02 黒鉄のドリル

 先月の誕生日で13歳になった少年は、抱きしめられるまま、その女性の豊かな胸に顔を埋めていた。


「無事に帰ってくるのよ……ヴォルテ」


 少年の名を呼ぶ女性――カナ=タキドロムスの細腕に知らず力が入る。


「ん……ムムム……!」


 ブラウスの布越しに少年の暖かい呼気を感じ、カナは慌てて彼を解放した。


 ぷは、と女の胸から顔を離した少年の顔は赤い。

 年上の女性に抱擁されたことによるものではなく、単に息が吸えなかったからである。


「もうちょっとでチッソクするところだったよ、カナさん」


 黒髪の少年が、黒く大きな瞳で上目がちに、口をとがらせた。


 もしも彼がスカートを履き、髪を伸ばしていたなら少女に間違えられたかもしれない。


 ヴォルテ=マイサン、13歳。

 “かわいい”という褒め言葉に、最近は複雑な思いを抱くようになった。


 ヴォルテ少年が、窮屈そうに服の詰襟へ指を差し込む。

 彼が着ている制服を改めて見て、カナは再び少年を抱きしめそうになるのを自重する。


「ごめんなさいね。でも、しばらくお別れだと思うとね」

「うん。休暇には帰ってくるつもりだからさ」

「寂しくなるわ。私にとって、他の子も大切な家族だけど、あなたは――“特別”だもの」


 自室の窓を見れば、夜空。

 涼やかな静寂に瞬く星々を、カナは見上げ、ヴォルテも同じく目を向けた。


「あの日もちょうど、こんな夜だったのよ。私がこの孤児院で働くことになった日の夜――あなたは、やってきた」


 カナの脳裏には、鮮やかに蘇る黒鉄くろがねの巨躯。

 体の芯まで響く脈動音、屹立する螺旋。


「――――うん」


 少年は頷く。


 これまでも幾度となく聞かされてきた、自身の生い立ちだ。


 頷くのは、この話がカナの繰り言だからではない。

 ヴォルテには“実感”があるのだ。


「何となくだけど、覚えてるんだ。優しい音だった。心地良い震えだった。柔らかで冷たい黒鉄てつに抱かれていた」


 だから、と、少年は続ける。


「“そういうもの”に近い場所に居れば、いつか僕のルーツにたどり着けるかもしれない」

「……反対はしないわ。応援する。あなた自身が考えて、あなた自身が感じているままに進むのだから、私はそれを応援するわ」


 もう一度深く頷くヴォルテ少年の大きな瞳に、強い意志が宿っている。


 あどけなさの残る少年は、明日、揺るぎない決心のもとサウリア国軍の兵学校に入るのだ。

 いずれは一人の兵士として、戦場へ赴くこともあるだろう。


 それより先のことは、今のカナには恐ろしくて想像することができず。

 微笑みで表情をつくろい、十三年前と同じようにベランダに出た。


 年季の入ったペンキ塗りの柵にもたれかかるカナとヴォルテ。


 カナの豊かな胸が揺れる。


――揺れているのはカナの豊かな胸だけでない。


 地面そのものが震動しているのだ。


「まさか!?」


 はたと夜闇に目を凝らしたカナとヴォルテだが、次の揺らぎと共に期待は裏切られた。


 三度の衝撃が、タキドロムス孤児院を揺さぶり。


 夜の静寂を破って、闇の向こうから跳躍してきた三つの巨躯が着地。


「『操甲者アーマシング』!」


 唖然とするカナの隣で、ヴォルテが声を上げる。


 『アーマシング』とはこの世界で用いられる人型兵器の総称。

