第46話

一人と一匹の出現に、嵩は足を止める。交互に見つめると、息をついた。

「随分と貧相な出迎えだな。まだそちらの神と事を荒立てる気はない。この前の少年を出してもらおう」

「それはできかねます。まずは丹様とお話しさせてください」

 声が震えぬよう、腹から声を出す。いつも前に立ってくれる背中はない。今度は自分が、その背を押すのだから。

「それはできないな。通してもらおう」

 間合いを詰めるべく、嵩の目がぎらりと光る。が、その目が次の瞬間見開かれた。リーンという金属を叩いたような音の波動だけが、耳の奥にこびりつくように残る。

(これは……?)

 動くことはおろか、声すら発することができない。嵩は目の前の少年をただただ見つめる。黎は、厳しい顔つきで嵩を見ていた。その手には、細い紐で垂らされた風鈴のようなものがあった。薄水色の丸いガラスのような外身の中に、深い海のような青く丸い石が舌として揺れている。

 ぴたりと止まってしまった嵩を、地竜は訝しむように見る。

「どうしたんだ、こいつ」

 それには答えずに、黎は嵩の後ろに向かって呼びかけた。

「丹様、後ろにいらっしゃいますね」

 その声に、岩の影からゆっくりと丹が出てくる。顔を覆う布を下げ、懐かしむように辺りを見回した。そして、黎で目を止める。

「これは驚いた。こんな隠し玉がいたなんて。夔の家に伝わる天鳴球てんめいきゅうか」

 丹は目を細める。

「……さすがにご存知でしたか」

「天鳴球?」

 地竜は二人を交互に見る。

「ああ。音を聞かせた相手を、意のままに操る恐ろしい宝さ。それを使ってどうするつもりだ?」

 黎は唾を飲み込んだ。口の中が乾く。地竜がいるとはいえ、よくわからない琥の二人と対峙しているのだ。平静を装って口を開く。

「伺いたいことがあります」

「何だ」

「青嵐のお父様のことです」

「きみに話すのか?」

いいえ、と黎は首を振る。

「青嵐に。連れていくのは、話を聞いて本人の意思を問うてからにしていただきたいのです。同意していただけないのなら、お連れの方の拘束は解きません」

「ひょろそうななりで、言うねえ」

 一瞬目を丸くして、丹は笑んだ。

「黎!」

 青嵐の声に、黎は振り返る。その後ろに、息を切らして菫も続いた。丹は三人がそろったのを見て口を開いた。

「俺たちは、危害を加えるつもりはない。話が先だって言うならそれでもいいが、嵩の拘束を解いてくれ。でなきゃ話せない。嵩も、いいな」

 返答できない嵩に、念を押すように言う。黎はもう一度天鳴球を鳴らして拘束を解いた。どさりと音を立てて、嵩が膝をつく。肩で息をし、黎をねめつけるが、丹はそれを制した。慣れない力を使ったせいで、黎も眩暈がする。青嵐は駆け寄ってその肩を支えた。その目の前を、光の線が横切る。

「何?」

 黎が声を上げる。線は丹と嵩の周りを巡ると、結界で取り囲んだ。

「ついに紫雲山を侵すとはな」

上空から、低い声がかかる。見上げると、夔龍に乗った桑がいた。

「言わんこっちゃない」

 嵩が呆れた声を出す。ちらと後ろに目配せすると、その方向から風が起きた。木々が、ざわざわと揺れる。その巨躯とは裏腹に、軽やかな足取りで、貔貅が現れた。ゆらゆらと二つの目が光っている。夜闇の中を揺れる炎のような、不思議な光だ。だんだんとその光が、頭の中を支配する。

「目を見るな! 幻術にかかるぞ!」

 桑の声が飛ぶ。が、黎には既にその声は届かなかった。貔貅の銀色の目が爛々と輝き、その瞳や耳から霞が出ている。霞は黎に糸を引くように繋がっていた。

「黎?」

 じっと貔貅の方を見て固まる黎を、青嵐が揺さぶる。黎ははっとしたように目を見張ると身体を強張らせた。

「あなたは、誰……? 青じゃない……」

青嵐は言葉を失う。小さく首を振って後ずさりする黎を、思わず離した。

「さっきの術で、御龍氏二人を拘束しろ。そいつらも化けているぞ」

 嵩がよく通る声で言う。黎は何か恐ろしいものでも見ているかのように、真っ青な顔をしていた。青嵐の呼ぶ声も耳に入らない。後退りする足がもつれて尻餅をつくと、ようやく覚悟を決めたように、天鳴球を取り出して鳴らした。桑と菫の動きが封じられる。

「お前、何を!」

 丹は、嵩の胸倉をつかむ。しかし臆することなく嵩は言った。

「あなた方は甘い。あなたも身に沁みてわかっているはずです。それに約束通り弦月魚には危害は加えていませんから、龍の怒りも買わないでしょう? 青嵐、こっちへ来い。黎だったか、そいつの手にしているものを持ってだ。そうすれば幻術を解いてやる」

 来い、と言われて思わず足が止まる。

御龍氏になりたくて来たわけではない。父のことを知るために来たのだ。それなら、彼らについていくのが一番だ。何をためらうことがあるというのか。

青嵐は、もう一度黎を見る。黎のことだってそうだ。紫雲山に上がって、まだ幾月も経っていない。けれど、その間に起きた怒涛の出来事を共有してきた仲間だ。救わないわけにはいかない。

 答えは、決まっている。

もう、失いたくはない。

「俺、行きます」

 青嵐は、水球を手に取って動けない菫に押しやった。菫は考え直せと言わんばかりの顔で青嵐を見ている。青嵐は目をそらして弦月魚を見た。水球の中で、弦月魚もまたこちらを見ていた。

「今までありがとう。すまなかった」

 弦月魚は、じっと青嵐を見つめている。静かに、静かに。丸い目を、こちらに向けている。引き留めるでもない、突き放すでもない。ただ、受け入れているような目だ。

 青嵐は黎の方に足を向けると、固まったままの黎の手から天鳴球をそっと外す。外身の部分を手に取ると、湧き出た水のように冷たく、柔らかかった。

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