第5話 月下の交戦

 ──鳥人キメラ、か。

 誠司たちには俺の姿がそのように見えているのだな。

 少しずつ離れて行く三人の気配。

 そうだ、振り返るな。真っ直ぐ進め。

 俺が絶対に、みんなを守るから……!

 全身でぶつかるように掴み掛り、慣れない拳を振り回してシザーアングと戦う。

 みんなを安心させてやりたかった。

 加治恭護は生きていると伝えたかった。

 俺が……目の前にいる鳥人キメラが加治恭護なのだと、伝えたかった。

 だが信じて貰えるだろうか。仮に信じて貰えたとして、それからどうすればいい?

 目の前の怪物が俺だと知った誠司たちがどんな反応をするのか、想像するのも恐ろしい。

 結局、俺は誠司たちに声を掛ける事が出来なかった。

 そうだ……俺は、キメラになってしまったのだ。

 腕は外殻に覆われている。その下には獣のように毛皮に包まれた肉体がある。

 不思議だ。肉体を覆う外殻にも触覚と痛覚がある。神経が通っているのだ。

 この感覚を無理矢理言葉にするならば『体表が二重に存在している』としか表現できない。

 手や足のような末端部分は肉体と外殻が完全に一体化しているみたいだ。自分の体の構造が理解出来ない。

 こんな生物など見た事も聞いた事も無い。

 むしろ存在する筈がないと断言しただろう、ほんの数時間前まえでの俺ならば。

 だが今は違う。俺は姿の存在を知ってしまった。

 特徴は勿論、見た目からして全然違う生き物だが、そんな姿はキメラ以外に思い当たらない。

「つ……」

 様々な種類の痛みが全身を苛む。

 人間の時に負った傷は、キメラになっても残っている。

 骨は折れているし、鳩尾の刺創も、火傷もそのままだ。

 普通に考えれば生きているのが不思議なほどの重傷だろう。

 だがまだ生きている。

 キメラになった事で得た強靭な生命力のお蔭だ。

 ……どうして、こんな事になってしまったのだろう。

 あの時、炎に飲まれたトラックと共に燃料タンクの爆発に巻き込まれたその瞬間は記憶している。

 気がつくとトラックは消えていた。

 炎は地面を黒く焦がした跡のみとなり、トラックがあった場所で鳥人キメラとなった俺は立ち尽くしていた。

 あれからずっと頭が痛い。

 まるで脳味噌が鉛の塊になったようだ。

 ずっしりと重圧を掛けられるような鈍痛、心臓が脈を打つたびに響いて苦しい。

 ──だけど、動ける。

 鋼鉄の外殻がギプスのように折れた骨を支え、鳩尾の傷もいわゆる圧迫止血のように塞いでいる。

 痛みは流石に消せないが、キメラの生命力ならば酷い痛みも我慢出来る。

 気分が良くないのは血を流し過ぎたせいだろうか、頭痛の原因の一端も出血のせいかもしれない。

 ──だけど、動ける!

 歯を食い縛れば、力を振り絞って戦う事が出来る。

 普通の人間だったら死んでしまうような重傷を負っていても、キメラの体なら戦う事が出来る。

 キメラの事、俺に起こった事、何もかも分からない。

 それでも分かっている事がある。

 たった一つだけ、しかしそのたった一つこそが俺にとっては何よりも、それこそ命を賭けられるかもしれないくらい大事なことだった。

 同じキメラとなった今の俺なら、シザーアングと互角に戦えるのだ。



(守るんだ。戦って、みんなを守るんだ!)



 無我夢中だった。

 誠司を失うのは嫌だ。

 八幡を、相田を失うのは嫌だ。

 みんなを俺と同じような目に遭わせるのは絶対に嫌だ!

 俺がキメラになってしまった事に理由があったとしても、そんな事は今は関係無い。

「コイつ、一体……?」

 鎌腕が外殻の上を滑り、火花と共に小さな傷を刻む。

 ……だが、それだけだ。

 猿腕の剛腕をまともに受けた外殻はさすがに無傷とは行かず、少しずつ形状を歪めて行く。

 だが、それだけだ。

 外殻の表面に傷がつくたびに、形状が歪むたびに、神経が痛みを訴える。

 だが、それだけだ!

