第39話


「丹が生きていただと?」

 腹の底からひねり出すような声が、桑の身に注がれる。平伏したままの桑にその表情は見えない。が、声と同じような状況であるのは容易に想像がついた。瓏王の手が、からだが、怒りにぶるぶると震え出す。

「奴の目的は何だ! 復讐か?」

「そのようです」

 静かな声で、桑は答える。龍の言葉を伝えるという御龍氏の立場上、淡々とした話し方になりがちだ。が、王は反対に吐き捨てるように言った。

「忌々しい。お前が昔言ったとおりだな。ミミズやら市井の医者やら訳の分からないものを一派に引き入れて、挙句の果てに、龍の言葉をよく聞くものがおったとか言い出すしまつ。まったく謀反の典型だ。早う捕らえよ。あやつはわしの命を、龍の命を狙っておるのだ。どんな妖術を使ったのか知らんが、騙されおって! まさか、龍の言葉をよく聞くものとやらも生きておったのではあるまいな?」

「それは……」

 桑は言いよどむ。丹が生きている以上、六年前の出来事は、どこまでひっくり返っているのか桑にもわからない。王は杖で強く地を叩いた。苛立ちが地面を通しても伝わってくる。しんとした部屋に、水の音だけが響く。

「祭祀は他の者にさせよ! お前は謀反人どもをひっとらえて、その首を並べよ!」

 王は近侍に目配せする。

「全将軍に通達せよ! わしと瓏を守れ!」

 吠えるように言って、王は足取りも荒く玉座を立つ。足音が消えるまで、桑は平伏したまま動かない。

 ――きみが、新しい御龍氏か。

 桑は、初めてこの場に来た時のことを思い起こす。まだ、若く理想に燃えた未熟者だった。名家の出のみで固められているとはいえ、御龍氏になれるかどうかに家柄は関係ない。しかし、王の前ではやはりそうはいかない。しかし、古い貴族とはいえ落ちぶれていた家の出の自分を、王は呼んだ。

「名は」

「桑と申します」

 直に会話をするなど、初めてのことだ。声が掠れる。

「ほう、桑か。その名の通り、邪を払い、瓏と龍を守ってくれたまえ」

「はっ」

「面を上げよ」

 王は思いのほかまっすぐに、桑の目を見た。射抜かれるような目だ。

「この国は、龍と共にある。それはわしにもよくわかっておる。しかし桑、この地に生きるのは我々だ。我々に、決める権利があると思わないかね。王となり、わしはそう思うようになった。桑はどう思う」

 桑は即座に返事ができなかった。御龍氏になってなお、自分の立場の算段をするのかと、あさましくなった。それを見透かすかのように、王はぐいと身を乗り出す。

「よく龍を御す者を、わしは求めている。そなたにはそうあってほしい」

 低い低い声が、桑の脳裏にこびりついて、そうして離れなくなっていた。

 龍は天に居り、人々を見ている。けれど、それより近いところで見下ろすものがいる。それが、王。考えは、より近く、強いものに感化されていく。近づけば近づくほど、月を太陽だと錯覚するかのように、飲まれていく。

 桑は、自分が太陽だと思うもののために勤めた。それが当然のようになっていた。王は桑を重用し、丹を都にという話も反対した。桑はますますのめり込むように太陽を仰いだ。けれど、その空を、砕こうとするものが現れた。

「俺は、今のままの御龍氏ではいけないと思う」

 自分と違い、名家中の名家の出。それだけでもどこか眩しく映るのに、彼は、いつも前を向いていた。そして、臆することなくものを言う。

「陛下は、龍の力を御せるとお思いだが、それは無理だ。考えを改めていただかないと。そのためには、俺たちから変わらないといけない」

 そう言って、空をかき混ぜ始めた。天地開闢の時のように。

(なぜ、何度もあやつにかき乱されねばならんのだ!)

ようやく足音がしなくなると、ゆっくりと身を起こす。静かに退室すると、あわてたように走ってくる巨躯の男が見えた。

「英将軍」

 英は肩で息をする。

「丹様が生きていたと聞きました」

 またか、と桑は内心苦々しく思う。

「菫様は?」

「共におりました。かなり動揺しているようでしたな」

 英は息を整えた。

「本物でしょうか」

「彼のものだった弦月魚が反応していました。偽物とは考えにくい。琥の鉤月猫は幻術を得意とします。琥の者の力を借りて逃げおおせたのでしょう」

 桑は静かに返す。英は熱を持って言った。

「死なせるべきではなかったのです。陛下はまだおられますか?」

「助命を請うのですか」

「はい」

「陛下はもういらっしゃいませんよ。瓏を裏切った者に、龍を危険に晒す者に、情けなどいりません」

 珍しく鋭く、桑は言う。英は拳を握った。

「――本当に、裏切ったのでしょうか」

「丹が死んだのを見届けたのは、あなたでしたね。陛下はかなりご立腹です。早く捕らえた方がいいでしょう。あなたの主は、陛下でしょう」

 桑は、これ以上言うことはないとでも言いたげに歩き始める。英は唇を噛んだ。自分の主は、王だ。けれど、その先にもっと大事なものがある。英は桑の背中に投げかけるように言った。

「桑様……あなたの主は誰ですか」

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