば、それは結界のほころびだ」

「綻びとは即ち、九尾の封が解かれる……と?」

「自然な流れではないかね? そのために、暁への助力を請うたのだろう」


「――否」


 珍しいと言うべきなのか、涼は額に手を当てて表情を隠すよう、絞り出すようにして言う。

「蒼凰蓮華は、ただ、遊びに誘っただけだ。請うてはいない」

「――まさか」

「そこには確約も、ない。たとえ暁が行かずとも、あの男は」

 それこそ、可能性の話だ。

 だってそうだろう? 何しろ、今はまだ、何も起きてはいないのだから。

「涼は、行くのかね」

「そのために、爺に声をかけにきた」

 そうかと、小さく呟いたタイミングを狙ったかのよう、道場の入り口から長物が飛来したため、咲真は片手で掴む。

「――おい、そこのクソ親父。愛娘に向けて槍を投擲とは、愛情が足らんのではないかね?」

「取りに来たんだろう」

 ひょいと顔を見せた父親の啓造けいぞうは、いつになく疲れた表情で出入り口に腰を下ろした。

「というか、早く取って行け。山のは元気過ぎる……」

「ふむ。それはつまり、紫月だけ置いて行けば良いのだろう?」

「やめてくれ。あれは本当に面倒だ……だいたいな? 宮のがやり合うのを嫌だと言ってるんだ、どうしろと」

 久我山はそもそも、都鳥の分家。その大将が嫌だと言っているのならば、どうしようもない――そう思って、二人は視線を反らした。

「ちなみに涼はどうだ」

「冗談じゃない」

「うむ、私も同感だとも。つまり面倒ごとは年上の親族に任せると、そういうことで良いかね」

「同感だ」

 であるのならば。

「――この面倒は、片付けねばならんな」

 余計なことを言ってしまったのならば、せめて、撤回せねば。

 手にした槍を握り、僅かな緊張感に咲真は口元に笑みを浮かべた。


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