第10話 眼光鬼の恋

 秋田県の男鹿三山と呼ばれる本山、真山しんざん毛無山けなしやまに発祥するナマハゲ信仰は、奈良時代に百済人の末裔である行基という土木技術に優れた高僧が、故郷・漢の武帝を赤神あかがみと称えて、男鹿半島本山に祀り、南磯地域に薬師信仰と道教信仰を布教したとあるが、その発祥の確たる記録として残っている古文書はない。僅かな手がかりの糸を手繰っていくと、そこには哀しくも素朴で温かい物語が見えて来る。


 いつの頃からか、毛無山にある日積寺にっしゃくじに住み込むようになった者がいた。渤海国ぼっかいこくと呼ばれる旧満州と、現在の朝鮮半島北部にまたがる国からの船が難破し、一組の夫婦が漂着した。日積寺永禅院の住職の計らいで九死に一生を得た二人は、船乗りの技術を活かして寺の修繕をするなどし、住職のために働いた。その夫婦は、寺に出入する修行僧の山伏達と交流を持つようになり、植物や石で薬を作る大陸文化の術を伝えるうち、次第に山伏達に尊崇の念を抱かれるようになっていった。やがて夫婦は、三人の男児を授かった。長男は眼光鬼がんこうき、二男は首人鬼しゅじんき、そして三男は横領鬼おうりょうきと名のった。

 三男の横領鬼が生まれて間もなく、日積寺の住職が他界してしまった。程なくしてその夫婦も、住職を追うように相次いでこの世を去った。山伏たちは、教えを説くシンボルとして夫婦を崇め、夫には眉間鬼本地みけんきほんぢ不動明王と名付けて青い面を、妻には逆頬鬼本地さかつらきほんぢ愛染明王と名付けて赤い面を配する青赤の“ナマハゲ”が誕生した。

 五社堂には眉間鬼、逆頬鬼、眼光鬼、首人鬼、横領鬼の五鬼が祀られ今日に至っている。


 或る日、長兄の眼光鬼がひとり荒れた登坂路に石段を敷く作業をしていると、日積寺に登って来た門前町の娘と出くわし、そこでふたりは許されざる恋に落ちてしまった。

 今日も娘は、親に隠れて眼光鬼のもとを訪れ、持参した昼食の握り飯を渡した。


「この寺さ来てもう何年になる?」

「何年になるべな。こうしていられるのも、家族が和尚さまに助けて頂いたからだ。したども、和尚さまは一番下の弟が生まれて間もなく亡くなられた。翌年には母も亡くなり、父も母を追うように亡くなってしまったもんでな」

