第15話 怪物と人間の共闘
「ねぇねぇ、せーじくん」
深夜、糸キメラに襲われた公園を訪れた誠司の前に現れたのは、ちはやだった。
まるで彼を待っていたかのように目の前に現れた彼女は、両手を後ろで組み下から覗き込むように上半身を屈ませる。
「どうしてこんな時間にここにいるのかな? 糸キメラに狙われてるんじゃないの? 死んじゃうよ? 死にたいの?」
何故ここにちはやがいるのだろう。
首を傾げる誠司を前にちはやは大きく口を開けて楽しそうに笑う。
「あたしはね、せーじくんをストーキングしてるんだよ」
「それはっきり言う事じゃないよね」
妙に耳聡いちはやの事だ、恭護たちの会話から手に入れた断片的な情報から誠司がここに来ると予想していたのだろう。
だが、逆に誠司にとって彼女がここにいる事は予想外の出来事であった。
「そういう二ノ宮こそ、ここにいたら危ないよ」
「どうして危ないのかな?」
首を傾げるその仕草にはあざとさすら感じる。
何と答えるか分かっていて敢えて聞いているのだ、少し意地が悪い。
「まるで、襲われる事を見越しているみたいだね」
「誘き寄せてると言って欲しいね」
「わざわざ殺されようとしてるの? じさつがんぼーしゃってやつだね」
「死にたいわけないだろ」
「そうだね、だって……死にたかったら警備なんかつけないもんね」
ちはやが公園一帯をぐるっと見回す。
公園の外周には十人以上の警官が待機している。それに気付いているのだ。
「こっそり隠れてたみたいだけど、あたしから見ればまだまだ、だね!」
「関係無い人は中に入れないようにするって言ってたのに、二ノ宮はよく入ってこれたね」
「あたしは、みんなより先にもう来てたからね! あたしだけ仲間外れにしようとしてもそうはいかないよ」
別に仲間外れにしていたわけではない。
誠司は解散した後、相田や恭護、睦月とも別れて一人で柳瀬に会っていた。。
事故の関係者が狙われていて、元サークル部員にも被害者が出てしまった。このままでは他の部員も襲われるだろう。
それだけは避けなければならない。その為には糸キメラをなんとかしなければならないが、何処に潜んでいるのか分からない。それならばいっその事、誘き出してやればいい。
一度狙って逃した獲物なら、糸キメラの注意も惹きやすいだろう。だから自分が囮になる。そのような作戦を柳瀬に提案した。
当然、柳瀬は一般人である誠司を危険に晒すような作戦を受け入れるわけにはいかない。しかし誠司も引くわけにはいかなかった。
糸キメラは神出鬼没で、探して見付けられる可能性はとても低い。わざと隙を見せて誘き寄せる方が効率的だということ。
そのうえで誠司が敢えて囮になる事にも意味がある。
これまでの傾向から、キメラ怪人が自分たちの存在を流布される事を好ましく思っていない事は分かっている。
そうなると、狙われている事故関係者の中でもキメラ怪人の存在を知ってしまった誠司の優先順位は高い筈だ。
他の被害者が出ている間にも、誠司を襲う機会を探している事は想像に難くない。
更に、仮に別の囮を用意するとして誰を用意するのか。事故関係者のみを狙っているのであれば、当然関係者でなければ囮にならない。
事故関係者の中で囮に適した人間が他に存在するとして、わざわざ順番待ちの人間を矢面に立たせて不必要に優先順位の高い人間を増やすリスクを得る事はない。
狙われる可能性が高く、かつキメラ怪人と対峙した経験が一番多い自分こそが適任なのだと誠司は強弁した。
