第5話

 黄土の大地に、ちらちらと光の粒が舞っている。菫は荷物を開くと、そこを中心として、四方に手際よく符を並べる。中央には小さな木の祭壇を作ると、青銅の器を置いた。近くの村の長が、供物を持ってやってくると、それも祭壇に並べた。最後に祭壇の中央に置いてあった、薪を束ねたものに火をつける。

「きみたちの役目はひとつ。私がいいというまでこの鈴を鳴らしていること。けして途絶えさせてはいけない。何があってもだ。いいね」

 菫は鈴を一定のリズムで振ってみせる。涼やかな音色が頭の中にまで響く。二人は頷いた。

 それぞれが持ち場につくと、祭壇近くに夔龍が風を鳴らして着く。高らかにいななくと、ひときわ大きく菫が鈴を鳴らす。それを合図に、二人は手にした鈴を鳴らし始めた。何回目かの鈴の音で、空に雲が渦巻き始める。ごうごうと音を立てて風が鳴り、雲は白から灰色へ、灰色から黒へと変わっていった。鈴の音が調和し、鳴り響いていくと、地上でも風が舞い始めた。

 突然、中央で菫が声を発した。その力強さに、青嵐は思わず後ろを見る。祭壇を前に、菫は朗々とした声で歌い始めた。鈴の音は風よりも大きく、歌声は更に大きい。二つの音は絡み合い、それを感じ取った夔龍はきらきら輝いたかと思うと、風に乗る。そして音を先導するかのように天へと昇った。すると、天の渦の中央が青くきらめき始め、大きな何者かの姿を映した。

(龍だ)

悠然と波打つその姿の正体を、青嵐は瞬時に悟った。

龍は天からの梯子のように光を纏い、降りてくる。風が唸りを上げるが、菫の声はひるまない。龍は菫の真上に降りてくると、菫の歌を聞き届けるかのようにじっと見下ろす。そしてゆっくりと口を開いた。大気が震え、その声を運ぶ。風は旋律を紡ぎ、青嵐の耳にも届いた。菫の歌と龍の歌とが次第に相和し、鈴が合いの手を入れるように響く。

どれほどの時間そうしていただろうか。青嵐は鈴の音を消さぬよう注意を払いながら、自分の後ろで起こっている出来事に意識を向けていた。その時。

 ガツン

 全身に衝撃を感じて、青嵐は前を見た。すぐ目の前に、むき出しの大きな牙があった。

「何っ」

青嵐は飛びのこうと身構えるが、牙は符の結界によって阻まれた。牙の持ち主は弾かれて数歩さがる。爛々と輝く眼、風を従える脚、それになびくたてがみ。真白い玉のような牙、爪。夔龍と同じくらいの大きさの四足の獣は、その眼をじっと龍に注いでいた。たっと地を蹴ったかと思うと、再び結界に向かってその巨躯をぶつける。身体に纏った風が、鋭く結界の壁面を削る。青嵐は中まで伝わってくる衝撃に足を踏みしめた。獣は結界に阻まれ、なお怯むことなく体当たりを繰り返す。結界は音を立ててきしみ始めた。

ちらと後ろを見ると、菫と龍は先程と変わらぬ様子で問答のように歌を掛け合っている。その向こうに、黎が不安そうな顔をしているのが見えた。衝撃は黎のほうにも伝わっているようで、手元が衝撃に合わせて小刻みに震えている。

(もし結界が破れたら――)

青嵐は鈴を持っていないほうの手を、腰の短刀にかける。ずしりと鈴の重みが片手にのしかかった。はじめは軽かったはずの鈴も、振り続けたせいか重く感じる。

――けして途絶えさせてはいけない。何があってもだ。

菫の言葉が蘇る。青嵐は思い直して両の手で鈴を持った。獣はなおも結界を破壊しようと向かってくる。結界はだんだんと大きくきしみ始めた。と、突然菫の声を最後に歌がやむ。青嵐は後ろを見た。龍は顔を上げると、風をひとかきして上空へと飛び去った。そのあとをぱらぱらと光の粒が舞う。光の粒は地上に近づくと雨粒に代わり、青嵐の頬を濡らす。それを契機に、雲からも雨が滴り始めた。

「あ……」

いつの間にか乾いていた口を、雨粒がうるおしていく。しっとりと濡れた空気の中を、夔龍が静かに降下してきた。先程見せた輝きは落ち着いている。ふと我に帰ると衝撃は止み、獣は姿を消していた。菫が深々と礼をしてさがる。二人を順にみると手で鈴を止めるよう制した。最後の鈴が、りんと響く。どっと体中に疲れがのしかかってきた。思わず膝をつく。

「ご苦労だったね、二人とも」

 菫は二人を近くへ招く。

「はじめてにしては上出来だ」

 青嵐はあたりを見回す。獣の気配はない。龍の雨に洗い流されてしまったかのように。

「行ってしまったよ。彼らは、龍に用があるみたいだからね」

 菫は何でもないかのように言った。

「あれは、何ですか。見たこともない」

「――貔貅ひきゅうという。私たちでいうところの、夔龍だ。隣国のね」

 二人は顔を見合わせる。

「さ、片付けよう。私は龍の言葉を伝えなければならない。この村の人々、そして陛下に」

 ざあざあと耳元で雨が鳴った。

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