ハガクシの森のきつね

草去更

08/14/13：55――怒りを抑えて

　きたる八月十四日――。

　問題ないと足の調子を伝えると瀬菜（せな）は安堵した様子を見せた。だから祭りの準備を改めて手伝うと申し出たのだが、もう数日ということもあって特に大掛かりな、人手が必要な準備はないと忍（しのぶ）にあっさりと言われた。

　それでもと境内の掃除など細かい仕事を午前中に済ませ、昼食後。

「無駄かもしんねェけど、ちっと落し物探すついでに散歩してきていいかよ？」

　そんなふうに蓮華（れんか）は切り出した。

「そうね、良いと思うわ。ただし陽が沈む前に、余裕を持ってこちらに戻ってきなさい」

「でしたら地図をお渡ししておきましょう。大丈夫です、そちらは複写したものですから。それと申し訳ないのですが、雑務がありまして私は夕食に戻れそうもありません。瀬菜さんとお二人でどうぞ」

「待ちなさい。私も一度実家に戻るつもりでいるから、夕食に間に合わないと思うわ。昨日の夕食は蓮華の当番だったから使い勝手はわかるでしょう？」

「そりゃァ……わかるけどよ、でもいいのか？　俺ァ一応部外者だぜ、一人で勝手に歩き回らせて良いのかよ」

「それを自覚なさっているのならば、問題ありませんよ。わざわざ口に出しておっしゃるのですから、不躾な真似はしないのでしょう」

「そりゃしねェけどよ……でも台所を勝手に使うのも気が引けちまう。お、ならあれよ、面倒かもしんねェけど、握り飯を作っておいてくれねェか？　日持ちするようちょいと塩気を多くしといて、陽の当たンねェ場所に置いといてくれよ。三つもありゃァ充分だからよ」

「そうね。少し多めに握っておきましょう。中の具に要望があるのならば応えるわよ？」

「じゃァ愛情で頼むよ」

「わかったわ」

　半ば冗談だったのだが、何故か真顔で頷かれて突っ込みもなかった。一人、忍が口に手を当てて笑いを堪えている。

「お……おゥ、頼むよ」

「――では、蓮華さんお気をつけて」

「まァ適当にふらッとしてくるよ」

　そんなやり取りを済ませて、蓮華はふらふらと歩く。祭りを前にして屋台などが並ぶ場所からは離れ、できるだけ視線の少ない場所に移動しつつ頭を掻く。用事があるというのは確からしく、尾行の様子はない。

「準備して、日付が変わる頃にゃァ全てを終わらせようッてか」

　つまり、日付が変わってしまっては問題になる――というわけだ。

　敢えてそのタイミングを狙う忍の意図は、わからないでもない。

「……馬鹿がよ」

　くどいようだが可能性の話。けれど忍がなにをしようとしているのか――この土地を、草去更（そうこし）を、続けようという意志はわかる。

　続けるために、ではなく。

　助けるためには続けなくてはならない――だ。

「馬鹿が」

　そのための覚悟を抱いている。

　忍は。

　二ノ葉と舞枝為を助けるつもりだ。

　守るのではなく、あるいは守るために助けようとする。

　――クソッタレが。

　ある特定より先の可能性が一切見えなくなれば、それがどういうことなのかくらいわかる。

　自ら可能性を捨てるなど、蓮華は赦さない。それがどのような状況であってもだ。

「……ちッ」

　感情的になるなと言い聞かせても、こればかりはどうにもならない。表面には出ずとも、いや出たところで、身の内に巣食う赤色の炎はどうしたって隠し通せるものではないのだ。

　ふらふらと歩きながら、近くの茂みに片手を突っ込めば、指先に固い感触がある。そのまま掴めば、自分の携帯端末と髪飾りがあった。

　捨てたわけではない、落としただけだ。けれど、であるのならば、探し出すのはそれほど難しくはない。可能性を辿れば良いだけのことだから。

　さてどうしたもんかと歩いていれば、石杖（いしづえ）の札がかかった家があった。それほど豪華ではないし、平屋がぽつんとあるよう簡素なイメージ。いくつかの納得を抱えていると、ふらりと――妙に目の細い、いや躰も細い和装束の男が姿を見せた。

「なにか、御用でしたかな？」

「いや――五木ンところで厄介になってる、蒼凰（そうおう）蓮華（れんか）ッて野郎だよ。散歩中」

「おお、あなたがそうでしたか――」

　一歩、距離を縮める瞬間に。

「動くな蒼凰蓮華」

「お前ェがな」

　――ッたく、冗談じゃねェ。

　名前とは、固有のものだ。人の存在そのものが名前によって縛られるため、名を明かすことで今のように〝呪（シュ）〟をかけられやすくなる。魔術的な名称を使えば存在律（レゾン）だ。

　核心を掴まれ、言われるがままになってしまう。もちろん、回避手段もあるが、武術家というよりも陰陽師（おんみょうじ）の手管になるのか。蓮華としては専門外だが、今のよう、わかっていれば返し技もできるわけだ。

「ッて、即答しちまったけど、こりゃァなんかの遊びかよ？」

「……」

「――なんてな」

　一歩を踏み出したのは蓮華、ポケットに髪飾りを突っ込みながらも、視線を決して外さずに近寄るが、相手は身動きしない――否、身動きができない。

　動くなという呪を、返されたからだ。

　専門外だからとはいえ、やり方を擬（なぞら）えれば――。

「しゃべるな■■」

「――ッ！」

「名前を掴まなくても、相手を言葉で操作するのを〝強制認識言語（アクティブスペル）〟なんて魔術じゃ言うンだけどよ、お前ェは知らねェか。どっちかッつーと、俺はそっち寄りなんだよな、これが――」