その熱量から、彼の提案を拒否した場合は最悪、単独で行動を起こしかねないと判断した柳瀬は渋々彼の提案を受け入れた。
柳瀬はすぐ署に戻り、人手を集めた。
武井によってキメラ怪人に関する捜査だと大っぴらに言う事は出来ないので、大々的に人を集める事は出来ない。
信頼出来る口の堅い同僚に事情を話し、何とかある程度の人数の警官を割り振って貰い、今夜を迎える事になったのだ。
「怖くないの?」
「すげー怖いよ。だけど、誰かがやらなくちゃいけないんだ」
肩のギターケースを担ぎ直す。中身が揺れてガシャリと音がした。
ギターが入っているわけではないらしい。あまり大きくない物が複数、収められているらしい。
「せーじくんは正義漢なんだねー」
「皮肉かよ?」
「違うよ、そんけーしてるんだよ。怖いけど頑張るって凄い事だよ」
「二ノ宮は帰りなよ、ここにいると危ないから」
「こんな深夜に女の子を一人で帰らせるの?」
「ここにいる方が危ないだろ」
「ちぇー、折角せーじくんを守ってあげようと思ったのになー」
ありもしない小石を蹴る仕草に、誠司は思わず苦笑した。
スポーツや武道をやっているわけではないが、誠司の体格は決して貧弱ではない。
この状況ならむしろ誠司は守る側になるのではないだろうか。
「気持ちだけ受け取っておくよ」
「あたしこう見えても結構強い……」
ちはやは言葉を途中で切り、公園内に広がる闇に目を凝らす。
不穏な空気を察した誠司はギターケースを静かに開け、そこから二本の鉄パイプを取り出した。
実家のスポーツ用品店のディスプレイ用に購入した余りを拝借してきた物だ。
遠くから何かが飛んで来る。
その気配を感じると同時に、ちはやが誠司の腕を強く引いた。
彼女に抱き寄せられるようによろめいた誠司が立っていた場所に、半透明の糸が全身に巻き付いた警官が落下した。
「うっ!?」
警官がもがくたびに、巻き付いた糸はより深く食い込み、切り裂いていく。血に濡れた糸が公園灯の僅かな光を反射して輝いた。
糸が最も深く食い込んでいるのは咽喉だ。声を出せないようにする為だろう。
まだ微かに息がある。だが咽喉を裂かれた状態では時間の問題だろう。
誠司は鉄パイプを一本ちはやに手渡し、残る一本を構えた。
先日襲われた時に糸は鉄柵を切断する事が出来なかった事を覚えている。鉄パイプでも防御の役には立つだろう。
警官が飛んで来た方角を睨む。周囲が騒がしくなってきたのは、警備をしていた柳瀬たちが事態に気付いた為だ。
「せーじくん、背中合わせになろうよ」
言うが早いか、誠司の背中にちはやの温かい背中が押し付けられた。
「背中を預け合うしんらいかんけーって奴だね」
「なんか楽しそうだね」
「どんな時も楽しまないと駄目だよ」
「いいねー、そういう考え方は嫌いじゃないよ」
ヒュッ、と音が聞こえた。
ちはやが誠司の背中を押し退けながら鉄パイプを振るう。
金属同士が擦れ合うような音と共に、彼女の持つ鉄パイプに半透明の糸が巻き付いた。
巻き付いた糸の端が闇の中へ伸びている。吐き出した糸をまだ切り捨てていないのだ。
「あ、あやややや」
糸が強く引かれ、ちはやの体が引き摺られる。
誠司は慌てて彼女の体に腕を回して支える。
「せーじくんどさくさ紛れに変なところ触ってもいいよ」
「何言ってるんだよお前! 冗談言ってる状況じゃないぞ!」
柳瀬たちが駆け寄って来た頃、鉄パイプに巻き付いていた糸が途中で切られた。
触れただけでも指が切れるほどの鋭利な糸をそのままにするのは危険だ。ちはやは鉄パイプを捻るように回しながら器用に糸を巻き付けた。
