第16話

温かな風が、優しくそよいでいる。青嵐と黎は、籠を持って空桃の木の一帯に踏み入った。足元は、落ちた花や花びらで、桃色の絨毯のようになっている。さくさくと足を踏み入れると、柔らかな感触が足を包んだ。黎は目を輝かせ、その絨毯に寝転がる。呆れる青嵐をよそに大きく伸びをした。花の香りに肺が満たされる。大きく息を吸って上を見上げると、地上よりも近い空がそこにあった。青く青く澄んでいる。

「青もやってみなよ。気持ちいいよ」

「いや、いい――」

 断ろうとして、それは遮られる。急に起き上がった黎が、青嵐の足にタックルしてきて、青嵐は空桃絨毯に尻餅をついた。黎を睨んでみるものの、にこにこするばかりで効き目がない。仕方なく、青嵐はそれに従った。花の香りが近い。

「散っても、こんな楽しみ方があるんだね」

 隣で黎が言う。

「楽しみ方?」

 ――落花を数える

 ぼたぼたと落ちる花を、血の跡を見るように見ていた。

 頭に浮かぶそれを、青嵐は目をつむり懸命に追いやる。

「このまま、朽ちて土になるだけだぞ」

「土になれば、将来の礎になるよ」

 悉く、自分と違う考え方だ。青嵐はゆっくりと目を開く。降り注ぐ日差しが眩しい。ようやく慣れた目に映るのは、青く青く澄んだ空。空は青い。こちらがどんな心持ちだろうとお構いなしに。

 青嵐は横目で黎を見る。黎は目を細めて空を見上げていた。

「寝るなよ。作業はこれからだぞ」

「はーい」

 黎は花びらを散らして起き上がった。青嵐もそれを払いながら起き上がる。そう。本題はこれからだ。青嵐の弦月魚が、空桃の花を食べたと聞くと、菫は花が散った後の心配をしなくてもいいようにと、花びらを乾燥させて保存しておくよう助言していった。折しも天気は晴れ。菫はしばらく続くよ、とも付け加えていった。そこで二人はさっそく実行に移すことにしたのだ。

二人はまだ潰れていない綺麗なものを選んで籠いっぱいに入れた。籠いっぱいにたまると、館の前まで運ぶ。そして、日の当たらない涼しい場所に平らなざるを置き、その上に並べた。そのうちの二、三枚を取ると、青嵐は弦月魚の水球のてっぺんに落とす。花びらは水球の壁をするりと通り抜け、水の中へ沈んでいった。それを弦月魚は顔を上にしてついばむように食べる。あっという間に花びらは姿を消した。

 途中参加の地竜は、二人がせわしなく動き回るのを眺めながら、盃に入れられた酒をちびちび舐める。青嵐が横目で睨むと、干からびないようにしてるんだと大真面目に言った。黎は最後の籠を空にすると、座り込む。

「これで、青の弦月魚のごはんは心配ないね。月も干せたらいいのにな」

 青嵐は水の入った竹筒を、黎に渡した。黎は礼を言って受け取ると、ごくごくと飲んだ。そして、青嵐の反対の手に握られた包みを、期待のまなざしで見つめる。ぐうとおなかが鳴った。朝からの作業で、おなかはぺこぺこだ。

「干してなくなったら困るな。それに、弦月魚の好みは変わることもある」

 館の方から、菫が姿を現した。二匹の弦月魚が、その後に続く。お疲れ様です、と二人は声をかけた。

「宮殿で祭祀か? 忙しいな」

 地竜が顔を上げると、菫は仕方ないさと言って盃に酒を足した。疲れた顔が、盃に映る。それを見なかったふりをして、青嵐の方を向いた。

「青嵐、頼まれていた食材、もらってきたよ。食糧庫に入れてある」

青嵐はほっとした顔をする。食糧庫の食材は、もうほとんどなくなっていたのだ。

「ありがとうございます。何にもなくて、まともな食事が作れなかったんです」

 そう言って、包みをほどく。ありあわせの材料で作ったニラ饅頭が姿を現した。黎が、しまったという顔をする。

「お前、しっかり野菜食えよ。だからそんな細っこいんだぞ」

 青嵐は念を押すように、黎の両手に一つずつ握らせる。黎は蚊の鳴くような声ではいと言ってニラ饅頭をかじった。その顔が、みるみる明るくなる。

「青、これおいしいよ」

 野菜嫌いにも満足のいく味だったらしい。夜は麺にしてよ、とちゃっかり注文を付ける。青嵐は、苦笑いしながら菫と地竜にも渡した。つやつやした小麦の生地に、これから色づく木々のような深い緑のニラが透けて見える。菫は目を細めて二人のやりとりを見守った。

 作業が終わると、菫は草原で御龍氏の歴史を説いて聞かせた。

 瓏の開祖・文命王が、九つの河を治め、民を安んじた。自らを犠牲にして民を守るその姿に感じ入った龍は弦月魚を授けて、その後も力を貸した。そして瓏を建てる時には、二頭の龍が降りてきて、瓏の加護のためとどまった。王は二頭の龍のために、龍の声をよく聞く者を御龍氏として任じた。それからというもの、御龍氏は二頭の龍の補佐と、国の祭祀、そして瓏の中で示される瑞兆凶兆の対応を任されるようになった。

 菫が一呼吸おいて二人を見ると、大きく小さく、二つの船が揺れていた。淡々と読み上げるような低い声は、眠気を誘ったらしい。

「おい、必修だぞ」

 低い声で呼ぶと、二人ははっとしたように目を覚ました。

「ちゃんと夜寝てるか、きみたち。次はもっと眠くなるのをおみまいするぞ。寝たら私の研究室の掃除」

 菫は脅す。あの所狭しと薬壺や本のひしめく研究室が、二人の頭に浮かぶ。無茶だ。二人は頬や腿をつねりながら、必死に聞いた。

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