第41話

二人を見送ると、黎は包みを抱えなおす。少し迷うように、口を開いたり閉じたりを繰り返していたが、ぎこちなく笑って言った。

「折角だし、開けてみようか」

 本心ではないのは明白だった。青嵐は自分の弦月魚を見る。相変わらず、底の方でじっとしている。それは、おそらく自分も同じ。弦月魚は、自分の心を映す鏡だ。そうやってじっと奥の方にいて、本心を見せようとしない。それでも。

 ――無事に帰ってきてくれれば、それでいい。

 そう願ってくれて。

 ――何かわけがあるはずです。

 そう信じてくれて。

 中には入りこまない。けれど、水球のように包み込んでいる。

「――ありがとう」

礼を言うと、黎は目を瞬かせる。庇ってくれて、と言うと全然、と笑った。

「僕の方が、助けられてばかりだもの」

それは違うと、青嵐は思った。

「なあ、どうしてそんなに人を、龍を信じられるんだ」

 龍を心待ちにしている人々が、脳裏に浮かぶ。疑いも抱かずに、純粋に待つその姿は、青嵐には眩しく見えた。そして、目の前の黎も。弦月魚を慈しみ、心を通わせようとしている。青嵐に対しても。

「僕にもできることだから。信じて、ただ側にいてあげること。それで誰かの力になれたらいい。支えになれたらいい。僕は龍じゃないし、龍にはなれないけど」

黎は包みを開ける。干した棗と、パイナップルのケーキが入っていた。焼き目のきれいについたそのケーキを、黎は半分に割る。そして青嵐に差し出した。柔らかい感触が、手に触れる。黎はケーキを頬張りながら、外へ出た。風が体を撫でていく。薄紫から深い青に変わりゆく空に、雲が彩られている。黎は風を感じるように草むらを均して座った。青嵐もそれに続く。甘酸っぱいパイナップルが、口の中を少しだけ潤した。

「僕だって迷ったよ。聞いた方がいいのか。地竜に相談したりもした。何にも知らないんだ、きみのこと。でも、全部つまびらかにするのが友情じゃない。信頼じゃない。いつか必要なら話してくれる。その時まで待つ」

「すごいな、黎は」

「すごくなんかないよ。僕にはきみみたいに武術で人を守ることはできない。音を奏でても、人の心ひとつ慰められない」

そんなことない、と首を振って、青嵐は腰の短刀に目を落とす。

――守るために使え。

本当に守れただろうか。何を守っただろうか。地竜にも妭にも通じなかった。通じたのは、思いだ。黎はそれを、先頭に立ってやってきた。何度だって、諦めずに。それが、黎の強さだ。

「俺は……俺はお前みたいな高潔な志なんかない」

 罪悪感に苛まれていた。御龍氏は、高潔であるはずなのに。どこかで、自分を振るい落とされると思っていた。だから、言えずにいた。言ってしまったら、もう真実を聞けなくなると思ったから。けれど、目の前の人物は、何もかもを隠して語らない自分を信じた。覚悟ができていないのは、自分だけだ。青嵐はぐっと、腹を決める。

「――俺は、親父を追ってきた」

 それでも、ようやく吐き出すように青嵐は言う。

「お父様を?」

 黎は不思議そうな顔をした。不思議そうではあるが、ただそれだけだ。薄暗くなる中でその表情を見つけると、青嵐は少しほっとしたように先を続けた。

「六年前、俺の故郷の村に、龍が現れた。瑞祥を現すために。御龍氏はもちろんやってきた。それが丹だった。急だったから、村には何の知らせもなくて、俺と親父は山の中で山菜を採ってた。そしたら、龍が現れたんだ。そして歌った。龍の言葉をよく聞く者が現れると」

「それって素晴らしい瑞祥だよ! 文命王や賢臣と名高い御龍氏は、そう言われてきたんだから!」

 黎は興奮する。幼い頃から聞かされてきた瓏の物語には必ずその名があり、今も繰り返し祭祀が行われている。瓏でその名を知らぬ者はいない。

「丹もそう言った。そして、弦月魚もなしに聞こえた親父がそうなんじゃないかって。親父は御龍氏になるよう勧められて、行くことになった」

「じゃあ、お父様は紫雲山のどこかに?」

 青嵐は頷く。

「そう思って、探したんだ。でも、御龍氏の記録をあたっても、親父が昇山した記録もなければ、その時期弟子が入った記録もない。それどころか丹の記録も、死亡とあるだけでぱったり消えてる」

「どうして……」

「だから、丹に直接聞かないと本当のことはわからないと思ったんだ」

 黎は、書物庫にこもる青嵐を思い出した。紫雲山に来たばかりの頃、どうしても気になって後をついていった。彼は書物庫で、本を積み上げて頁を手繰っていた。その背中に、焦りのようなものが浮かんでいた。楓が見た姿というのも、その一つだったのだろう。紫雲山は広い。十ある山のうち、九つにそれぞれ御龍氏とその見習いが住んでいる。しかしお互いの情報は入ってこない。一つ一つ見て回ったのだろう。ずっと、血眼になって探していたのだ。手がかりを。

「でも、琥にいるってことは、何かのっぴきならないことがあったんだよね。もしかしたら、お父様もあっちに……」

 青嵐はふっと息を吐く。日は暮れ、辺りは闇に包まれ始めている。まるで、自分の目の前のように。

「ねえ、青嵐はどうするの? お父様に会って」

 黎は、じっと青嵐を見つめる。青嵐はぽつりと言った。

「お袋が死んだことを、伝えたいんだ。会いたがってたって。それから、できることなら替わりたい。……龍の声を聞いたのは、本当は俺だから」

 黎は干菓子の包みをぎゅっと握る。理由は、ちゃんとあった。不可解な行動も、うなされるほど自分を責める理由も。自分が紫雲山に来る時は、家族や親類に送り出されてきた。名誉なことだと。けれど、青嵐はそうではなかった。それを思うと胸がつまる。慰めの言葉は、彼を癒しはしないだろう。青嵐は慰められたいわけではない。考えに考えて、何かを決めたように顔を上げた。

「ねえ、地霊に聞いたら?」

青嵐は黎を見る。

「老師はまだしばらく帰ってこないし、聞いて教えてくれるなら、とっくに教えてくれてるでしょ。だから、地霊に聞けるようにすればいいんじゃない? 謹慎がいつとけるかわからないけど、降りたら片っ端から聞いてみる。丹様の行方がわかれば、追いかけて聞けるし、お父様の情報が出てきたらさらに良し。僕も手伝うよ」

 青嵐は目を瞬かせた。

「手伝う……?」

「もちろん!」

 予想外の言葉に、青嵐は頭の中がぐるぐると回っていた。バカな考えだと、嗤われるような理由でここに来た。けれど、黎はそれを受け止めてくれている。

暗くなった空の中で、星の瞬きを見つけられるように。

「……ありがとう」

 伏し目がちに、礼を言う。すると、片方の頬を柔らかくつねられた。青嵐は顔を上げる。

「自分一人で何でもできると思わないで。少しは人を頼りなよ。龍の言祝ぎを一人でしょいこんで」

強い声だ。吸い込まれるように、黎明の空の色を見る。

「きみは龍じゃない。王だって御龍氏だって、周りの力を借りてやってきた。きみ一人で、世界なんて変わりはしない」

青嵐はゆっくりと、頬から離れていく指に触れる。そしてその手を握った。手の温もりが、自分の手のひらを通して染みていく。

「力を貸してくれ、黎」

「いいよ」

黎は頷いた。

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