「大丈夫か、辻崎くん! 二ノ宮さんも、いつの間に入り込んでいたんですか」
「こんにちは! 今はこんばんは!」
彼女の挨拶には答えず、柳瀬は警官たちに銃を抜くように指示した。
犠牲になった警官が既に事切れている事を確認する。
「うわぁっ!」
また一人、警官が襲われた。
拳銃を持っていた腕に糸が巻き付き、血塗れになっている。
巻き付いた糸を取り払おうと反射的に反対の手で掴んで引っ張ってしまったのだろう。
制服の下に腕まで保護する防刃ベストを着用していたが、それすらも切り裂かれていた。
「やーっ!」
柳瀬の顔目掛けてちはやが鉄パイプを振る。
驚いた柳瀬の目の前に突き出された鉄パイプに糸が巻き付いた。
「た、助かった。有難う御座います」
「うわー、まただー!」
ちはやの体がズルズルと引き摺られ、誠司がそれを押さえる。
「柳瀬さん、糸の根元だ! そこにいる!」
ハッとした柳瀬が拳銃を構える。空砲で威嚇する余裕は無い。それを見越して全て実弾を装填してある。
とはいえ、規則違反に間違いは無い。始末書だけで済めばいいのだが。
「いきなり撃って大丈夫ー?」
引き摺られながらも何処か呑気なちはやの声に無言で頷く。
周辺はそれとなく人払いをさせてある。発砲しても第三者に命中してしまう事は無い筈だ。
それでも街中で引き金を引くのは勇気がいる。万が一を予想して強張る指へ折らんばかりに力を篭めて引き金を引いた。
火薬が破裂する乾いた発砲音。
闇の向こうで微かな手応えがあった。
「ギ、ギ……!」
誠司は気付いた。闇が動いた事に。
闇の中で何かが動いたのではない。闇そのものが動く気配だ。
「二ノ宮、ちょっとだけ踏ん張れ!」
「よしきたー!」
ちはやを支える腕を離し、自由になった両手で鉄パイプを握る。
渾身の力を篭めて振り下ろした鉄パイプが狙うのは、ちはやの鉄パイプに巻き付いて張り詰めた状態の糸だ。
鉄パイプを受け止めた場所を支点に、ちはやは引っ張られて態勢を崩す。その反対側でも同じ事が起こっていた。
転倒させる事は叶わなかったがよろめかせる事は出来た。ドウ、と大きく足踏みをする音が闇から届く。
誠司たちから二十メートルほど離れた場所で滲み出るようにそれは姿を現した。
「お前が……糸キメラか!」
その正体は極端な前傾姿勢で歩行をするカメレオンのような姿をしていた。身長は三メートル近くある。
眼球はドーム状に盛り上がって突出し、大人の握り拳ほどもある。それぞれの眼球がバラバラに動いているのもカメレオンの特徴だろう。
その口は大きく開かれ、そこから一メートルほどの長い舌が伸び、その先端には四つに割れて開く突起、糸はそこから伸びていた。
口の両端からは鎌状の鋏角が生えている、まるで牙のようだ。
両手は指先が吸盤のように平べったく、カメレオンの足に似ている。
脚は二対存在し、どれも妙に細い。そのうちの後ろの一対は先端が吸盤のような形状の毛束が、手前の一対の先端にはそれぞれ三本の爪がついている。
手前の一対は先端が軽く地面に接しているだけで、主に体を支えているのは後ろの一対のようだ。
その異様さに驚いている間に、糸キメラの舌から伸びる糸が根元で切れた。
「あっ!」
自由の身になったちはやを支えている間に、糸キメラの姿が闇に溶け込むよう消える。
どうして今まで姿が見えなかったのか、その姿を見てようやく理解した。
隠れていたわけでも遠くにいたわけでもない、カメレオンの持つ擬態能力で闇に溶け込んでいたのだ。
ただでさえ視界が悪くなる闇に擬態する事で、より隠密性を高めていたのだ。これまでの犯行も同様だろう。