「悲しい事って続くものね」


 両親の他界後、眼光鬼ら兄弟は親の言いつけを守って修験道に励み、和尚への恩返しの日々を送っていた。


「この石段が完成するのは、いつだべね」


 日積寺に続くこの急な山道は、娘が幼い頃、初詣のたびに途中から父にオンブしてもらった道である。


「門前町のお年寄りも小さい子も、もっと楽に寺参りができるように、一日も早く完成させるべど思ってる」

「子ども…好きだか?」

「子どもは大好きだ」

「あたしも!」

「もしも…もしもよ…」

「もしも?」

「あたしに子どもができたら産んでもいい?」

「え…」

「産んでもいい?」

「もしかして!」

 娘は恐る恐る頷いた。

「そうか! そえだば…急いでご両親に会って許してもらうしかねべ!」

「駄目!」

「…なして?」

「許してなんかもらえね」

「んだども子どもができたんだ、きっと…」

「許してなんかもらえねでば! それだけでね…あなたは…あなたは正体の知れない国から流れ着いた余所者よ。門前町の人たちにどう思われてるか知ってるべ?」

「……」

「ごめんなさい…」

「…そうだったな」

「あなたの子どもができたなんて知れたら…家族が村八分になってしまう。それより、あなたがここに居られなくなるのが怖いの!」

「……!」

「それに…あたしはあなたに修験道を貫いてほしいの。あなたは門前町のためにある人なの」

「……!」

「でも、この子は産む。あたしが初めて好きになった人の子だもの。絶対産む」

「……」

「約束してけれ」

「約束?」

「あたしはこの子が誰の子か絶対に言わない。だから…」

「したども、子どもが…」

「お願い!」

「……」

「いつかきっと分かってもらえる日が来るから!」


 眼光鬼は娘の決意が哀しく嬉しかった。この娘の決意に報いるために一層修験道に精進せねばと思った。


「分かった…分かったよ。言わないよ。約束する」

「どこで会ってもよ。この子が大きくなって、例えこの寺で会っても、父親の素振りは見せないで…この子にも絶対に悟られないで」

「…大きくなっても…悟られないようにする」

「あなたの弟さんたちにも…」

「ああ、首人鬼にも横領鬼にも悟られないようにする」


 娘は嗚咽した。眼光鬼は娘が作ってくれた握り飯を頬張った。


「 ごめんね…でも、いつまでも傍にいてほしいから…」

「…すまねな」

「どこへも行かないでね! ずーッとあたしの傍に居て、あたしとこの子を見守っていてね」

「ああ、どこさも行かない」

「約束して」

「約束する。お年寄りも小さい子も、もっと楽に寺参りができるように、一日も早く石段を作るよ。そしたら、子どもと一緒に来れるだろ。お寺に来たら、少しの時間でもすぐ傍にいられる。でも私は姿を現さない。陰から見守っているだけ…約束だからね」


 娘は泣きながら去って行った。その姿を愛しげに見送り、眼光鬼は再び石段造りの作業に取り掛かった。


 娘のおなかが目立つようになった。


「誰の子だ?」

「……」

「誰の子だでば!」

「……」

「近所の恥さらしだごど…誰の子だが正直にしゃべれ!」

「……」

「かが持ぢ(妻帯者)が?」

「……」

「黙ってだら分がらねべ!」

「ええ加減にひ、バッチャ!」

「したたて近所の目もあるし、このままだばテデなし(未婚の母)になるべ!」

「んだら、そんでええべ」

「みっともねふて表歩げねべ!」

「したら、おめは、えぢまでも表さ出ねばええべ」

「どごの男だ!」

「やめれでば、バッチャ!」

「したたて、どしぇばえった? こんちくたら事になってしまって!」


 母親は泣き崩れた。父親が娘に声を掛けた。


「産んでもえんて、体っこ大事にさねばな」


 娘は張り詰めた感情が一気に込み上げ、救われた。


「男鹿の本山さ赤神さまが祀らえでるべ。昔、偉いお坊さまがやってけだもんだ。赤神さまはな、なんでも漢武帝とがっていう偉い人になって、この世の中さ現れで来てけだもんだそうだ。したども、本当の姿は薬師如来さまだ。赤神山さ行って薬師如来さまさ頼んで、守ってもらうべ。な~んも心配っこしねてもええった。今度の小正月は門松も注連縄も付けねばええった」


 ナマハゲ信仰では、一年以内にお産のあった家や、不幸や病気、ところによっては家を新築した場合も、ナマハゲ神事には参加できない事になっている。

 そうした家々は、門松や注連縄を飾らない事で区別をした。その場合、家々を回るナマハゲは玄関先で“門踏み”と呼ばれる独特の足踏みをしただけで中に入らずに次の家に向かった。


 娘は無事に男児を出産して6年の歳月が流れた。ジッチャがその孫の相手をしていた。


「今年もそろそろナマハゲ来るな」

「うん」

「ナマハゲさまはどうやって数えるか知ってるか?」

「知らね」

「一人二人でねぐ、一疋(いっぴき)、二疋と数えるんだ」

「ナマハゲって中さ人入ってるんだよ」

「ナマハゲさまはナマハゲさまだ。ナマハゲさまは二疋か三疋一組になって、組ごとに必ず“先立(さきだ)ち”というのが付いて廻るんだ。先立ちはナマハゲさまより先に家っこさ来て、そこまでナマハゲさまが来ている事を知らせて、入ってもええがどうが聞く役だ」

「ジッチャは何でも知ってるね」

「んだよ。したら、ケデって知ってるが?」

「“けで”って、人さ何か“あげる”ことでしょ」

「その“けで”けれでねぐ、ナマハゲさまの着る藁の上着だ。ケデは、荒々しく振る舞うほど藁が擦れてたくさん落ちるもんだども、落ちたケデは次の朝まで掃除してはならね。拾って頭や病気のところに巻きつけたり、さすったりすれば治るもんだものな」

「ジッチャもバッチャも風邪引いたら病院さ行くよ」

「…ケデ、ねがったがらだべ」

「……」

叺持かますもちって知ってるか?」

「知らない」

「ナマハゲ餅、喰ったことあるか?」

「わかんないよ」


 こどもが欠伸をしてるのも気付かず、ジッチャは勢い付いて話し続けた。


「家にナマハゲさまが来たら、帰る時に餅を渡すんだ。この餅はな、悪い子の替わりに持っていってもらうんだ。この餅を担ぐのが叺持ちっていうんだ。その餅は叺持ちが担いだ瞬間から、ナマハゲ餅になる。ナマハゲ餅を食(け)ば、風邪も引がねし災難も除けられる」

