第14話 立ち向かう者たちの邂逅
部室に来ると、空気が妙な事に気付いた。
相田と睦月が並んで座っている。何故か姿勢正しく両手を膝に載せて。
その向かい、俺に背中を向ける形でスーツ姿の男が座っていた。
振り返った男と目が合った。見た事のある顔だ。確か病院の事件を担当していた刑事、名前は柳瀬……だっただろうか。
会釈しながら後ろ手に扉を閉める。
「こんにちは! 来たよ!」
締めた瞬間、蝶番が吹き飛びそうな勢いで扉が開いた。
ぶつかりそうだったところを間一髪で避ける。
若干の緊張感を孕んでいた空気を一気に霧散させるテンションの高い声と共に飛び込んで来たのは、昨日会った二ノ宮だ。
呆気に取られた俺たちが返事も出来ずポカンとしていると、二ノ宮は「あれ?」と小さく呟いて室内を見回す。
「むっちゃん、はるちゃん、きょーごくん……という事は、君がせーじくん?」
指差し確認する二ノ宮が最後に見たのは柳瀬さんだ。
柳瀬さんは眉間に皺を寄せて訝し気に彼女を見返す。
「違うか。せーじくんはこんなにおじさんじゃない」
「……確かに、私は君たちより干支一周分は上ですが」
「あれ、せーじくんってそんなに年上だったの?」
「そんなわけあるか」
惚けた事を言う二ノ宮に突っ込みを入れたのは、ようやくやってきた誠司だ。
その無事な姿を確認して、ようやく俺は心の底から安堵する。
別れた後で敵にまた襲われてしまったのではないかと気が気でなかった。
帰宅してから何度もスマホに連絡を入れたが、全く繋がらなかったのだ。
「恭護、お前なんか用事あったのか?」
「え」
「なんか凄い着信入ってたから」
自分のスマホを軽く振って見せる。
「昨日の帰りに落としちゃったみたいでさ、さっき回収してきたんだ」
「そうなのか……そりゃ、良かったな」
「何が?」
「あ……その、見付かってさ」
「お前も何か用があるならうちに直接連絡すれば良かったじゃんか」
そういえばそうだ。
辻崎家に直接連絡すれば、誠司があの後きちんと帰る事が出来たのかどうかくらいは確認出来たのだ。
時代のせいだろうか、連絡先の候補として固定電話という選択肢が思い付かなくなってきている。
「柳瀬さん、彼が」
黙ってやり取りを見守っていた柳瀬を相田が促す。
柳瀬が立ち上がろうとするのを誠司は「いーからいーから」と止めつつ、向かい側に座った。
隣には相田がいる。その反対側に二ノ宮が当然のように着席した。
「……誰?」
「こんにちはせーじくん、今日から入部した二ノ宮ちはやだよ」
「部長の俺に事後報告なの?」
「はるちゃんも初めまして!」
「は、はるちゃん?」
相変わらず賑やかな子だ。
「柳瀬さん、もう気にせず話をした方がいいですよ」
二ノ宮に話の腰を折られて唖然としている柳瀬さんを睦月が促す。
「だけどいいんですか、こちらの方は無関係では」
「病院での件なら彼女は当時の野次馬です」
「!」
その発言に誠司と二ノ宮が注目する。
俺たちの共通の話題で病院がキーワードになるものは一つしか無い。
「キメラ怪人の話か?」
「察しが良くて助かります」
そう切り出すと柳瀬さんはここに来るに至った経緯を説明する。
病院でシザーアングが暴れた事件、通称『怪物事件』と呼ばれたそれは結局『着ぐるみを着た暴漢が凶器を手に暴れた』という結末となった。
キメラ怪人の存在については徹底的に無視されたまま、強引な形で捜査本部は解散されたのだ。
納得がいかない柳瀬さんは抗議したが、逆に目をつけられて独自捜査も難しい状況になってしまったのだという。