 各国の軍が主力としているものであり、ヴォルテが兵士を志す理由である。


 現実に存在するモノであるとは言え、こうして眼前に突然現れれば絶句せざるを得ない。

 現代地球人たる我々の感覚で言えば、戦闘機が庭先に着陸したようなものなのだ。


 全高20メートルの人型三機。

 闇に溶け込む黒塗りだが、“あの日”の巨人とは明らかに別種なことがわかる。


 細身の上半身に、太い大腿。

 何より目を引き不気味なのは、三機いずれも左手に“頭部”を抱えている佇まいだ。


「首が無いアーマシング……図鑑で見たことがあるのはセルペ国軍の『デュラハン・タイプ』だけど……!」

「セルペ軍!?」


 ヴォルテが口にした『セルペ』という国名に、カナは血の気が引く思いがした。


 タキドロムス孤児院が在るのはサウリアの国境付近。

 すぐ隣がセルペ国である。近年、サウリアとセルペは地下資源を巡り緊張状態にあった。 


「ここの責任者を出せ」


 息を呑み見上げる巨人のうち一体から、男の声が響いてくる。

 それだけですくみ上がりそうになるカナだが、隣のヴォルテや、孤児院で暮らす子供達への想いが毅然とした声を絞り出す。


 タキドロムス孤児院の名を預かった者として、いつまでも怖気づいているわけにはいかない。


「わ、私です!」

「……ほう」


 数秒後、三機のうち真ん中に立つアーマシングの腰部から縄梯子タラップが垂れ、中肉中背の男が降りてきた。

 機体同様、所属を示す紋章マークも何もないレザージャケットは、男の素朴な顔にまったく似合っていない。


 男は、タラップからカナとヴォルテの居るベランダに飛び移ると、似合わないレザーパンツのポケットにわざとらしく両手を突っ込んだ。


「この施設は我々が接収する。つまり、頂くということだ」

「……あなた方、セルペの軍隊なのですか?」

「誰が質問しろと言った。もう一度言う。この施設は我々の拠点として利用させてもらう」


 一方的に話す男の濁った目に、真っ先に怒りを覚えたのはヴォルテ少年である。


「いきなり、そんなこと……こんなの軍隊がやることじゃない! 強盗と変わらないじゃないか!」

「ヴォルテ!」


 少年を細腕で庇う妙齢の女を見て、似合わないレザーの男の眼がいっそう濁った色を帯びる。


「そうだな小僧。俺たちは“ならず者”だ。なら、ならず者として振る舞ってやろう。奪い、殺し、犯すだけのな」


「ヒヒヒッ!仰るとおり!」

「こういうニンムも悪くないんだな。うま味があるもんな。順番、順番、なんだな!」


 後ろに控えた二機の『首なし』アーマシングから、それぞれ下卑た男の声が響いてくる。

 カナは歯の根を必死に合わせて、ヴォルテと男の間に立ち。


「子供達には手を出さないで下さい!」

「ふん、立派な心がけだな。お前の身柄は拘束する。連れて行く前に、ボディチェックだ。両手を上げろ」


 言われるがまま両手を挙げたカナの体に、男の手が触れる。

 腋の下から腰、太腿へと、野暮ったい掌が滑ってゆく。

 爪先まで至った手が、今度は上へと登ってくる。


「ここに凶器を隠し持つ奴も多いからな」


 男の手が、カナの豊かな両胸に到った。

 抵抗できず、羞恥と嫌悪感が滲む女の美貌を眺めながら、男は二房の重みと柔らかさを堪能するようにね繰り回す。

 

