2. Genius is only at one remove from insanity.



「どこに向かうのよ」

「パリだよ。僕の隠れ家がある。知り合いがいる。数年いた街さ」

 荷馬車の中で彼女が聞いた。

 太陽が真上に上った、お昼ごろ。僕は荷馬車の後ろに腰かけ、おそらく宙を漂っている彼女に声をかけた。

「貴方の知り合い?」

「……あの家の生き残りさ」

 僕は本を開いた。外側は普通の小説のような装丁だが、中はルーン文字が踊る魔道書グリモワール。僕の魔法道具であるそれを眺めて、僕は彼女に聞いた。

「ケイティは僕の名前を探したいんだろう? 知り合いに会ってヒントになればと思ったんだよ」

 彼女――、宙を浮く妖精。それが彼女だった。

 彼女の名前はケイティという。師匠の使い魔だった彼女に会ったのは数年も前のことだ。

 もう数年前なのだな、と僕は思う。

 なにせ、僕の時間が止まっているせいで、僕の中の時間の感覚は狂っているのだ。見た目が変わらないというのは良いことのようで不便である。

 師匠が処刑されると聞いた時、僕は彼女の元へ急いだ。僕はその時には彼女の元を出ていて各地を転々としていた。処刑されると聞いた時は帝都にいたから、カンタベリーの師匠の家までは時間がかかり、間に合わなかった。

 僕はそのショックで自分の名前を失くし、使い魔になる魔法生物が視えなくなった。

 魔法使いとして致命的だ。

 彼女はあの家の特殊な時空間の歪みによる、狂った歯車の中にいた。外界と時間とのズレがあり、その中と外の時間の進み方が違っていた。そこから出したのは僕だった。

 僕に妖精である彼女は視えない。僕は自分の名前を知らない。

「……みんな、師匠の人体実験の犠牲になって、時間の歯車を狂わされた犠牲者さ」

「貴方も?」

 僕はあそこで最初に成功した最高傑作だった。師匠が僕を一番近くに置き、いつも側にいるように言ったのは、僕を観察下に置いて、僕の身体の変化がないことを見て、観察日誌をつけるためだったろう。今思えばそうなのだ。

 一番弟子と呼ばれいつでも仕えたさ。純粋に僕は嬉しかったのだ。彼女の一番である自分自身が――。

「……僕は自分を犠牲者なんて思わないよ」

 赤ん坊の頃からあそこにいた僕は、他のみんなとは意識が違うのだ。僕には彼女だけだった。

 実験を受けた当初はそりゃ師匠を恨んださ。僕の時間を止め、自分のそばに置いて観察の対象とした彼女は、僕を実験動物としてしか見ていなかった。

「僕の身体が成長しないのは、彼女がくれた愛だよ。僕は彼女に愛されてる。だから僕は師匠を今でも愛してるんだ」

 僕はそれを酷いと思っていた。だから彼女の側から離れていった。

 でも、彼女が死んだ今、改めて考えるとどうだろう。

「……そう? 一番弟子さん」

 彼女の側に何年か仕えた。その中で感じていたこと、そして彼女が死んだ今考えること。

「そうだよ」

 僕の中の時計はいつまでもあの日のまま止まっている。

 僕の後も彼女は、夜な夜な子どもを魔術式の上に乗せて、実験に使った。失敗した者、成功した者、色々あった。僕は全部記帳することを命じられた。何故失敗したのか原因は僕が見つけ、師匠に報告する。その度に失敗体もよく診たから、文字どおり僕しかできない仕事だったのだろう。忠誠心の塊のような僕は、彼女の為ならどんなことでもしたのだから。

 成功した者も、しばらくは前と変わらず住んでいたが、その後すぐに家を出て行ってしまう。僕はさよならをしてみんなを見送った。子どもは一人、二人といなくなり、そして僕だけになった。

「そんなことより、もうすぐ着くよ」

 時間が止まっている以上、僕は老衰で死ぬことはない。

 彼女がくれた呪いあいは、僕の心も体も全てを操っている。これは愛情だ。老いず死なず、彼女は僕に永遠に生きろと言っているのかもしれない。

 僕は古来より望まれたの身なのだから。




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