そこにいる事が分かっているうえで眼を凝らすと、闇の中にうっすらと輪郭が見える。
しかし辛うじて目視出来るのも静止している間だけだ。動き回る糸キメラの姿はあっという間に見失ってしまう。
一度見失ったら再度見付けるのは非常に困難だ。
「暗闇に溶け込めるほどの擬態能力を持ったカメレオンのキメラとか、最悪じゃないか!」
少しでも隙を無くす為、全員で背中合わせに円陣を組んで闇夜に目を凝らす。
「そっかー、カメレオンと蜘蛛のキメラなんだねー」
「あれが蜘蛛なのか?」
「鋏角と脚は蜘蛛のそれだね。毛束の足は徘徊性、爪のある足は造網性の特徴だから、はいぶりっど蜘蛛だね!」
「キメラ怪人自体がある意味でハイブリッドだろ」
「牙みたいな鋏角も蜘蛛の特徴だよ。糸は舌の先にある出糸突起から出してるんだと思う!」
「良く知ってますね!」
「あたし生物学やってるから!」
胸を張るちはやの隣にいた警官が、何かに突き飛ばされるように吹き飛んだ。
糸の切れた操り人形のように全身から脱力したまま、何もない地面を転がってそのまま闇の中に消えて行く。
「今のは糸じゃないぞ!」
何か強い力で突き飛ばされたようだが、攻撃が見えなかった。
「あっ!?」
同様にちはやが吹き飛んだ。
背中から地面に叩き付けられ……すぐに跳ね起きる。
「危なかった!」
掲げた鉄パイプが折れ曲がっていた。
見えない一撃を鉄パイプで受け止め、致命傷を避けたのだ。
「偶々だよ、これちょっとやっばいなー」
そう言いながら目を見張った彼女に、誠司は思わず鉄パイプを突き出した。
糸が巻き付き、物凄い力で引っ張られる。ちはやが抱き着いて来た。
「今度はあたしが引っ張る晩だね!」
今の攻撃で謎の打撃の正体が見えた。カメレオンの特徴の一つである長い舌を槍のように突き出したのだ。
鉄パイプを折り曲げるほどの威力は脅威だ。糸と違って受け止めればいいというものでもない。
だが、これは弱点でもあると誠司はすぐに気付いた。
相手の主砲ともいうべき打撃と糸は、どちらも舌から放たれるものだ。こうして吐き出した糸を切り捨てずに拮抗している間は舌からの攻撃は来ない。
そしてこの距離なら糸キメラの手も届かない。非常に危険でありながらある意味で安全でもある妙な状況が出来上がっていた。
「柳瀬さん!」
糸の出所目掛けて柳瀬が発砲し、残る警官も続く。
発砲音とほぼ同時にパス、パス、と軽い命中音、続く糸キメラの苦痛を訴える呻き声。
巻き付いていた糸が切り捨てられ、お返しとばかりに舌の打撃が警官を一人打ち倒す。
「多少は効果があるみたいだが……」
「小賢シい……タだの人間ガ……!」
ここに来て、初めて糸キメラが声を発した。
うっすらと闇の中に浮かび上がったその姿には、幾つかの弾痕が穿たれ赤黒い血が流れている。
巨大な眼球がギョロギョロと動き、感情が読めない顔で誠司たちを見詰めていた。
「糸キメラ、お前はどうして俺たちを狙うんだ?」
シザーアングとの経験のお陰か、こちらに敵意を抱いているキメラ怪人を相手にも肝が据わってきた。
それでも油断したら声音が震えてしまいそうだ。
「あのね、せーじくんたちは放っておいて欲しいって。キメラをどうこうするつもりは無いんだって!」
糸キメラは眼球を回してちはやを見る。
歩行をする為にバランスを取っていると思しき尾が軽く地面を叩いた。
「いトキめら……とハ俺のコとか」
「糸を吐くから糸キメラだろ」
「……」
糸キメラが何か小声で呟いたが、誠司には聞こえなかった。