 人間の肌に軽く痛みを感じる程度に爪を滑らせて跡をつける。

 痕が残る程度の力で殴られる、場合によっては皮膚が裂けて血が滲む。

 その程度の事だ。

 その程度の傷で、人は死に至るだろうか。

 有り得ないとは言わないが、可能性はそれほど高くはないだろう。

 今の俺が感じているのは、その程度の事だ!

「その力では人間をいたぶる事は出来ても、今の俺は殺せないぞ!」

 渾身の力を込めた拳がシザーアングの胸板に激突する。

 怪物とはいえ、敵意を持って誰かを殴る感触は消して気持ちいいとは言えない。

 それでも今だけは、この力で戦うと決めたんだ。

 息を詰まらせて後ろによろめいたシザーアングに休む暇を与えず、両拳に渾身の力を込めて振り回し続ける。

 この腕には猿腕ほどの力は無い。それでもこれだけ殴られれば、幾ら何でも無事では済まないだろう。

 そう、思っていた。

「意外ト大しタ事無イナ」

 頭上から落ち着いた声が聞こえた。

 その声音に苦痛の色は全く見えない。

 まさか、効いていないのか?

「こウヤルんだよッ!」

 猿腕が地面を抉り掬うように振るわれる。

 腕の動きははっきりと見えた。だが、体の動きが追い着かない。

 鳩尾を抉るような一撃。メキメキと音を立てて外殻が歪み、その内側にある鳩尾の傷が圧迫される。

 一瞬、足が地面から浮いたほどの衝撃が襲った。

「ぐ……あ……!?」

「チっ、随分と硬イな」

 傷から絞り出された血が外殻の隙間から流れ出した。

 倒れそうになったところに強烈な一撃を浴び、直撃した首が後ろへ折れ曲がる。

 仰向けに倒れた俺の視界を過ぎったのは、張り手を打ち抜いた姿勢のシザーアングだった。

「硬いナラ硬イナりにヤリヨうはある」

 倒れた俺の胴を跨いたシザーアングが尻餅をつくように鳩尾に圧し掛かる。

 咄嗟に両腕を押さえこまれる事だけは回避したが、鳩尾に感じるずっしりとした重みはどんなに揺すってもびくともしない。

 顎を鳴らして笑いながら、両手を組んだ猿腕が鎚のように振り下ろされた。

 押さえ込まれた上半身が弾むほどの衝撃、幾ら外殻があってもその衝撃は完全に防げない。

「が……っ!?」

「ハハハ! 奥ノ手ヲ使うまでモアルまい!」

 何度も振り下ろされる猿腕が生み出す衝撃に息が詰まる。

 このままじゃもたない、何とか脱出しなくては!

 今の状態はマウントポジションという奴だろう。一時期、格闘技の類に嵌まっていた誠司からマウントポジションがいかに有利か説明された事がある。

 その時に誠司は逆転する方法を言っていた。それを思い出せ……思い出せ!

「うわああぁぁぁぁぁっ!」

 これまで喧嘩すらした事の無い俺だったが、シザーアングの腕の動きは不思議とよく見えた。

 振り下ろされる猿腕を捌いて受け流す。外殻があるとはいえまともに受けるわけには行かない。

 狙いを逸らした拳が顔のすぐ横の地面を叩き、土が舞った。

「おッと……ソウか、鳥か…流石に目は良イミたいだナ」

 シザーアングの攻撃、それこそが俺にとってのチャンスだ。

 振り下ろされた猿腕を両腕で受け止める。

 メキメキと音を立てて外殻が潰れるように歪んだが、辛うじて持ち堪えてくれた。

 ここからは力比べだ、腕力では敵わないかもしれないが、全身を使えば……!

