ちょい濃いめの昔話短編集

伊東へいざん

第1話 鶴布山珍蔵寺

 鶴という鳥は、一度決めたらその相手と一生添遂げる習性があるそうだ。民話・鶴の恩返しは、佐渡島や山形で語り継がれてきたが、佐渡島には昔から渡り鳥の鶴は来ない。主人公の名は「おつう」であるが、佐渡島の方言で「つう」と呼ぶ鳥は、特別天然記念物のときを指す。

 最も古い伝説は山形に残っている。山形県南陽市漆山にある鶴布山珍蔵寺かくふざんちんぞうじという寺である。鶴を助けた男の名も、佐渡島の与ひょうに対し、山形は金蔵である。建立時は金蔵寺と名付けられたが、珍しい鶴の織物が納められている寺という事で、後に鶴布山珍蔵寺と改められて今に至る。


 昔、織機川おりはたがわのほとりにある二井山村にいやまむらに、金蔵という若者が独りで住んでいた。金蔵はいつものように、畑で獲れた作物を宮内の町で行商した帰り道、池黒村にさしかかった辺りで、傷を負ってパタパタと苦しみもがいている一羽の鶴に出会った。


「痛いー! 誰よ、こんなところに罠を仕掛けたのは! 危ないじゃないの! しかも最悪! 弓矢に当たっちゃって落ちて来た所が丁度罠だなんて運が悪過ぎ! 全くついてない!」

「おやおや、随分と苦しそうに鳴いているじゃないか…かわいそうに。兎に角、罠をはずしてやらないと」

「誰、あの人…罠を仕掛けたやつ? 私、食べられちゃうんだ! 私、お持ち帰りされちゃうんだ!」

「さあ、すぐに罠をはずしてやるからね。ちょっと痛いけど少しの辛抱だよ」

「痛い!」

「おお、ごめんよ、痛かったかい?」

「あれっ! 痛かったけど…この男、私を助けた…しかも、私の好み!」

「お前、この辺は初めてだね。ここらは猟師が多いから、もう来ちゃ駄目だよ。おやッ? 羽の付け根に弓矢が刺さってるね。早く抜かないと…いや、これは抜く前に矢を折らないと傷が広かってしまう。我慢するんだよ!」

 金蔵は翼の肩口に貫通した矢を慎重に折った。

「痛ッ!」

「あと少しの辛抱だ、今度は矢を抜くよ!」


 金蔵は慎重に矢を抜いた。


「ううーッ!」

「これでよしと…でもここで抜いたはいいが、傷の手当てが出来ないか…仕方がない、うちに連れて帰ろう。出血がひどくなるから暴れるんじゃないよ」

「連れてってくれるのね? なんて優しい男なんだ」


 鶴は金蔵の腕の中で気を失った。


 傷付いてグッタリとなった鶴を、畑仕事を終えては寝ずの看病をしているうちに、金蔵は家に帰るのが楽しみにすらなった。七日も経つと手当てをした甲斐あって、鶴はすっかり元気を取り戻した。                                     

「おやおや、もうすっかり元気になりましたね。そろそろお前も仲間達の所に帰りたくなったろう。今、籠から出してやりますからね」


 金蔵は鶴を籠の外に放してやった。


「私は金蔵のそばにずっと居たいんだよ! ここに置いておくれよ! お願い!」

「外に出るのが怖いのかい? 大丈夫だよ、さあさ、お前を心配して待っている仲間の所へお帰り。ここはいつまでもお前が居る所じゃないんだよ、さあ、どこへなりと飛んでお行き!」

