10.Cunning of me, psychological warfare.

「目が覚めた?」

 次に起きた時、僕は寝台の上にいた。傍にはヨハンナ。ヨハンナは僕が起きたと知ると、窓を開けて外の空気を部屋に入れてくれた。そよ風が僕の頬を吹き抜ける。

「ごめんね。ロレンツォ、もう時間がないから……殺気立ってるの」

「……時間?」

「もう寿命ってこと。ほら、聞いたことないかしら。『最初に実験を受けた失敗作で、死ななかったのはよかった。でも、時間の進み方が早すぎる』……いつもは時間を魔法で止めているんだけど、もう限界なの。だから、彼はほっておいても数カ月で死ぬわ」

 ヨハンナの言葉は淡々としていた。とてもあっさりとなんでもないようにして、はっきり「彼は死ぬ」と言った。

「ルネ」

 ルネは僕の足元にいた。僕の足を枕にして伏せて寝ている。すうすうと心地そうな寝息と、閉じられた瞼から伸びる長い睫毛。僕はなるべく足を動かさないように上体を起こした。

「僕は?」

「頭に異常はないわ。顔が腫れ上がっちゃったけど冷やせばなんとかなるわね。お腹は診たけど骨は折れてないみたい。あと口の中ね。歯が抜けちゃったけど、大丈夫かしら……」

 寝ている間に診察してくれたのだろう。身体のあちこちに手当てした跡が残っていた。口の中を舌で探ると奥の歯がなくなっていることが分かった。

「奥歯なので大丈夫です」

「顔の形が変わったらどうしよう。せっかく綺麗な顔してるのに」

「……大丈夫ですから」

 僕はまた布団を被る。照れ臭かったのもあり、深く深く。

「何か欲しいものある?」

「大丈夫です。――一人でいたいので、部屋から出て行ってください」

 ヨハンナは何かを察したのか、寝ているルネを起こして部屋から出て行こうとする。立ち止まって僕を見た。その部屋の本棚から何かを取り出して、それを僕に手渡す。

 それは紙の束だった。

「それ、君の研究ノートだよ。あの人から預かってたもの」

「ありがとう」

「多分、ロレンツォはそれを読んで君を許せなかったんだと思う」

 伏せ目がちにヨハンナは呟く。

 最後の言葉が気になって僕はこのノートを開いた。ノートと言っても紙を束ねて紐でくくっただけの簡素なもの。紙なんて高くて滅多に手に入らないのに、よくこんなにあったものだ。

 最初に開いたページにはこうあった。


 今日は三番を使った。年は四歳くらい。活発で心の綺麗な優しい女の子だったが、残念だ。これまで幼い子の方が成功するのかと思っていたがそうではないらしい。

 幼すぎてもダメなのだろう。師匠にはこの失敗体の詳細を事細かに伝えておくが、まずはよく観察しなければならない。


 僕はここでノートを閉じた。改めて読むと、この時の自分は冷酷極まりなかったのだと思う。観察、その対象を僕はあまり考えたくはなかった。

 失敗体、つまり死体だろう。

「罪作りか」

 その研究自体が僕の罪だ。

 僕は研究によって作られた実験体であり、研究を遂行する観察者。冷酷に失敗体を観察し、ノートに記帳するだけのからくり人形。師匠に言われるまま僕はなんでもやった。

 師匠にとって僕はなんだったろう? ただの都合のいい奴隷だったか? 命令すればなんでもやってくれるサーバントだったのか? ――僕に何も言わず付き従う以外の、価値なんてあったのだろうか。

「ケイティ」

 僕は視えない彼女にこう聞いた。

「僕って師匠のなんだったんだろう」

 分からなくなってきた。僕は何者だっただろう。名前も分からない。僕は一体なんだったろう。

「貴方は私の主人よ」

「え」

 驚いて声が出る。

「それ以外ないじゃない」

 僕が黙るとまた声がした。

「ヴェネッサにとって、じゃなくて私にとって、貴方は私の主人よ。だって私は貴方の使い魔だもの。ヴェネッサなんて関係ない」

 僕は黙って頷いた。

「そうだね、君は僕の使い魔さ」

 感謝しかなかったが、彼女はそれを望まないだろう。僕が彼女の主人でいさえすれば、彼女にとってこれ以上の幸せはなかったのだ。

 そしてそれは逆も真なり。

「ありがとう」

 僕はいつまで経ってもあの時のままだけど、僕の時計は止まってしまって、ピクリとも動かないけれど。

「どうもいたしまして、ご主人」

 この時ばかりは自分の時間が止まっていることを嬉しく思った。

「ケイティ」

 今の僕にやることは一つしかない。

「なに」

「僕に協力してくれるんだろう?」

「……まぁそうね」

 僕がいますべきこと。僕がしなければいけないこと。これを片付けなければならないこと。

「十三番を捕らえるよ」

 これは僕の復讐劇。

「僕はなんで十三番が師匠を葬ったのか知りたいんだ」

 全ての謎を解き明かす答えであり、僕の自分勝手なワガママだ。

「ケイティ」

 僕は彼を許せない。きっとこれからも、この先も。例え彼にどんな理由があったって、僕は彼を許さない。

「ついてきてくれるかい」

 僕は少しズルいのだ。協力してくれるんだろう、と聞いて彼女は了承した。それを知ってこう聞くのだ。誰しも了承した後に同じような質問をすると判断が鈍る。ましてや、彼女は僕の真の企みを知らない。

 よって、彼女の返信に「いいえ」は無い。

 僕が「はい」しか言えないように仕組んでいるのだから。

「ええ、いいけど」

 僕はその答えしか望んでいない。

「ありがとう」

 僕は満面の笑みでそう答える。

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