だが、ちはやには聞こえていたらしい。
「スピネカーマって言うんだって」
「スピネカーマ……糸キメラの名前か?」
「ちッ、地獄耳だナ」
スピネカーマがこちらに向かって走り出す。
尾でバランスを取りながら走る姿は、往年のエリマキトカゲのようだ。
その動きは素早く、逃げようとする誠司たちにあっという間に肉薄する。
誠司はギターケースから金属バットを抜き出し、迎え撃つようにフルスイングした。
胴体の割に細い腕にバットがめり込み、骨を直接叩く手応えを感じた。スピネカーマは激痛に悲鳴を上げ、腕を押さえて苦しんでいる。
シザーアングほど筋肉質ではないせいだろうか。人間の力による打撃でもある程度のダメージは与えられるようだ。
「せーじくん駄目! 離れて!」
ちはやの声で咄嗟に横に飛ぶ。
突き出された舌が誠司のいた空間を貫く。
伸びた舌が横に振るわれ、受け止めたバットごと誠司は薙ぎ倒された。
「ぎゃっ!」
手前一対の足が一人目の警官を踏み締める。先端の爪が彼の胴体を深く抉った。
至近距離から吐き出された糸が二人目の顔に巻き付き、ズタズタに切り刻む。
鋏角の先端が三人目の肩を貫いた。警官は全身を痙攣させ、口から泡を吹きながら倒れた。
「くそ! 化け物め!」
あっという間に三人の警官がやられてしまった。
拳銃は全く無効というわけではないが、傷を負ってなおスピネカーマの戦闘力に衰えは見られない。
シザーアングほど屈強な体ではないものの、やはり並外れた生命力を持っていた。
「せーじくん!」
引き抜かれた鋏角の先端が誠司に突き出される。
ちはやが誠司を押し倒す。鋏角は誠司ではなくちはやの腕を掠めた。
「は……ぐ……っ!」
傷付いた腕を押さえてちはやが悶絶する。
掠めただけでこの苦しみ様はおかしい。そういえば今先ほど倒された警官も妙な苦しみ方をしていた。
「まさか、毒か!?」
「だ、だいじょーぶだいじょーぶ」
声が弱々しい。彼女に何かが起こっているのは間違いない。
「辻崎くん、逃げなさい!」
言われるまでもなく逃げ出したい。
だが、スピネカーマは何としてもここで倒さなければならない。そうしなければ新たな犠牲者が出てしまうのだから。
しかし正直、甘く見ていたところがあった。こそこそと闇の中から攻撃してくるようなキメラ怪人だから、戦闘力はそれほどでもないと予想していたのだ。
予想通り、スピネカーマはシザーアングと比べて単純な戦闘能力は劣っているだろう。
だが、それでもなお人間が太刀打ち出来るものではなかったのだ。
「せーじくん、早く逃げて。あたしはだいじょーぶだから」
「大丈夫なわけないだろ!」
誠司の持っていた金属バットを取り上げ、杖代わりに立ち上がったちはやを誠司が止める。
目の前で負傷した友人を放っておくわけにはいかない。
「拳銃では駄目だ。もっと強力な銃器を!」
柳瀬に命令された警官が離脱を試みる。
背中を向けた警官に、半透明の糸が絡みつく。バランスを崩して倒れた警官がもがけばもがくほど、糸が彼の体を切り刻んだ。
「お前たチハ知ラナいかモしれンが。俺たチは目撃者ヲ逃ガサない」
巨大な目がギョロリと誠司たちを見回す。
大きく口を開き、その中に込められた必殺の一撃を放つその寸前。
驚いたように空を見上げたスピネカーマは、口を閉じると地面を蹴って大きく跳ねた。
上空から飛来した鈍色の塊がスピネカーマの巨体を迎撃するように弾き飛ばす。
目の前に鈍色の塊が着地する。衝撃による地面の振動が誠司たちにも伝わって来た。
「来たカ!」
痛みを堪えるように起き上がったスピネカーマが唸る。
