第23話 吟遊詩人は語る

「あらためてご挨拶します。わたくしの名はエレニア=バドル。今は亡き、先の国王陛下と、ジャスミンの方と呼ばれたリルディ=バドルの娘です」

 毅然とした口調で吟遊詩人のエレこと、エレニア=バドルは挨拶した。

「お久しぶりですね、お嬢様。魂呼びの術は成功したようですね、こうしてまた会えたのですから」

 妖しい魔女のように、悪戯好きの妖精のように彼女は笑った。

 月夜にも美しい菫色の瞳、夜風にそよぐ亜麻色の髪。肌はやや飴色がかっているのが夜目にもわかる。

「え……でも、歳が」

 たしかエレ、いやエレニアは十五と言っていたはずだ。ジャスミンの方が身ごもったのは二十年以上前のはず。

「世間で知られていることと多少話がちがうのですが……、最初に身ごもった子、わたしにとって兄となる子は、幼くして病死したのです」

「え?」

「母は……見た目はか弱げに見えても気性に過激なところがあって、それ以上世間からあれこれ言われるのを悔しがって息子の死をかくし、当時、ちょうど両親を亡くして引き取った親戚の子、つまりそこにいるエルドラスを我が子として育てたのです。正直言いますと、多分、宮殿からいただく扶育ふいく料も欲しかったのでしょう」

 貴族とて生活していかねばならない。体面を保つためにはそれなりに苦労がある。今のメリーナには理解できる。

「病死した子ども、つまりわたしの兄は人知れず屋敷の庭にひっそりと埋葬されました」

 エレニアの言葉にメリーナはおどろき、自問した。

(それじゃ……庭で見たあの不思議な光景は、そのときのこと?) 

 過去の海戦を見たのと同じように、あの屋敷で過去にジャスミンの方が我が子を埋葬する光景を見たのだろうか。考えこむと混乱しそうで、メリーナは今はとにかくエレニアの説明を聞くことにした。

「その後、先の国王陛下は気まぐれからか、多少気になって内密に母を離宮に呼びよせたのです。母にとっては、もう二度とはないとおもっていた逢瀬。やはり国王のお召しはうれしかったのでしょうね」

 そのときの逢瀬でエレニアは生まれたのだそうだ。

「父国王は、そのうち後宮にまた招くから、と約束してくださったのですが、運の悪いことにそののち後宮で姫君の一人が病死したり、王太子が狩りの際に落馬して怪我をしたりと不幸なことが続いたのだそうです」

 まったくの偶然だとは思うが、そんなときに、かつて魔女妖女と悪い噂をたてられた女を後宮に呼びもどせば、また世間からあらぬ疑いをかけられ、いっそうジャスミンがつらい目にあうと心配した国王は、涙を飲んで約束を反故ほごにしたのだという。

「その旨をしたためた手紙を母は死ぬまで大事に持っていました。……でも、正直なところ陛下は、厄介事が面倒になったのでしょう」

 王者の愛とは、そういうものなのかもしれない。メリーナは苦い想いで聞いた。

「どうして、わたしを買ってくださったの?」

 禁じたはずの、買うという言葉が唇からもれる。

 エレニアはメリーナを見つめた。

 歳も同じ十五。運命の女神メグルヌスに翻弄され、ふりまわされてきたふたりの少女は互いの身を相手にかさね、共感とも同情ともつかない想いを噛みしめた。またふたりは他人ではない。血筋では叔母と姪ということになる。

「わたしの家には、暗い血が流れているのです。我が家の女たちは、代々重い宿業を背負って生きてきたのです。母は言っていました、たしかに自分は魔女か妖女かもしれない、と」

 意味がわからずメリーナは歯痒く思ったが、何かを感じて、エレニアの次の言葉を待った。

「わたしの母も尋常な生まれではなかったのです。母を生んだ祖母は、おもてむきは領地の身分低い家の娘ということになっておりますが、実を言うと娼婦でした」

 エレニアは淡々とした口調で、自分の血のみなもとを語る。

「祖母は、……ご存知でしょうか? かつて失脚した大臣家の娘が〈聖断〉を受け、娼館に買われたことを」

「あ、あの……」

 メリーナが牢獄のなかで我が身をかさねて幾度と思いえがいた薄幸の少女である。

「その不幸な娘が、わたしの祖母。そして……祖母の実家を破滅に追いやったのが、時のサヌバ太守。あなたのお祖父様です」

「嘘でしょう!」

 つい先ほど見た、あの夢のような世界がよみがえる。

 勇敢に敵兵と戦って国を守りぬいた勇ましい英雄、若きダリオが、噂に聞いた不幸な姫君を破滅に追いやった?