「いい加減に、どけぇぇぇっ!」

 両腕をクロスさせるように交差させて猿腕を挟み込み、大きく左に振る。

 シザーアングの上体が一瞬、左へ流れた隙に俺は背筋の力で上半身を可能な限り起こしつつ、上半身全体をシザーアングの右脇に潜り込ませた。

「おオ、オ?」

 シザーアングの体を左へ押し退けるように歯を食い縛る。

 小柄でも外殻がある俺の方が体重はある筈だ。

 ウェイト勝負なら十分に張り合える筈、このまま押し切れ!

 押し退けたシザーアングが地面に重い音を立てて倒れ込んだ瞬間、体に掛かっていた重みも消えた。

 解放感を味わう暇もなく、体を捻っていた勢いそのままにシザーアングともつれ合うように地面を転がり、転がる勢いを利用して片膝をついて立ち上がる。

 遅れて立ち上がろうとするシザーアングの顎を蹴り上げた。

 外殻に包まれた爪先が、受け止めようとしていた腕もろとも蹴り抜く。

「ごガああァッ……!」

 骨を折る感触、蹴り上げた勢いで宙に浮いたシザーアングが背中から地面に着地した。

 まるでカラカラに乾いた細い枯れ木を折るような軽い手応え。これが骨を砕く感触なのか……?

 思い切り蹴ったとはいえ、あの丸太のような猿腕を折るほどの威力が込められていた事が驚きだ。

 だがよく考えてみれば、鳥人キメラの脚力が強いのは当然なのかもしれない。

 こうして普通に立っているだけでも、自重で足跡の型が取れそうなくらい地面に沈んでいる。

 この分だと体重は一トン近くあるかもしれない。その重量をたった二本の脚で支えているのだ。

 腕力ではシザーアングには敵わないが、この脚力ならば戦えるかもしれないぞ。

「まだ、やるつもりか!」

 とはいえ、痛い思いをする戦いなんか真っ平だし、命のやり取りなんて以ての外だ。

 最初に割り込んだ時の体当たりと今の蹴りで、シザーアングは傍目に見ても軽くは無いダメージを負っている。

 ここらで引き下がって、何処かへ去ってくれないだろうか。

 シザーアングは上半身を起こしたところで苦しげに呼吸しつつ、俺を睨んでいる。



 ふと、その姿が唐突に消えた。



「な──!?」

 消えたのはシザーアングの姿だけではなかった。

 木々の隙間から差し込む炎の明かりに照らされていた森が、闇に飲まれていた。

 周囲を見回しても何も見えない。何が起こったんだ!?

 よく目を凝らすと、闇の中で濃度が違う場所があるようだ。

 いや、濃度が違うのではなく、これは木々の輪郭が僅かに判別出来ているだけだろうか。

 炎が消えた為に視界が暗くなっただけだという事か。それでも、やけに暗い、暗すぎる。

 木々の隙間から月明かりが差し込んでいる筈だ。空を見上げると、真っ暗な視界のほぼ中央に薄ぼんやりとした頼りない光が見えた。

 あれが月だと……濃い雲に覆われてしまったのか?

「くクク……」

 ガサガサとシザーアングが動く気配を感じた。慌てて倒れていた場所に駆け寄るが既にそこにはいない。

 僅かに影の濃淡が揺れているのが分かるが、揺れる葉によるものなのかが分からない。

 すぐ耳元に荒い息遣いを感じ、咄嗟に腕で頭部を庇う。

 ガツンという鈍い音と共に、痺れるような痛みを腕に感じた。

 今のはシザーアングの攻撃か!? この暗闇の中で奴はどうやって俺の位置を確認しているんだ?

 じっとしていたら駄目だ。動き続けなければ。

「鳥か……ソウか、鳥ト馬か!」

 とにかく動こう。そう思って数歩進んだ正面からシザーアングの声がした。

 胸板に強い衝撃を受けた俺はたたらを踏みながら転倒しないように踏ん張り、すぐに声が聞こえた方向に向かい腕を振るう。

「ギハはははハハハハ!」

 笑い声はすぐ背後から聞こえた。

 振り返ろうとした俺のこめかみに強烈な一撃が襲う。

 無防備なところに浴びた一撃で意識が朦朧する。自分が何処を向いているのか分からない。

 倒れているような気がするが、地面はどの方向にあるんだ……?

