第12話 運命の女神

「はい、なんでしょうか?」

 セラミスは相手をいぶかしげに、無礼にならないように伏せ目がちに見た。

 身につけている青い衣は絹のようで、腰には鞘に紫水晶アメジストを散りばめた短剣がさしてある。

 身分高い貴族の子弟だろう。はなれた所で彼の従者らしき男がひかえているのが目に入った。セラミスはすこし緊張した。貴族に声をかけられる理由などないはずだが。

「おまえ、塔で働いているのだろう?」

 鳶色とびいろの瞳におなじ色の髪が数本、ぱらりとかかる。乗馬か武芸の鍛錬などで日に焼けたらしく、肌はなめらかなうすい飴色あめいろで美しく、ほどよく鍛えられた身体はすらりとして好もしい。そこへ宵の空が神秘的な蒼いヴェールを落とし、彼を野外劇場で、こっそり遠目に見かけた芝居の役者のように、幻想的なまでに魅力的に見せる。

 セラミスはつい見とれてしまった。塔のなかで目にする少年といえば、薄汚れた掏摸や盗人たちばかりである。今までこんなにも美しい少年を、これほど近くで見たことがない。 

「どうした、娘? 口が聞けないのか?」

 返事をしないセラミスに、相手は怪訝そうに茶色い眉をしかめた。

「い、いえ、しゃべれます。はい、わたくしは塔で働いております、セラミスという身分卑しい下女でございます」

 塔で働いている、という言葉を発するときは声を低めてしまうが、それでもセラミスは礼儀ただしく膝を折って頭をたれた。塔には時折、政府や裁判所の高官がおとずれることもあるので、ザザルから目上の人にたいする口の聞き方や礼儀作法は教えこまれていた。

「セラミス、おまえメリーナという貴族の娘を知っているか? 反逆罪で処刑されたサヌバ太守のひとり娘だ」

 セラミスは返答にこまった。塔の中のことはみだりに口外してはならないと、ザザルからきつく戒められている。

「あ、あの……わたくしお台所の下働きの者でして、よく知らないのです」

「そうか……」

 しょんぼりと目のまえの少年貴公子は肩を落とした。

「メリーナというのは、ぼくの許婚者いいなずけだったんだが……」

 一瞬にして相手は貴顕きけんの身の気負いを捨てて、歳相応に自分を〝ぼく〟と呼び目を伏せ、途方にくれた幼児のような素顔をさらした。

(この方がメリーナ様の許婚者……。知っていると言いたいけれど、囚人のことは口外してはいけないことになっているし……でも、少しだけなら)

 セラミスは自分にいいわけするように内心で呟いた。

「あのぉ……、その方のことかどうかわかりませんが、近々〈聖断〉があるようなのです」

「〈聖断〉……」

 一瞬、相手の顔色が変わった。

「お若くてお綺麗な貴族のお嬢様だそうです。もしかしたら、あなた様がさがしていらっしゃる方かも」

 禁をやぶってあえて言葉をこぼしたのは、セラミスの頭にひとつの考えが浮かんだからだ。

 〈聖断〉で、この若い貴公子がメリーナを買ってくれれば、メリーナはたとえ正妻にはなれずとも、許婚者の側にいられる。そのほうがどこの誰とも知らぬ男に買われるよりかはずっと幸せかもしれない。

 これぐらいのことならザザルもゆるしてくれるだろう。だが、返ってきた言葉は思いもよらず激しいものだった。

「〈聖断〉など、ていの良い売春ではないか! メリーナはそんな軽々しい娘じゃない!」

 眉をしかめて頬をひきつらせて怒りをあらわにする相手に、セラミスは面食らってしまった。

「仕方ないことなのです。〈聖断〉を受けないと一生塔から出られないから……」

「だから身を売るというのか? あさましい! ぼくのメリーナがそんなことをするわけがないだろう! まったく、下々の者は!」

「……」

 セラミスは泣きたくなった。

 メリーナが聖断を受ける覚悟を決めるまでに、どれだけ苦しんだか。あのげっそりと痩せほそったメリーナの気の毒な姿を思い出すと、相手の潔癖さに違和感をおぼえた。

(そんな……道徳心とか、貞節さとかにこだわっていられる場合じゃないのに……)

 今までにも〈聖断〉を受けた美女美童を何人か見てきたセラミスは、その決断をくだすまでの彼らの精神的苦痛を傍目はためにしてきただけに、相手の独善的な言い分に反発せずにいられない。

 親兄弟の罪に連座して、家名も財産もなくし牢獄にほうりこまれた彼らは、唯一の生きる道として〈聖断〉を了承したのだ。

 決断するまでに皆数日間考えに考え、おもやつれし、名誉と誇りを捨てるという身を切るほどに辛い選択をして、我が身をりにかけ、泣きながら塔を出て行った。

 そんな彼らを、あさましい、の一言で切り捨てるなど、生死のかかった苦労を知らぬ者だから口にできる言葉である。セラミスは自分とそう歳も変わらない相手の、絹の衣や宝石を散りばめた刀を、恨めしい思いで見た。