「そりゃ大変だと思うけど、それなら猶更ここでキメラの話を聞いてる場合じゃ無いんじゃ?」
話をするうちにくだけた雰囲気へと変わった柳瀬さんは首を小さく横に振る。
「それを踏まえたうえでの本題なんです。まず最初に、私が最近担当になったという事件について説明させてください」
柳瀬さんが担当している事件。それは被害者が頭上に放り投げられ、高架橋の天井に叩き付けられた事が死因という不可思議な事件だ。
つい最近キメラ怪人の存在を目の当たりにした柳瀬さんは状況から普通の人間の仕業とは思えず、キメラが関与している可能性を探っている。
しかしキメラ怪人に関する情報は非常に乏しく、署内の立場的にも大っぴらに捜査は出来ない。
「被害者の身元が分かった時に、同時に君たちの事も思い出したんだ」
被害者は、峠の事故で巻き込まれたドライバーの一人だった。
同じ事故に巻き込まれた人間である俺たちに接触してきたのは事故当時、殺人事件に発展するようなトラブルに心当たりはないかという事情聴取の為。
──と言うのが、表向きの理由だ。
「辻崎くん、君は怪物事件の時に言っていたね」
「何が?」
「峠の事故当時、君たちは怪物事件に先駆けてあの怪物、シザーアングに遭遇していた、と」
睦月と相田がはっとした顔で二ノ宮を見た。
そうだ、彼女は峠の事故については何も知らない。
「大丈夫。あたしは部員だから口は堅いよ」
自分に向けられた視線から意味を悟ったのか、満面の笑顔で答える。
その言葉の真意は俺でも分かる。
黙っているから部員に加えろ、という事だ。
「もしかして私は今、余計な事を言ってしまいましたか?」
「いやぁ、何も問題無いですよ。それよりも、俺たちに何を聞きたいんですかねぇ」
雰囲気から柳瀬が少し不安そうに口を挟んだが、誠司はのんびりとした笑顔で受け流す。
一瞬目が合った時、誠司は苦笑しながら頷く。
「君たちが知る、キメラという怪物の話を全て教えてください」
「確かに、俺たちはキメラ怪人についてはちょっとしたもんだけどさ。何度も会ってるし」
嘘つけ。
遭遇頻度が高いといってもたった二回じゃないか。
それも詳しく調べた事なんか無い。何も知らない人間と大して変わらないだろう。
「先ほども言ったが、私は今回の事件にキメラ……怪人が関与していると思っている。つまりシザーアングとグリフィンが」
『グリフィンは犯人じゃない』
睦月と誠司の言葉がハモって柳瀬さんの言葉を遮る。
「怪物事件の時も貴方たちはグリフィンに肩入れをしている様子でしたが、客観的に見て容疑が掛かるのは事実です。それとも、シザーアングの方が怪しいという根拠がありますか?」
どちらも犯人ではない。
ここにいる人間で断言出来るのは俺だけだ。
俺はそんな事をしていないし、シザーアングは既にこの世にはいない。
しかしそれを説明するには俺がグリフィンだと明かさなければならない。
結局、俺は話を黙って聞いている事しか出来なかった。
「あのね、あたしはどっちも違うと思うな」
黙って話を聞いていた二ノ宮が、真っ直ぐに挙手しながら発言した。
「グリフィンもシザーアングも、人間を一人放り投げて天井に叩き付けて殺す事は出来るよね」
「シザーアングの怪力は怪物事件で実際に見ているし、グリフィンもわたしたち四人を抱えて動き回れるくらいだから出来ると思う」
グリフィンが容疑者だと言われたせいで憤慨している睦月と誠司の代わりに、冷静さを保っている相田が答える。
グリフィンは格闘が苦手だ。それでも人間と比べれば並外れて強い力を持っている。普通の人間なら放り投げる事は簡単だろう。
