第36話

山のように夔龍に薬を積んで、三人は䃌へと向かった。前回のように、上空からは目に見える被害はないものの、疲弊した雰囲気が漂っていた。若葉をつけた緑の木々さえ、しなびたように感じる。そして、何より違うのは、派遣された兵。武装し歩き回るその姿は、村の空気を、より重苦しいものにしていた。

 黎は眉を顰めた。

「龍や我々を守るためだ。祭祀の場には入ってこないことになっている」

 菫がたしなめる。黎は納得いかないような顔をした。しかし、どうにもなりはしない。

「護符だ。肌身離さず持っていなさい」

 菫は小さな紙を二人に渡す。裏には筆で力強く龍の紋様が描かれていた。青嵐は懐にしまい込む。

村長の元へと向かうと、例にもれず村長も熱にうなされていた。顔一面に赤い発疹が出ている。それでも体を起こして深々と礼をした。菫はそれを起こして、横になるよう促す。

「何か変わったことはありませんでしたか。変わった人が来たとか、動物を見たとか」

「何人かおりますが、皆寝込んでいます。案内させますので、聞いていただけませんか」

「わかりました」

 家の者が少し先の家まで案内する。外まで咳をするのが聞こえてきた。菫は臆せず入っていく。そして、横になっている男に、村長と同じ質問をした。

「少し前なんですけど、妙な鳥を見ました」

男は、どんよりとした眼を向けて答える。

「しっぽがネズミみたいなやつです。びっくりして石を投げたら当たって、よろよろ飛んでいっちまって……それからは見てません」

随分と参っているようで、声はたどたどしい。どこで、と問うと、畑ですとほとんど息のような声で答えた。長く話すのは良くないと、菫は礼を言って切り上げようとする。

「あの、御龍氏様」

 ためらうように目を泳がせ、男は問う。

「わしのせいで疫病は起きたんでしょうか」

 声も体も震えている。恐ろしかったのだろう。凶兆を見たことも、自分が疫病を引き起こした原因かもしれないということも。菫は男をまっすぐ見つめた。

「どうなるかは、あなた次第です。凶兆は変えられぬ未来のしるしではありません。改めれば好転しますし、瑞兆が現れても、奢れば身を滅ぼします。まずは薬を出しますから、しっかり飲んで休むこと」

 男はかみしめるように何度も頷いた。

後ろで青嵐はじっとその様子を見ていた。菫はひと通り男の体を診て立ち上がると、その肩をぽんと叩く。

「青嵐、行くよ」

 菫は別の目撃者のところへ案内させると、病状を診ながら同じようにして回った。何人か同じような鳥を見た者がいたが、それ以上の情報は出てこなかった。そして最後の一件が終わると、二人に言った。

「二人はその妙な鳥がまだいるかどうか探しなさい。地霊は降ろしておくよ。私はもう少し患者を診てから合流しよう」

 二人は家の周りをくまなく見て回った。家の者の了承を得て、納屋も見せてもらう。しかし何の手がかりもない。二人は諦めて通りに出た。通りには人が少なく、見えるのは兵ばかりだ。病と兵で、村の者の表情はいっそう暗い。

「早いところ、原因を見つけよう」

 黎は青嵐を家の影に引っ張っていった。水球を手繰り寄せると、意識を集中させる。

「うーん、妭様の時より見えない」

 唸って顔を覆う。

「よし、もう一回」

 気合を入れなおして、もう一度水球に額を寄せる。もどかしい気持ちで、青嵐はそれを見つめる。ふっと自分の弦月魚を見ると、どこか違う方を向いている。それでも、青嵐は同じように水球を寄せると弦月魚に集中した。宇宙の中で小さな星を見つけるように、弦月魚とつながる一点を探す。しかし、その輝きは遠く遠く、たどり着けそうにない。

「肩の力を抜いて」

 ぽんと両肩を叩かれる。

「老師」

「私が見習いの頃、老師に言われたんだ。才能や家柄で、龍や地霊や人々の言葉は聞けない。心だって」

 青嵐は弦月魚の目を見る。ちらとこちらを見たような気がした。

(――俺は、この人たちを助けたい。助けなきゃ)