「帰りたくないの! 金蔵のそばに居たいの!」


 鶴を家の外に何度追い立てても、その度に反転して家の中に入ってしまうので、金蔵は仕方なく心を鬼にして乱暴に怒鳴った。


「さっさとお行き! 行くんだよ!」

「金蔵!」


 鶴は仕方なく飛び立った。


「ごめんよ…かわいそうだけど、こうするしかないんだ」


 空高く舞い上がった鶴を見上げて、金蔵は叫んだ。


「お前のためなんだよーッ! 気を付けてなーッ!」


 金蔵の言葉に応えるように、鶴は頭上で大きく旋回した。金蔵は、鶴が去るのを見届けて、畑仕事に出掛けた。作業しながら、出るのは溜息ばかりだった。


「今日はなんだか家帰りたくねえ」


 久しく独り暮らしだった金蔵にとって、鶴の看病に明け暮れた毎日がかけがえのないものに思えていた。かといっていつまでも鶴を手元に置いておくわけにもいかず、一抹の寂しさを覚えながらも、心を鬼にして鶴を追立てたのだった。金蔵は一日中鶴の事ばかり考えながら畑仕事を終えて、いつものように誰も居ない我が家へと帰った。


「ただ今~…あ、そうか…鶴はもう居ないんだったなあ…」


 金蔵はまた大きな溜め息を吐いた。


「お帰りなさい!」

「はい…え? あッ、間違えました!」


 金蔵は慌てて家を飛び出した。


「あーびっくりした。よその家に入っちゃったよ。鶴一匹になんてこった」


 金蔵は呼吸を整えて、どこの家に入ってしまったかと確かめた。


「あれ~、やっぱり此処はオイラの家だな」


 ソーッと戸口を小開けにして声を掛けてみた。


「ごめんくださ~い…ちょっと付かぬ事をお伺い致しますが、この家はどちらさんのお宅でしょうか?」

「金蔵さんのお宅です」

「金蔵さんって…どこの金蔵さんでしょうか?」

「金蔵さんはあなた様です」

「…だよね」


 金蔵は恐る恐る家の中に入り、自分の家であることを確認した。


「どうしてまたあなたは此処に居るのです?」

「金蔵さんのお嫁さんにしてほしくて此処に居るのです」

「えーッ、金蔵さんの!」

「はい」

「金蔵さん違いではありませんか?」

「あなた様に間違いありません」

「でも、私はこのとおり貧乏で、とてもお嫁さんを貰えるような者ではありません。それに此処は、あなたのような美しい方が来るような所でもありませんよ」

「私はあなたと結婚したいのです。池黒村で一目見てあなたを好きになりました」

「池黒村で? 会ったかなあ…?」

「私の邦では、お互いが納得すれば時間など置かず、すぐに番(つがい)になります」

「ツガイ?」

「あなた様は私がお嫌いですか?」

「とんでもない! 勿体なくて勿体なくて…」

「では結婚してくれるんですか!」

「本当にオイラなんかでいいんですか?」

「嬉しいーッ!」

「オイラも嬉しいーッ!」

「それでは一緒に踊りましょう!」

「踊るんですか?」

「私の邦の結婚の儀式です」

「オイラに踊れるかどうか…」

「私の真似をして下さい」


 娘は鶴の舞いを踊り始めた。


「さあ、金蔵さんも一緒に踊って下さい! 私の邦ではこれを踊らないと結婚できないのです! 私だけ踊ってると馬鹿みたいですから! さあ、金蔵さんも馬鹿になって下さい!」