そのキメラ怪人は全身が金属のような質感の外殻に覆われていた。
背中には雛鳥のような小さな翼を携えている。
頭部外殻は鳥を模した兜のような形状で、その頂からはポニーテールのように長毛が一房、背中へ垂れていた。
その頭部外殻のスリットから覗く緑色の瞳はほぼ真円で猛禽類のようだ。
「グリフィン!」
名前を呼ばれたグリフィンは、誠司に小さく頷き掛ける。その仕草に柳瀬は驚いた。
思わず漏れた声が聞こえたのか、グリフィンは柳瀬に向かい手を伸ばす。
反射的に目を瞑るが、何も起こらない。
恐る恐る目を開けると、柳瀬に向けて伸ばされたグリフィンの腕に、スピネカーマの糸が巻き付いていた。
巻き付いた糸は外殻と擦れ合ってキシキシと音を立て、時折小さな火花を散らしている。
「おー、グリフィンだ、初めて見たよー」
糸を無造作に引き千切ったグリフィンに負傷しているちはやが抱き着いた。
「えへへ、こんな格好でごめんね!」
真っ青な顔で懸命に声を張るちはやを尻目に、グリフィンは無言で誠司を見た。
ちはやはグリフィンに寄りかかりながら、その体を遠慮なく触っている。
「毒にやられたかもしれない」
緑色の瞳が大きく開かれ、一瞬だけ赤く輝いた。
グリフィンの瞳が赤く輝くのは怒りの表現。シザーアングの一件で知った事だ。
やはりそうだ。改めて誠司は確信した。
「何度も御免。また、頼まれてくれるか?」
「辻崎くん、君は一体何を」
グリフィンがはっきりと頷く。
誠司とグリフィンの間でコミュニケーションが成立している事に、柳瀬は再び驚いた。
しかも、その態度から人間に対して友好的である事も分かる。
ちはやの無遠慮な態度に機嫌を悪くしている様子はない(やや困っているようには見えるが)
「柳瀬さん、二ノ宮を病院へ」
「で、ですが」
グリフィンがやんわりとちはやを引き離して柳瀬に押し付けると、猛然とスピネカーマに掴み掛かる。
突き出された舌が『ズドン』と音を立ててグリフィンの胴体を打ち抜いた。グリフィンは苦しそうに膝を折りながらもスピネカーマに喰らい付いて離れない。
流石に柳瀬にも分かった。グリフィンはスピネカーマを押さえ込み、彼らが離脱する隙を作ってくれているのだ。
「今のうちに彼女を病院へ!」
「あー、折角グリフィンがいるのにー」
二人の警官に運ばれて行くちはやを見送り、誠司は金属バットを拾い上げた。
「君も逃げなさい。これは警察の仕事です!」
「違う! これは俺とキメラ怪人の戦いだ!」
スピネカーマはグリフィンと格闘をしながら同時に誠司たちを狙う。だがグリフィンに気を取られ攻撃の精度は極端に低下していた。
飛んで来る糸や舌を余裕をもってかわしながら、誠司たちは遊具の陰に逃げ込んだ。
「あれは人間がどうにか出来る相手じゃない!」
「それじゃあ柳瀬さんたちだってどうしようもないだろ!」
「だが、私には君たちを守る義務が!」
「人間でどうにも出来ないなら、俺も柳瀬さんも条件は同じだよ。それなら、狙われている俺の方にこそ戦う理由がある!」
屁理屈を述べた後で、それでもやっぱりただの人間だから、と誠司は悔しそうに呟く。
同じことは柳瀬も思い知っていた。幾ら拳銃を所持していようと人間ではキメラ怪人には勝てない、と。
「だけど、そんな俺たちをグリフィンが助けてくれた」
三度も助けられた。三度も戦う姿を見た。だから分かった事もある。
グリフィンはキメラ怪人だ。人間を遥かに上回る戦闘力を持つ異形の怪物だ。
だがその心はとても臆病だ。彼が現れて最初にする事はどうにか戦わずに事態を切り開く方法だ。