「でもグリフィンが人間を天井に放り投げるとしたらどうするか考えれば、違うのは分かるよ」
死体はほぼ真下から天井に叩き付けられているのだから、真下から放り投げたと考えられる。
事件現場でもある高架橋の真下は地面が土で雑草が生い茂っている。そこにグリフィンが踏み入ったとしたらどうなるだろうか。
「グリフィンは凄く重いよ。物凄く重いんだよね。土の上だったら足跡が残るし、そうでなくとも雑草が踏み潰された跡くらいはあるんじゃないかな」
確かに、病院で戦った時も院内の床は一歩ごとにたわんだし、駐車場ではアスファルトを踏み砕きながら戦っていた。
そこにいたという痕跡を完全に隠し通すのは不可能に近いだろう。
キメラ怪人が犯人だという前提で考えるならば、怪しいのはグリフィンではなくシザーアングだ。
だが俺は知っている。シザーアングは死んだのだという事を。
八幡院長から聞いた状況から、睦月たちもシザーアングは既に死んでいると確信しているだろう。
この事は柳瀬さんも知っていると思うのだが……。
「柳瀬さん、ちょっと俺の考えを聞いてもらっていいかな」
「なんだろう」
「流石に死体の写真を見せて貰う事も出来ないし、推測で言うんだけど……」
誠司には心当たりがあるようだ。
俺にも心当たりがある。
「──糸」
「いと?」
「糸とか、そういうのが巻き付いたような傷があったりしない?」
柳瀬さんは数秒ほど考え、驚くほどはっきりと顔色が変わった。
驚いた表情で顔を上げた柳瀬さんに、誠司は険しい顔で頷く。
「どうしてそれを!?」
「昨晩、俺は新たなキメラ怪人に襲われたんだ」
睦月と相田が驚きの声を上げながら注目する。
俺も驚くべきだったが、答えを知っていたせいで反応が遅れた。
「恭護は驚かないんだな」
「お前の口振りからそんな事だろうと思った」
「流石、付き合いが長いだけあって阿吽の呼吸だな」
「使い方を間違えてる気がするな」
「待ってください、新たなキメラ怪人とはどういう事なんだ!?」
身を乗り出した柳瀬さんに、誠司は昨晩の出来事を説明した。
俺の家から帰る途中、公園で謎のキメラ怪人に襲われたこと。
闇夜に紛れてその姿は確認出来なかったこと。
そのキメラ怪人は鋭利な糸の束を撃ち出して攻撃をしてきたということを。
「その時にスマホを落としちゃっててさ、今日見に行ったらまだそのままだったよ。糸は鉄柵に巻き付いたやつ残ってるかと思ったけど見付からなかった。分解して土に返ったのかもな」
「グリフィンがまた現れて、助けてくれたんですか?」
ブランコの座板は巻き付いた糸によって切断されていた。
座板の材質はプラスチックか、ポリウレタン樹脂だろう。経年劣化を考慮しても、鉈以上の刃渡りの刃物じゃないと切断は難しい。
ブランコの外側を囲う鉄製の柵や、グリフィンの外殻までは切断出来ないから、その辺りが切れ味の境目なのだろう。
「あいつも苦戦してたな。多分グリフィンは……」
「辻崎くんを襲ったというキメラは、今回の事件の犯人かもしれない。被害者の両足には何かを、それこそ巻き付けられた糸が皮膚を切り裂いたような傷跡があった」
キメラ怪人の怪力なら殺害現場を作り出す事も可能だ。犯人は本当にキメラ怪人かもしれない。
柳瀬さんは自分の直感が裏付けされた事に軽い興奮を覚えているようだ。
対して、俺を含む四人の表情は優れない。
キメラ怪人がまた現れたのだから仕方ないだろう。
奴らの恐ろしさについて、俺たちはよく知っている。
「仮にこいつを糸キメラと呼ぶとして、だ。糸キメラの目的は何だろうな」
それが一番の疑問だ。
