第2話 青梅のお雪

 百年以上昔の江戸は、中野辺りから西の武蔵の国一帯が豪雪地帯だったという。


 猛吹雪が続き、ついに食料が底を突き、やむなく茂作は狩りに出掛けなければならなくなった。

 数日が経っても獲物が見つからぬまま雪の山中を歩きまわるうち、十二月十二日になってしまった。その日は、山神さまが山を見回る日といわれており、山での狩りが禁じられている日だ。猛吹雪が一向に止まず、下山もままならなくなった茂作は、飢えと寒さで立ち往生していた。やっと踏み出した足が、雪に掬われて一気に急斜面を落下し、何かに激突して意識を失ってしまった。


「お気が付かれましたか?」

「どうして此処に?」

「三日程前の事、木戸の前に倒れてお出ででしたので…」

「三日前? 三日もこうして…!」

「運良く何処にもお怪我はないようで…」

「ご面倒を掛けました」


 茂作は立とうとしたが、すっかり衰えた体力で忽ちその場に倒れ込んだ。


「まだご無理はいけません。当分の間、吹雪が止みそうにもありません。快復するまで暫くここでお過ごし下さいまし。私はこの子と二人暮らし。何の気兼ねが要りましょう」

「これ以上、迷惑を掛けるわけにはまいりません。そろそろ暇(いとま)を…」

「この吹雪、明日には上がりましょう。今夜はこのままお泊りになって下れ」

「…それではお言葉に甘えて、もう一晩だけ…」


 外は変わらず猛吹雪の音が止むこともなく、夜もしんしんと冷えていった。


 ぐっすり眠っていた幼いお雪は、ただならぬ気配に恐る恐る目を開けると、母のお沙世が髪を振り乱して仰向けにのけぞり、喘ぐ息を押し殺して伸ばした手の先に、ぐらぐらと揺れる大きな黒い影が…その恐ろしさに思わず目をつむった。


「…母さま…母さま…母さま」


 心の中で繰り返して耐えていると、搾り出すようなお沙世の呻き声で重い空気が流れ、やっと静寂が戻った。暫くして、髪を撫でる優しい母の手を感じて恐怖は去り、お雪はまた深い眠りに入って行った。


 夜が明けると既に茂作の姿はなかった。


「母さま、あの人は?」

「早くにお発ちになりました」

「また来る?」

「もう…来ないわ」

「死んだ父さまと似てたね」

「…お雪」

「母さま、夕べ怖い夢を見ました」

「え?」

「でも良かった! 母さま!」


 お雪はお沙世に抱き付いて甘えた。男勝りの狩りの腕を持ったお沙世は、この冬も不自由なく越す事ができたが、春になるとその体に変調をきたしていた。


「母さま、どうしたの?」

「何でもないわ、ちょっと疲れただけ…お雪は優しい子だね…ごめんね、心配掛けて…ううっ!」

「母さま!」

「お雪、いい子だから暫く目をつむってておくれ」


 お雪は素直に両手で目を覆った。お沙世は小刻みに震え、必死に苦痛に耐えた。幼い雪にとって、母の呻きは恐ろしく長い時間だった。やっと治まった気配に雪はほっとした。


「母さま? 母さま? …目を開けてもいい? …母さま?」

「泣かない…」

「母さま、目を開けるよ」

「…泣かない赤ちゃん」

「母さま、それ…なあに?」

「赤ちゃんよ…泣かない赤ちゃん…」

「黒いよ?」

「可愛いでしょう」

「母さま…」

「赤ちゃんが…黒い…冷たい…泣かない…ああーっ!」


 お沙世は号泣から次第に奇声をあげて笑い出した。


「母さま! 母さま! 母さまーっ!」


 正気を失ったお沙世は、その日を境に日毎にやつれていき、ついに水一滴も飲めなくなってしまった。息も絶え絶えとなったお沙世が、やっと正気を戻し、お雪を抱き寄せた。


「お雪…」

「母さま! お雪の事が分かるようになったの! 治るよね! これから元気になれるよね!」

「…里に…里に暮らす茂作という人に…」

「その人に…茂作という人に何を伝えればいいの? …母さま! …母さま!」


 お沙世はそのまま静かに息を引きとった。


 二十年の歳月が経った年の十二月初旬、年老いた茂作は、一人の青年を従えて、今年最後の狩りに出掛けていた。この青年は幼い時に身寄りを亡くして以来、茂作が子供のように面倒を見て来た巳之吉という青年だった。やっと猪を一頭しとめて山を降り始めると、俄かに曇り出し、あっという間に猛吹雪になってしまった。