 金蔵は見よう見真似で娘と一緒に鶴の舞を踊り始めた。


「ところで、どうしてオイラの名前を知ってるんです?」

「それは…池黒村では、あなた様は鶴を助けた優しい人として有名です」

「有名かな?」

「有名人です」

「そうだ、結婚するというのにあなたの名前も知らないんだった!」

「私は “つう ”と申します」

「おつうさんか…きれいな名前だな~。おつうと呼んでもいいかい?」

「はい!」

「じゃ、呼びますよ…おつう!」

「はい! 金蔵さん!」

「はい!」

「…んもう…金蔵さんが “はい ”なんて言わないでください。金蔵さんは “おお何だ? ”て言ってください」

「そ、そうかい?」

「じゃ、初めからね。…金蔵さん!」

「おお何だ、おつう!」

「はい、金蔵さん!」

「おお何だ、おつう!」

「はい、金蔵さん!」

「おお何だ、おつう!」

「はい、金蔵さん!」

「おつう…息が切れて来たんだが、まだ踊りは続くのかい?」

「結婚の儀式はこれで御仕舞!」

「あー助かった!」


 二人は鶴の舞いを同時に終えて見つめ合った。


「金蔵さん!」

「おつう!」


 おつうと金蔵は強く優しくしっかりと抱き合った。今迄に想像も付かないような一夜を過ごした金蔵は、はたと目を覚ますと、いつもと同じ一人の寝床。


「何だ…夢か…あんな綺麗な嫁さんがオイラの所に来るわけなんてないよな」


 金蔵がガックリと項垂れている鼻先に、プ~ンと出汁の効いた味噌汁の香り、香ばしい焼き魚の心地よい煙、かすかな湯気をなびかせる白いご飯、それらが金蔵のもとに運ばれてきた。


「目が覚めましたか、金蔵さん」

「覚めないでほしい…夢なら覚めないでほしい!」

「夢じゃありませんよ。朝食です」

「どうしたんだ、このご馳走は!」

「今朝は二人だけの結婚の祝言よ」。

「ありがとう、おつう。こんな準備までしてオイラんとこに嫁さんに来てくれたんだね。だけど…もうすぐ正月だというのに、オイラ、おつうに餅のひとつも食べさせてやれない。ごめんよ、おつう」

「私は金蔵さんと一緒に居るだけで幸せです。でも、お餅ぐらい食べたいわね。そうだ! 金蔵さんのお家に機織機なんてあるかしら?」

「機織機? 確か昔、おっかあが使っていた機織なら隣の部屋で何年も埃をかぶっているけど…まだ使えるかなあ?」

「大丈夫、任せて金蔵さん。では私はこれから機織を始めます。でも金蔵さんにひとつだけ約束してほしい事があるの」

「何だい?」

「機を織り上げるのに七日程掛かります。私が機織してる間、絶対に中を覗かないって約束してほしいの」

「ああ、お安いご用だよ」

「絶対よ」

「ああ、絶対覗かない!」

「じゃ今から早速、機織を始めます」

「朝ごはんは?」

「私は先につっついて来ましたから」

「つっついて?」

「あ…つまんで…」

「あそうかい…」

「じゃ金蔵さんは食べててね」

「ああ…」

「じゃ、約束よ」

「うん!」


 おつうは機織部屋に入り、戸を閉めた。


「どうだい、おつう…まだ使えそうかい?」

「大丈夫そうよ、金蔵さんは安心してご飯を食べてて」

「ああ、いただきます! おっかあが死んでから何年も埃をかぶっていた機織だから、さぞ調子も悪かろうなあ」


 機織りの音が響き始め、話し掛けてもおつうの返事は帰ってこなくなった。金蔵は仕方なく、おいしい朝飯をひとりで済ませると、畑仕事に出掛けた。日が暮れて、金蔵は畑仕事から帰ってきた。


