第10話

「どうしたんだ」

青嵐は地竜をつまみ上げる。地竜はぴょんと青嵐の肩に乗った。

「今は力を失っていらっしゃるのだ。この辺りを任されていらっしゃる神なのだが……聞いて来なかったか?」

 柳の言葉に、二人は首を振った。ほとんど何もと言っていいほど、情報は与えられていない。

「師は?」

「菫様です」

 柳と楓は再び顔を見合わせた。

「私たちは、師から薬草を菫様のところからいただいてくるよう仰せつかってきたのだ。お互い連絡が不十分だったな」

「菫は忙しいからな」

 地竜は息をついた。

「地竜様もご存じないということは、他の見習いにも会っていないだろう」

「はい」

「じゃあ、弦月魚の餌の話も?」

「はい。御存じのことがあれば、教えていただけませんか」

 黎が言うと、楓は自らの弦月魚の水球を前に出した。橙色の大小様々な印を押したような模様の弦月魚だ。

「餌は、同調して探すんだよ」

「同調?」

「弦月魚と意識を繋げるんだ。初めはしっかり繋がらないと思うけど、だんだん弦月魚が見えてる景色や望んでいることが分かるようになってくる。ぼんやりだろうけれど、闇雲に探すよりも、ある程度絞り込めるだろう。御龍氏は弦月魚を通じて龍と共鳴し、思いを伝える。その基礎練習になっているんだよ」

「あの老師、そんなこと言ってなかったぞ」

 青嵐が口をとがらせる。柳は笑んだ。

「私たちもそうだったよ。見習い同士で教わったんだ。どうやらここの伝統らしいね」

「それに、老師のを見ても、たぶんわからないと思う」

 そういうものなのか、と青嵐は不思議に思う。と同時に、自分の師が何を考えているのかよくわからないとも思った。素直に、二人が来るから教わりに行けと言えばよいものを。黎は目を輝かせて二人を交互に見た。

「見せていただいてもよろしいですか」

「いいとも」

 楓は水球を手に取り、額をつける。大きく深呼吸して、じっと弦月魚を見た。すると、自由に泳いでいた弦月魚が吸い寄せられるように楓の方を向く。そしてその丸い目で、同じように楓を見つめた。弦月魚のひれは興奮したように開き始め、体は小さな光の粒を纏い始める。

「綺麗……」

 小さく黎が呟いた。

「……嬉しい」

 楓が言う。

「嬉しい?」

「弦月魚が、喜んでる。菫に、弟子ができて」

 黎は、ふと地竜を見る。地竜が、何となくだがとても穏やかに笑んでいるような気がした。そういえば朝、同じような顔を見たような気がする。

 ふっと弦月魚の光が消える。楓は水球から顔を離した。弦月魚もゆっくりと体勢を元に戻し、再び泳ぎ始める。

「っとまあ、こんな感じかな」

 楓は満足そうだが、二人はよくわからないという顔をする。柳が、悩みながらも補足した。

「弦月魚と、一つになるんだ。目を見て、中に入り込んで、弦月魚の中から周りを見るような……紫雲山は神気の多く宿る場所だから、入り込みやすい。あとは練習あるのみだ。ちなみに俺の弦月魚は柳の綿毛、楓のは錦の葉が餌だ。弦月魚によって、全然違う」

「はあ」

 返事もつい気が抜ける。が、できねば前に進まない。二人は柳と楓の監修のもと、同調に挑戦することにした。胡坐をかいて座ると、呼吸を整える。両手で水球を掴むと、額に寄せた。そして中を覗き込んで、弦月魚と目を合わせようとする。

「深く深呼吸して。水の中に潜り込んでいくような感じで……」

 柳の言葉を頼りに、自らの相棒と同調しようとする。すると、とぷりと手に水が触れたような感覚を覚えた。もちろん、水球の中に手を入れたわけではない。が、手から始まった感覚は段々と全身に広がっていった。耳元でとぷんとぷんと水が揺れるように感じる。

 青嵐はさらにその奥に潜り込むように心の中で手を伸ばした。すると、風に揺れる水面のようなゆらゆらとした視界に、窓が現れた。こげ茶色の木の枠でできた窓は、宮殿で見たようなつややかなものではない。日々の生活の中で傷んだ、どこにでもありそうな窓だ。

(何だ、これ……)

 青嵐はその窓に近づき、その向こうを覗き込んだ。窓の向こうにはざわざわと桃の木が花を揺らしている。その影に、人の背が見えた。

「頼んだぞ」

 窓の向こうだというのに、耳元で声が響く。

(行っちゃだめだ!)

 青嵐は窓を割らんばかりに叩く。しかし、花はあっという間に人影を隠した。だんだんと花の姿も影に飲まれて見えなくなる。窓を叩く音もだんだんと小さく、やがてしなくなった。後にはぼんやりと、弦月魚のような影が小さく映る。途端にあたりは明るくなり、元の景色を取り戻した。水球の向こうには、柳と楓が心配そうにこちらを覗き込んでいる。

「どうした、汗がすごいぞ」

 青嵐は額をぬぐう。噴き出した汗が、袖を湿らせた。

「……つながれませんでした」

 ようやくそれだけ絞り出す。柳はぽんぽんと肩を叩いた。

「初めは誰でも難しいものだ。続けていけばきっと心を通わせることができる。俺たちももう十年近くいるが、まだまだだ」

 青嵐はその場をごまかすように、聞き分けよく頷いた。

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