それは一度も叶った事はない。
叶わぬ願いだとようやく理解、諦めがついた時、グリフィンは臆病さの中から勇気を振り絞り、命懸けで戦う。
「あいつ自身が死にたくないなら逃げればいいんだ。あの翼で本気を出せば捕まえられる奴なんかいない。そんなことはあいつだってわかってる筈だ」
だが、戦う事を決意したグリフィンは決して逃げない。
心が折れそうになった時も、誠司たちの姿を見て闘志を取り戻した。
グリフィンが戦うのはいつだって誠司たちを、誰かを守ろうとする時だ。
誠司が戦おうとする理由も同じ事だ。
「キメラ怪人でも、人間じゃなくても、あいつはもう俺の友達だ!」
グリフィンは苦戦している。
大量の出血が頭部外殻の隙間から流れだしている事に誠司は気付いていた。
打撃を受けた外殻は大きくへこんでいる。その衝撃で内臓が傷を負ったのだろう。
キメラ怪人同士の戦いをこれまで見てきた誠司には気付いた事がある。
キメラ怪人が持つ能力は、その身に宿る生物──特に外見に現れている部分──に大きく影響されているという事だ。
そして今は夜、グリフィンの視覚が低下するこの時間帯に、闇に溶け込む擬態能力持つスピネカーマは最悪の相手だ。
もしかしたらグリフィンだけでは勝てないかもしれない。
「だけど、グリフィンは一人じゃない。一緒に戦えばスピネカーマを倒す事が出来る筈だ!」
△▼△▼△▼△▼△▼
口の中に、咽喉から競り上がって来た血の味が広がる。
堪え切れずに嘔吐すると、吐き出された大量の血が一瞬、頭部外殻内を満たしたような気がした。
外殻の隙間から流れ落ちた血が全身を伝い、地面に染みを作る。
──外殻の強度が、足りない。
腕には巻き付いていた糸の傷跡が薄らと残っている。先日戦った時にはつかなかったものだ。
ゴミ捨て場に廃棄されていた古い自転車だけでは、金属の量が不足している。
糸キメラの攻撃力はシザーアングに比べれば大した事はない。だが、それは飽くまでも比較した場合の話であって、無視出来るものではない。
打撃は体重があるグリフィンの体が浮き上がりそうなほどだ。金属が不足している事で外殻が薄くなり、必然的に総重量も軽くなっているのかもしれない。
まともに受けるのは危険なのだが、夜目が利かないせいで闇に潜んだ糸キメラからの攻撃に反応しきれない。
かわせない糸が体に絡み付いてから引き千切るまでの間、身動きが出来ない一瞬の間に舌の打撃が外殻を破壊する。
攻撃の出所からスピネカーマの居場所を特定しても、糸で足止めされ、突き出され振り回される舌に翻弄されている間に奴は姿を隠してしまう。
せめて外殻が万全の状態なら……公園の遊具を喰えば外殻の強度を取り戻せるだろうか……駄目だ、少しでも隙を見せれば糸キメラは標的を誠司たちに変えて来る。
圧倒的不利だ。このままでは……!
いや、焦るな。今は誠司たちを守る盾に徹して何とかチャンスを見付けるんだ。
「ぐりフィんト呼ばレてるノカ、お前は」
糸が飛んで来た方角を振り返ると同時に、槍のように突き出された舌が肩に突き刺さる。
大きな壺を割るような音と共に外殻が砕けた。生爪を剥がされるような痛みに思わず漏れそうになった悲鳴を必死に噛み殺す。
「夜ノお前が無力なこトハもウ分かっテイる」
微かに見えていた糸キメラの姿が闇に溶けていく。
何処へ消えたのか。きょろきょろと周囲を見回す俺の背後で誠司が叫んだ。
「グリフィン、スピネカーマはカメレオンだ! 擬態で隠れるぞ!」
糸キメラ……いや、スピネカーマがカメレオン? 擬態?