「ただ今―!」


 機の音が続いていたが、金蔵が帰って来ると音は止み、おつうは機織り場から出て来た。


「お帰りなさい、金蔵さん。すぐに夕飯の支度をしますね」

「まだやってたのかい、おつう…そんなフラフラで夕飯の支度なんかできやしないよ。支度はオイラがやるから少し休んでなって」

「申し訳ありません」

「いいんだよ。さあ休んでて」

「金蔵さん?」

「何だい?」

「わたし、このまま朝まで休ませて戴いていいかしら?」

「夕ご飯、食べないのかい?」

「ええ、休みたいの」

「そうかい…じゃ、オイラも休むとするか」


 二人は横になった。


「おやすみ、おつう」

「おやすみなさい、金蔵さん」

「おつう、そっちに行ってもいいかい?」

「疲れてるから寝かせて金蔵さん」

「あ…そうそう…そうだよね…ゆっくりお休み、おつう」


 おつうは、金蔵がぐっすりと寝入ったのを見計らい、再び機織場に入って行くと、一心に機を織り始めた。


 そんな生活にも慣れた8日目の朝、スーッと機織場の戸が開いた。まだ寝ている金蔵におつうが声を掛けた。


「金蔵さん…金蔵さん…」


 金蔵は跳ね起きた。


「どうした、おつう! 具合でも悪いのか?」

「いいえ、やっと一反織り上がりました」

「おお、そうか! ついに出来たのか!」

「これを町の織物屋さんに持っていって見せて下さい。百両でも売れる品物です」

「おつう、随分やつれてるよ。大丈夫なのかい?」

「金蔵さんこそ一週間よく我慢してくれました。寂しい思いをさせてごめんなさいね。この反物を売って帰って来たら、今夜はおいしいご馳走を食べて、いっぱい愛し合いましょうね」

「そそそそ、そうかい! じゃじゃじゃじゃ、急いで急いで急~いで行って来るからね!」


 金蔵は元気に出掛けて行った。


「行ってらっしゃ~い…金蔵…愛しているわ」


 金蔵を見送って、おつうはその場にへたり込み、気を失った。


 金蔵は、いつも作物の商いに行く宮内の町に、今日はおつうが織った見事な反物を売りに来ていた。日頃縁のない織物屋に反物を見せに入った。主は驚いた。


「これは見事な綾錦! 是非とも私共に譲っては下さらぬか!」


 そう言って主は、おつうが言ったとおりの百両を出した。


「どうか何も言わずにこれで譲ってくだされ! 頼む!」


 大金を手にして真っ直ぐ家に帰る金蔵の目に、宮内の町並みが今までと何か違って見えた。


「今まで気が付かなかったけど、この町にはいろんな店があったんだなあ。おつうに何か買ってってやりたいな。でも、この金はおつうの金だ。このまま持って帰って見せるまでは、手を着けるわけにはいかない。でも、宮内の町には博奕というものがあるって聞いた事がある」


 何の因果か、丁度、金蔵は賭博場の前を歩いていた。


「あっ…ここだ! …丁度見つけたのも何かのお導きに違いない。勝負に勝ったらこの金に手を着けなくても、おつうに土産を買って帰れる。おつうにばかり無理をさせておくわけにはいかない。オイラには今、運が向いて来てる。よし!」


 金蔵は賭博場に入って行った。百両を懐に気が大きくなった金蔵が、生まれて初めての博奕だった。体よく遊ばれた挙句のお決まりのコースで、有り金残らず巻き上げられた金蔵は、鄭重に門口まで送られ、やくざ者にもらった僅かばかりの帰りの駄賃に、深々と感謝するお人好しぶりだった。

 日の暮れの家路について、次第に宮内の町が今までにない怖ろしい町に思えてきた。かつて鶴を助けた池黒村に差し掛かると、良心の呵責に耐え切れなくなった金蔵の足が、ピタリと止まってしまった。