「メリー……いえ、その方も生きていかねばならないのです。塔の中で一生終われなんて、残酷です」

 鼠や害虫のはう黒壁、固麺麭かたパンと薄いスープだけという粗末な食事、とうぜん湯浴みもできず、用足しでさえ、せまい牢内のなかで桶ですまさなければならなかったのだ。深窓そだちの乙女には耐えられない環境だろう。しかもメリーナは愛する両親の死という、これ以上ないほどの痛恨事を経験してきたというのに……。 家族のいないセラミスだが、いや、いないからこそ、愛する家族をうしなったメリーナの心痛は、身を切られるほどに理解できる。

 思えば思うほど、セラミスの内にメリーナにたいする尊敬にも近い同情心がわく。

 それほどの苦痛を背負いながらも、メリーナは絶望しきっていない。

 当人は自覚していないかもしれないが、メリーナの美しい黒曜石の瞳には、ほのかな希望と勇気が輝いている。もしかしたらメリーナは、今のバリヤーンでもっとも勇敢な少女なのかもしれない。

「だからといって売春など……! 汚らわしい! そんな軽々しい女だったのか。売春婦に身を落とすぐらいなら塔のなかで清らかに生きる道をえらぶべきだ」

 彼の気品ある容貌が侮蔑にゆがんだ。

 獄舎での生活がどれほど苦しいか、彼には想像もつかないのだろう。セラミスはその無神経さと冷酷さにがっかりした。

 ザザルなら彼の激しい怒りと潔癖さの裏にひそむ恋人への思慕を読みとれたかもしれないが、セラミスが、恋する相手に過剰な期待をもってしまう若い恋人の苦痛をおもんばかってやるには、もうすこし季節が必要だった。  

「ええい! もういい、下がれ。おまえなどに訊いたのが愚かだった」

 セラミスはもう一度膝を折って貴人に対する礼儀をとおして、唇をかんだ。

「失礼いたします」

「……待て、娘」

 背を向けたセラミスに、再び声がかかってきた。

「はい?」

 すっかり暗くなってしまった世界で相手はまたも途方にくれた顔をして、それでも威厳をこめたきびしい顔つきで訊ねてきた。

「〈聖断〉はいつあるのだ?」

「……今日より五日後と聞いています」

「五日後、か?」

「はい」

 相手は不満そうな顔を向けているが、その目線の先に見つめているのが自分でないことにセラミスは気づいた。


 五日後の朝、セラミスはいつもと同じように朝日とともに起きだしたが、気持ちは憂鬱だった。今日、メリーナは売られて塔を出ていくのだ。

 裁縫はあまり得意ではないセラミスが、必死に夜なべしてこしらえた薄紅色の衣を試着したメリーナは、白い頬を上気させてほんのわずかだが明るい表情を見せてくれた。

 骸骨直前というほどに痩せていた頬や顎にもすこし肉がもどってきて、念入りに梳いた黒髪は艶をとりもどし、乙女らしい可憐な容貌になってきている。痩せほそった身体は買い手の同情をひくかもしれないと無神経な慰めを言ったザザルは、またもメリーナに睨みつけられたが。

(あの方、来てくれるかしら)

 セラミスは先日見た貴族の少年のことが、やはり気になる。

 来てほしいと思う反面、彼には金で女人を買うような真似はしてほしくない気もする。複雑だ。

「メリーナ様、よろしければ、これを」

 メリーナが身につけていた高価な装飾品は入牢する際にすべて奪われていたし、囚人は高価なものを持ってはいけない決まりだが、セラミスはせいいっぱいメリーナを美しく見せたく裏庭から摘んできた真紅の仏桑華ハイビスカスの花を髪にさした。

 紅い花一輪を黒髪につけただけで、やつれが一瞬にして大人びた魅力に変わり、鏡のなかの少女が華やかになった。

 満足しつつも、セラミスは自分がひどく残酷で悪趣味な催しに協力している気がして、ますます憂鬱になった。

 これからメリーナは売られるのだ。あの少年貴族が言ったように〈聖断〉は、ていのいい売春である。牢から出るかわりに純潔と誇りを捨てるのだ。

(しかたがないじゃない。……他に道はないのだもの)

 セラミスの胸は乱れた。

 同情だけではなく、恥ずかしいことに、かすかだがメリーナに羨望もわく。

 囚人を母として塔のなかで生まれ育ったセラミスには、本当の意味での自由はない。

 少なくとも、メリーナの前には、この先の運命がひらけてくる。

 それが幸せなのか不幸なのかはまだ判断がつかないが、賭けることができるのならば、わずかでも残された可能性に賭けてみるべきだろう。


「バリヤヌス主神と正義と公正の神シルバスの御名のもと、メリーナ=サヌバの〈聖断〉をとりおこなう」

 思っていた以上に部屋はせまかった。

 裁判所からやってきたという灰色の衣の役人が鈴を振ると、簡素な長椅子に腰かけていた男たちが粘つくような視線をメリーナに向けてきた。

「五十バルス」

「六十バルス」

「六十五」

 少しずつ値があがっていくのを、黒繻子の布幕の奥からセラミスは緊張しながら見つめていた。

 客に飲みものを出すために奥の室にひかえていたセラミスだが、心はやるせなさであふれ、素顔をさらして壇上に立たされているメリーナよりも深く傷つき、涙を流さないのがせいいっぱいだった。