「急がねえと!」

「茂作爺さん、もうすぐ暗くなる。このまま里に下りるより、避難場所を探して吹雪が止むのを待とう」

「おかしいな…もうすぐ沢に出るはずだが…」

「迷ってしまったかな?」

「そんな筈はねえ! 何十年も歩き回った山だ。目をつむったって今居る場所ぐれえ分かる!」

「茂作爺さん! あそこは小屋じゃねえのか!」

「しっかりしろよ、巳之吉! こんな所に小屋なんぞ…」

「い、いや、確かに小屋だよ!」

「何だと!」


 吹雪に埋もれて凍りついた戸口を見つけ、二人は転がり込むように中に入った。


「茂作爺さん、獲物を小屋の中に入れないと熊に嗅ぎ付けられる!」


 猛吹雪の吹き込む中、巳之吉は獲物を小屋の中に入れ、戸口のつっかえをした。


「…こ…ここは! で、出よう巳之吉!」

「何を言ってるんだよ、茂作爺さん! そんな事を言ったってこの猛吹雪では…この小屋がどうかしたのか?」

「…いや、何でもねえ。吹雪が治まったらすぐにこの小屋を出る」

「今夜いっぱいは無理だろ」

「…獲物を中に運ぶぞ」

「今、オレが運んだろ」

「…そうか」

「茂作爺さん…大丈夫か?」

「今日は何日だ?」

「十二日…十二月十二日だ」

「なんて事だ!」

「何が?」

「今日は山神様が山を見回る日だ。こんな日に狩りをすると山神様の怒りに触れて…」

「迷信だよ、そんなの」

「…迷信ではない」

「・・・・・」

「火を起こそう。凍え死にたくはねえ」

「火を起こすったって、この小屋に燃やすものなんか何にもねえよ」

「予備に持って出たわらじがあるだろ。足りなきゃかんじきだってある」


 互いのわらじとかんじきの予備を取り出すと、茂作は慣れた手付きで火を起こしながら、やっと落ち着きを取り戻した。


「どうやらこの年になってドジを踏むとは、わしもとうとう焼きがまわったらしい」

「らしくねえよ、茂作爺さん」

「生きてる間におめえに話しておきてえ事がある」

「何を縁起でもねえ事を言うんだよ」

「わしは二十年前に、山神様の怒りに触れたらしい。今まで誰にも言えなかったが、この小屋に辿り着いたのも何かの因果だ」


 囲炉裏に火が入り、かんじきがパチッパチッと弾け出した。


「…そう、あの日も丁度こんな猛吹雪の夜の事だった。山で道に迷って遭難したところを、見知らぬ女に命を助けられた。無事に村に帰ったはいいが、翌年の冬のある猛吹雪の夜に、入口で女の声がした。初め、道にでも迷って助けを求めてるのかと思って戸を開けると、誰もいねえ…」

「・・・・・」

「それが毎年、たびたび続いて…」

「・・・・・」

「そのうち気が付いた…女の声がするのは決まって猛吹雪の夜だという事に…戸の外から聞こえてくる言葉は決まって “この子を抱いてくだされ…この子を抱いて下され… ”。ところが戸を開けると誰もいねえ。暫く経ってから、わしはふいに思い出した。聞き覚えのある声…」