「おつうに合わす顔がない。とてもこのままでは帰れない。どうしよう、どうしよう」


 金蔵は頭を抱え込んだ。そこにおつうが現れた。


「金蔵さん…金蔵さん…」

「おつう! どうしたんだ、おつう!」

「帰りが遅いから、心配で…ここまで迎えにきちゃった」

「そうだったのか、遅くなってすまん…あの、おつう…」

「この村は私の大切な思い出がある場所…」

「おつう、実は…」

「何も言わないで、金蔵さん…顔に書いてある…帰りましょ、金蔵さん」

「…ああ」


 ふたりはしばらく無言で歩いた。


「金蔵さん?」

「はい!」

「お願いがあるの」

「何だい?」

「私を家まで抱っこして連れてってほしいの」

「抱っこして?」

「駄目?」

「…ああ、いいよ」


 金蔵はおつうを優しく抱っこした。


「よいしょっと!」

「重い?」

「…随分と痩せたな、おつう」


 おつうは金蔵に甘えるように目を瞑った。


「さあ、家に着いたよ、おつう」

「ありがとう、金蔵さん」


 おつうは金蔵から降りると機織り部屋に向かった。


「何をするんだ、おつう」

「私はまた機を織るね」

「おつう…もう、やらなくても…オイラはおつうさえよければ、このまま貧乏でも…」

「約束、覚えてる? 機織の間は絶対に戸を開けない…」

「ああ、覚えてる。でもな、おつう!」


 おつうは機織部屋に入って戸を閉めた。


「おつう! …すまない、おつう」


 おつうは機を織り始めた。今度は七日の間、一度も部屋から出て来る事がなかった。いよいよ心配になった金蔵は、恐る恐る戸に耳をそばだてて中を窺うと、機の音がピタリとやんだ。金蔵は慌てて戸の側から離れると、スーッと機織場の戸が開き、一段とやつれたおつうが目に隈を作って出で来た。


「おつう!」

「眠らなかったの、金蔵さん?」

「おつうこそ…もう機織はやめてくれ。これ以上機織をしたら体を壊してしまう。お前にもしもの事があったら…オイラは…」

「でも、もうすぐお正月…金蔵さんと私が一緒になって初めてのお正月…だから、大切に過ごしたいの」

「…おつう」

「もう一度…もう一度、この反物を売りに町まで行ってくれますか?」

「ああ、行くよ…行って来る。オイラ、もう二度と…」

「落としたりしないでね」

「え…」

「じゃ、気を付けて行ってらっしゃい」

「ああ…行って来る」

「行ってらっしゃい!」


 金蔵が出掛けていくとおつうは目眩で跪いた。


「…金蔵さん…金蔵さん…金蔵さん、大好き…」


 そう呟いて気を失った。


 金蔵は反物を持って宮内の織物屋に入った。前にも増して大喜びの主は、再び百両の金で買い取った。今日は何としてもこの百両を持って真っ直ぐ家に帰って、おつうの喜ぶ顔を見るんだと、脇目も振らずに宮内の町を出ようとする足早の金蔵に、聞き覚えのある親しげな声が掛かった。


「金蔵様…金蔵様じゃありませんか?」


 つい振り向くと博奕場のならず者だった。


「今日は急ぎますんで」

「先達てはツキがありませんでしたねえ。あっしもね、ずーッと金蔵様の事が気になっていたんですよ。今度会ったら必ず埋め合わせをしようかとお待ちしてたんですよ。ここだけの話…今日はね、特別にあっしが親方に頼んで、少しでもこの間の負けを取り戻してもらうように取り計らいやすから、ほんの一勝負だけやってっておくんなさいよ。何、時間は取らせやせんよ。小半時でさあ」


 ほんの一勝負…小半時だけならという言葉に魔がさした金蔵は、あれよあれよという間もなく、またしても百両の金が泡と消えてしまった。


「お願いです! オイラの命を賭けてもう一勝負! もう一勝負だけさせて下さい。オイラ、このままじゃ帰れないんだ!」

「てめえの命なんぞ一文にもなりゃしねえんだ! とっとと帰れ!」


 金蔵は、ならず者にズタズタにされ、ゴミのように裏通りに放り投げられてしまった。


「おいら、なんて事をしてしまったんだ…一度ならず二度までも…もうおつうに会わす顔がない…こうなったら死んで詫びるしかない…」


 よろよろと立ち上がった金蔵は、何処をどう歩いて辿り着いたのか、気が付くと池黒村の近くを流れる織機川の河原に座っていた。ここはかつて傷付いたおつうを助けた場所だった。ふと足元を見ると、折れた弓矢が落ちていた。やや朽ちてはいたが見覚えのある弓矢だった。


「これは、あの時の! …そうだ、これで一思いに…」


 喉元にゆっくりと刃先をあてて目を瞑った。


「おつう…許してくれ。オイラ、もうお前に会わす顔がない! ひーの…ふーの…みーッ!」


 喉にググーッと食い込んでいった。


「痛~ッ! 痛ッ痛ッ痛~い! すっげー痛ッ! あーッ、オイラ死ぬ事も出来ない! 帰っておつうに正直に話すしかない。おつうに愛想をつかされても仕方のない大馬鹿者だ」


