第24話 花嫁


「これから、わたしはどうすればいいのかしら?」

 馬車の中、メリーナがそう言うと、隣の席に座っているエレが、あっさりと笑って言った。

「このままバドル家にいればいいよ、お嬢さん。なんだったら、エルドラスと結婚してバドル夫人になればいいし」

「な、何言っているの!」

 メリーナは赤くなって向かいがわに座っているエルドラスの顔をうかがい見た。暗いからよくわからないが、不機嫌そうにむっつりしている。馬車内なのでもう仮面はしていない。

「私は明日からはまた軍の仕事に戻らないといけない」

「そう? そりゃ、残念。大丈夫だよ、お嬢さん、エルドラスがいない間は、わたしが歌や物語を聞かせてあげるから、退屈なんてしやしないし。でも、エルドラス、いつかは軍を辞めてバドル家当主として生きていくようにしてもらわないと」

「勝手なことを言うな。おまえこそ、いつかは吟遊詩人なぞ止めて、女当主として生きていくようにしないと」

 親戚で幼馴染になるせいか、エルドラスのエレに対する言葉づかいはかなり乱暴だが、そこには兄妹のような親しみが感じられる。まさしくふたりは家族なのだとメリーナは感じとって、どういうわけか、ほんのすこし寂しい気持ちにもなった。そういえば、エルドラスが言っていた死にわかれた婚約者の名前がエレニアというのも気になってきた。あの話は作りごとなのだろうが……。そんなメリーナの煩悶にまったく気づくことなく、ふたりの軽口はつづく。

「もう、無理。今さら、どうやって世間に説明するのさ?」

 忌々しそうにエルドラスが唇を噛んだ。

「あら、どこかでお祭り騒ぎでもやっているのかしら? まだ人が退いていないね」

 しばらくして御者が声をかけてきた。

「もう少しお待ち下さい。どうやら貴族の結婚式があったようで」

 そこは神殿の近くだった。結婚式を見物に来た群衆であたりは混みあっている。

「貴族? 誰の?」

 何気なく訊いたエレに御者は答えをかえした。

「メグルク宰相のご子息が結婚したそうで」

 メリーナは息を飲んだ。頬が青ざめたのをふたりに気づかれたろうか。

 貴族の結婚式は派手で華やかだ。夜通しつづけられることもある。この人出は、祝いの客や芸人、祝儀目当ての庶民たちだろう。ここからも酔客の歓声が聞こえ、踊り子たちの散らす花びらが見える。近くの鐘楼から、祝賀の為の鐘の音が聞こえてくる。

 エレが窓から外をのぞいた。

「あら、花婿と花嫁じゃない?」

 新郎新婦のお披露目だ。

 月星と篝火に祝福され、初々しい男女がならんで大通りに姿を見せた。花嫁は銀紗のヴェールをかぶっているので顔は見えないが、物腰は上品で、いかにも名家の令嬢らしい。

「お相手は、誰なの?」

 たまらなくなってメリーナは訊いてみた。どのみちエレもエルドラスも、メリーナがメグルク宰相の息子ダルシスと婚約していたことを知っているのだ。  

「花嫁はどなただ?」

「アレシア海軍総督のご息女だそうで」

 御者の答えにエルドラスは、ふむ……と言ってうなずいた。

「……アレシア海軍総督は、ロルカ武相とは不仲だったそうだが、最近、和解したと聞いたな」

 この結婚には、ロルカ武相がからんでいるのだ。メリーナはうつむいた。

(いやだ……泣きたくないのに)

 相次いで両親を亡くし、〈黒百合塔〉での絶望の日々のなか、泣いて、泣いて、あまりにも泣きつづけて、もはや涙は涸れつくしたと思っていたが、やはり時がたつとすぐ新たな涙がわいてくる。そうだ、時はたったのだ。あの日からまだ半年とたっていないが、それでも、その月日は、メリーナやダルシスたちにとっては長い。

 きっと迎えに行く……。

(あのとき、あなたはそう言ってくれたのに)

 メリーナは歯を食いしばった。だが、つい懐のルビーをにぎろうとして、それが無いことに気づいた。ダルシスがくれたルビー。塔を出るときたしかにザザルが返してくれたのだが……、今日は持ってこなかった。ルビーのことを今まですっかり忘れていたことに、メリーナは初めて気づいた。

「当人たちの気持ちより、親の事情が大きいのだ。貴族の結婚とはそういうものだ」

 ひときわ歓声が大きくなった。

 ふたりがちょうどメリーナたちの乗っている馬車の前まで来ているのだ。

 すぐ、そこにダルシスがいる。

 窓から見えるダルシスは、黒絹に金糸の花鳥の刺繍模様もあざやかな衣装をまとい、腰にはおおきな剣を帯びている。バリヤーンの貴族の子弟は十歳ぐらいになると正式に腰に短刀を帯びることをゆるされ、結婚したときは長剣を持つようになる。一家をかまえたことによって、その剣で守るものが多くなったことを象徴している。その鞘に宝石を散りばめた見事な剣は、これより隣の花嫁と、その花嫁との間にもうける子どもたちを守るためのものなのだ。

 恐る恐るメリーナは窓からダルシスの顔を見た。

 唇を噛みしめ、こわばった表情で、笑っていないのが、せめてもの救いだった。いや、むしろ不機嫌そうにすら見えるが、人々は、新郎は生真面目な性格で、まだ若いから緊張しているのだろう、というふうに受け取ったかもしれない。

 だが、その笑みのない顔は、メリーナが押し殺そうとした感情をよみがえらせた。

(わたし、ここにいるのよ、ダルシス!)

 思わず、メリーナは窓からそう叫びたくなった。手を伸ばせば、そこにかつて愛した相手がいるのだ。

 不意に、たまらなくなってメリーナが窓から身をのりだそうとした瞬間、新婦がよろめいた。

 純白の衣の裾を踏んでしまったようだ。咄嗟にダルシスが手を伸ばし支える。かすかにだが、ヴェールが乱れ、新妻の素顔が月下にさらされた。

 銀髪に青い眼。細面ほそおもての顔は真珠色で、一瞬だったが、かなりの美少女だと知れた。

 二言、三言、ダルシスがいたわりの言葉をかけ、それに礼を言っているようだ。微笑ましい、美しい光景だった。

 花嫁の返事に、ダルシスが微笑む。

 それまでむっつりとしていた顔が、まるで雲間に満月があらわれたように、ほころんだのだ。

 一瞬、メリーナのなかに猛々しく燃えあがった炎は完全にきえた。

 親同士がきめた婚約だったが、それでもあれは、恋だった。メリーナにとっては 初恋だった。それが今、終わったのだ。

 涙が一筋、メリーナの白い頬をながれた。

(さよなら、ダルシス)


「わたし、ゆるしたわけじゃないわ」

 そうつぶやいたメリーナに、エレとエルドラスが注目した。

「この先、ロルカ武相の政治がどうなるか、見きわめてやるつもりよ」

 武相だけではない。国王もだ。そして宰相家も。

(わたしに何が出来る? でも、このままではすまさない。あの人たちがバリヤーンをどうするのか、どこへ連れていくのか、見きわめて……そして、もしそれがまちがったことになるなら、命がけで阻止してみせる。そんなこと、出来るかどうかわからないけれど……)

 今のメリーナは相変わらず何も持たないか弱い存在であることは変わらないが、それでも決意は変わらない。この先を、見つづける。

「ああ……そうだな」

 エルドラスはうなずき、エレは無言だが、その菫色の瞳はやさしい。

 バリヤーンの夜は更けていった。

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