第6話 動く棺桶

「ぶ、無礼な、なんですか、おまえたちは!」

 メリーナはすぐさま立ちあがると、信じられぬ思いで鎧姿の男たちを睨みつけた。

 女人の部屋に前ぶれもなしにいきなり入ってくるなど、彼女の今までの人生では想像もできなかった暴挙だった。

 黒衣に銀帯の、上官らしい若い男がすすみ出て、一枚の羊皮紙をさしだす。

「レオナ=サヌバ太守未亡人、および遺児メリーナ、陛下への反逆罪によって逮捕する」

 未亡人――。遺児――。

 たしかに目の前の男はそう言った。メリーナはふるえる背骨に力をいれ、歯を食いしばった。

「逮捕ですって! なんていうこと! わたしたちは国王陛下の縁者なのですよ! おまえ、名前はなんて言うの?」

 高貴な猫のようにメリーナはせいいっぱい胸をそらした。

「私の名はエルドラス=アリディアス。バリヤーン第一軍隊所属の小隊長だ」

 貴族の位を持たぬただの隊長ごときに……という蔑視を、メリーナは故意に見せつけてやった。

「お前、小隊の隊長程度の身分で、貴族のわたしたちに手を出そうというの?」

 エルドラスと名のった若者は、潔癖そうなほっそりとした顔に青筋をはしらせた。線のほそい品のある容貌は、武人というより学者か神官のようだが、声には微塵も慈悲は感じられない。

「法に背いて国家と陛下に仇なそうという者は、誰であれ捕えるのが我々の使命だ」

「これは何かのまちがいよ! お父様は忠実な国王陛下の臣下よ。だれよりも国のことを想っていらしたわ。そのお父様がどうして国王陛下に弓ひくような真似をするのよ。お前、今すぐ王宮へ行って陛下にそう告げてちょうだい。わたくしは陛下の血のつながった姪なのよ。きっと陛下はわたくしの言葉に耳を貸してくださって、もう一度調べなおしてくださるはずだわ」

 一瞬、相手は沈黙した。暗灰色あんはいしょくの双眼は昏い森の湖水の水面のように静かで、対峙するメリーナは、その薄暗い闇にすいこまれてしまいそうな錯覚をおぼえた。

(負けるものですか……)

 メリーナは絹沓きぬぐつのつま先に力を入れてふんばったが、しょせん今のメリーナは、強犬の群にとりかこまれたか弱い兎でしかない。

「刑はくだされた。あなたは逮捕されるしかないのだ。申しひらきは裁判官たちにするがいい。私の仕事はあなた方を〈黒百合塔〉へ連れていくことだ」

 言っているエルドラスの唇の方が青くなり、〝黒百合塔〟という言葉を発したときは目をかすかに伏せた。

「く、〈黒百合塔〉ですって? あそこは罪を犯した者が行くところじゃない?」

「ああ! メリーナ」

 メリーナの背後で夫人は声をあげて絶望のあまり泣きだし、メリーナに抱きついた。

「メリーナ、なにがあっても忘れては駄目よ。お前はわたくしの娘。お父様の娘。誇りをすてないで」

「お母様……。わたしたち本当に牢屋へ入れられるの……?」

 メリーナはいまだに半信半疑だ。

「何するのよ!」

 メリーナは咄嗟に、エルドラスがせかすように伸ばしてきた手を、怒りをこめて打ちはらっていた。

 瞬間、彼の黒髪が一筋、頬にこぼれた。彼は唇を噛んだ。

「屋敷の外で馬車が待っている。女人に手荒な真似はしたくない。すぐ来られよ」

 低い声で命令され、メリーナはまた相手を睨みつけずにはいられなかった。

 王侯貴族の自分がなぜ身分卑しき兵士に命じられなければならないのだ。

「エルドラスとやら、おぼえておいで! きっとこの仕返しをしてやるから。こんなこと、偉大なバリヤヌス神がおゆるしになるわけがないわ!」 

 国の守護神の名をだして、メリーナはエルドラスや彼のうしろにならぶ兵士たちに呪詛の言葉をはきつけた。

 それでも今は憎い男の命にしたがうしかなく、メリーナはよろける母をささえながら室を出、ひろい階段を下りていった。

 見慣れたはずの化粧漆喰の壁や柱廊でできた屋敷が、一瞬巨大な納骨堂に思え、メリーナは身震いした。あわてとまどう召使たちが、葬送の参列者のように見える。

「大丈夫よ、皆。すぐに誤解がとけてもどってくるから」

 メリーナは必死の努力で唇の端をつりあげ、彼らにこわばった笑みをむけた。


「メリーナ!」

 ひらきっぱなしの大扉のところにダルシスが立っているのをみとめ、メリーナは安堵とうれしさで一瞬、胸がいっぱいになった。

「ああ……ダルシス」

「なんてひどいことになったんだ、メリーナ。父から行くなと言われたのだけれど、いてもたってもおられず来てしまった」

 家族に黙って屋敷をぬけ出してきたらしく、ダルシスのよそおいは、袖なしの褐色の上衣うえごろもと同色の二裾ふたすそ下衣したごろもといういたって簡素なものだが、それでも腰には銀糸ぎんしのふちどりの帯を巻き、短剣をおびている。