 恥を忍んで家に帰った金蔵は、おつうに今までの事の次第を洗いざらい話した。金蔵の話を聞いていたおつうは微笑んだ。


「正直に話してくれてありがとう、金蔵さん。金蔵さんは全て私のためにしてくれた事でしょ…だから私は嬉しい。もう一度、機を織ります」

「やめてくれ、おつう! 機を織るたびに、おつうの体は弱っていく。これ以上織ったらおつうは死んでしまうよ!」

「これが最後…本当にこれが最後よ。だから私の好きにさせて…ね、金蔵さん」

「…分かったよ。でも、苦しくなったらすぐに機を織るのをやめると約束しておくれ」

「分かったわ、約束する」

「オイラのために、おつうにこんなつらい思いをさせてしまうなんて…オイラ、自分が情けないよ」

「私はどんな金蔵さんも大好きよ…それじゃ、いつものように、機を織っている間は決して中を覗かないでね」

「ああ…おつう、無理しないでおくれよ」


 透き通ったようにやつれたおつうは、機織部屋の中へと消えて行った。機織部屋の戸が閉まる音を境に金蔵は涙が溢れてきた。


「おつう…すまない…許してくれ!」


 機の音がいつもと違う…機を織る音が続いてはしばらく止まり、止まってはまた続いた。金蔵はただ事ではないと思った。


「おつう…大丈夫か! どうかしたのか、おつう!」


 応答はないが、苦痛で唸り始めるおつうの声が僅かに漏れ聞こえてきた。


「おつう! もうやめてくれ!」


 金蔵は堪らず機織部屋の戸に手を掛けた。すると中からおつうの苦悶の叫びが聞こえてきた。


「駄目ーッ! 開けないで! 開けないでおくれ!」

「おつう!」

「この反物が仕上がるまでは…絶対に開けないでおくれ…」


 戸の向こうでは、満身の力を込めて機織りをするおつうがいる。まさか己の羽を抜く苦痛に耐えているとは夢にも思わない。機織部屋からは今までにも増して、一段と険しいおつうの呻き声が聞こえてくる。おつうを救わなければという金蔵の心が、ついにガラガラガラーッと戸を開けてしまった…その瞬間! 形相凄まじい鶴の姿が金蔵のすぐ目の前に立ち塞がった。


「見たな、金蔵ーッ」

「おつう、おまえなのか!」


 ピシャリと戸が閉まった。金蔵は茫然自失となった。長く重い時間が流れ、どちらからともなく部屋の戸越しに凭れ掛っていた。


「ごめんなさい、金蔵さん…」

「すまない、おつう…オイラ、おまえの事を裏切ってばかりだ。どうしようもない馬鹿者だ」

「そうじゃないの、金蔵さん…騙していたのは私です」

「・・・?」

「私は、池黒村で、金蔵さんに助けて戴いた鶴です。人間との結婚を望むなんて…私がいけなかったんです。金蔵さんは何も悪くない…おかげで私は、とても素敵な思い出ができました…幸せでした…とっても。でも私が鶴だと知れてしまった以上、もう此処には居られません。せめて、この織りかけの反物を私と思って、時々思い出してね、金蔵さん」

