第22話
「また白猫の話が出たね」
村の中心から離れた辺りで、黎が口を開いた。
「あの噂、本当なのかな」
「あの噂?」
「うん、昇山する前に聞いたんだ。誰かが、手引きしてるんじゃないかって」
手引き、と青嵐は反芻する。
「他の国が、偵察や情報収集で斥候を放つのはあると思うよ。でも、白猫が出るのは訳が違う。僕らや老師が弦月魚を連れて他国へ入ってるようなものだよ」
「その国の徳が、そこにまで及び始めているってことか」
黎は厳しい顔で頷く。瓏は徳治の国だ。王の優れた品性を民に示し、民もまたそれを手本として行動する。それをもって龍の加護を得ている。隣国もまたそうだ。琥の徳は高く、瓏の徳は少なくなりつつある。由々しき事態だ。中から瓦解させているとなれば、なおさら。
黎は村はずれの大木を見つけ、駆け寄る。長く生きているものは、それだけ神に近くなる。そのものが地霊となったり、繋がるための手助けをしてくれる。
「人もいないし、この辺りで聞いてみる?」
青嵐は頷いた。
黎は水球を手に、意識を玄珠に向ける。
水の中を溶け合うように。一つになるように。
――い……
耳に触るか触らないか程度の音を感じる。しかし、手掛かりとまではいかない。
「――うーん、紫雲山の時みたいにはいかないね」
黎はぶるぶるっと頭を振った。
「地霊も降ろしてもらってるはずなのに」
「あそこは神気に満ちた山だからな」
弦月魚を通して、流れ込んでくるかのように聞こえてきた地霊の声。神々は高位も低位も関係なく、自分を見ているのだ。
「青嵐もやってみてよ」
青嵐は渋々水球を手に取る。弦月魚は明後日の方を向いている。それでも目をつむり、神経を集中させる。しかし、深く靄がかかったようなビジョンのみで、何も見えては来なかった。
「無理」
黎は息をついた。
「もっと近づけばわかるのかもしれないけど……。どの辺から探したらいいかな」
青嵐は太陽を見て自身の位置を確かめた。
「少し東南に下ったあたりの川に、三年前黄色い蛇の体に魚のひれをつけたやつが出たらしい。そいつは旱をその辺り一帯に起こしてる。もしかしたらまた来てるんじゃないか。川沿いにあたってみよう」
「詳しいね。青はこの辺の出身なの?」
「いや、御龍氏の記録で読んだ」
頼もしいね、と黎は感嘆の声をあげる。
「その時はどうして現れたの?」
「女の取り合いで派閥ができて、祭祀がうまくとり行われなかったらしい」
くだらない、と青嵐は吐き捨てる。
「でも、バカにはできないよ。今度だってそうかもしれない。旅の美女がいたとか言ってたでしょ」
話しながら、二人は足早に水路沿いを歩いた。一刻も早く、この状況を打破したい。時折足を止めて同調すると、やはり微かな音を黎は感じた。
「微かだけど、さっきよりは声っぽくなってきたかも」
「何て?」
青嵐にはまだ音も聞こえない。
「寂しい、って聞こえる気がする。ちょっと自信ないけど。でも、方角はあってるんじゃないかな」
自然と、足が速くなる。
しばらく歩くと、男たちが何人か集まっているのが目に入った。そのうちの一人が、向かいの男の胸ぐらを掴む。二人は何事かとかけよった。
「どうしたんですか」
「ガキは黙ってろ!」
一人が凄むが、隣の男が何かに気づいて慌てて止めた。
「龍の刺繍だ、御龍氏だぞ! やめとけ」
「隣村が呼ぶとか言ってたな」
「来たのか」
男たちは、ばつが悪そうに目をそらした。足元の水路は、石や枝で塞がれている。いくらかは傍にどけられているが、水が通るには邪魔そうだ。
胸ぐらを掴まれていた男を残して、他の者は散っていく。大丈夫ですかと、黎は屈みこんで尋ねた。
「見苦しいところをお見せしました」
男は頭を下げる。青嵐は石や枝をどかし始めた。男は慌てる。
「いやあ、俺が片付けますんで、そのままにして下さい」
「これくらい、すぐ終わる」
ひょいひょいと青嵐は石を脇へとどけた。黎は目を細めてそれを見ると、自分も続いた。なんだかんだ言って、青嵐は世話焼きだ。
「水が満ち足りてた頃は、譲り合ったもんです。でも、何年か前から少しずつ今みたいな兆しがあって……。みんな、悪い奴じゃないんでさあ。ただね、やっぱり気持ちに余裕がないといけませんな。視野が狭くなっちまう。まあ、こんな酷い旱魃は初めてですからな」
枝をどかしながら、男は言う。
「身を正して待っとけば、恵みがあるなんて贅沢なことでさあ。それが叶わないとこなんて、山ほどある。龍様様でさあな」
男からは、龍をまっすぐに信じているのが見て取れる。青嵐は俯いた。
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