第49話
薄暗い蠟燭が、部屋の中を浮かび上がらせる。丹と緑雨それぞれの傍らに置かれた蝋燭は、それぞれの表情を照らしていた。丹の斜め後ろには、年若い青年が控えている。その傍らには、水球に浮く真っ赤な弦月魚がいた。
「私を御龍氏に?」
緑雨は驚きを隠せない。丹は上機嫌で頷いた。
「ああ。ぜひ推挙させてもらいたい。見習いからにはなると思うが」
緑雨は目の前に出された盃に目を落とした。力なく首を振る。
「しかし私は、名家の出ではありません。教養もない」
「御龍氏に必要なのは、龍と心を繋げることだ。家柄や教養は関係ない。あなたは龍の歌を聞いた。一言一句間違いなく。普通の人間に、龍の言葉はわからない。俺は、あなたが龍の声をよく聞く者だと思う。御龍氏となって、力を貸してほしい」
丹は熱弁する。幾分か若い丹は、噂に聞く通り理想に燃えた青年を地で行くふうだ。感情が表に出やすい好青年。そんな印象を受ける。接し方も、柔らかい。対して緑雨は、体を硬くして聞いていた。
「今、瓏が危機に瀕しているのは知っているか」
「猫、ですか」
丹はいくらか表情を曇らせた。
「ここにも噂は及んでいるのか」
「私はこの地に落ち着くまで、馬で交易をしておりました。噂は各地で聞き及んでおります」
「それなら話は早い。龍の声が届かなくなる前に、民と龍をつなぐ架け橋となってほしい」
丹は深々と頭を下げる。緑雨は慌てて顔を上げてくれるよう頼んだ。
「龍は時に時代の寵児を予言すると聞いています。あれがそうだとすれば……しかし、私に謀反の気はさらさらありません。家族にも、村にもそのような者はおりません。辞退させていただきたい」
「緑雨、時代の寵児が王とは限らない。賢人を祝福したこともある」
諭すような丹に、緑雨は考え込む。灯りがゆらゆらと時を刻んでいく中で、意を決したように口を開いた。
「都では、王の評判を耳にしました。あまり良くない噂です。私は……殺されるのではありませんか」
丹は目を見張った。が、ゆるりと首を振って「殺させはしない」と強く言いきった。
「きみのことは、俺が守る。きみは瓏にとって必要な人だ。龍の歌を聞けば、他の御龍氏も賛同してくれるはずだし、そんなことをすれば瓏が傾く。陛下もそれはお分かりだろう。こんなことは言いたくないが、内容は報告しなくてはならない。きみが来なければ、却っていらぬ憶測を生むだろう。突然のことで、難しいかもしれないが、共に来てほしい」
予想はしていたのだろう。諦めたような顔を緑雨はする。
「……私は覚悟はできています。ですが、家族や村の者は……」
「手出しはさせない。無論、きみにもだ」
後ろで青年は身じろぎもせず聞いている。弦月魚も。静かに二人の会話を見守っている。
「……わかりました。参りましょう」
今度は緑雨が、深々と礼をした。丹は腰を浮かせてその肩を叩く。
「ありがとう。昇山すれば家には帰れない。家人には私から話をさせてもらっても?」
緑雨は顔を上げた。が、視線は落としたまま。
「いえ、私からします」
決意を秘めたように、重い声だった。月はさっと雲に隠れて部屋を消し、また現れるとほのかに室内を照らした。緑雨は今度は青嵐の目の前に立っていた。
「青嵐、父さんは御龍氏となるために、都に行くことになった。昇山すれば、帰れない」
「そんな……」
今より幾分か高い声は、今にも泣きだしそうに震えている。
「龍の声が、父さんには微かだが聞こえた。龍の声をよく聞く者よ、と。御龍氏に必要な資質らしい。この国と龍をつなぎ、恵みをいきわたらせる架け橋となるんだ。それが、俺の役目」
「三つ、守ってほしい」
緑雨は息子の肩を抱く。大きな手だ。何もかも包み込むような。よくよく言い含めるように、けれど漏れぬように、低い声で言った。
「お前は何も聞かなかった。御龍氏とは関わるな。それから、母さんを頼んだぞ」
青嵐は返事をできずにいた。その頭を、緑雨はぐしゃりと撫でる。諾、しかないのだ。
「いいか。青嵐、頼んだぞ」
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