「お餅食べたい」

「九九九の石段の話っこ知ってるか?」

「知らない…お餅食べたい」

「昔々、男鹿の山には漢武帝という偉い人が居でな、家来に五匹の鬼が居だそうだ。漢武帝さまはその五匹の鬼に、たった一日だけ正月休みをやったそうだ。すると鬼どもは喜んで門前の村に下りて行ったはいいども、畑を荒らすは、家畜を盗むは、挙句の果てに美しい娘まで浚ってってしまった。村人は鍬やら鉈を持って娘を取り返しに行ったども、強い鬼どもには敵わねがった。鬼は調子に乗って、もっとひどいことをするようになってしまったもんだがら、村人たちはどうするべど相談した。そして鬼どもに話を持ち掛けた。毎年一人ずつ娘を差し出すんて、村から五社堂まで今夜中に千段の石段を築いてけれってな。ただし石段が出来る前に一番鶏が鳴いたら、以後、村に下りて来ねでけれって約束っこさせだんだ。いくら怪力の鬼でも、一晩のうちに千段もの石段は造れねべど思ってな」

「石段登って五社堂まで行った事あるよ」

「鬼はえねがったか?」

「えねがった」

「鬼は三里も離れた寒風山から、岩や石を運んでは、見る見る石段を造り上げていった。これには村人も慌てた。このままだば一番鶏が鳴ぐ前に石段が完成してしまう…みんなで知恵をしぼって、あと一段で完成という時に、鶏の鳴き声のうまい村人が“コケコッコー!”って、一番鶏の真似をしたもんだたえに、さあ、鬼どもは驚いた。やっと九九九段まで出来て、あと1段だけという時に一番鶏が鳴いでしまった。鬼どもは腹立って腹立って、髪ふり見出して、凄まじい唸り声をあげで、そばにあった千年杉を引っこ抜いて、力任せに投げつけて悔しがったど。したども、鬼どもも大したもんだ。村人との約束っこをちゃんと守って、仕方ねぐ漢武帝さまのもとへ帰って行ったそうだ。それからというもの、鬼どもは未だに村人との約束を守って、二度と村で悪さをさねぐなったそうだ」

