第7話 黒百合塔

 いったいなんという運命だろう。

 ついこの日の午後までは世界一幸福で豊かな家族だったはずが、朝に見た太陽が沈むまでの、そのたった一日のあいだに、この世でもっとも不幸な家族となってしまった。

 父太守は罪人として死刑にされ、首を民のまえに晒され、まさにその生首のまえを妻子は囚人として粗末な馬車に閉じこめられて通り過ぎなければならないのだ。

 メリーナは泣きじゃくりながら、心のなかで太陽神サラズを恨み、月の女神ニルベルを呪い、運命の神、女神メグルヌスを責めたて、この世のすべてのことわりをののしった。

「ああ……お父様」

 地獄の深淵をのぞきこまずにいられないように、再び外を見たメリーナはすぐ後悔した。

 酔っぱらった貧しげな身なりの男が、笑いながら、晒し台の上に置かれた太守の生首めがけて小石をなげつけたのだ。周囲の者は止めようとしない。メリーナの胸はつぶれた。

 メリーナは嘔吐をこらえながらも、その男が死ねばいいと思った。黙って見ている群集も全員呪われてあれと願わずにいられなかった。

 こんなひどいことが起こっていいのだろうか。

(どうして、こんな、こんな事になるの? お父様は正当で寛大な貴族だったわ。なにひとつ悪いことなどしなかったはずよ。国を愛し、王家に忠誠を尽くし、わたしとお母様を大切にしてくれた。優しいお父様、大好きなお父様……それが、どうして……)

 地位にあぐらをかいて弱者を傷つけたことや、民をないがしろにしたことなどなかったはずだ。このバリヤーンで最も素晴らしい貴族だったとメリーナは確信している。

(どうしてこんな事になるの? あんな目に合わされないといけない、どんな悪い事をお父様がしたっていうの?)

 何故、神々はこのような不正を見逃すのだろう。

 この先の運命を思って高貴な夫人と娘はむせび泣くしかできなかった。 

「メリーナ。もう一度言うわ。誇りをすてないで。それだけがわたくしたちに残された、たったひとつの武器なのよ」

 メリーナはうなずきながらも身も心も萎縮していくようで、返事もできない。

(嘘よ、嘘……。ああ、これは悪い夢なのだわ。わたし、悪い夢を見ているのよ)

 人形のように硬直しきっているメリーナを抱きしめ、夫人は耳もとにささやいた。

「メリーナ、今となってはもうかくす必要もないからお前に告げておくわ。わたくしにはね、不思議な力があるの」

「……?」

「わたくしの母、あなたのお祖母ばあ様は霊感の強い巫女だったの。わたくしにもその血が流れているの。当然、あなたにも流れているはずだわ。その血を信じて。きっとあなたを守ってくれるはずだわ」

「本当に?」

 母はこの最悪の状況下、なんとかして自分を力づけようとしているのだろうか。

メリーナはそう解釈してせいいっぱい笑みをつくろうとしてみたが、泣き笑いのような顔しか見せられなかった。

「もし、そうなら、なんて心強いのでしょう。わたしは魔女の孫なんだわ。お父様をあんな目にあわせた相手に復讐できるわね」

「ええ、きっと。……メリーナ、嘘じゃないのよ。わたくしたちは母から、あなたのお祖母様から不思議で偉大な力を受けついでいるのよ。その力が必ずわたくしたちを助けてくれるはずよ。いよいとなったら、わたくしは自分の命を神にささげて魂魄こんぱくとなってあなたの上で舞い、あなたを守るわ」 

「だ、だめよ」

 つね日頃はおだやかでつつましい母のなみなみならぬ気迫に、メリーナは本気で言っていることを確信して語調に力をいれた。

 母の言葉からは自死の匂いがただよっている。母は特殊な力を信じ、いざとなれば自害して魂となってメリーナを守護すると言っているのだ。それは避けねばならない。

「いいえ、お母様、わたしが魂となってお母様の上で舞い、お母様をお守りするわ」

 無情にも馬車は〈黒百合塔〉へとついた。


 一生涯このような場所にはかかわることがないと思っていたメリーナたちは、黒い覆面をした不気味な男たちに押されるようにして、壕のうえに降ろされた橋をよろよろと渡り、塔へとみちびかれた。

 光る黒鉄のびょうをはめこんだ扉のまえに着くと、エルドラスがさけんだ。

「反逆者サヌバ太守未亡人レオナ=サヌバと遺児メリーナをつれてきた!」

 大きな木戸がきしみながら両方にひらく様子は、地獄の巨大な大蛇が鎌首をもたげ、ゆっくりと炎のような口腔をさらしてくるようで、メリーナは自分たちが恐ろしい怪物に呑みこまれてしまう気がして足がすくんだ。

 それでも貴人の誇りで必死に背筋をのばし、身分卑しき者どものまえに醜態をさらすような真似はなんとかふせげた。

「メリーナ嬢、ここから先は管轄外だ。私は二度とあなたの前にはあらわれないだろう」

「いいえ! またわたくしたちは出会うわ、きっと!」

 メリーナはあふれる涙をこらえて両手をにぎりしめた。憎しみだけが今は支えだった。

「わたくしたちの無罪が立証されれば、王侯貴族にたいする不敬罪でおまえが牢屋につながれるのよ! わたくし裁判のとき、どれだけおまえがわたくしたちに無礼な態度をとったか証言してやるつもりよ!」

 エルドラスはうすく青白い唇を皮肉げにゆがめたが、こぼれた言葉に怒りはなかった。

「そのときはお手柔らかに願いたい。では」

 メリーナから下がるようにしてレオナ夫人の前を通るときは、エルドラスは深く礼をした。レオナ夫人を見るエルドラスの冬夜空ふゆよぞら色の瞳にはさすがに憐憫が光っており、それは彼が唯一しめした殊勝さと人情だったのかもしれない。