「分かッタぞ、オ前はサッき殺しタハずの男ダな!」

 暗闇の中でシザーアングの下品な声だけが響く。

 視覚がろくに機能しない分、他の感覚が鋭敏になっているのだろうか、酷く耳障りな声に感じた。

にナッて生き延ビタカ、運ガ良かッタノかどうカ」

 俺の正体に気付いた……だけどって何だ?

 死に掛けていた俺が生きている理由がキャリアというものになったからだというが……いつ、どうやって?

「いイヤぁ、今夜は良イ天気ダよ、空にハ雲一つ無イ」

 すぐ耳元でシザーアングの声。

 声のする方向に思い切り腕を振り回したが、既にシザーアングはそこにいなかった。

「ドウヤら、俺モ把握シテいないキメらうイるすがあっタミたいだナ」

 真上で【ミシ】と枝が軋む音。

 奴は真上にいる!?

「少し薄暗クナッただけデコれとは、鳥目トハ厄介ダナ……そウカ、成程……ソウなルのか」

 鳥目って、夜になると視界が利かなくなるっていうあれか?

 今の俺がその状態なのか?

「それはどういう意味だ……っ!?」

 首から上がもぎ取られたかと錯覚するほどの衝撃が顔面を襲う。

 頭部を中心に体がバック宙のように回転し、うつ伏せに地面へ叩き付けられた。

「く……は……!」

 呼吸によって気管が僅かに動くたびに、ミシミシという音と激痛が走る。

 頭部への強烈な一撃は、そのまま首への負担になったのだろう。骨が折れなかったのは幸いだが、頸椎から背骨に掛けて無数の針で刺すような痛みが続いている。

 眩暈が酷い、吐き気もしてきた。

 地面と思しき場所に両手をついて体を起こしたが、まるで力が入らない。

 膝が笑うと言うが、肘も笑うものなんだな。

「外殻ニ身を包ンダ生物ハ数多くイるガ、関節まデ完全に外殻で覆ウワけにもイカナいからナ」

 声は少し離れたところから聞こえた。

 方角と距離を探ろうとした瞬間、再び頭部への攻撃を浴びて俺は崩れるように地面に倒れた。

 体の何処が地面に接しているのか分からないくらい感覚が麻痺している、今の俺はどんな姿勢で倒れているんだ?

 パラパラと細かい物が全身に降り掛かるのを感じる。

 外殻に当たるその感触から、それがどうやら大量の木片らしい事は分かった。

 そうか……木か。誠司の脚を傷付けた、木の槍と同じような物を俺に投げ付けていたのだろう。

 三度目の攻撃が真上からうなじの辺りに叩き付けられる。

(こいつは……!)

 容赦なく急所を狙う攻撃。相手の命を奪う事に全く躊躇が無い。

 これ以上は、外殻は耐えられても中の肉体が耐えられない。

 こんなに……ここまで無慈悲に人を殺そうと出来るものなのか。

 誠司たちを守る為には、俺が生き延びる為には、こいつを倒さなくてはならない。

 今更ながら自問する。俺にそれが出来るのか?

 倒すというのはどういう事だ? 撃退する事か? もしくは殺す事、なのか?

 殺す事なんて俺に出来るのか?

(違う、そうじゃない!)

 命を奪う事を前提にしちゃ駄目だ。殺すのも殺されるのも真っ平だ。

 俺は一度殺されかけた。もしかしたら本当に一度死んだのかもしれない。

 だけど、殺されかけたり殺されたからって、相手を殺していい理由にはならないんじゃないか。

 じゃあ何とか撃退してこの場から逃げるか。

 撃退するだけでいいのなら話は簡単だ。話だけならば。

 だが、撃退したところで俺たちを殺そうとする事を諦めてくれるのか?

