第31話
夜の静けさの中を、水のせせらぎが絶え間なく響く。王の部屋へと続く廊下は特にきらびやかな魚の水槽が並べられている。それは、限られた者しか通ることを許されないこの道を、いっそうひんやりとさせる。廊下の向こうに目当ての姿を見つけて、英は声をかけた。
「桑様」
礼をすると、桑は振り返った。
「これは英将軍」
「御無事で何よりです。御龍氏の要たる桑様なくしては、我が国の祭祀は成り立ちませぬからな」
桑は、ははと笑う。
「恐縮です。本来ならば槐様がされるべきなのでしょうが、お加減があまりよくないようで。僭越ながらわたくしめが務めさせていただいているだけです」
手には、日々の祭祀を終えた分厚い記録が握られていた。日々の祭祀は多岐にわたり、また地方からの祭祀の依頼は後を絶たない。その重みは、瓏の重みだ。桑はそれを大事そうに抱える。
「ところで先日、兵を動かしたと伺いました。何も、御龍氏自ら動かさずとも……」
英の表情は硬い。無理もない、と桑は内心息をつく。御龍氏は王と共に祭祀の中心であり、軍とは無関係なところにいたのだから。
「本来ならば将軍方にお願いするところなのでしょうが、火急のことでしたので、陛下より直々に許可を賜ったのです。陛下はかねがね龍の徳によってのみ国が守られていることに疑問をお持ちでしたから。自分たちのことは、龍任せにしてはならないと。しかし、寄せ集めの者では歯が立ちませんな。やはり直属の武官を作らないと」
英の様子をうかがうように、桑は目を光らせる。英は顔を曇らせた。
「武官を、ですか? しかし……」
桑は一歩、英に近づく。声を潜めて言った。
「英将軍、私は内通者がいると踏んでいます」
「内通者?」
英の声も一段低くなる。水音がやけに響くのを感じた。
「ええ。結界を破る時、あちらは呪を込めた鈴を使いました。我らの鈴は、龍の力を込めたもの。人の作り出す呪では解けません。龍の加護を受けた物、あるいは術が相手の手に渡っていると考えられます」
英は信じられないという顔をした。
「しかし、それはないでしょう。そんなことをすれば、ただでは済まされません。そういう呪を、あなた方はかけられているのでしょう?」
「ですが、現実に起こっています。もう結界を張っても意味がありません。貔貅と、琥の者を武力で排除せねば。陛下にも進言しました」
きっぱりと、桑は言う。反して英の顔は曇ったまま。
「龍は武を好まないのでしょう」
「琥の侵攻も好みませぬ。このままでは龍を守れない。龍を守るのも、御龍氏の役目です。龍に到達する前に、水際で手を打たないと。英将軍もご助力いただきたい」
桑は頭を下げた。英はまだ、納得できない顔をしている。桑は話を変えた。
「そうそう、先日貴殿が推挙された青嵐。あれは筋がいいですね」
「ありがとうございます。無骨ですが、まっすぐな男です」
ようやく、英の顔にも明るさが戻る。
「彼がいなければ、龍の歌が琥に渡ってしまうところでした。話を聞いた時は、また外部の者を入れるなどもっての外と思いましたが……考えを改めねばなりませんな」
桑は記録書を持ち直す。「長々とすみません」と英は礼をした。
「いずれ他の将軍とも話をしましょう。では」
にこやかに、桑は衣を翻して去っていく。金色の龍を背負って。ふと、青嵐と初めて会った時の姿が脳裏をよぎった。
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