 かつてザザルはセラミスを、「おまえは塔のなかのハイビスカスだな。それも黄金の」と彼らしくもなく詩的な表現で笑ったことがあった。

 黄金というのは黄色を大げさに表現したのだろうが、暗い塔のなかにあってにぎやかに咲き誇り、見る者の心を明るくしてくれる花にセラミスを例えたのは、彼女を知る者にはうなずけるだろう。だがそのときセラミスは嬉しげに笑いを返してはみても、内心で、

(でも、ハイビスカスは、咲きたくて塔の庭に咲いたんではないのですよ、ザザル様)と思っていた。

 どこに咲いても花は美しいものかもしれないが、花自体は場所をえらぶことができない。

 それが宿命というものなのだろう、とセラミスは口には出すことのない大人びた言葉を心中で苦くつぶやいたものだ。

 運命という名の風にはこばれた種子は、どういう仕組みなのか皆目わからぬこの世のことわりによって大地に落とされ根を付け、あとは陽光や雨風あめかぜという愛と試練にはぐくまれ、それぞれ花を咲かせる。

 まつりごとに反する意見を述べて逮捕された学者の妻だという女囚が、そうつぶやくように語ってくれたとき、セラミスはよく理解できぬまま、運命とはそういうものなのだろうと、受け入れることができた。

 塔の中で囚人を母として生まれ、そのためにこの塔の中でしか生きていけないセラミスの運命を、そういうものなのだと理解できたのだ。完全に納得はできないが……。

 だが、目のまえで貴族の娘として生れたメリーナが、自分以上の屈辱と試練にさらされているのを見ていると、生命と死の女神サラシア、サラレアの母女神であり、運命神といわれるメグルヌスを呪いたくなる。

「九十」

「九十五」

 値は上がりつづけたが、やがて百を超えるころになると止まった。

 競り合っていたのは二人の男で、たがいに長い板椅子の両端に腰をおろしており、興味深いことに二人ともかぶりもので顔をかくしていた。めずらしいことではない。常夏の国バリヤーンでは身分たかい人は被衣かつぎ面紗めんしゃで顔をおおう習慣があり、またこういう場所へ来る男はたいてい素性をかくしたがる。

 どちらも声からしてまだ若いようだが、セラミスには彼女から見てちょうど右側の男性が誰なのかすぐわかった。先日見た、メリーナの許婚者だという少年貴公子である。

(やっぱり来てくれたんだわ。ああ……お願いですメグルヌス神様、どうかあの人が勝ちますように)

 ついさっきは呪った運命の女神の名をとなえ、セラミスは手に汗をにぎった。

「百二十」

 つよい声が室内にひびき、そこで後につづく声は出なくなった。

 もう一人の男が最高値をつけたのだ。他の男たちは諦めたようにそれぞれ息を吐いた。

(お願い! もう一声、もう一声、がんばって)

 少年もまた膝のうえで悔しさに手をにぎりしめている。

 まるでセラミスの想いがとどいたかのように、黒絹の被りもののむこうで声を発しようとしたが、椅子の後ろにひかえていた従者に袖をひかれた。若い主君の暴走を案じて止めたようだ。

 小声で言い争うような仕草がセラミスにも見えたが、やがて少年は言い負かされるようにおとなしくなってしまった。

 セラミスにはメリーナの後姿しか見えないが、彼女の黒髪に挿した真紅のハイビスカスがかすかに揺れた気がした。そこで光景がよく見えなくなった。セラミスの目は涙であふれたからだ。貴族とはいえ、年若い彼にはこれ以上の金額は出せなかったのだろう。

「決定!」

 鈴の音がひびいた。

 それはまさしくメリーナの運命を決するメグルヌス神の冷酷な裁きの音だった。

(どうして……?)

 セラミスは誰に言うでなく問わずにいられない。

 役人が鼠色の衣の裾をひきずりながら進み、メリーナの手をひき、壇上から下ろした。

 かすかに見えたメリーナの白い横顔は無表情だが、手がふるえているのがセラミスにはわかった。手だけではない。足も胴体も、メリーナの魂そのものが屈辱と恐怖にふるえているのだ。

「以後メリーナ=サヌバの所有権はあなたに属する」

 役人のぶあつい手が男の手をとり、メリーナの細い手をそのうえに重ねさせた。

「どうぞ、リオルネル殿下」

その声はかすかにもセラミスの耳にとどいた。

(リオルネル? リオルネル殿下ですって?)

 セラミスは薄茶色の瞳にあらたな涙をにじませた。

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