第3話 恋唄

 レオナの母、メリーナの祖母は国の守護神バリヤヌス神につかえる巫女だった。

 儀式の折に神殿に参詣した国王に、その野百合のような可憐で純情そのもの容貌と風情を愛でられ、そのまま後宮につれて行かれ、二年後にレオナを生み、さらにその一年後に病で逝った。

 先王が神への祈りの儀にはべった巫女に手をつけたことに、当時はかなり批判があったと聞いており、不幸な母の死は神罰ではないかとまことしやかに囁かれ、のちにその噂を聞いたレオナは、いたたまれなさに侍女の目からかくれて、ひっそりと涙ぐんだりしたこともあった。

 母の死が罰ならば、自分こそは罪の証しではないかと自己嫌悪にさいなまされたのだ。

 そして巫女であった母の血は、確実にレオナにもながれており、レオナはひどく勘の鋭いところがあった。

 最初はささいなことで、父王が訪ねてきそうなときは、たいてい言い当てることができたぐらいだったが、あるとき金細工の見事な櫛がなくなり、侍女たちがさわいだことがあった。

「あれは国王陛下の母上様、王大后様がレオナ姫様のお誕生日に下賜かしされたものなのだよ! 無くなったではすまされぬ! そなたらのうち、だれかが盗んだに決まっている!」

「怒らないで、婆や。マヤはただきらきら光る櫛がめずらしくて、きっとおひさまの下で見たかっただけなのよ」

 女たちのなかで一番年下のマヤと呼ばれる侍女が、レオナのその言葉を聞くや、花毯かえんのうえにくずれ落ちて泣きじゃくった。

 盗む気などはまったくなく、レオナの言ったとおり、ただ日の光のもとで見たらどれほど美しいだろうと、娘らしい純粋であさはかな考えにとりつかれ、いてもたってもたまらなくなり、つい櫛を手に庭園にでてしまったという。

 もちろん、すぐに櫛はもとあった鏡台の上にもどすつもりだったが、そのまえに庭を散歩していたレオナと乳母がかえってきてしまい、黄金の櫛が見当たらないことで騒ぎになってしまったのだ。

 当時レオナは八歳だった。父王の訪問を当てるぐらいならともかく、どうしてその場にいたわけでも、見たり聞いたりしたことでもないことを言い当てることができるのか、さすがに乳母はおそれをなし、レオナをつれて神殿への参詣のおりに神官に相談してみたところ、レオナを一目見た大神官は、「この姫は相当霊感が強い。おそらくは母の血をひいたのであろう」と目を見はった。

 乳母は平凡な、だが性根のいたって善良な女だったので、強力な霊感がけっしてレオナに幸いをもたらしはしまいと見きわめ、この事実をひたかくしにかくし、侍女たちにもよけいなことはいっさい部外者にもらさないように箝口令かんこうれいをしき、レオナにもきつく言い聞かせた。

(よろしいですか、姫様。姫様がときどき聞こえたり、感じたり、見えてしまったりするもののことは、わたくし以外の誰にもいっさい教えてはなりませぬ)

 レオナは幼心にも自分が人とはちがっていることを自覚し、またそのことで悩みもしたので、自分にとって一番の味方であり母親がわりになって愛情をそそいでくれる乳母の言葉をちいさな胸にきざみつけた。

 表面上は内気な深窓の姫としてすこやかに過ごし、十四で降嫁こうかし、乳母はその婚儀を見とどけたころ、安心したように他界した。

 今でも乳母のことを思うと、レオナ夫人は感謝の想いで涙ぐみたくなる。同時に、自分がつねの女たちとはちがうものを持っていることを思い出してもしまう。

 その特異な何かが夫人につよく訴えてくるのだ。

 何かが起こる、と。


「レオナ、メリーナ、ここにいたのか?」

「お父様!」

 扉の両隣にいるふたりの侍女たちのあいだを、色あざやかな孔雀の刺繍もみごとな裾をひるがえし、サヌバ太守がすすんでくる。

 十七年前、乙女だったレオナの心を一瞬でつかんだ秀麗な顔は年齢とともに、ますます深みが増し、魅惑的になってきている。

 いかにもたおやかな風情の夫人の伴侶としては、大柄な身体や、足早に女人の部屋に入ってくる動作など、やや無骨ではあるが、それはけっして彼の魅力をそこなわない。

 若いころ外交官として海のむこうの隣国におもむいていた太守は、幾度もの船旅できたえられており、文弱になりがちな他の貴族とは一線を画し、その貴種きしゅのなかににじむ野生が、彼をいかなる文官武官たちよりもきわだたせ魅力的に見せ、レオナの心を結婚後もとらえてはなさないのだ。

