第6話

紫にたなびく雲が、朝の光に照らし出される。

まだひんやりとした空気を飲み込み、青嵐は庭に座った。少し高台にある館からは、あたりが一望できた。いくつかの小さな畑と、そびえ立つ山々が、雲間に浮き出している。改めて、自分はここに来たのだと実感して、目をこすった。

「風邪、ひくよ」

後ろから声がかかる。振り返ると、黎が上着を手に立っていた。

「ここは随分と冷えるねえ」

黎は二重に着込んだ上着を少し邪魔そうにしながら隣に座る。青嵐は礼を言って上着を受け取ると軽く羽織った。

「空の上だからな。仕方ないさ」

「きみの故郷も、春先はこんな感じなの?」

強ばったような乾いた声だ。おそらく自分に対してではないだろうと青嵐は思う。とすれば、昨日の出来事に対しての。そうだなと答えると、ぎこちなく笑った。あくまで明るく振舞おうとしているのが、青嵐でもわかる。それにどこか安堵を覚えた。

「青菜とタケノコ、どっちがいい?」

「え?」

 ごそごそと包みを懐から取り出す青嵐に、黎は目を丸くする。

「饅頭。昨日の残りで悪いけど」

 そう言って、少し潰れていびつになった饅頭を、両手に乗せて差し出した。

「……タケノコ」

「食っとけよ」

 そっと受け取ると、冷えた手に饅頭の皮がぴったりとつく。

「……ありがとう」

 控えめにかじったのに、すぐそこにはタケノコをあまじょっぱく煮た餡が顔を出していて、黎は笑んだ。

「おいしい」

「……黎は?」

 饅頭をかじりながら、青嵐は問う。

「ずっと、都にいるのか」

「そうだね。時々陛下について地方に出ることはあったけど、ほとんど都から出たことなかったなあ」

「黎の家は何をしているんだ? 武人には……みえないな」

初めから、線の細い印象があった。青嵐とは、顔つきも体つきも、まるで正反対だ。黎はにっこりと笑む。

「楽師だよ。祭祀とか儀式をする時に、脇で音楽を奏でる役」

「だから昨日も、慣れてたのか。あんな大きな貔貅を前にして」

震えながらも、鈴を振ることをやめなかった姿が、青嵐の脳裏に蘇る。

「まさか。祭祀には出てきたけれど、貔貅は初めて見たもの。必死だっただけだよ。それを言うならきみの方がすごいよ。貔貅に立ち向かっていこうとするなんて。さすがは、将軍とともに各地を回ってきただけあるよね」

そこまで言うと、黎は急に顔を曇らせ、ぎゅっと膝を抱えた。青嵐はちらと横目でそれを見たが、見なかったふりをした。やはり、昨日のことが引っかかっていたのだろう。いや、引っかからない方がおかしい。さあっと朝日が雲間から差し込み始める。あのさ、と黎は遠慮がちに口を開いた。

「僕は昨日初めて猫と、それから貔貅を見た。二つとも、隣国の神の眷属だって聞いてる。でも、聞いたことがあるだけで見たことなんてなかったし、龍の加護があれば隣国からの干渉はないって言われてきた。都ではまだなかっただけで、きみが見てきた国境付近では、よくあることなの」

そこまで言って、黎ははっとしたように口を閉じた。

「ごめん、一気に聞いて……」

青嵐は頭をふった。

「いや」

黎はためらいながら口を開く。

「気になる噂があって」

「噂?」

黎は続きを口にしようとする。しかし、二人の背後で草が鳴り、それは遮られた。振り返ると、ゆったりとした上着を肩に掛けて、菫が立っていた。

「二人とも、話の最中で悪いがね。そろそろ朝食にしよう。食糧庫に案内するよ」

二人は慌てて立ち上がると、菫の後に続いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る