 しかし、もがけばもがくほど、ブラックホールに吸い込まれるようにその光を見失う。

「確かに、すごく微弱だ」

 菫が言う。

「目隠しをされているな」

「目隠し、ですか?」

「そう」

 菫は肩口の弦月魚に目配せする。

紫苑しおん

 菫の弦月魚は、水球ごとふわりと前に進み出てぶるりと体を震わせた。ひらひらとひれが揺れ、きらめきだす。

『出して』

『こっちだ』

『捕まってる』

 微かな声が懸命に呼んでいる。三人はそれを頼りに道を進んだ。村はずれの古ぼけた家まで来ると、声は『そこよ』としきりに告げた。しかし、何も見当たらない。弦月魚はゆらりと揺れ、顔を横に向けた。

「琥の術だな。離れて」

 菫は二人を制すると、懐に手を入れてひとり近づいていく。小さな鈴を取り出すと、小刻みに揺らした。空気が震え、振動が二人の耳にも聞こえてくる。

「やな感じ……」

 黎が小さく漏らす。青嵐も眉を顰めた。きしきしと軋むような音だ。鈴を鳴らし続けると、先ほどまで何もなかった家の脇の空間が、ぱらぱらと壁をはがすように崩れていく。その奥に、結界符に閉じ込められた鳥がいた。尾がネズミのような形をしている。それが、ぴくりぴくりと小刻みに動いていた。今にも襲いかかってきそうなほど目つきは鋭く、見ているとどこか不安になる。しかし鳥は、解放されるのを待つかのようにじっとしていた。

 菫が結界符の真上で鈴を強く鳴らすと、符は裂けて散り散りになり、風に融けた。鳥はそれを見ると、翼を確かめるように二、三度羽ばたく。菫は鳥を優しく触り、怪我等がないか丹念に確かめた。どうやら怪我はなさそうだ。結界の中には藁が敷かれ、水も置かれている。菫は心の中でほっと息をつく。後ろを振り返ると、二人に目配せした。

「弦月魚を」

 二人はめいめい弦月魚を引き寄せる。

「私が先に同調するから、きみたちも後に続きなさい」

 二人が頷くのを見るが早いか、菫はあっという間に同調した。二人もそれに続く。やりにくさはあるものの、紫苑と菫の波長が二人をひっぱり、何とか同調する。

「大丈夫ですか、けっこう

 菫は鳥に呼びかける。絜鉤はああ、と返事をした。

『大事ない。龍神に仕える者たちか。礼を言うぞ。ここは龍の加護が歪み、私の力をのびやかにさせる地だ。だが、そのせいで気が緩んでいたらしい』

「何があったのですか」

 ふむ、と絜鉤は頷く。三人の目の前に、ぼんやりとした映像が浮かぶ。白い布を纏った者が、手をこちらに伸ばし、何事か唱えている。

『人だ。人が私を捕らえた。巧みに隠してはいたが、虎神の加護を受けた者たちだろう。私が惹かれるところ、彼らの気配もする。おかしなことよ。彼らは災異を授ける者ではないはず』

 映像は続く。再び同じような格好の者が、結界に触れていた。それをじっと見てから、そうですねと、菫は乾いた返事をした。言われるまでもない。彼らは本来、争う相手ではないのだ。瓏の隣に国を構え、そこで暮らしている。ただそれだけのことだ。瓏は徳治の国だ。王がその徳を顕すことで、自然とそれに帰順する。力による支配や争いは、本来あってはならないのだ。神から授けられた力や術は、その補助をするに過ぎない。それなのに。

 菫は、考えるのをやめた。今は、目の前のことに注力しなければ。絜鉤を不安にさせるだけだ。

『龍に免じて私は住処に帰ろう。妙な欲は、出すものではないな』

菫は同調を解く。最後に黎が、「もう捕まらないように、用心してくださいね」と言っているのを感じた。三人とも同調が解けると、絜鉤は、ぐるりと辺りを見回し、大きく羽ばたいて飛び去った。三人は絜鉤が飛び去るのをじっと見送る。その姿が完全に見えなくなったのを確認して、菫は口を開いた。

「絜鉤が目撃されたところでは、疫病が起きると言われている。この辺で見つけたのを、捕まえて閉じ込めたのだろう」

「逃がすんですか」

 青嵐の問いに、菫は頷く。

「彼らだって、皆がみな望んで悪さをするのではないよ。世界が均衡を欠くと、存在が際立ってしまうだけ。彼も、温和な性格だ。閉じ込めたりしなければ、こんなことにはならなかったはずだ」

静かな菫の表情が翳る。が、すぐに二人の方を振り返った。

「さあ、薬に龍の加護をいただいて、処方しよう。これからが忙しいぞ」

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