 話しながら茂作はウトウトし出した。


「茂作爺さん…茂作爺さんよ?」

「…眠い…疲れが出たらしい…話の続きは…明日…明日話してやる…悪いが囲炉裏に薪をくべといてくれ…」


 茂作はすぐに軽いいびきをかき始めた。


「薪なんか何処にもねえよ」


 巳之吉は土間で、吹雪いた雪の下になっている一枚の筵を見つけた。筵の雪を掃って茂作に掛けてやり、自分は囲炉裏の残り火で背を暖めながら丸くなって寝に入った。寒さの疲れが出て、いつしか巳之吉も深い眠りに入っていった。


 寒さで巳之吉は朦朧と目覚めた。吹雪でこじ開けられた戸口の隙間から、漏れる雪明りが目に入ってきた。その明かりは美しい女の姿に変わり、スーッと茂作の足元に立った。


「この子を抱いて下され…この子を抱いて下され…」


 その女の手元に赤子が現われ、次第に真っ黒になって大きな目だけが残った。その赤子はいきなりギョロッと巳之吉を睨んだ。巳之吉は思わず声が出そうになったが、金縛りに遭って声どころか身動きすらできない。次の瞬間、赤子は光を発するかのように粉雪となって辺りに散った。女はゆっくり茂作に覆い被さり、口から真っ白い息を吹きかけた。茂作は見る見る凍っていった。女は静かに立ち上がった。その横顔がくっきりと雪明りに浮かんだ。


「…雪女だ」


 恐ろしさと美しさに、巳之吉は目をつむり、ゴクリと生唾を呑んだ。気配もなくなり、もう一度目を開けたすぐ目の前にその女が顔を寄せていた。


「(絶叫)あーっ!」

「…見たな…」

「お、お、お、オレは巳之吉という者だ…こ、こ、殺すなら殺せ! …あ、あんたのような綺麗な人に殺されるなら本望だ!」


 女はじーっと巳之吉を見据えた。観念して目をつむる巳之吉はそのまま気を失ってしまった。


 気が付くと巳之吉は自分の家の床に寝かされていた囲炉裏には火が入り、村人が何人か集まっている。


「おお、巳之吉が気が付いたぞ! 巳之吉、山で何があったんだ?」

「…茂作爺さんは!」

「茂作爺さんは死んでた…カチンカチンに凍ってな。何があったんだ、巳之吉!」

「…それが…思い出せねえ…覚えてねえ…」

「祟りだ…やっぱり山神様の祟りだ! 山神様を祀る十二月十二日に山に入って狩りなんかするから、こういう事になるんだ!」

「猛吹雪で帰れなくなったんだ」

「言い訳なんぞ聞きたかねえ! こっちまで山神様のトバッチリがきたら大変だ。これからはお前とは関わらねえからそう思え!」


 こうして巳之吉は村から孤立させられた。


 翌年の春、いつもと違い一人で狩りをするようになった巳之吉は、二羽の野ウサギをしとめて山を降りて来ると、若い女が里を眺めてぼんやり立っていた。


「どうかしたのかい?」

「・・・・・」

「オレはあの里に住む巳之吉という者だが、あの里に何かご用でもおありかい?」

「…いえ」

「思い詰めた顔をしてるようだけど…あの里の事で何か悩みでもあるんじゃねえのかい?」

「ちょっと休んでいただけです」

「どこまで行きなさる?」

「・・・・・」

「立ち入った事を聞いてしまったな。こんな山の中、若い女が一人じゃ物騒だと思ってよ。…気を付けて行きなされ」

「江戸まで…」

「…江戸までかい! 今からじゃあの里に着くまでに夜になっちまうじゃないか」

「夜歩きは慣れてますので…」

「そうかい…(帰ろうとするが)…やっぱり放っとけねえよ。一晩泊まっていきなよ…いや、下心なんかねえ。オレは納屋に寝る」

「知らない女なんか泊めたら、あなたの許婚が心変わりするわ」

「そんな者いねえよ…あ、そうか、お前こそ変な噂が立ったら困るよな」

「そんな者いねえよ」

「…オレの真似すんなよ」

「泊めて戴けたらありがたいわ」

「そうかい、じゃ話は決まりだ。たいした物は喰わせられねえけど…あ、そうだ、名前を聞いてなかった。良かったら教えてくれ…いや、嫌ならいいんだ。一晩泊まるだけだから名前は言わなくていい」