 メリーナは彼の鳶色の瞳を見つめた。茶色の髪は、銀の鮫の飾りで後ろでまとめてある。メリーナはこっそり彼の背後にしのびよって、その髪の先を引っぱるのが大好きだった。

 彼の背後には近習がひかえているが、伏せがちな目で、主が厄介事にまきこまれはしないかと案じてか、迷惑そうにメリーナたちをちらちらと見ている。

 さらにメリーナは彼の言葉にメグルク宰相が自分たち一家を救ってくれる気がないことをさとり、絶望感がつのった。だが、それでも恋人の訪問はメリーナにかすかな希望をあたえてくれた。

「メリーナ、気をたしかに持つんだよ。きっとこれは何かのまちがいだよ」

「ええ、ええ、ダルシス。お父様を信じて。わたしたちを信じて。わたしたち、なにひとつ悪いことなどしていないわ」 

「可愛そうに、メリーナ。僕はもう一度、なんとかして君のお父上を救ってくれるよう、父に頼んでみるよ」

 ダルシスの耳には、まだサヌバ太守の訃報はとどいていないようだ。

(そうよ、もしかしたらあれは誤報で、お父様はまだ生きていらっしゃるかも)

メリーナは泣きたいのをどうにかこらえた。きっとそうだ。

「お願いよ、ダルシス。あなただけが頼りだわ」

「メリーナ、愛しているよ」

 濃い琥珀色の少年の瞳は涙にぬれている。

 こんなときだがメリーナは、胸のなかに小さな薔薇の花が咲いた錯覚がして頬が熱くなった。

 思えば、面とむかって愛していると告げられたのは初めてだった気がする。好きだ、とふざけ半分に言われたことは何度かあったが。

「おお、ダルシス、わたしもよ」

 ダルシスは品の良い手でメリーナの手をにぎりしめた。

 二人から一歩ひいてレオナ夫人は彼らを見つめていたが、その思慮深い黒い瞳には哀しみしかなかった。朝にひらいた一輪の薔薇の花が、その夕べに散るのを見ているような目になっていた。

「メリーナ嬢、これ以上おくれることはできません。こちらへ」

 やがて恋人たちは別れを惜しみつつ兵士たちによってひきさかれた。

「メリーナ! きっと迎えに行くから!」


 メリーナたちにあてがわれたのは、それこそ棺を縦にしたような黒い箱型の馬車だった。

 恋人を後にして、生まれてはじめて罪人用の、その窓のない粗末な護送車に乗り、木の座椅子に母とならんで腰かけたとき、メリーナは自分たちが魔神や悪魔にさらわれ地獄へと連れ去られていく御伽噺おとぎばなしの登場人物になった気がした。

 地獄の底から響いてくるような轟音をたてて、馬車は都の中央をすすむ。メリーナは馬車に揺られながら、すこしでも母をなぐさめたく母の右手を必死ににぎったが、その手はだんだん冷えていく。

「お母様」

メリーナが心配のあまり母の顔をうかがった瞬間、馬車の速度がいきなり落ちた。

「大通りに人がたくさん出て騒いでいるようだわ……」

 そう言ってメリーナは板の割れ目のわずかな隙間を、床板に膝をつくようにして覗きこみ、視界に入った光景に悲鳴をあげた。


 目の錯覚だと思おうとした。

 見まちがいだ、と。だが、それは残酷な現実だった。

 通りの中央には、なんと父サヌバ太守の生首が晒し台にのせられ、見世物のように人々の前に置かれていたのだ。

 メリーナは自分の胸がはりさける音をたしかに聞いた気がした。

(いやぁぁぁぁ!)


「ど、どうしたの? メリーナ」

 気丈なメリーナも嗚咽しながら母にしがみついた。

 衝撃のあまりメリーナは言葉をかざることも偽ることもできず、繊細な母に見たままを告げてしまった。 

「……お、お父様よ! お父様が、殺されて……ああっ、ひどい! 生首を晒されているのよ!」

 夫人は娘を抱きしめともに泣きじゃくった。

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