7. What do young minds think of asking me?

「起きたのかしら」

 僕がこの薬のような味のお茶を飲んでいた頃、ルネは上から聞こえる足音に耳をすませた。降りてくるのはタンタンと軽い音。

「ヨハンナ?」

「あれぇ、客人かい? おはよぉ」

「ヨハンナ、また夜中まで何かしてたんでしょ。ご飯はあるからさっさと食べてよ」

「うぅーん?」

 眠そうにあくびをする女性と目があった。二十代くらいの若い女性だ。僕は一瞬首を傾げた。この人は誰だったか。名前は聞いたことがあるけど、この姿は?

「あれ? 一番くんじゃない」

「え? あぁ……どうも」

 どうやら僕のことは知っているらしい。

「あれ? その顔は覚えてない?」

「誰ですか?」

 首を傾げて聞くと、彼女はケタケタと笑い始めた。その顔はどこかで見たことがあるような、ないような。

「嫌だなぁー、九番だよ? 名前は聞いたことあるだろうに。でも、そうかぁ、あの家にいた時、一番くんはまだ小さかったっけ。仕方ないかぁ」

「九番? でも年……」

「あー、これね。あたし、時間がめちゃくちゃに進むでしょ? それ戻ることもあるみたいなんだよ。だから今こんなんなの」

 彼女は僕の方に近づいてきた。

「一番くん、おーきくなったねー。ちっちゃかったのにー。背が伸びたね」

 背が伸びていたのは実験を受ける前なのだから、彼女の言葉には疑問符。僕はちっとも背が伸びていないのだから。

「えっと」

「あー。ごめん。ごめん。懐かしくってね。君が成功したと聞いてよかったと思ったんだよ」

「……そうですか」

 その時、僕の鞄が大きく揺れた。鞄は地面に落ち、中身がぶちまけられる。中からコロコロ転がる瓶。僕にとっては何も入っていないように見える瓶だ。

「なに?」

 ルネが拾い上げる。

 彼女がそれを覗き込むと、甲高い感嘆の声が聞こえた。

「うわぁー! 綺麗……」

「お、精霊かい?」

「ほら! 羽根が透き通ってるのー」

「見事なもんだね」

 僕はそれをじっと聞いていた。僕に彼女は視えないが、彼女は羽根が透き通っていて、綺麗なんだという。

「ん?」

 ヨハンナが一瞬――、疑惑の顔になる。

「一番くん、彼女はもしかして……」

 ヨハンナは気づいているのだろう。

 瓶の中の彼女が師匠の使い魔だということを。瓶の中に閉じ込めているのが僕であるということ。

「僕には彼女が視えません。僕は師匠が処刑された時に自分の名前を失くしてしまいました」

 彼女達は分かっている。

 それが魔法使いにとってどういうことなのかを。僕がどれだけ師匠に尽くし、僕が師匠のためにとなんでもしていた狂った人形であること。師匠がいなくなった今、僕は魔法すらも使えない脱け殻であること。

「僕に彼女は視えません。僕は自分の名前すらも知りません」

 僕は名前を取り戻すためにここに来たのだ。でも、僕の名前をここにいる誰も知らないのは分かっていた。

 ルネ、ヨハンナ。

 彼女達には名前がある。だからお互いその名前で呼び合うのだ。

 僕はどうだったろう?

「貴方達が僕の名前を知らないのはここまでの会話でよく分かりました。ルネ、ヨハンナ。君達は僕のことを「一番くん」としか呼ばなかった。一番というのは僕の名前ではないでしょ? でもそれ以外に呼ぶものがないんだ。だから「一番くん」としか呼べなかったんだよ。僕にそもそも……」

 ――名前なんてなかったのだ、と。

「違うよ!」

 ルネが大きな声を上げた。僕はびっくりしてしまって彼女の顔を見る。

「昔は一番くんも名前で呼んでいたの。でも一番くん、初めて外に行った日に『僕の名前を絶対呼ばないで』って言うからみんなその日から呼ばなくなったの。それから呼んでないから……もうすっかり忘れてしまったの」

「あの時、泣きじゃくって大変だったんだよ? 宥めてもどうやっても泣き止まないから……あの人、おどおどして、あたしらはあの人を落ち着かせる方が大変だったよ」

 ヨハンナが「あの人」と呼ぶのは師匠のことだろう。

 僕はなんでそんなことを言ったんだろう。幼かったからか。いや、その時に何かあったのだろう。僕にはそれが思い出せなかった。僕の年が止まっているから、幼い時と言え、もう何十年も前のことなのだ。

 そんな前のことを、覚えていられるはずがない。

「君の名前はあの人しか呼んでなかったんだ。だから、あの人が死んだ以上、君の名前を知る者は……」

 僕の師匠、ヴェネッサ・アランは数十年前の一五四八年、イングランドの首都ロンドンにて処刑された。ロンドン塔の前にいた観衆は数十人。悲鳴と怒号の中、ほのおが上がったのは明朝四時。

 僕はそこに間に合わなかった。

 告発したのは十三番。きっと僕は彼を一生、いや永遠に許さないだろう。僕が帝都に行って数年くらい仕事をしていた時、彼はそれを見計らって告発した。用意周到。全てを計算して、絶対に僕が間に合わないようにしたのだ。

 結果、僕は間に合わなかった。帝都であるプラハからロンドンまでは、遠すぎて立ち会うことも出来なかったのだ。

 僕は彼を一生許さない。

 どんな理由があったって、彼を一生許しはしないだろう。

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