第3話
春の陽気は、宮殿内をいっそう鮮やかに彩っていた。花吹雪の舞う廊下を抜け、青嵐は迷路のような城内の奥の一室へと導かれていった。奥へ向かうにつれ、所々に置かれた水槽の大きさは、小鉢程度だったのが抱えるほどのものに変わる。水の色は深く、壁に映りこんだ水面が、水の中にいるような錯覚に陥らせた。水槽の中には、花を纏ったかのような魚たちが遊んでいて、別世界にいるようだ。
迷ってしまいそうだと、青嵐は思った。初めて訪れるこの場所は、あちこちに目移りしてしまう。ふと前を見ると、黎が青嵐の方を見て止まっていた。
「どうしたの」
「こんなに魚がいるところを見るのは、初めてだ」
黎は微笑む。
「ねえ、海って行ったことある?」
「いや……」
「僕も」
黎は笑う。
「昔、聞いたことがあるんだ。海にはもっともっとたくさんの魚がいるんだって。どれくらいたくさんなんだろう」
線の細い少年だと、青嵐は思っていた。けれど、仰々しい宮殿内で、そこにある絵画のように一体化している。
「何て呼んだらいい?」
何の脈絡もなく、黎は聞く。
「何って……」
少し面食らったようで、小さな声で青嵐は言った。
「きみのこと。何て呼んだらいい?」
「何でもかまわないけど」
それじゃあ、と黎は思案する。
「青。青って呼んでいい?」
「あ、ああ」
せい、と口の中で反芻して。黎は微笑んだ。抜けるように白い肌に、頬の桃色がくっきり映えている。そして絹糸のような髪。にこにこと微笑む様子は、悪意のない子供のようだ。その様子があまりにもうれしそうで。
「何、どうした?」
と青嵐は思わず問うた。黎は、恥ずかしそうにはにかむ。
「僕ら、憧れの
「黎も、そうなのか」
「そうだよ。よろしくね」
そっと、手を差し出される。袖からのぞく手は、白くか細い。青嵐の日に焼けた厚い手とは、正反対だ。都の人間は、こんな手をしているのかと、青嵐は思った。握れば、つぶれてしまいそうだ。何となく、気を遣って手を握る。黎は本当に嬉しそうに微笑んでいた。
「さ、行こう」
黎は扉の方を向いた。奥へ奥へと進んでいくと、人通りは減り、ついに両脇の水槽の水音が聞こえるほど静かな場所に着いた。奥の重そうな扉には、龍の絵が彫られている。黎はその前で止まった。とんとんと扉を叩くと、向こうからも衣擦れの音をさせて、近づいてくる者がいる。急いでいるような、早い足音だ。足音は扉の前で止まる。ぎいと音を立てて開かれた。
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