「雪と申します」

「お雪さんか…オレは巳之吉っていうんだ」

「最初に聞きました」

「あ、そうだったかい? じゃ、ついでに江戸に行っても忘れねえように、もう一度言おうかな」

「忘れませんから…」


 二人は笑いながら歩き始めた。


「良かったら、江戸に行く前に訳を話してくれねえか?」

「どうして?」

「何か深い訳があって困っているとしたら、このまま江戸にやったら後悔するかと…気になるからよ」

「巳之吉さんは優しいお人ですね。見ず知らずの私の事をそこまで心配してくれるなんて」

「二、三日、江戸へ行くのを延ばしたらどうだい?」

「どうして?」

「急ぐ旅でなかったら…」

「母が亡くなって誰も身寄りが居なくなったんです。今住んでる場所は母との思い出だらけ…つらいんです。だから暫く離れていようと…」

「そうだったのかい…オレも去年、たったひとりの身寄りを亡くしちまった」

「…そう…そうだったんですか」


 二日、三日と日を延ばしているうちに、お互いに情けもうつり、早一月が経った。そんなある日、巳之吉はいつものように囲炉裏に火をおこしながら、思い切ってお雪に思いを打ち明けた。


「お雪さん、贅沢はさせてやれねえが、ずっとここに居てくれねえか? 毎晩、納屋でお雪さんが江戸へ行ってしまった時の事を考えると、どうしようもなくなるんだよ。このところ、夜も眠れねえ。頼むからずっとここに居ておくれよ」


 お雪は無言だった。巳之吉は火を起こした囲炉裏から仕方なく離れ、いつものように納屋に去ろうとすると…


「巳之吉さん」

「なんだい、お雪さん」

「だったら…今夜から納屋なんかで寝ないでおくれ」

「お雪さん、居てくれるのかい!」

「…あたしも巳之吉さんが好き…」

「本当かい!」

「この里の見える丘で初めて会った時から…」

「お雪!」

「巳之吉!」


 それからというもの、巳之吉にはツキが巡って来たとみえて、狩りも豊猟、田畑も豊作。ところが、その事がさらに村人の嫉妬を買うことになってしまった。


「巳之吉の野郎、いつの間にか女と暮らして子供までいるぞ」

「それだけじゃねえ。獲物も独り占めしやがって!」

「最近は山に入ってもめったに獲物にありつけねえ」

「あの女のせいだ。あの女が来てからこうなった」

「何年も経つはずなのに、あの女は小娘のまんまだ。おかしいと思わねえか?」

「きっとただの女じゃねえ。巳之吉はまだ呪われているんだ」

「茂作さんの事があった時から、祟りが消えたわけじゃねえ」


 そんな噂を尻目に、巳之吉一家は幸せな日々を送っていた。


 十二月十二日…猛吹雪の夜、子供達を寝かせ付けたお雪が行灯に灯を灯すと、その灯かりに揺らぐお雪の横顔に巳之吉はハッとした。巳之吉のその視線にお雪はふと微笑んで振向いた。