例えばシザーアングの場合、奴が人間を襲った切っ掛けは目撃者の抹殺だった。
「シザーアングと同じだとしたら、やはり目撃者の抹殺かな?」
「シザーアングを見た人間を殺すって事か? それは既に手遅れだろうな」
テレビなどのメディアでは徹底的に情報規制が行われているようだが、シザーアングの存在はSNSを中心に広まっている。
シザーアングを知る人間を皆殺しにするとしても、広まり過ぎていて全員を始末するのは実質不可能だろう。
「今度の相手は厄介だな。シザーアングみたいな無茶苦茶な暴れ方はしていないけど、相手を捕まえられない怖さがあるよ」
「そうなの?」
「真っ暗闇から糸がいきなり飛んできたんだ。気配は感じたけど姿形は全く見えなかったよ」
誠司が襲われた公園には当然、公園灯は設置されている。たが、広さに対して明らかに本数も光量も不足していた。
昨晩の戦いでも、暗闇のせいで糸キメラの姿が全く見えなかった。あのまま戦い続けていたら誠司を守り切れなかったかもしれない。あそこで退いてくれて助かった、というのが正直な気持ちだ。
糸キメラがあっさりと退いたことには何か理由があるのだろうが、今は情報が少なくて予想もつかない。
「ん……済まない、少し席を外します」
小さな鳴動音に気付いた柳瀬さんが懐から携帯電話を取り出しながら部室を出て行く。
彼が出て行った事で空気が弛緩したのを感じた。
「ねぇねぇ、せーじくん」
「なんだい部員の……えーと」
「二ノ宮ちはやだよ!」
「お、おう、二ノ宮ね」
珍しく勢いに圧されている誠司の肩を掴んで大きく揺らす。
「グリフィンの事、教えて!」
「え、えーと」
「どうしてグリフィンって名前なの? あの鎧みたいのって何なの? 鳥なのに羽ばたかないで飛ぶのはどうして?」
「グリフィンの名前は……って質問がはえーよ!」
一つの質問の回答を口にするよりも早く次の質問が飛んで来る。
口の達者な誠司が畳み掛けられて面食らっている姿を初めて見た。
二ノ宮は誠司の妹に似ていると思ったが、誠司の妹よりも強烈かもしれない。
「じゃあグリフィンって名前はせーじくんたちがつけたんだね。じゃあどうしてグリフィンって名前にしたの? 話は出来るの?」
「きょ、恭護、助けて」
「自分で言うのもなんだが、どうしてよりにもよって俺に助けを求める」
初めは誠司を笑ってやるつもりだったが、二ノ宮の勢いは見ているこちらも若干引くほどだ。
睦月と相田はいつの間にか部室の隅で身を寄せ合い、巻き込まれないように息を潜めている。
「申し訳ない、急な要件が入ったので今日はこれで失礼します」
通話を終えた柳瀬さんが扉を開けて覗き込むように顔を出す。
軽い返事と共に睦月が手を振ると、柳瀬さんは会釈して顔を引っ込め、去って行った。
「ねぇねぇ、グリフィンの外殻ってどんな手触りだったの?」
二ノ宮の質問は終わらない。
睦月と相田は互いに頷き合うと、壁に沿って少しずつ部室の出口へと移動を開始した。
途中で睦月が俺を見て目配せする。ははあ、そういう意図か。
誠司が二ノ宮に気を取られている事を確認しながら、俺も少しずつ後退りをして扉に手を掛けた。
睦月と相田が傍に来たところで、とうとう誠司が俺たちの挙動に気付く。
「お前らもしかして!」
「俺は就職課に行かなくちゃいけないんだ」
「わたしは後学の為に一緒に行こうかなって」
「御免ね辻崎くん」
一気に扉を開けると二人が真っ先に外に出る。
誠司の非難を背中に浴びながら、俺も振り返る事無く扉を潜る。
「お前はどうせ行っても無駄だろぉぉぉぉ!」
それは言ってくれるな!