「お母様……」

「メリーナ。最後までずっといっしょよ」

 地獄の使者たちのように黒覆面と黒衣に身をつつみ松明をかかげる不吉な獄吏たちの無言の案内によって、ふたりの貴婦人の絹沓きぬぐつは塔内へとすすんだ。


 バリヤーンでは牢屋や獄、刑場はけがらわしい場所とされており、そういった場所ではたらく官吏や獄吏は賤民せんみんと世間の人たちからさげすまれ、民間人と交際することはもちろん、婚姻をむすぶこともかたく禁じられていた。

 まれに平民が彼らと結婚する例もあるにはあったが、その場合、その者は賎民とまじわったとして二度と家族のもとへ帰ることはゆるされず、おなじように周囲の冷たい差別のなかで生きることを余儀なくされた。それほどきびしい偏見の対象となる場所であり、不浄とされた穢土えどであった。

 まさにそこへふたりは足を踏み入れたのである。

 メリーナは実感した。この塔に入った瞬間、自分たちは汚れたのだと。

 かりに無罪が立証され、ゆるされてここを出られたとしても、バリヤーンの貴族たちは二度と自分たちとかかわろうとはしないだろう。 

(もう……、ダルシスと結婚できないかもしれない……。いいえ、気を強く持つのよメリーナ。ダルシスがなんとか助けてくれるかもしれないわ。あきらめては駄目) 

 ダルシスからおくられたルビーの首飾りを胸のうえでにぎりしめ、メリーナは己の弱さを叱咤した。

 メリーナの目のまえには殺風景な広場があり、中央には断頭台がその不気味きわまりない姿をさらし、石壁のあたりに植えられている一本の柘榴の木が風に枝をゆらしている。この柘榴の木は、死刑囚たちの血をこやしにして実をなすのかと、メリーナはよけいなことを考えてさらにふるえた。

 心なしか、ふみしめた大地もまた囚人たちの血を吸ったかのようにどす黒く、メリーナの薄紅の絹沓をけがした。 

「その首飾りをわたされよ」

 くぐもった声で獄吏にささやかれて、メリーナは飛びあがりそうになった。

「な、なんですって?」

「囚人は高価な物と武器を持つことはゆるされない。塔に入るときにすべてあずかることになっているのだ」

「い、いやよ!」

 メリーナは必死にルビーをにぎりしめた。

 この宝石はダルシスの愛の証しであり、今のメリーナにとっては唯一の心のよりどころだ。不気味でいやしい獄吏の汚れた手になど死んでもわたしたくない。 

「規則だ。わたされよ」

「いやよ、いや! お願いだからこれはゆるして」

 つい気弱な声をもらしてしまったメリーナの袖を夫人がひいた。

「メリーナ、がまんなさい。あずけるだけよ。ここを出るときにはきっと返してもらえるわ」

「出るときがあればな」

 覆面の下で男が笑っていることが明らかだったが、メリーナはそれ以上抵抗するすべもなく悔し泣きしながら、それこそメリーナの血涙けつるいが染みこんだようなルビーを、ひそかに相手に呪詛をぶつけながら手わたした。

(呪われればいい! 病気にでもなって苦しんで死ねばいい!)

 建物のなかは湿った空気に満ちており、いやな臭いにメリーナは眉をしかめる。

 石壁にはところどころ燭台がとりつけられており蝋燭がほのかな火をこぼすが、それはいっそう地獄の風景を恐ろしげに照らす。

 黒く見える壁には、長年この塔に入れられた哀れな囚人たちの憎悪と怨恨のうめき声が染みこんでいるようだ。

 その囚人たちのうち、どれぐらい身に覚えのない罪で投獄された不幸な者たちがいただろう? 

 メリーナの足はすくむ。すぐそばに母がいなければ、とっくに悲鳴をあげて、その場にうずくまっていたろう。 

「メリーナ……希望をすてないで。なんとしてもわたくしがあなたを守るわ」

 はげましてくれるレオナ夫人の声もふるえていた。ふたりは手をしっかりとつなぎ、石の廊下をすすんだ。

「こちらだ。おまえは、あちらの牢だ」

 母と離ればなれにされることにメリーナは怯えた。

「いやよ! お母様といっしょでなきゃいや!」

「そんな我がままがとおるか。ほら、入れ」

 抗議の悲鳴はむなしく石壁に反射して消えてゆき、メリーナは母のとなりの牢へ入れられ、鉄の格子が残酷な音をたてて彼女たちをひきさく。

「ああ……お母様」

「大丈夫よ、すぐ近くにいるわ。気を強くもって」

 だが手をのばしてももはや触れあうことはできず、姿を見ることもかなわず、ただ声をかけあうことしか二人にはゆるされない。

「レオナ夫人は明日裁判を受ける」

 むっつりと覆面の獄吏がつぶやいた。

「わ、わたしはどうなるの? いっしょに裁判を受けるの?」

 覆面の奥の黒っぽい目がまばたきした。 

「……おまえは、まだ若い。子どもだ。裁判を受けることはないだろう」

 とりあえず命は安全なのだと男の声がつたえてきた。

「お母様はどうなるの? お母様は陛下の実の妹なのよ!」

「この塔は今までにも王族の血縁者をむかえてきた。そのなかには塔のなかで臨終をむかえた者も何人かいる」

 恐ろしいことを男は淡々と言ってのけた。

 男の言葉は悪意がないだけに厳然たる事実のように聞こえ、メリーナは言葉をうしなった。

「人の運命は女神メグルヌスの御心のままだ。そう思っていれば救われる」

 メリーナは鉄格子を握りしめておののくことしかできなかった。


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