 半信半疑のメリーナに、エレニアはため息をついて説明した。

「いろいろな政治的な事情があったのです。わたしが後に母から聞いた話では、そもそも宮廷で力を伸ばしていった、あなたのお祖父様を心よく思わなかったわたしの祖父の方が先に手を出したようです。はかりごとをもって、あなたのお祖父様を失脚させようとして、逆に返り討ちとなったようで……。戦わなければ、こちらが殺される。権力争いとは、そういうものだと母は言っていました。今となっては恨んでいません」

 メリーナは手をにぎりしめた。信じたくないが、気の毒な大臣家の姫君の不幸には、祖父にも責任があったのだ。父といい、祖父といい、いったいどれだけの罪が太守家にはまとわりついていたのだろう。

 それだけではない。さきほど見た過去の世界でも、祖父の指令のもと、多くの血が流された。戦なのだから仕方ないが、自分の血筋にまつわる因縁が、メリーナはふと重たくなった。貴族や王族、名のある武将の血筋には、多かれ少なかれ暗い影がまとわりついているものだ。だが、十五のメリーナにはそれは重すぎるものだった。

 暗い表情のメリーナに、エレニアは話をつづけた。

「祖父は客として娼館にかよい祖母と出会い、本気で祖母を愛するようになったのです。けれどバドル家は貴族とはいっても地方の領主にすぎない貧乏貴族。祖父には祖母を手に入れるだけの力はなく、悩んでいたときに、手を貸してくれたのが、メリーナ、あなたのお父様なのです」

「え?」

 メリーナは運命の女神の悪戯に、またもおどろく。

「あなたのお父様はお祖父様のしたことにひどく反対され、落魄した大臣家の娘にふかい同情を寄せてくれたのです。そして、かなり危ない橋をわたって……見つかればご自分もかなりきびしい目に合うことを承知で、祖母を娼館から連れ去ることに協力してくださったのです。おもてむきは死んだということになっていますが、祖母はバドル家にかくまわれ、領民上がりの側室として、ひっそりと、けれどつつがなく暮らし、安らかに亡くなりました。今は祖父のとなりの墓で眠っています。祖父は正式な妻は生涯持ちませんでした」

「そ、そうなの……」

 横からエルドラスが口をはさんだ。

「サヌバ太守が若いころから異国へ出てあまり実家に帰ろうとしなかったのは、父上、つまりあなたの祖父と気性が合わなかったと聞いている。そこには、そういった事情もあったのだろう」

 祖父と父があまり仲の良い親子でなかったことは、メリーナも老いた使用人たちの昔話で聞き知っていたし、父自身もよく言っていた。

「そう……だったの」

 祖父にしてみれば、自分の立場を守るためにいたしかたなかったのかもしれないが、そのために罪のない娘を不幸のどん底に追いやってしまったことを父はゆるせず、その贖罪のために彼女を娼館から逃亡させることに協力したのだ。若き日の父太守にはそんな一途な男気や正義感があったのだ。

 父は、その後たしかに道を誤ったが、それでも、やはり根は、メリーナの知っていたように優しい、情のある男だったのだ。

「運命の輪はめぐるものですね。あなたが〈聖断〉を受けることになったとき、どうにかして助けたいと思って、エルドラスに協力してもらったのです。このエルドラスはなかなかの智者で、田畑の購入や商売のやり方など、いろいろ教えてくれました。おかげで、バドル家の財政はここ数年かなり豊かなものになったのです」

 メリーナは感心してため息をついた。

 まったく、驚くことばかりだ。

「……わたしにロルカ武相を殺すのをすすめるようなことをしたのは、できないと思っていたから?」

 エレニアは形の良い眉をややしかめて苦笑した。

「それはみとめます。けれど恨み憎しみをためこんでいると、いつか母のようになってしまうのではと案じたのです。思いつめ、やがて後悔するように……。あなたにはそうなってほしくなかった。そこでエルドラスと相談して、とにかくいったんあなたの憎悪をぜさせたほうがいいのではと思ったのです。いざというときはすぐあなたを逃がそうと思っていましたし、手はずもととのえていました」

 すぐ近くでエルドラスは様子を見ていたという。

「そうなの……」

メリーナは一番気になっていることを訊ねてみた。

「あの……でも、エレ、いえ、エレニアさん」

「エレでけっこうです」

「どうして、あなたはそんな格好をして、吟遊詩人の真似などしているの? いくらおもてだって当主を名乗れなくても、芸人の真似をする必要はないでしょう?」

「ふふふ」

 そこでエレニアは歌い手エレの顔になって、悪戯そうに笑い、手にしていた竪琴をかき鳴らした。

「自分でも不思議なのだけれどね……もの心ついたころから歌が好き、楽器が好き。時々屋敷にくる芸人たちから歌を習い、こっそり屋敷をぬけ出しては、旅の一座のなかにもぐりこんで歌っていたの。きっと、わたしは本当に取替え子で、もしかしたら領主の娘でも王の庶子でもなく、歌好きな妖精か精霊の落とし子かもしれないね」

 指が弦をはじくや、音のさざ波が月夜に流れる。

「さぁ、お嬢さん、今宵はここまでにしましょう。つづきはバドル家でしましょうか? エレがお供しますよ」

 メリーナは妖術にとらわれたように、ぼんやりとしてエレとエルドラスに守られるようにして船を出た。

「この船は、かつては軍船だったのよね。お祖父様が乗っていらしたのよね」

 梯子階段を降りるとき、メリーナは船体のほとんど消えかけた装飾に気をひかれた。

(ああ、そうだわ。この船の上で戦士たちが命懸けで戦ったのだわ。死んだ者もおおい。そして、あの女戦士が恋人をうしなって……)

 メリーナはまた哀切な想いに胸を騒がせた。

(そうだ、今度はエレにベルタの物語を聞かせてもらおう)

 サヌバ家では禁止されていた悲運の女戦士の物語を、エレは歌って聞かせてくれるだろう。


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