そうか、スピネカーマは闇に擬態する事で闇に同化しているのか。
グリフィンの猛禽類の瞳は闇に対して極端に見通しが利かない。夜というこの時間帯で相手にするには最悪の相手だ。
分かったからといって対策があるわけではない。だが能力が分かれば対策を考える事は出来る。
目は役に立たないなら……先日、誠司が襲われた時と同じだ、耳を使えばいいんだ。
グリフィンの聴力なら、微かな音だって聞き取れる筈だ。意識を集中し──。
ほんの僅かな、粘着質な音に振り返る。同時に闇の中から砲弾のように舌が突き出された。
身を捻ってかわしたが脇を掠めた。外殻がこそぎ取られるように破壊され、激痛に思わず膝をついた。
……かわしきれない。相手の攻撃の予兆を感じても、それをかわそうとする俺の動きが追い付かない。攻撃が速過ぎる。
「キキキ……」
闇の中にドーム状の巨大な赤い瞳が浮かび上がる。
スピネカーマの目だ……開いている目は見えるぞ……という事は、今まで目を瞑っていたのか?
奴は俺の姿を目視していない。それなのに恐ろしい精度で攻撃をしてくる。どうやって俺の位置を把握しているのだろうか。
呼吸か、気配か……分からない、くそ!
「……!」
小さな発射音と共に、死角から誠司たちを狙って糸が吐き出される。
咄嗟に翼を全力で噴射し、嵐のように砂埃を巻き上げながら誠司たちの前に転がり込み、全身で糸を受け止めた。
爆風に巻き込まれた誠司たちの悲鳴を聞きながら、俺は外殻が破壊されて剥き出しになった肩を押さえる。
糸によってざっくりと割れた肩から大量の血が流れだしている。
絡みついた糸を外殻で守られた指で毟り取り、誠司たちを振り返った。
「グリフィン、振り返るな!」
背骨をなぞるようなチリチリとした殺気に身を捩る。
剥き出しの肩を狙ったスピネカーマの鋏角が空を切った。
「おおおっ!」
左右の鋏角を掴む。その先端からは透明な液体が滴っている。
二ノ宮がやられたという毒はこれだろう。
赤い瞳が閉じられた。同時にスピネカーマの姿が薄れていく。
鋏角を掴んでいる感触はあるのに、目の前にいる筈のスピネカーマの存在感がまるで感じられなくなっていた。
「今のうちに離れましょう!」
スーツを土埃に塗れさせながら立ち上がった柳瀬さんが誠司と警官を先導して逃げる。
彼らの無事を確認して一瞬安堵した俺の頭部に強い衝撃。至近距離から放たれた舌の一撃で頭部外殻に大きな亀裂が入った。
まるで頭蓋骨が割れるような音、もう一撃浴びたらそれは現実の事になるだろう。
だがせめて、ここで奴の武器を一つでも……!
脳震盪を起こしたのか眩暈がする。両手に渾身の力を篭めるが感覚が無い。
「体重を掛けて跳べ!」
誠司の声を聞き、翼を噴射させる。
その噴射力で俺の体は見えないスピネカーマごと宙に浮いた。
両手に掴む鋏角を下敷きにするように地面に落下する。『ゴキリ』という音が二つ同時に響いた。
立ち上がった俺の胸を強い衝撃が貫く。仰向けに倒れた俺の両手には損壊して擬態能力を失った鋏角の先端が握られていた。
これで鋏角は使えなくなったか……?
鳩尾が酷く痛む。耐え切れない嘔吐感と共に大量の血を吐き出した。
心臓の鼓動に合わせて全身を襲う鈍痛は堪えるが、痛みのお陰で少し意識が醒めた。
「グリフィン、行くぞ!」
誠司がこちらに駆け寄って来た。
担いでいたギターケースはいつの間にか放り出し、持っているのは巾着袋一つだけだ。
柳瀬さんたちは大分離れた所にいるらしいが、暗闇のせいで具体的な居場所は分からない。
戦いの真っ只中に飛び込んで行く誠司を見て大層慌てている事だろう。
「反撃開始だ! スピネカーマは絶対にここで倒す。力を貸してくれ!」
「……」
本当は逃げて欲しい。
だがこういう時に誠司が梃子でも動かないのは知っている。
誠司を守りながら戦って、スピネカーマを倒すしかない。
そうだ、倒すんだ。
答えは最初から出ていたのだ。
俺たちの平穏を取り戻すために、スピネカーマを倒すんだ。
それが、殺すという事だとしても……。
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