部室を脱出した俺たちが歩いていると、駐車場へ続く道の途中で携帯電話を握り締めている柳瀬さんがいた。
戻る途中で着信が入ったのだろう。
眉間の皺が更に深くなる緊迫した表情で口元を手で隠していたが、俺たちに気付くと背中を向けた。
お互いの存在を認識してしまった以上、なんとなく立ち去るタイミングも失い、俺たちは柳瀬さんの声が聞こえないように少し距離を取ったところで所在なさげに立って待つ。
程なくして通話を終えた柳瀬さんは、携帯電話を胸ポケットに仕舞いながら振り返り、険しい表情のまま俺たちの下に向かって来る。
「先ほどはすいませんでした、折角おお話を途中で打ち切るような事をしてしまって」
「何があったのか窺ってもいいですか?」
「申し訳ありません。ただ……皆さんに関係があると分かったら、真っ先に連絡を差し上げます」
目礼した柳瀬さんは小走りで去って行く。
皆さんに関係があったら、とわざわざ言ったという事は、関係があるかもしれないと柳瀬さんは考えているのだろう。
話の流れから、それは間違いなく糸キメラの犯行に関する事だ。
糸キメラの目的は分からない。だけどその過程として人間を襲っているのは事実だ。
誠司が襲われたのもそのうちの一つだろう。
「また、キメラを相手にしなくちゃいけないのか」
思わず零れた呟き。
また、キメラが俺の大切な人を傷付けようとしているのか。
傷つくのは嫌いだ。
戦いは大嫌いだ。
大切な人たちが傷付けられるのも大嫌いだ。
だけど一番嫌いなのは、大切な人たちが傷付けられるのを守る力があるのに見過ごす事だ。
胸の中でどす黒いものが渦巻いているのを感じる。
糸キメラが意図的に誠司を狙ったのだとしたら、いつかまた狙って来るだろう。
絶対に許さない。
その時は、俺がこの手で殺し──
「恭護先輩、顔が怖いですよ」
「!?」
睦月と相田が俺を見ていた。
俺は今、糸キメラに対して殺意を抱いていた……のか?
キメラは人間なのだ。
殺したくない。
それなのに今の俺は止めることではなく殺すことを考えていたのか。
「加治くんはいつも仏頂面してる事が多いから、怖い顔だっていつもの事だよね」
相田の軽口に笑顔を返すつもりだったが、自分でも分かるくらいに頬が引き攣っている。
相手の命を奪う事に対する躊躇が薄れて来ているのを実感した瞬間だった。
グリフィンになった事で、少しずつ俺の心が歪んでいる。そんな気がした。
△▼△▼△▼△▼△▼
事態が動いたのは二日後だ。
誠司を通じて俺たちは八幡総合病院(正確には第二八幡総合病院)に呼び出された。
受付で待っていた睦月が先導し、俺たちは病院関係者のみが利用出来る従業員専用フロアに入る。
「二ノ宮はいないんだな」
「柳瀬さんに言われたんだ、彼女は連れて来るなって」
案内されたのは二十人くらいが入れる広さのミーティングルームだ。
八幡院長と柳瀬さんが既に待っていた。
「睦月に案内させるとは随分と偉くなったものだな」
開口一番に八幡院長の悪態が投げ付けられる。
相変わらずの毒に怯む俺とは対照的に、誠司は少し誇らしげに胸を張る。
そんな誠司の態度に八幡院長は地団太を踏みそうな表情で悔しがっていた。
「良かった、無事でしたね」
全員が室内に入ると柳瀬さんが安堵の溜息を吐く。
「柳瀬さん、何かあったんですか?」
「あれから幾つか分かった事がありまして……」
「本当にどうしてこのような事になったんだか」
八幡院長はいつになく機嫌が悪い。
だがそれは、ぶつけどころのない怒りを抱えているようだ。
「一昨日、君たちと会っている最中に連絡が来て中座した事を覚えていますか」
「そのまま帰られましたね」
「それは、新たな被害者が発見されたという連絡だったのです」
何の被害者だろうか。
当時、柳瀬さんと話していた内容を思い出せば、答えは一つしかない。
「糸キメラがまた出たのか!」
誠司の大声に八幡院長が舌打ちする。
「父さん、何をイライラしてるのよ」