(覚悟が、決まらない)

 結局はそこなのだ。

 最悪の場合、相手を殺してしまうかもしれない、その覚悟が俺には無かった。

 迷いなく命を奪おうとする相手を前に、悩んでいる余裕なんかありはしないのに。

「……?」

 音が聞こえた。

 聞いた事のあるローター音、発生源は……空だ。

 この音は確か……と、視界の利かない空を見上げると、離れたところで一筋の光がスポットライトのように闇を貫いて地上に降り注いでいる。

 鳥目で視界が利かなくなっている俺でもはっきり分かる強烈な光は指向性のものらしく、何かを探すように森の表面を舐めるように移動している。

 指向性とはいえ強烈な光は地面にぶつかった後に周囲を照らすように広がる。それにより俺の視界がほんの僅かに回復した。

 質の悪い暗視カメラを通したような視界だが、それでも今の俺にはとても眩しく感じる。

「ヘりカ……モウ時間がなイナ」

 声を頼りに、木の槍を手にしたシザーアングの姿を樹上に見付けた。

 そうか、あれは救助者を探す為のヘリか!

 捜索が本格化しているのだ。誠司たちは勿論、俺たちも見付かるのは時間の問題だろう。

 そうなればキメラの目撃者も増えるだろう。シザーアングにとっては望ましくない状況の筈だ。

「時間切れだ、これで──っ!」

 殺気を纏った木の槍が飛来する。

 地面へ飛び込むようにかわしながら、移動するシザーアングを目で追った。

 しかし遠ざかるライトの光と共に甦る闇の中にその姿は溶け込むように消える。

「もう間もなく、人がここまで来るぞ!」

「そウダな」

「すぐにお前も、俺も見付かるぞ!」

「ソうダな」

「キメラの姿を見られるのは困るんじゃないのか?」

「ナラばソイつラも殺セばいイノダろう?」

 もし、今の俺が人間の姿をしていたならば、随分と間の抜けた顔を晒していただろう。

 何を言っているのだ?

 姿を見られたら困るのだろう? だから目撃者である俺たちを殺そうとしていたのではないか。

 それならば、そもそも姿を見られないように、見付かりそうならば身を隠すのが普通ではないか。

 それなのに、この言い草はまるで……。

「殺せばいいのだから、目撃されようと構わない……と言っているのか?」

「キめらの圧倒的ナちかラで人間ヲ叩き潰す感覚ヲ、オ前はまダ知らナイんダかラ無理モナい」

 殺されるかと思ったんだ。

 誠司も、八幡も、相田も、俺も……こいつに襲われて、何度も死を覚悟した。

 それは俺たちにとってあまりにも理不尽な非日常だ。

 命を狙われなくてはいけないほどの事をした覚えはない。

 こいつは……こいつはそれを……!

「男の体ハ筋肉質ダが、そレヲ裂く手応えハ最高ダ。だガヤハり女ノ方がいイ。脂肪で柔ラカい体ニコの手が食イ込み、引き裂クあノ感触……想像スるダけで勃ッテクるなアアぁぁァァァァ!」

 殺したいから殺すんだ。殺す理由が欲しいから姿を見られても構わないと思っているんだ。

 俺たちとは考え方が全く違う。

 これが怪物の本性なのか? キメラはそういう生き物なのか?

 ……俺もいつか、同じようになってしまうのか?

「早クお前ヲ片付けテ、逃げタ奴ヲ追わナキャな。若イ女ガふタりもイテ、楽シみで堪ラん!」

 嫌だ、そんなのは嫌だ。

 俺は人間だ。人間でありたい。

「俺は……俺は、お前とは違う!」

 命を何とも思わない奴の存在を許していいのか。

 こんな奴に俺たちは命を狙われ、今後も狙われ続けるのか。

 そんなのは真っ平御免だ!

 どうすればいい、その為に俺が出来る事は……そんなの、決まってるじゃないか。

「おおおおオオオオォォォォッ!」

 昂る感情を吐き出すように吼える。そうしなければ体が内側から弾けそうな気がした。

 はっきりと分かった。俺たちが本当の意味で助かるには、こいつを倒すしかない。

 それならば、その為なラバ──!