「五社堂には今も鬼が居る?」

「居るね。言う事を聞がね子どもの前にだけ現れるらしいな」

「ボク、言う事を聞いてるよね」

「さあ、どんだべな」

「聞いてるよね!」

「……」

「聞いてるよね、ジッチャ!」

「聞いでる、聞いでる」

「ボクの前には現れないよね」

「現れないよ。ただし!」


 こどもはビクッとした。


「鬼はちゃんと言う事を聞いてるかどうか、ずっと後ろがら見でるってよ」


 孫は恐る恐る自分の後ろを見ると、バッチャが大きな声で“どうした?”とからかうので、子どもは飛び跳ねた。


「何ばそんたに驚いで」

「今な、九九九の石段の話っこをしてたどごだ」

「ああ、あの五社堂の石段ね。九九九段かどうか数えにくいもんで数えた事がねえな。もっとあるんでねべがな。それより恐ろしい場所がある話をした?」

「どこだ?」

「姿見の井戸だべ」

「ああ、あの井戸な」

「井戸って?」

「五社堂のすぐ下にある古い井戸だよ」

「ボク、知ってるよ」

「めったに覗くもんでねえよ」

「どうして?」

「もしかして覗いたのか?」

「……」

「もし…覗いて…底の水っこさ、自分の姿がぼやけて映ったり、はだまだ映らなかったりしたら…」

「……」

「ジッチャ、そろそろ薪割ってちょうだい」

「あ、そうだそうだ。すっかり忘れでた」


 話の途中で祖父母はさっさと居なくなり、こどもはポツンと不安な金縛り状態に陥った。


「……」


 突然、奥から“どうしたの?”と母親に声を掛けられ、子どもは驚いて飛び跳ねた。


「母さん、ボクに何かやって来るよ!」

「何の話?」


 この年、眼光鬼は初めて門前集落への巡行祈祷を許された。入り口の戸がガタガタと揺れて、外でナマハゲの唸り声が大晦日の空に響いた。


「ウォーッ! 泣ぐ子はえねがーッ!」


 ガタガタと揺れる戸が突然開き、ナマハゲが室内に入って来ると、ジッチャとバッチャが出迎えた。


「おめでとうございまし。まじは良ぐ来てけだしな、ささ、どんぞどんぞ上がってたもれ」

「おめでとうございまし」


 娘はすぐに気付いた。その声、その素振りは“眼光鬼だ!”…ついに眼光鬼がやって来てくれたと。


「寒びどご、良く来てけだしな」

「山がら来るには容易でねがったど。ウォーッ、泣ぐ子はえねがーッ! 怠け者えねがーッ! 言うごど聞がね子んどらえねがーッ! 親の面倒み悪い嫁えねが~、ウオーッ!」

「ナマハゲさん、まんじは座ってお酒っこ飲んでくなんひ」


 祖父母はお決まりごとに、ナマハゲを膳に招いて労いの言葉をかけた。


「なんと、深え雪の中、容易でねがったしべ。今年も来てけで、えがったしな」

「親父、今年の作、なんとであった?」

「はい、お陰さまでいい作であったしでば」

「んだが。まだえ~作になるように拝んでえぐがらな。子んどらは皆まじめに勉強してるが? カッチャの言う事をちゃんと聞いてるがーッ!」

「聞いてます! おらえの子んどら、まじめで、親の言うごどよぐ聞ぐ、え~子だがら、とっても親孝行に育ってくれました」

「バッチャとジッチャば、大事にしてるがーッ!」

「大事にしてるのなんのって、この子は村中で一番いい子だし!」

「どらどら、本当だが? ナマハゲの帳面見でみるが」


 ナマハゲが腰に持参した台帳には、その家の者の一年の行動の真実が書かれていると伝えられている。


「何々、遊んでばりで何も勉強さねし、手伝いもさねって書(け)でるど」

「なんもなんも、なにがの間違いだし」

「んだが?」

「んだし、んだし」

「親父、子んどら言うごど聞がねがったら、手ッコ三つただげ。ひば、えづでも山がら降りで来るがらな。どれ、もうひとげり帳面見で見るが」

「ナマハゲさん、まんじ、この餅っこで御免してくなんひ」

「ウォーッ!」

「許してけれ! 娘ど一緒に暮らしてけれ!」

「バッチャ、おめえはナマハゲ様に何をしゃべってるんだ!」

「ナマハゲ様、どうぞ娘の酌でゆっくりして行ってたんひ!」


 バッチャが眼光鬼の膳の前に娘を進ませた。


「ほら、酌っこさひで貰え」


 娘は眼光鬼に盃を渡すと、眼光鬼は静かに受け取った。娘は目を潤ませながらその盃にお神酒を注いだ。眼光鬼は暫し娘に見入り、そして盃を空けた。


「ナマハゲさま、良かったら今夜泊まってえってもらっても…なんだったら、そのままここで…」

「何をしゃべってるんだ、バッチャは! この方はナマハゲ様だべ!」


 子どもが不思議そうに眼光鬼を見ていた。


「お母さん」

「え…」

「ボク、おっかねぐなんかねえ!」


 子どもは眼光鬼の胡坐にチョコンと座った。娘は慌てた。


「やめなさい!」


 眼光鬼は不器用に子どもの頭を撫でた。ジッチャとバッチャは、その様を見て嗚咽した。一同が囲む囲炉裏の赤々とした薪が優しく弾けた。


「カッチャもジッチャもバッチャも、おめえが守ってえがねばならねえ。約束出来るか?」

「うん!」

「男と男の約束だど…出来るか?」

「うん!」

「約束を破ったら、おめえば喰いに来るど!」

「男と男の約束は守る!」

「んだか…もう、カッチャのどこさ行げ」


 子どもは自慢げに母親に抱き付いて眼光鬼に振り返った。


「親父、子どもの躾、ガリっとして、家の者、皆まめでれよ。来年まだ来るがらな」

「ありがとうございました」


 ナマハゲは暫く母子を見つめ、それから祖父母に丁寧にお辞儀をして立ち上がった。


 キンとしばれる雪夜に、眼光鬼の声が響く。


「ウォーッ! 泣く子はえねがーッ! 約束守れねえ子はえねがーッ!」


 娘は子どもを抱いて外に飛び出した。松明の一団は、ゆっくりと雪の闇に消えて行った。


「カッチャ、ボク、ナマハゲになりたい」


 娘は子どもを強く抱きしめた。


 毎年、大晦日の夜に集落に現れるナマハゲは、家々を回り、弱虫やわがままな子を諭し、家庭円満を祈って去る。その面は鬼の如く、その風体は別世界を思わせる。男鹿門前の民は、先祖の残した心の遺産“ナマハゲ”の伝承を、強い責務を持って幾世代にも渡って伝えている。


                           〈 完 〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る