「苛立ちもするに決まっている!」
八幡院長を尻目に柳瀬さんが口頭で俺たちに状況を説明する。
一昨日、発見された被害者は男が二人、女が一人の三人組だった。三人とも殆ど同じ現場で殺害されていたという。
死因は何処に叩き付けられたか、の違いなだけで全員が衝突による全身挫傷だ。足や腕など、体の何処かに鋭利な糸が巻き付いたような傷跡がある点も共通している。
「今回も身元を証明する物が持ち去られていたので、被害者の身元確認には難航しました」
衝突によって顔も潰されている為、外見から身元を調べる事も難しかった。
だが、三人には共通点があった。大学の講義で使用するテキストを所有していたのだ。
体格から二十代前後の若い男女だと分かっている。つまり大学生である可能性が高い。
テキストから大学を特定する事は出来ないが、柳瀬には心当たりがあった。
大学生の被害者、容疑者はキメラ怪人という時点で柳瀬の中には答えが殆ど出ていたのだ。
「結論から言うと被害者の三人は君たちの大学の学生、更に言うなら君たちが所属していたサークルの部員だ」
柳瀬さんの言葉を引き継いだ八幡院長が、睦月の顔を覗き見て重そうに唇を開いた。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ! どうしてそんな事が分かったんだ!?」
「君たちに確認すればもっと早く分かったのだが、それは少し躊躇われたからな……」
今回の犯行が峠の事故と無関係ではないと推理していた柳瀬さんが向かったのはここ、八幡総合病院だ。
事故当時、サークルのメンバーは全員が手当の為に病院に運ばれ、そこで治療を受けている。
その時に作成されたカルテは極端な話、当時現場にいたサークルメンバーのリストだ。
八幡院長に事情を話した柳瀬さんはカルテを基にメンバー全員の身元と安否を確認し、最後に残ったのが……。
「その、三人の被害者って事ですか」
「既に家族にも確認して貰っています」
「私も確認した」
「父さんも?」
「私は私が治療した患者全員の顔と身体的特徴を記憶している。顔は判別出来なかったが、あの体は確かに私が事故当時に診た者だ」
自分が関わり、一度は治療を施して回復した人間が卑劣な犯罪によって殺害された。それが八幡院長の苛立ちの原因だ。
被害者の三人の名前を柳瀬さんに教えて貰う。確かにサークルの部員だった者たちだ。
直接話をした事は無いが、顔と名前は憶えている。
大学生活は遊ぶ為にある、と豪語しているような連中だった。
小中学校でクラスに一人はいる騒がしい生徒が集まったような、賑やかな連中だった。
意外と人当たりの良い連中だった。こんな目に遭って当然なんて連中ではないと断言出来る。
「更に昨晩、やはり同じ手口の被害者が四人、出ました。調査の結果、やはり峠の事故に巻き込まれた方たちだと確認が取れました」
被害者が全員、峠の事故に関係している。もはや疑いようは無かった。
糸キメラの目的は峠の事故に巻き込まれた人間を殺害することなのだ、と。
「俺が事故に巻き込まれたせいか?」
「例え事故に巻き込まれた事が理由だとしても、悪いのは糸キメラだ」
「その通りだ、君は睦月に色目を使わず堂々としていたまえ」
糸キメラの狙いは俺たちだ。
このままでは、誠司や睦月、相田も襲われるだろう。
特に誠司は既に一度襲われている。そう遠くないうちにまた襲って来るかもしれない。
「被害者は全員、深夜に襲われている。君たちは日が暮れない内に帰宅して、夜間は家から出ないようにしてください」
「柳瀬さん、糸キメラをどうするか考えてるのかい?」
「正直に言えば、キメラ怪人をどう対処すればいいか分かりません。一応、事故の関係者が被害に遭う可能性が高いという事で人員を動かす事は出来ましたが、キメラ怪人を相手にするとなると……」
「相手の正体が分からないんじゃ猶更だよな……それじゃあ」
誠司……何が言いたいんだ?
