第34話

紫雲山の一角では、御龍氏が一堂に集められていた。桑と槐以外の七人は既に席についている。表情は、みな一様に厳しい。一番若く、最後に御龍氏となった菫は、末席に座って話を聞いていた。

「結界の改良は進んでいるか?」

「やってみてはいますが、どこまで持つか」

「しかし、悠長なことも言っていられまい。新たな災異が起きている。放っておくわけにはいくまい」

 やはり話題は、先日の琥の襲撃とその対応策で持ち切りだ。ひとしきり話したところで、桑と槐が部屋に入ってくる。桑が椅子を引いて槐に勧めると、槐はそれにゆっくりと腰かけた。桑は皆の前に立ち、全員そろっていることを確かめると話し始めた。

「皆に集まってもらったのは他でもない。先日、ついに琥は龍の結界を侵した。龍に被害はなかったものの、弦月魚に危害が加えられ、龍の怒りを受ける結果となった。結界の改良等、対抗策は各自練ってもらっていると思う。が、本日陛下より命が下った。今後、御龍氏には原則護衛として兵がつけられる。各将軍から精鋭を派遣していただくことになった」

 桑の言葉に、場がざわつく。

「祭祀の場に武力を持ち込むのはいかがなものか」

「しかし、琥は武を用いてくる。我々だけでは防ぎようがないのも事実だ」

「さりとて、我々が自ら徳治の理念を覆すようなことはならぬ。陛下には再考いただけるよう申し上げよう」

 口々に出る言葉を、桑はひとつひとつ受け止めるように頷く。

「しかし、事は急を要する。既にしんで疫病が流行しているそうだ。対抗策が確立するまでの間、龍を守るためと思ってくれ。くれぐれも、祭祀の場には入らぬよう伝達してある」

 桑は菫の方を向いた。

「䃌へは、きみが適任だろう。よろしく頼む」

「わかりました」

 菫は表情を変えずに答えた。

 解散後、桑は菫を手招きして残した。

(来たか――)

 菫は努めて冷静に桑の元へ近づいた。桑はにこやかに話を始める。

「妭様は北へ戻られたか」

「はい。大水の地域に寄っていたので、少々時間がかかりましたが。……お話は何でしょう」

「きみの弟子たちには助けられたよ。礼を言う。だが、あの歌……きみは弟子に、龍の歌を教えたのか? 教えたとすれば、大問題だぞ」

 話していくにつれて、桑の表情が厳しいものに変わっていく。

「いいえ」

 菫はきっぱりと答えた。

「では、なぜ」

「黎は、以前楽師として赴いた地方で、龍に遭遇し、偶然聞いたそうです。青嵐は、何度もそれを聞いていて、真似した。確かに音は完璧ですが、言葉としては不明瞭な部分が多かった。音楽として覚えたのでしょう。桑様も、そうは思われませんでしたか?」

 よどみなく、菫は答える。

(老師に似て、ハッタリが上手いやつだ)

桑はそう感心しつつも、強い口調で反論した。

「私には、我々ではなく彼らの歌が届いたように見えた」

 睨むように菫を見る。菫は動じない。それが、桑をいらだたせた。

「まさか。青嵐に至っては、水球も作れないのに、弦月魚を飛び越えて龍を心を交わらせるなど、ありえません。心を交わしているなら、我々のように、あれは夔龍になるはず。彼らの思いも後押ししたでしょうが、届いたのは我々の歌でしょう」

 冷静に帰ってくる答えに、桑は言葉を一度飲み込んだ。納得いかない。しかし、菫のいうことも正しい。御龍氏は、弦月魚と心を交わし、夔龍とすることができた者のみなれる。龍に声を届けるには、夔龍の助けが必要だからだ。答えは、早急に出すべきではない。自分の足を絡めとる枷になるかもしれない。

(ここは、引こう――)

 桑は緊張を解いた。

「そうよな。彼らのは弦月魚のままだった……。私の思い過ごしか。すまなかった。あの時は私も、とにかく必死に同調していたからな」

 菫の表情は変わらない。ところで、と話を変える。

「内通者がいるという噂は、きみも聞いているか」

「申し訳ありません。噂には疎いもので」

 にべもない。桑は苦笑した。

「はは、うらやましい。私は少し過敏になっていたようだ。忘れてくれ」

 礼をして去っていく菫を、桑は見送る。

(あの丹の弟子だけあって、読めぬな……)

 溌溂とした瞳を思い出す。もう六年も前のことであるのに、その印象は苛烈だ。

 名家に生まれ、才能も人望もあった。それに溺れることなく、王にも臆せずものを言った。けして高い身分とは言えないところから、叩き上げで這い上がってきた桑とは正反対だ。

 ――丹を都に配する話が出ておるぞ。

 そんな話が出てきたころからだ。丹が、心のどこかに刺さる棘のような、そんな存在になってきたのは。

「家柄も申し分なく、才能もある。時間の問題だと思っていたよ」

「桑は努力の方で王の覚えもよいが、やはり祭祀はより深く龍と繋がれる者がふさわしい」

「本人は外で自由にやりたいだろうが、ここは瓏の為だ」

 他の御龍氏は、口々に言いあっていた。まだ、丹が御龍氏になって間もないころの話だ。御龍氏史上最短で御龍氏となった丹。その眩い輝きは、周囲を魅了してやまなかった。

(私では、無理だというのか。私がここまで築き上げてきたものを、一瞬で、あの男は奪っていく)

 じわりじわりと、影のように忍び寄る思い。恐れのような、憎しみのような。

(いや、私は御龍氏。御龍氏らしく、公平であらねば……)

桑はその影を振り払う。しかし、光が輝けば輝くほどその影は消えなくなる。

 あんな、気ままな男に。

 むくむくと湧き上がる思い。それに無理やり蓋をする。その繰り返しだった。丹がいた頃は。

(私は王に信任され、今の立場にある。私がしっかり瓏を守らねば――)

 今はもう、ここに丹はいないのだから。

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