 無遠慮で執拗な男の狼藉に、カナはおぞましさと恐怖を覚えた。

 自身の身体に、得体の知れぬ生物が這い回っているかのようだ。

 強くつむった瞼の端に、涙が滲んだ。


「やめろ! “母さん”に触るな!」


 ヴォルテは無意識のうちに、カナを“母さん”と呼んでいた。

 彼がいつも心の中でカナを慕うときの呼び方だった。


 この世で一番大切な人が、大切な場所が、蹂躙されつつある。


 少年は、もはや自身の非力さなど勘定に入れず、目の前に立つ大人の男と機械の巨人らを睨んだ。


 彼の勇敢な、無謀な振る舞いに、カナの胸を弄んでいた男が眉をひそめる。


「ヴォルテ、皆を連れて、逃げて。私は大丈夫だから……ね?」


 青ざめた顔で声を絞り出すカナ。

 しかし、ヴォルテ少年は、“あの”決意のこもった眼をして、男に言い放つ。


「どうして『サウリア軍』がこんなことをするんだ!」


 男が僅かに身じろぎしたのを、ヴォルテは見逃さなかった。

 疑念を確信に変え、少年が畳み掛ける。


「お前たちのアーマシング、見た目はセルペ軍の『デュラハン』みたいだけど」

「やめて、ヴォルテ。あなただけでも、無事で」

こえが違う! この音、僕は聞いた事があるぞ。去年、国境近くのサウリア軍の基地見学に行ったんだ」

「お願いします! この子は見逃してください! 私はどうなっても……!」


「そこで見たアーマシングの『動力機関プラナ・ドライブ』がこんな音を出していたッ!」


 少年は、言い切った。


 カナの制止も耳に入らず、頭に駆け巡った電流に任せ、思ったままを口に出したのだ。


「……ああ、なるほど。その制服、兵学校のものか」


 男の手はカナの胸から離れていた。


 左の手は、ポケットに突っ込まれていた。


――右の手は、懐から拳銃を抜いていた。


「賢い“お坊ちゃん”。お勉強の甲斐が無かったな?」


 口封じの銃口が、ヴォルテに向けられる。


 男の人差し指が無造作にトリガーにかかり。


「いやあぁぁぁ! ヴォルテーッ!」


 そのとき、ドン、という音と共に、突き上げるような衝撃が足元を揺るがした。

 少年の眉間に向けられていた銃口が逸れ、部屋の壁に小さな穴が空く。


「なんだ、今の揺れは!?」

「ヒヒィ! “兄貴”ィ! 『アーマシング』だ!」

「なんだと。ちゃんと見張ってなかったのか!」

「き、き、急に現れたんだな!」


 手下のアーマシングに怒鳴り散らしながらも、“兄貴”と呼ばれた男は自分のアーマシングに向かって駆け出していた。

 衝撃と共に巻き起こった土煙に視界を遮られているのにも関わらず、冷静にコクピットへ乗り込む判断力は訓練を受けた軍人のそれである。


「ち、何も見えん。“ゴムワ”、“ウマミ”、直前までの索敵結果は?」

「レーダーのログにはなんもありやせん!」

「じ、地面が、い、い、い、いきなり弾けたんだな!」

「……地面の下から出てきたとでも言うのか? ふざけるな!」


 三機のアーマシングは携行した機関銃を構え、粉塵の向こうに見える“影”に向ける。


 塞がれた視界の中、彼らは集音機越しに音を聴いた。


「ドコーン……ドコーン」


「ギュイィィィィ」


 徐々に目の前がクリアになる。彼らは、モニター越しに姿を見た。


 黒鉄くろがね色の巨体。

 脈動音を響かせるエンジンのような体幹ボディから、太く頑強な四肢が伸びる。


 特に目を引くのは右腕に屹立し、緩やかに回転する螺旋の円錐――ドリルだ。


「あれは――間違いないわ。ヴォルテ、あれが、あなたの――」


 孤児院のベランダから見て、首なしアーマシングをはさんだ向こう側に現れた巨人。

 男たちのアーマシングよりも巨大な機体に、ヴォルテは目を奪われて。


「ドコーン……ドコーン」


 懐かしい、愛おしい、頼もしい脈動音こえが、少年を包む。


 黒鉄の機械が放つその音を、ヴォルテ=マイサンは――こう聞いた。



<<ファーザー>>



「『ファーザー』――それが『お前』の名前なのか」


 ドリル持つ機械の巨人は、たしかに名乗った。

 ヴォルテは理由わけもなくそう確信した。


 疑うことなく受け入れた名は、『ファーザー』。


 絶え間なく響く機械のこえを、ヴォルテはこころとして聞くことができる。


 ファーザーの声が、ヴォルテに響く。


<<命令せよオーダープリーズ我が主マイマスター>>


 かくして少年は、夜空に木霊する叫びでもって、“彼”に応えた。


「ファーザー! あいつらを、やっつけろ!!」

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