「あなた、どうなさったの? お早いお帰りで」

「……留守中、なにか変わったことはなかったか?」

 夫人に笑みを見せたつぎの瞬間、太守は唇をひきしめ、思慮ぶかい黒い瞳を愛妻と愛娘にそれぞれむけた。

「……なにもございませんが。あの」

「なければ良い。メリーナ、ちゃんと花嫁修業にはげんでいるか? 竪琴の腕はどれだけあがった?」

「恋唄ならいくつでも弾けるの」

「いけません、そんなはしたない! 人前で恋唄など歌うのは、街の遊女ぐらいですよ」

 めずらしく夫人が眉をしかめて声をすこし荒げたので、メリーナは悪戯な子猫のように父親の腕にからみついた。

「だってぇ、好きなんですもの。今はやっているのよ、エレの恋唄。エレって都で一番といわれる女吟遊詩人なの」

「エレ?」

 父太守が黒い眉をよせた。

「そう。今都で、いいえ、国中で一番人気の芸人だわ。いつも市がたつ日は広場で歌うんですって。貴族でも、わざわざちかくまで輿や馬車で行って聞いたりするんですって。それというのも、エレはどんなに乞われても貴族の屋敷には出むかないから、聞きたければ貴族や貴婦人たちがみずからエレが歌っている場所へいかなければならないの」

「それは……随分、気むずかしい歌い手だな。貴族の屋敷や宴にはべるのが芸人たちの夢だろうに」

 メリーナはみょうに得意げに胸をはった。

「普通はそうなんでしょうけれど、エレはちがうの」

「メリーナ、おまえその芸人を見たことがあるのか?」

 父太守の問いに、メリーナは小首をそっと否定にゆらす。

 その首筋は白蜜をかためてつくった彫刻のようで、謹厳な太守の目尻がとけていく。

「いいえ。そんなことお母様がゆるしてくれないもの。ねぇ、お母様」

「当然でしょう」

「でもね、お母様、見たことがあるお友だちの話だと、エレって素晴らしい美人なんですって。亜麻色の髪に薄紫色の瞳。声はべに水晶を溶かしたようだったって、その人感激していたわ。音楽の女神パドュが降臨したようだった、ですって」

「大げさだな」

「本当にそれぐらい偉大な歌い手なのよ。ねぇ、お嫁に行くまえに、わたし一度でいいからエレの歌を聞きたいわ」

「いけませんよ、貴族の令嬢が芸人の歌を聞くために街へ出るなんて。そのお友だちはずいぶんおてんばさんだこと」

(ねぇ……、だめ?)

 メリーナは母の目からかくれるようにして父のふところに顔をよせると、甘えるふりをしながら――事実甘えてはいたのだが、こっそりと囁いた。

(後で、な?)

 こういうとき、父と娘は秘密をわけあう共犯者になる。

 あくまでも貞淑で礼節ぶかく淑女の鏡のような夫人とちがって、父の方は若いころに外国生活を体験し異文化に触れたせいもあって、おおらかで習慣にとらわれないところがあり、メリーナのこういったのりをこえた頼みごとはたいてい父の耳に行き、それらは母の目を盗んでこっそりかなえられるようになっていた。

 勘のいい夫人は、実はそれに気づいているのだが、そっと知らぬふりをしている。

 深窓そだちで自由のまったくなかった後宮生活をしてきた夫人には、自分が味わうことのなかった娘らしい楽しみをメリーナにはすこしは楽しませてやりたいというひそかな希望もあったが、あまりおおっぴらに許すわけにもいかない。あくまでも母の知らぬうちに、父と娘が勝手にはめをはずしているという図式をつくりたいのだ。これは一家の、召使たちの目をのがれての秘密の遊戯だった。   

(お母様も、お父様も大好き)

 豪華な館のなか、七色の宝石や絹の衣にかこまれ、文字どおり花よ蝶よといつくしまれ、メリーナは両親の愛をふんだんに受けて暮らしていた。

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