「何を見ているの?」

「…え? …いや…前にどこかで…」

「え?」

「前にどこかで会ったような気がしたんだ」

「誰に?」

「…でもそれは…思い出してはならねえ事のような…」

「疲れてるのね、巳之吉…今年はよく働いてくれたものね。お陰で安心して年を越せる。今夜は冷えるから早く休みましょうね」


 お雪が行灯の灯かりを “ふっ”と消すと、スルスルと巳之吉の蒲団に入ってきた。


 深い眠りに入ってから何刻ほど経ったのか、巳之吉は夢でうなされてガバッと飛び起きた。


「茂作爺さん!」

「どうしたの、巳之吉!」

「(息を切らして) また同じ夢を見た…」

「・・・・・」

「お雪…夫婦の間に隠し事があっちゃならねえ。オレの話を聞いてくれ」

「・・・・・」

「このところ、毎晩同じ夢を見る。あの日もこんな猛吹雪の夜だった。風でこじ開けられた戸口の隙間から、雪明りが漏れて、その明かりが美しい女の姿に変わり、スーッと茂作爺さんの足元に立つと… “この子を抱いて下され…この子を抱いて下され… ”というと、手元に赤子が現われ、その赤子が次第に真っ黒になって、大きな目だけが残り、いきなりギョロリとオレを睨んだ…声を出そうとしたが金縛りに遭って身動きすらできない。すると赤ん坊は、光を発するかのように粉雪になって茂作爺さんを包んだんだ。そしてその女は、ゆっくり茂作爺さんに覆い被さって、口から真っ白い息を吹きかけると、茂作爺さんは見る見る凍っていったんだ。オレは思わず “雪女だ… ”と呟くと、その女の横顔がくっきりと雪明りに浮かんだ。正直、恐ろしさより美しさに、その女に見とれてしまって…気が付いたらすぐ目の前にその女の顔が来て…」

「…そう…そしてその女は、何と言ったのか覚えてる?」

「その女は…そう、何か言った…確か、何かを約束させられたんだ」

「何を約束させられたの?」


 巳之吉はじっと考えていたが、暫くしてその約束を思い出した。


「そうだ! 思い出した! その女はこう言ったんだ! お前が今夜ここで見た事を誰かに言ったら、その時はお前を殺す。私はいつでも…」


 そこまで話して巳之吉はハッとした。


「お前を見ているからね…そう言ったんだよね」

「えっ!」


 巳之吉はゆっくりとお雪に振向いた。お雪の目には涙が溢れていた。それを見た巳之吉の目からも涙が溢れだした。


「オレは夢でも見ていて、吹雪でこじ開けられた戸口の隙間から漏れる雪明りを、女の姿と見間違えたんだと思った」

「母さまは茂作に会いたかっただけ…母さまは寝ずに介抱したあの男に乱暴されて身篭ってしまった。赤子はお腹の中で死んでいたの。母さまは正気を失ったまま…あたしは茂作が憎かった。それをあなたに見られてしまった。あなたは何故そこにいたの…あなたでなければ…あなたに会ってさえいなければ…」

「…そうだったのか…あの夜、茂作爺さんがオレに話したかったのは、その事だったんだ…お雪、構わねえ、オレを殺せ! 茂作爺さんはオレの親も同然、病弱のおっ母が死んでから、他人の茂作爺さんにずーっと面倒を見てもらって来た。オレに狩りを仕込んで一人前にしてくれたのも茂作爺さんだ。だからオレも同罪だ。ただ、これだけは聞いてくれ…茂作爺さんは吹雪の夜になると、決まってうなされてた。いつも同じうわ言を… “お沙世、許してくれ! ”って。この村には、お沙世なんて名前の女はいねえ。きっとその女の事で茂作爺さんは二十年間苦しんで来たんだ。そして…それをオレに話そうとした夜に…」


 二人は一層激しくなった吹雪の音を聞いていた。


「私にあなたを殺せるわけはないわ。私は怖かった、黒く揺れる影が…母さまは幸せだったんだわ。私は、母さまも茂作さんも不幸にしてしまったんだわ。そしてあなたに対しても過ちを犯すところだった。本当はあの夜に初めてあなたに会ったの。その時から…自分を偽る事なんて…できなかった…でも、もうここにいるわけにはいかない…巳之吉…この子達を頼みます」

「お雪!」

「この子達は…あなたに育てられるほうが幸せ…私は陰ながらこの子達を…そして…あなたを見守っているわ…いつまでも。だから、さよならは言わない」


 お雪は消えた。


「…お雪…今まで…ありがとよ。オレは幸せだったよ。今度はこの子らを幸せにするからよ。見守っていてくれ…なあ、お雪!」


 巳之吉は叫んだ。


「やっぱりいやだ! おめえがいなくなるのは耐えられねえ! お雪ーッ!」


 お雪が去ってから、不思議にも子供達は母のお雪の事で寂しがったりはしなかった。そう…まるで子供たちには母が見えているように、すぐ側にでもいるように、話し掛けながらすくすくと育っていった。


〈 おわり 〉

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