　真正面から、左手を相手の顔にかぶせた。どちらかといえば、蓮華の顔を見ないようにさせるために。

「――形代（かたしろ）に身を寄せた妖魔風情が、人の振りをしやがって」

　それを、つまり、式神（しきがみ）と呼ぶ。

　人型を模した紙などを媒体に、紙と神の意味をそこに押し込め、妖魔などを使役したのならば、こうして人として誤魔化しながらも生活できる。

　いうなれば――このソウコシとは、そういう場になってしまっているのだ。

　神に紙――それもまた、ハガクシなのか。

「俺はここに居ない。業務に戻れ」

　頷きもなく、相手はくるりと背中を向けて去る。まったくと吐息を落とし、蓮華はそのまま中に入ると、社（やしろ）の位置だけ確認してからすぐに出た。

「クソッタレだなァ……冗談じゃねェよ」

　こんな場所で暮らし続けるなんてのは、面白くも何ともない。諦めを抱いている瀬菜（せな）の気持ちも、少しはわかるような気がした。

　ここは、偽りに満ちている。

　――ハガクシの森だ。

　武術家が云う四森（しもり）の――先にある、五つ目の森が、ここである。おそらく字を当てるのならば、死の森だろう。

　いつからかは、まだわからないにせよ、まずこの場に一つの世界を創り上げた。入江（いりえ）、一ノ瀬（いちのせ）で湾（わん）を作る。そこに巌（いわお）――岩があれば波が立ち、眺めれば漁火（いさりび）が浮いて見える。眺める場所となるのが猪野（いの）――猪がある野である。

　野と湾の境目が諍（いさかい）だ。そこから山頂へ登るために石杖（いしづえ）を使って山歩き、先には五木（いつき）があって、木も増えて稲森（いなもり）へ至る。

　小さいが、結界の作り方としては初歩だ。

　九尾を封じるための場を、そうやって作りながらも、人の行き来も制限する。言の葉の真意を言の葉によって隠し、まるで呪いのような土地を創り上げ、ここは。

　草去更（そうこし）となった。

　――ここは、〝蓋〟によって閉じられた世界。

　草、去、皿を組み込んだ、本来ならば人の住めぬ場所。皿を更と変えたのは、おそらく、ここを〝受け皿〟にしたくなかったからだ。

　であるのならば？

　五木が〝居付く〟ことを強要され。

　稲森とは、五つ目の森を否定する――〝否森〟だ。

　仕組みとしては、上手くできている。だが、最初から犠牲が含まれた上での仕組み。そこが気に入らない。

　仕方がないと、諦めている連中も気に入らない。選択肢の数が少ないからといって、選択しないことを決めた馬鹿どもは今夜、苦し紛れに何かを成そうとするはずで。

　説教の一つもしたくなる。

　武術家の悪いところでもあるし、この環境下で慣れてしまった影響もあるけれど、どうして。

　――たった一言、助けてくれと口にすれば良いのに、余計なものが邪魔をして、そもそも、誰かに頼ることを考えなくなってしまった。

　大人になったつもりだろう。否応なく、大人にならなくては、彼らも満足に生活はできなかった。だが見ろ、現実は高校生になるくらいのガキが揃っているだけじゃないか。ガキは大人に甘えるもの――大人ぶらなくたって、どうしようもないと投げ出したって良いはずだ。

　約束、だとか。

　しきたりだとか。

　――クソくだらねェンだよ!!

　自分の意志を、行動を決めているつもりで、その選択すら自分で狭めているとは思わない。環境がそうさせている、そういった要素が含まれるが、そもそも、それだとて自分で環境を理解した気になって――諦めて――選択肢があると、気付かない。

　それを教える人も、ここにはいない。

　いるのは先ほどの式神のような妖魔だけ。

　そもそも気付いているのだろうか――この草去更にいる人間は、五木と一ノ瀬しかないことに。

　彼らの中にある〝想い出〟すら、気付かれないほど僅かに、誤魔化しが入れられていることに、気付いているのだろうか。

　いや――どちらにせよ、敷かれたレールの上を走るだけの電車だ。

　どうであれ、結果として、道は一つと目の前にしか提示されていない。

　強く拳を握りながら、熱い怒りを胸中（きょうちゅう）に抱き、五木神社の鳥居をくぐる蓮華はしかし、その怒りが顔には出ない。むしろ、その顔は、冷静を通り過ぎて冷徹と思えるほど冷めていた。

　人の気配を感じないこの神社は、虚（むな）しさが広がっている。最初から人の営みなどなかったような雰囲気に、先ほどまでいただろう忍や瀬菜を否定しているようで気に入らない。

　大きく、深呼吸を一つ。身の内にある赤色の怒りを吐き出すよう意識して、正面から中に入る。本殿の脇を抜けて後ろまで行き、そこにある〝書庫〟を前にして。

「さァて、面倒は夜ッてことで、暇つぶしでもするかねェ」

　そのまま、苦笑して書庫に背を向けた。

　いずれにせよ、蓮華が動くのもまた、夜になる――。