第26話

「ねえ、今度は私が話を聞きたいわ、菫」

 二人は驚いて振り返る。背後にはいつの間にか師が静かに立っていた。ほっとして少しばかり力が抜ける。

「ご無沙汰しております、妭様」

 菫は恭しく頭を垂れた。相手はやはり天女だ。妭は顔を上げさせると、首を傾げて覗き込む。手招きして顔を近づけさせると、襟元を掴んで更に引き寄せ、じっと見つめた。

「あなた、しばらく会わないうちに痩せたし、クマも酷いわよ」

「このところ忙しいもので」

「そうでしょうね」

 妭はぱっと手を離す。菫が身体を起こすと、今度は青嵐に顔を寄せ、無理やりにでも口に流し込みなさい、と囁いた。それについては触れずに、菫は再び拱手する。

「お迎えに上がりました。早速で申し訳ありませんが、北へお帰り願います」

妭は駄々をこねるように首を振った。

「いやよ」

 菫はゆるりと頭を上げる。表情は変わっていない。が、強硬に連れて帰ろうという様子もない。妭は妖艶に笑んだ。妖しい雰囲気が立ち込める。

「そうねえ。あなたにしばらく私の相手をしてもらいましょうか」

 菫はうっすら目を細める。

「私が帰らないと、旱魃は収まらないわよ。何せ私は、いるだけで旱魃を起こしてしまう、大災厄なんですから」

しばしの間をおいて、菫はわかりましたと答えた。そして二人に向き直る。

「きみたちは他の御龍氏を呼んでおくから、一緒に帰りなさい」

「わかりました」

「行きましょう」

 菫は夔龍の背に妭を乗せ、自らはもう片方の夔龍に乗ると風を従えて飛び去った。

 その背を見送ると、青嵐と黎は元来た方へと歩き出す。村の家々の前を通りかかると、いくつものこちらを見つめる視線を感じた。二人が立ち止まると、その主たちがぱらぱらと集まり始めた。まだ十もいかない子供たちだ。

「雨はいつふるの」

「龍が降らせて下さるんでしょう」

 子供たちが話しかけてくる。

 二人は表情を強張らせる。しかし、黎はすぐさま柔和な顔に戻ると、

「じきに降りますよ」

と言った。

「皆の健やかな心根があれば、きっと龍の恵みが届きます」

幼い男の子が、黎の袖をひく。

「俺、父ちゃんの手伝いした」

「私だって」

子供たちは口々に言った。黎は微笑む。

「そうでしょう。お家で待っていて下さいね」

威勢のいい返事をして、子供たちは帰っていく。その姿が見えなくなるのを待って、青嵐は口を開いた。

「下手に約束するなよ。代わりの御龍氏は来てないんだ。妭だけが原因とも限らない。お前が苦しくなるだけだぞ」

 そうだね、と黎は言う。

「そうなんだけど……言わずにいられなかったんだ。それに、きっと降りて来て下さるよ」

黎の言葉に、青嵐は考え込む。カラカラと乾いた桶が転がっていくのをぼんやりとした眼差しで見つめながら言った。

「何でそんなに龍が信じられるんだ?」

「え?」

「龍は本当に恵みだけをもたらしてくれるのか?」

黎は目を瞬かせる。

「そんなことはないよ。正しい行いをすれば善いことがあるし、しなければ報いを受ける」

 判で押したような答えだ。青嵐は黙った。

 二人が村の広場に戻ってしばらくすると、弦月魚がくるくると水球の中をせわしなく泳ぎ始めた。

「もしかして」

 青嵐と黎は顔を見合わせる。空の彼方を見上げると、雲と風を引き連れた、三つの影が見えた。影はあっという間に近づくと、二人の目の前に降り立った。

「君たちが菫の弟子か」

 ひらりと壮年の男が、夔龍から降りる。細身ではないが引き締まった顔や体つきは、まるで武人のようにりりしかった。二人は礼をする。

「会うのは初めてだな。私は桑(そう)」

「先日はどうも」

 柳と楓が続いて降りてきて、青嵐と黎を紹介した。

「さあ、大急ぎで準備にとりかかろう」

 柳と楓は、手慣れた様子で準備を進めていく。通常であれば広場で祭祀が行われる。しかし、貔貅の被害を考えて、村から少し離れた開けた場所に祭壇を作った。なるべくなら、人々を混乱させたくはない。二人は前回と同じように鈴を渡された。

「降雨の儀の経験はあるんだったよな。青嵐はあちらの角、黎はあちらの角を頼む」

 青嵐は持ち場に着く。ちらと祭壇を見ると、桑が袖から小さな笛のようなものを取り出し、吹いた。音はしない。しかし、桑は何事もなかったかのように再び袖にしまうと、四方を見渡した。大きく鈴を鳴らす。四方からも鈴の音が重なった。それに桑の声が重なる。

 菫とは異なり、低く反響するような歌声が響く。同じ歌でも、御龍氏によってかなり印象は違う。それは何が違うのだろう。鈴は歌声と相まって空へと響きわたっていった。

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