第18話
寝落ちした日を挟みながら、そんな夜が何日か続いて、一冊一冊と青嵐は読み進めていった。あまり気持ちのいいものばかりではない。自分の身の回りでは気にならなくとも、国中を見渡せば、白猫が出ていてもおかしくはない予兆が、ごまんとあったのだ。気が滅入りそうになりながら、それでも青嵐は頁を前へとめくる。そうして一つの記述に目を止めた。食い入るようにそれを見つめる。
天輝きて、龍降臨の予兆あり。
丹、
臨より帰山の際、丹、桂共に死亡。
前後を、青嵐は何度も読み返す。しかし関連する記述はない。念のためと何頁か前に戻って、それでも無関係のもので、青嵐は頭を抱えた。鼻の奥がつんとする。
「くそっ!」
強く本を閉じると、視界の端に青いひれが映った。すがるように尾びれから体、体から顔へと視線を移す。弦月魚は、青嵐をまっすぐ見ていた。
「お前は親父のこと知ってるのか?」
静かな夜を壊さぬよう、けれど激しい心の揺れを抑えきれない声で、青嵐は水球に迫る。つるりとしたその球体を額につけると、おぼれるように意識の中へ飛び込む。そこに見えたのは、閉ざされた窓。そしてその向こうの花。ぶつりと糸を切るように、繋がりを絶つ。弦月魚はその衝撃を感じたように、体を震わせた。しかし青嵐はかまわない。
「俺が見たいのは、こんなじゃない。親父はどこにいるんだ? どこに消えちまったんだ?」
青嵐の問いに、答えはない。ひんやりとした水球の感触が、そこにあるだけ。
青嵐は本を乱暴に戻して、書物庫を後にした。灯りを失ったかのように、おぼつかない足取りで部屋に戻る。足元に影が伸びているのに気づいて顔を上げると、窓に座っていた黎と目が合った。水面に映る下弦の月を、玄珠はちくちくと食んでいる。欠けては戻り、戻っては欠け、その繰り返しで、無限に尽きないケーキを食べているかのようだ。青嵐はバツの悪そうな顔をして、それでも黙って寝床に潜る。しかし、心臓はばくばくと脈打ち、頭はぐるぐると回っていて、とても眠れそうにない。背後の気配をうかがうと、黎も眠れなくなったのか窓から動こうとしなかった。
「何も、聞かないのか」
耐えきれなくなって、青嵐は問う。
「心配だっただけだよ。怪我してないかとか、倒れてないかとか。無事に帰ってきてくれれば、それでいい」
もうちょっと、眠れる日があるといいけど、という声は尻すぼみになる。完全に眠っていると思っていたのに、いつからバレていたのか。いっそ責めてくれたらよかったのに。青嵐は頭から布団を被った。
ぽつぽつと、か細い旋律が聞こえてくる。黎の歌だ。青嵐は布団の中でそれを聞いていた。子守唄のようなそれは、いつしか青嵐の緊張を解く。ゆうらりゆうらりと、歌い手の手で揺られる揺りかごのように。そうして眠りへといざなっていった。深く深く、眠りの世界へ。そのはずだった。黎の旋律が離れた途端、無意識の世界でも、歌が青嵐を絡めとる。
――彼の西山に登れば
女性の、掠れた声だ。黎ではない。
何かを、悲しんでいるような。
(聞きたくない。これ以上――)
思わず耳を塞ぎ、心を閉ざす。そうすると、何も見えなくなった。このままでいれば、ずっと心穏やかでいられる。けれど。
「青、起きて!」
ばちんと頬が強く叩かれる。青嵐は目を見開いた。頬がじんじんする。青嵐は一呼吸おいて現実世界を確認した。夜明け前の空のような紫の瞳が、自分を映している。いつものようににこにこしながら。夜中の出来事は夢だったのだろうかと、青嵐は不思議な心持になる。月明かりを浴びた黎の横顔。胸の奥を刺されるような、あの苦しさ。そうであったなら、どんなに楽か。思い直して青嵐は黎を睨んだ。
「強く叩きすぎだ」
「ごめんごめん」
黎は悪びれていない様子で身支度を整える。
「先に行くよ」
その後ろを、ふわふわと玄珠がついていった。黒く長いひれを、元気に泳がせている。軽いその足取りを、青嵐は羨ましく思う。御龍氏見習いとしての生活を、心底楽しんでいるふうだ。重い体で寝床から出ると、ゆらりと弦月魚が近づいてきた。深い深い、青い色だ。この弦月魚も、本来ならそんなふうに泳げるのだろうか。青嵐は唇を噛みしめた。
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