嫌な予感がする。こういう勿体ぶった言い方をする時の誠司は、本当に碌な事を考えていないのだ。
「一度襲われて切り抜けた俺なら、また切り抜けられるかもしれないからさ、俺がおと「駄目だよ!」
誠司の提案を、相田の大声が遮る。
「キメラ怪人に襲われたら、人間なんて簡単に殺されちゃうんだよ? 絶対に駄目だよ!」
「あ、相田ちゃん……」
どちらにしても、一般人を囮になんか出来はしない。
柳瀬さんにも諭された誠司は渋々と、しかし何処かホッとした様子で提案を取り下げた。
「私は皆さんに注意喚起したいのであって、糸キメラとの対決に協力して欲しいわけではありません」
「ふう……何れにせよ、キメラ怪人に対するスタンスを決めなければならんようだな」
「スタンス?」
「改めて言っておくが、キメラ怪人の正体は人間だ」
飲み込んだ鉛が胃もたれを起こしているような不快感に、思わず鳩尾を押さえた。
視線を感じて顔を上げると、睦月が心配そうに俺を見ている。
「あらゆる理由があろうと人の命を故意に奪う事は許される事では無い。そう……思っていた」
八幡院長の表情に浮かんでいるのは苦悩だった。
「だが、シザーアングを見て分かった。少なくとも奴を止めるには倒すしか、殺すしかなかったのだと」
あの時は沢山の犠牲が出た。
もしも倒す事が出来なかったら更に多くの犠牲が出ていただろう。
その中には八幡院長、誠司、相田、そして睦月もいたに違いない。
だから、俺は……。
「グリフィンは間違っていないと思います」
俺の考えを読んだような睦月の声に顔を上げる。
また、彼女と目が合った。
「だってグリフィンは戦いを恐れていたから。傷付けられる事も、傷付く事も恐れて、それでも私たちを守る為に懸命に戦ってくれましたから」
「私もそう思う。だから全てのキメラ怪人がそうとは言わない。人間に対する害意を持つキメラ怪人に立ち向かうのであれば、これまで以上の覚悟が必要だということだ」
「つまり、この糸キメラに対してどういうスタンスでいるか、って話だろ?」
八幡院長の言葉を代弁する誠司に、柳瀬さんも得心して頷く。
「逮捕するのか、それとも倒すのか、という話ですね」
「説得は不可能だと思った方がいい。試みる事も諦めるべきだ」
「シザーアングを見た限り、生命力も尋常じゃない。無力化も難しい。倒すしか無いと俺は思う」
倒すしかない。
その言葉が胸の奥深くに突き刺さる。
「シザーアングには拳銃が効かなかったという報告があります。糸キメラとやらがどんな怪物か分かりませんが、拳銃には期待しない方がいいでしょうね」
「じゃあ、特殊部隊が持ってるような強力な銃ならどうかな?」
「試す価値はあると思いますが、上層部のキメラ怪人に対する認識の甘さから特殊部隊を動かす事は難しいでしょう。念の為、申請はしてみます」
シザーアングの時と同じだ。
俺たちは狙われているのだ。
糸キメラがいる限り、俺たちに平穏は戻って来ない。
倒すしかない──戦うしか、ない。
「大丈夫か恭護、手が震えてるぞ」
「あ、ああ」
そうだ。最初から答えは出ているじゃないか。
──俺は震えを押し止めるように、拳を強く握った。
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