「おつう! オイラ、おまえが鶴だってかまやしない! もう絶対につらい思いなんかさせやしない! だから何処へも行かないでおくれよ!」

「金蔵さん…ずっと大好き」

「おつう…」

「さようなら、金蔵さん!」

「おつう! 待ってくれ!」


 バタバタバターッと飛び立つ羽音がするので、急いで部屋の戸を開けると、織りかけの反物が悲しく揺れていた。それは、おつうが命を削って金蔵を愛した最後の証だった。


「おつう…おつう…おつうーッ!」


 叶うものなら、もう一度あの頃に戻りたい。そうすれば、あの時ああはしなかった、この時こうはしなかったと思ってはみても、全てが後の祭りでしかなかった。


「…おつう…」


 放心状態の金蔵のもとに、旅の僧が現れた。


「ごめん…ごめん!」

「あ、はい!」

「すまぬが水を一杯飲ませては下さらんか」

「お水でございますね、すぐに!」


 金蔵が僧に水をやると、おいしそうに水を飲み乾した。


「…はて? そなたの傍を大事な御方が去って行ったのではあるまいな」

「えッ? 何故でございす!」

「いや…ちと、奥にあるあの大皿に目がいったもので…」


 金蔵は大皿がある事に初めて気付いた。


「何事もなければ気にせんで下され」

「お待ち下さい、お坊様! あの大皿がどうか致しましたんでしょうか?」

「立ち去った大事な御方がおありだとすればだが…あの大皿はそのお方が残した謎かけと見ましたが、何かお心当たりでもおありかな?」

「謎かけ?」

「そなたと再び会いたいがための謎かけでございます」

「では、行き先が分かるのですか!」

「拙僧が思うに…大皿に水を満たし、中に針を立ててありますので…おそらくは、播磨の国の皿池さらがいけであろうかと…」

「播磨の国の皿池! どうすればそこに行けるのでしょうか!」

「長い旅になりましょう。ここからですと一旦南下し、海沿いを西へ西へと進まれるがよかろうと思います」

「そうですか…」

「長居をしてしまいました。お水をかたじけない。では、あなたの旅の安全を願っております」


 早速、旅の仕度を整えた金蔵は、一路、播磨の国・皿池を目指しておつう探しの旅に出立した。金蔵は、山形から兵庫までの気の遠くなるような長い道のりを必死に歩き続け、ついに目の前に鶴の群がる皿池が現れた。


「おつう…おつう…おつう! おつう! …この中に居るなら返事をしてくれ! おつう! おつう! おつう!」


 鶴の群れの片隅に、体を震わせて苦しみに耐えている一羽の鶴がいた。その鶴は、剥き出しになった肌に点々と血を滲ませている。


「おつう! おつうだろ! おつう! オイラ迎えに来たよ! オイラと一緒に帰っておくれ! おつう!」


 傷付いたその鶴は、金蔵の声を聴くや見る見るおつうの姿になって、スーッと水面に立ち上がった。


「金蔵さん、来てくれたのね! 間に合って良かった…もう会えないかと思ってた…でも最後にまたこうして会えて嬉しいわ…私は一緒に帰る事はできないの。でも、金蔵さんはこれからも私にとって掛替えのない夫です。いつまでも大好き…ありがとう、金蔵さん!」


 次の瞬間、鶴たちが一斉に皿池から飛び立った。


「おつう! おつうーッ!」


 あれよあれよの間に、鶴の群れは大空の彼方へと吸い込まれて行った。ふと気配に誘われて頭上を見上げると、空高く旋回している一羽の鶴がいた。


「おつうだ! おつう! 許してくれーッ!」


 カゥーッ…と悲しい鶴の一声を発して、ついにおつうは群れの中へと消えて行ってしまった。


「おつうーッ!」


 金蔵はその場にへなへなと崩れた。どれ程の時が経ったのか、はたと我に返ると、皿池は夕陽に紅く染まっていた。金蔵がおつうの佇んでいた辺りに目をやると、チャポンッと魚が飛跳ねた。そこからゆっくりと波紋が広がってきた。のたのたと池の淵に近付き、金蔵は寄せる波を両手で掬った。そして、その水で顔を覆った。


「…おつう…ありがとよ」


 後悔に耐える金蔵の身の震えが止まらない。最後の気力を振絞り、すっくと立ち上がって皿池をあとに、二度と振り向く事無く帰郷の途についた。その後、金蔵はおつうへの永遠の愛を貫くため、己の愚行を悔い改め、仏門に帰依したという。


 1460年、金蔵は寺を建立し、俗名から金蔵寺と名付けた。宝物として納めたのは、おつうの形見の反物。その後、その珍しい反物に因み、「鶴布山珍蔵寺」と改められた。


〈 おわり 〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る