 鋼鉄の翼が【ジャキン!】と音を立てて勢いよく全開された。

 折良く、上空のヘリから放たれる指向性のライトが俺たちのすぐ傍を舐めるように照らす。

 地面に注がれた光、その照り返しが周囲の闇を一瞬払い、その中にシザーアングの姿もはっきりと浮かび上がった。

 見付けたぞ……見付ケたゾ!

「お前のヨウな奴を、許セるもノカぁぁぁァァァッ!」

 前のめりに倒れ込むような姿勢で地面を蹴る。

 ズドン! と翼の中で爆発が発生し、これまでにない勢いで高圧縮空気が噴射された。

 一気に加速した俺の体は纏わりつく大気の壁を引き裂くように突き抜け、シザーアングの胸板に肩から衝突する。

 すぐ頭上にあるシザーアングの顎から、体内の空気を無理矢理絞り出したような形容し難い悲鳴が漏れた。

 低い弾道で数十メートルの跳躍をした俺は、逃がすまいとシザーアングの腰に両腕を回して捕まえたまま着地した。

 巻き込んだ木々をへし折り、吹き飛ばし、ブルドーザーのように地面を削る。木々の破片や土砂は煙のように上空へ舞い上がった。

 地面の摩擦を経て減速し始めたところで、突き飛ばすようにシザーアングを解放する。

 その胸部は肩の外殻を模ったように窪んでいた。

「お……ゴ……ゲ、フ……」

 顎から大量の体液を垂らしながらぎこちない呼吸をするシザーアングは、今の体当たりで相当のダメージを負ったようだ。

 対する俺は鋼鉄の外殻によって外部からの衝撃を全て防いでいる為、殆どダメージを負っていない。

 今の攻撃でこの程度なら、もっとやれる筈だ!

「モう一度おおおオオぉォォぉぉッ!」

 一瞬だけ、但し全力で高圧縮空気を噴射する。

 高速の跳び膝蹴りがシザーアングの砕けた胸を蹴り上げる。

 一回り以上大きな体が軽々と宙を舞い、月明かりを遮る木々の天井を突き破って上空へと飛んで行った。

 まだだ、まだ足りない。

 徹底的に奴を砕かなければ!

 翼の力で跳躍し、俺も森の上へ飛び出す。

 木々に遮られていた月明かりがシザーアングの巨体を照らしていた。

「消エろおおオおぉぉォォォォォ!」

 不格好なボレーキックのように、横から刈り取るようにシザーアングの巨体を蹴り抜く。

 足甲が食い込んた猿腕の肩を砕く感触。何故かゾクゾクとした心地良さを感じた。

 蹴りを通じてこちらの運動エネルギーを受け取ったシザーアングは全身を回転させながら吹き飛び、轟音と共に生い茂る木々の絨毯に沈むように落下する。

 叩き付けられた勢いでシザーアングの巨体はもんどりうって地面を転がり、時に弾みながら森の一角を爪痕のように削り取った。

「コレで……こレデ……っ!?」

 スコンと、だるま落としで胴体を弾き出されたような喪失感と共に全身から力が抜けた。

 バキバキと枝を巻き込みながら落下し、地面にめり込むように叩き付けられる。

 急に力が……駄目だ、シザーアングがまだ生きているかもしれないのに。

 あいつが死んでいる事を確認しないといけないんだ。

 もし生きていたら、止めを刺さないといけないんだ。

 ……死んでいる? 止めを刺す?

 もしかして、俺は今……シザーアングを殺そうとしていた、のか?

 俺はシザーアングを殺す決意を固めていたのか? いつそんな決意をしたんだ?

 いや、しかし俺たちが助かるにはもうあいつを殺すしかないんだ。

 そうだ、俺たちは殺されかけたんだ、殺そうとして来る奴を殺して何が悪いんだ。

 しかも相手はキメラだ。あんな怪物を相手に、殺さずに助かろうなんて考えそのものが甘いんだ。

 そうだ、殺したのは正解なんだ。殺せば助かるんだ。殺せばいいんだ。

 殺せば……殺したかった、のか?

 俺は……俺は、人間なのに……。



 ……力が入らない。

 頭が痛い。

 俺はどうなってしまったんだ。

 俺は……どうなって、しまうんだ……。

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