第57話
煌々と焚かれた火が、月明かりに負けじと辺りを照らす。王の饗宴の周囲はことのほか明るく、昼のように見えた。星明りほどの火の近くで、青嵐はその饗宴の様子を眺めた。王と随伴の貴族は、今日狩りをした獲物を肴に、酒を飲んでいる。中央では舞台が設けられ、楽師たちを背に年若い舞姫がしとやかに舞っている。その舞の捧げ先は、どう見ても龍ではなく王だった。
王がこんなふうに道を外れ、国が乱れた。青嵐の父は、乱れた国が龍の加護を失わないための生贄として、差し出された。あまりにも唐突で乱暴な失い方だった。御龍氏の見習いとして国を正すと決めてもなお、それまでのすべてがきれいに水に流されるわけではない。心の奥に残る茨のようなものが、隙あらばと蝕む。特に、こんなふうに王が、何事もなかったかのように楽しんでいるところを見せびらかされては、なおさら。
青嵐は目を背ける。眠ってしまえれば忘れられる。しかし、ひたひたと忍び寄る憎悪の影は、夢の中にまで侵食してくる。悲しい記憶を見せに。いまだに、歌が苦手だ。自分で歌うのも。無我夢中で歌っている時は、頭の中がいっぱいでその意識を振り払えるが、いざ自分から歌おうとすると、詰まってしまう。それを払うのは。
(黎の、歌)
優しい声が、幼子を撫でる子守歌のように影を払い、眠りにつかせてくれていた。もう習慣のようになっていたから、ない時のことなんて思いもよらなかった。
「少し遠方の田猟地へ行くことになった。龍は呼ばないが、通常通り祭祀は行う。念のため動ける者に来させろとのお達しだ」
そう言われたのが二日前のこと。そうして青嵐の老師ではなく、同じ見習いの柳と、その新たな老師の紅と共にやってきた。どちらも隣国・琥の手の者が来た時に、武術で太刀打ちできるから。
だから黎は今日、来ていない。この夜の向こうの紫雲山にいる。声は届きはしない。
(情けないな、俺。でも、眠れないから来てくれなんて言えないし)
青嵐はやるせなく饗宴に目を戻した。
「こんなに遅くまで物好きだな、陛下も」
声と共に、明かりの中に、柳が現れる。手には饅頭と茶が握られていた。饗宴の中からもらってきたらしい。青嵐の手にも一つずつ握らせた。礼を言うと、優し気な顔立ちがさらに愛好が崩れる。
「宮殿ではこんなものではないのだろうな。これじゃ眠れやしない」
隣に座ると、柳は饅頭を口に入れた。
「蓮さんはあそこらへんだろうな」
饅頭が口の中からなくなると、柳は指さした。楽師の中に混じって、蓮の姿が見える。華美な装身具を身に着け、琴を奏でていた。一心に奏でる姿は、明かりに照らされて幻想的だ。
「今日のことは老師にも報告したのだろう」
青嵐は頷く。今日のこと、とはもちろん剣奴のことだ。青嵐には符印のことはよくわからない。が、禍々しい気はただごとではない様相を呈していた。それにあの額の印が関係しているのであれば、放っておくわけにはいかない。紅も顔を曇らせて、確かめておこうと言っていた。祭祀以外のことは、御龍氏であっても目にしないらしい。
「これからは行くときは声をかけていってくれよ」
柳は肩を叩いた。青嵐が気にしていると思ったのか、話題を変える。
「中央が今の一の舞姫だろう。年若いな。しかし気品がある」
確かに、美女たちの中でひときわ輝きを放っている。指先の隅々までに神経を研ぎ澄まし、高みへと昇るような舞だ。近くで見れば、誰もが心奪われるに違いない。柳の解説はそこで止まった。青嵐はちらと横を見る。普段はにこやかな柳の眉間に、珍しくしわが寄っていた。
「どうした、険しい顔して」
柳はうろたえたように口ごもる。が、視線は今しがた舞いだした端の女性で縫いとめられている。周囲よりいくらか年上に見える。柳と同じくらいに。
「知り合いか?」
「え、ああ……元婚約者だ」
ぽつりと柳は言う。舞姫の一挙一動を見逃さぬよう、心は飛んだままだ。貴族の婚約者がどのようなものか、青嵐はよく知らない。しかし柳が相手を大切に思いやっていた間柄だというのは、ひしひしと伝わって来た。舞がひと段落すると、堰を切ったように思いが溢れて来た。
「まだ結婚していなかったのだな。何かあったんだろうか……。青嵐は知らないか」
「俺は少ししか都にいなかったから」
「そうか。末席とはいえ、嫁げばあの場で舞うことはない。天舞は王の覚えがいい。嫁ぎ先も約束されたようなものだと心配していなかったのだが……」
天舞の娘たちが下がっていく。柳は暗闇に姿が消えるまで、目を切らずに見送った。
「名前は?」
「梅という」
「帰ったら黎に聞いてみよう。何か知ってるかもしれない」
「……戯言だ。気にしないでくれ」
そうは言っても、柳の心はあの宴の中だ。じっと見つめたまま、動こうとはしない。青嵐も喧騒に目を戻した。遠い遠い、別の世界のようだ。けれど同じ人間が、そこにいる。
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